【自由へのひろば】
被ばく医師・肥田舜太郎が語る福島と広島(3)
埼玉の児玉順一という内科医は、自己免疫の異常でおきる糖尿病や関節リウマチなど病気が、どこで起こっているのかを世界地図の上で調べたんです。そうしたら、ちょうどアメリカとか、中国とか、チェルノブイリとか、原子炉のある地域や核実験、原発事故と同じ緯度線上に病気が集まっている。それで放射線の影響が客観的に疑えるのではないかという前提ができた。たとえば、スカンジナビア半島の三つの国のあたりに放射線被害が集中しているんです。それは海流の関係で、イギリスやフランスの原発から流れ出る放射能があの辺りに集まるからなんですね。その影響で病気が多発するんだろうということなども記述した膨大な論文を書いているんです。
彼はまず、私の翻訳した『人間と環境への低レベル放射能の脅威』を読んで、ペトカウ効果を知り、放射能の害が細胞核ばかりでなく細胞膜にも及び、がんや白血病ばかりでないいろんな病気の原因になることを医師として直感しました。さらに、スタングラスのエイズ仮説を知り、スタングラスと同じようにしてみたら、自分でも核実験と同緯度の地域に広がる病気を突き止めたんです。
それが『日本からの手紙』という一冊の本になりました。日本で発表しても妨害にあって取り上げられない可能性があるから、どこか外国の雑誌に掲載させようと考えて、私も英訳に加わったりして、その先生を激励しているんです。
それから、私が外国の被ばく者を直接診たのは、チェルノブイリ事故から7、8年経ったころかな、バルト海にリトアニアという国があって、国民は当時ソ連軍の兵隊になっていた。この兵隊が動員されて、チェルノブイリ事故の後始末に連れていかれたんですね。帰ってきてからいろんな症状が起こって大変なことになったんです。
リトアニアでは当時ソ連からの独立運動をやっていて、国内は大変な状態だったんです。帰って来た二十代の若者が仕事がない。体の具合いが悪くなって、お医者に診てもらっても何だかわからない、医療も十分にないし、希望が持てない、そういう閉塞感というか、そういうことで自殺者がうんと出たんです。
で、そういう病人たちが政府に何とかしてくれと運動を起こして、それに応えて政府がやり始めたんだけれども、医者が誰も分からないんですね。そういう人が広島に来て、助けてくれということで、斉藤さんという医者と二人で行きました。
リトアニアで私たちが診た人たちが共通して言っていたのは、体がだるくて仕事にならないということでした。これはすべての被ばく者に共通してますね。
それから、長崎に落ちたのがプルトニウム爆弾ですが、今アメリカが持っている核兵器のプルトニウムは、全部ハンフォードという工場で作ったそうです。この工場の側にコロンビア川という川が流れているんですが、この川の下流の沿岸にたくさん被ばく者がいるということは、前から聞いていました。たまたま2002年にチャンスがあって行きました。
そこの被ばく者の集団の中でたった一人、政府に向かって抵抗して闘った農民がいたんですね。トム・ベイリーという人です。彼の住んでいるところには、28家族いましたが、特別に濃厚な被ばくをして、アメリカでも有名になった地域なんです。
まず、ハンフォードの工場は東京都の山手線の内側の20倍以上という広さです。ここに九つの工場があって、そこでものすごい量のプルトニウムを作っていたんですね。そして放射能を煙突からはだすわ、汚染水は流し放題で、地下水にもどんどん入ったんですね。そこに住んでいた農民は何十年という間ずっと、内部被ばくしていたわけです。
トムは、戦争が終わった翌年に生まれたんですね。彼はお母さんのおなかの中で被ばくして、奇形児で生まれて、中学にいくまでに4回もがんで手術してます。でも、よく生き残って。
彼が近所で一番気が付いたのは、動物がみんな奇形だというんですね。目が三つあるとか、角が3本あるとか、尻尾が2本あるとか、そういうのがいっぱい出たのが不思議で、また、周りの家でどんどん病人が出るというのを聞いて、勉強して、あの大きな工場から出る何かがおかしいということに気がついて、いろいろ調べはじめたんです。彼はケネディーの応援を受けて、被ばくを訴えたいがために上院議員に立候補するんです。つまりアメリカでは、普通の人ではそのことを訴えられないんです。これは大変いいにくいことですが、そういう住民や動物のことを調べた人がみんな殺されたり、被害を受けているんです。そういう歴史があるために、アメリカの被ばく者も話をしません。
そんな中で、トムは良く覚えていて、1軒、1軒、その前を自動車で走りながら、この家のおじいさんは何で死んだ、その息子は何だったとか、全部教えてくれました。だから28軒のうち、被害のなかった家は1軒もないんですね。どの家でも全部、数人が死んでいます。
ハンフォードの放射能汚染というのは、アメリカ国内ではかなり有名で、新聞やいろんなものが絶えずたたいたんですが、工場は強靭に生き残って、非難を寄せ付けなかったんですね。でも、住民運動というのは起きていない。闘ったのはトム一人なんです。他の住民はトムはきちがいじゃないかとか、あるいは私らのためと言うけど、そんなもの勝ちっこないわねというんで、関わり合いになるのをみな嫌がった。だれも協力しない。その中で彼は闘いぬいたんですね。工場は中止をさせられたんだけど、それはジャーナリストの力です。書きたてて、書きたてて、とうとう政府が中止させたと。
そういう外国の被爆者の状態を知れば知るほど、内部被ばくというものの重大さが、これは日本だけじゃなくて、むしろ他の国では直爆がないわけですから、形式は違っても全部内部被ばくだと。放射能の核種がいろいろ違っても、放射線が出るわけですから、内部被ばくが怖いということは今共通して、認識をはじめたという時期だと思います。
私は、世界中の被ばく者と会いましたが、何としても核兵器廃止を訴えるために、最初の国連への行動から最近までの27年間で30回以上、約30か国へ被爆体験を話しに行きました。
ドイツ平和協会というところが、1979年に初めて原発反対運動をはじめた。みんなに放射線の恐ろしさを教えなければならない。広島でそれを知っている医者がいるという。その人を寄越してくれと頼まれてドイツに行きました。彼らは広島・長崎が放射線の被害を受けたことを知っているんですね。日本人はすぐに放射線のことを思い浮かべないんです。火傷とか一発で何万人も死んだとか、目に見える被害だけでね。
初めてドイツに行って、いろんな話をしたら、原発を作らないというだけじゃなくて、核兵器もやめるべきだというふうになっていった。当時、東西ドイツの国境に核ミサイルが配備されていて、いつ核戦争が起きてもおかしくない状況にあったんですね。それで核戦争が始まったら、自分たちはアメリカの原爆で殺されると、どうしたらいいのか、どこまで逃げたらいいのか、と聞いて来るんです。私は、ベルギーまで逃げてもだめだと。それでワーワーやっていたら、みんな死にたくないから、ここにいるんだ。みんなが生きるためにはどうするかっていったら、戦争をやめさせるよりほかはないじゃないか。ここで戦争を止めろと言う運動を大々的に起こすことが、助かる道じゃないか。そうだそうだ、というところまで話がいったんです。
そういう経験から、ドイツでは核廃絶というものが実際に国民のものになっていて、死にたくないという気持ちで立ち上がれば、それが正論になって大きな力を生むというのを見てきました。
また、別の集会では、ドイツの活動家のエルンスト・シュタインという人の「アウシュビッツと原爆が人類最大の人権侵害だ」という言葉に、はっとさせられました。「ヒトラーはユダヤ人を抹殺した。同時に広島・長崎に原爆を使ったということは、どう考えても、人間の生存そのものを頭から否定した考え方でなければできないことだ。そういう意味で第二次世界大戦というのは、戦争の質をはっきり変えた。その代表がヒトラーで、もう一つはアメリカの原爆だ」と、学生たちに語ったんです。
私はそれを聞いて愕然としました。原爆が人権を抹殺したということをはじめて意識させられたんですね。私は医者のくせに、いままでそのことに気が付かなかったのか、と思いました。
ドイツは3・11福島原発事故のあと、7月にすべての原発を2022年までに廃止すると決めた。僕はドイツの医学界の人たちもよく知っていて、ずっと一緒にいろいろ話してきたから良くわかるんだけど、ドイツ人はヒトラーを経験して反省する中で、人権問題というのが考え方の中心になっている。ドイツ人は日本人よりも人権問題については基本的な土台ができているんですね。
日本で内部被ばくのことをいくら言っても分かろうとしないのは、人権意識が全くないからなんです。自分の命の大切さ、それが不当に扱われることへの怒りがゼロなんです。大体日本の権力や原発容認派はそういう日本人気質を利用するんですよ。絆とか、お互いさまで助け合いの大事さみたいな気質。長いこと日本人を支配して来た人々は、国民の人権意識の無さに助けられて、いろんなことを可能にして来たわけなんです。
つい最近、この3月に韓国へ行ってきました。ソウル大学で私の被爆体験を話すことと、もう一つの大切な目的は、在韓被爆者の方達との交流です。以前来日した在韓被爆者を診察したこともあって、いつかは韓国へ行きたいとずっと思っていたんです。
みなさんの中には、原爆でやられたのは日本人だけだと思っている人もいるかもしれません。しかし、あの当時外国人の人たちが何万人も広島・長崎に居て、同じように被ばくしたんですね。植民地だった朝鮮から来ていた人々もいっぱいいました。そういう人が戦争が終わって、元の自分の国に戻って、もともとあった差別の上に被爆者になって二重の差別を受けたんです。今でもやっぱり差別は残っています。
戦後、日本は日米安保条約を結んで「アメリカの核の傘に守ってもらう」ことにしたんです。だから、この条約に不都合なこと、放射能の危険性や日本の軍隊が何をしたかなどを国民に知られたくなかった。放射能の危険性がわかれば、アメリカの核兵器に批判が起きるし、日本の軍隊が何をしたかが分かれば、自衛隊や日米の軍事同盟的な関係をなくそうという声が大きくなってしまいますからね。
そして日本のやった侵略については、ウヤムヤにしてきちんと謝罪しない、ということになってしまったんです。日本の政治家の発言で、日本のやった戦争は侵略戦争だったと、ちゃんと言っている政治家が何人いますか?
こういったこともあって、日本と韓国の関係が悪くなっている。韓国などでは、「原爆のお陰で日本の抑圧から解放された」と考える人もいるんです。これは両国の市民にとって不幸なことだと思います。
さらに言えば、安保条約で日本はアメリカの戦争政策に組み込まれているという現実があるんですね。大学の研究だってその影響を受けて、被爆者のための研究には国の予算が出ない。やはりこれを、安保条約をやめて、米軍に帰ってもらうしかないと。いつからそのことに日本が取り組めるかと考えると、現状はとてもまどろっこしいですが。
そろそろ、どうしても伝えておきたいことをお話して終わります。
福島の原発で大変な事故が起きて、大量の放射能が漏れ出してしまった。こういう事故が起きると、政府も簡単にはウソがつけなくなってくる。原発は安全ですと騙すのが難しくなってくる。原発の危険性、放射能の恐ろしさが暴露されはじめる。ただ、今まで隠されて来たそうした事実が公になったとき、私たちはどう生きるか。どう行動するか。それが大切になってくるはずなんです。
もちろん、ウソをつく人間、市民を騙す人間が一番悪いんです。放射能の危険性を教えたり、核技術の危うさを人々にわからせたりしなくちゃならない立場の学者たちが、逆に「何も問題ありませんよ」と言う側になってしまった。そういうところが、日本の国民が無知のままで来ている一番の原因です。
江戸時代は鎖国もありました。明治になると、天皇制という制度のもとで、国民を戦争に動員するという目的があって、自ら望むような国民に教育していったのだと、私は考えています。そういう国の名残が、日本は戦争に負けて、民主主義を導入したはずなのに、支配されることを国民が自分から望むような価値観、そういう文化がそのまま残ってしまった。戦後ずい分月日が経ちましたが、民主主義が根付いたかといえば、まだだめです。みんなのものになっていない。
しかし、その元にあるのは、自分でものを考えることをしない日本の奇妙な文化にあると思います。日本人は、周囲の人が何を考えているかを気にして、それに合わせてついていこうとする。厳しい意見を言わせてもらえば、個人の自由な意思、それから人権意識がない。ということは、つまり、広島・長崎の原爆や原発労働者の被ばくによる苦しみが、みんなのものになっていないということでもあるんですね。
日本で原発反対運動が盛り上がらなかった原因は、アメリカの国家戦略が絡んでいたことが一つある。もう一つは、原子力を使って電気を作って、うんとお金を儲けをするために原発を推進するということ。大きく分けてこの2つの問題があります。
この基本方針の中に原爆、原発、放射能の問題も全部組み込まれているんです。自分たちの命が脅かされて、自分たちの子どもたちにも危害が及ぶのに、どうして平気でいられるのか。これほどの事故があって放射能が漏れ出ても、電気が必要だと言って金儲けをする側につこうとするのか。
ではどうしたら、政府や電力会社にたてついても、日本中が団結して、「放射能はごめんだ」「原発はもういらない」「核はいらない」とはっきり言えるのか。
それを言うには、勇気が必要なのも事実です。あれは隠しておこう、これも都合が悪いので黙っていよう。そういう国の中で隠さない生き方、黙っていない生き方を貫くのは、勇気がいる。誰しも自分に不利にならないことなら言えることです。あなたが権力の側につくなら、それが多数であるという理由で多数の側につくなら、その時は好きな意見をのびのびと言えるんですがね。
それに対して、そうではない自分の声を出すのは、いばらの道なのです。「原発はごめんこうむります」と言う。「放射能は危険です」と言う。仮に大学教授がそんなことを言ったら、たちまち文科省の補助金が切られる。企業だったら、どこかに転勤させられる。首になる。自分の利益に全くならない。それでもなお、声を上げて行くのは、勇気がいるんです。
それから、これから原発をなくすために、核兵器をなくすために、何をやって行けばいいのか。強力な大企業、日本政府、海の向こうのアメリカという相手に、何をどうすればいいのか、ということですが。
まずは一人でも勇気を持って声を上げることですね。例えば、あなたが街頭に立って、核兵器反対の署名活動をしているとします。するとあなたの前にある人がやってきて、「核兵器を使うことは私も反対です。でもアメリカが核兵器を持っている。中国もフランスもインドも持っている。その抑止力で、現にこの70年間核戦争が防げたのではないですか? つまり、核兵器は持っている分には、平和の世の中に役に立っているのではないんですか。だから私は核兵器をなくすという意見には賛成することはできません。使うことには反対ですが」と言う。
こういう人はいっぱいいます。その時、あなたはどう答えるでしょうか。今までの運動には、こういう人たちを説得できないところがある。
原発もそうです。「原発から放射能が漏れるのは反対。でも、電気が必要だから、原発の継続には賛成」という意見。でも、原発は事故が無くても、通常運転時に許容量と名前を付けて放射性物質を出しているんですよ。
そういう人たちに対して、「あなたの考えは間違っている」と、即座に、ひとことで言える人が何人いるのか。あなたは即座に何と言いますか?
「核を持っているだけで人が死ぬんだよ」と、どうしてこれが言えないのか。
結局、最初の最初、ウランを掘るところから被ばくしているんです、人が。核兵器を作るために、原発を動かすために、ウランを掘ってくる。掘って来たら工場へ持っていって製錬する。加工する。すると、どうなります?
労働者が被ばくして、がんなどで死ぬんです。
労働者だけではありません。ウランを加工する工場の周囲に住んでいる住民の赤ん坊が、原因もわからず小児がんになって死んでいく。死亡診断書の病名は放射線病とは書いてない。だけど、診断書がどうだろうが、人が死ぬんです。
つまり、
なぜ、核兵器がだめなのか。「持っていることで人が死ぬんだよ」
なぜ、原発がだめなのか。「動かしていることで人が死ぬんだよ」
それだけの話じゃないですか。相手にそれだけ話せば済むんです。それだけのこと。
簡単なことでしょう。勉強すればいいんです。
勉強すれば、放射線の被ばくで病気になると分かる。広島・長崎の原爆や原発労働者の被ばくによる苦しみが分かるということになります。
自分の家族や知人が死ねば、「人間の命が大事だ」と思う。でも、知らない人、顔を見たことが無い人の死には、感情が動かないという。これが、「命よりもお金の方が大事」と言うことなんですよ。
人の命を自分の命と同じように大事だと思うこと。世界中にたった一人の自分の命を大事だと思うように、だれの命も大事だと思うこと。これが人権なんですから。
核兵器も原発も、人が死ぬからだめだと、そういえばいいんです。
そこのところをいちから考え直してやって行く必要があると、私は切実に思っています。
最後までお聴きいただいて、有り難うございました。 【完】
<参考資料>
●肥田舜太郎氏の著書
・広島の消えた日 日中出版 1982
・ヒロシマ・ナガサキを世界へ あけび書房 1991
・肥田舜太郎の人生養生訓 日本被団協原爆被爆者中央相談所 2000
・ヒロシマを生きのびて あけび書房 2004
・内部被曝の脅威(共著) ちくま新書 2005
・内部被曝 扶桑社新書 2012
・被爆と被曝 放射線に負けずに生きる 幻冬舎ルネッサンス新書 2013
・ヒロシマの記憶 原発の刻印 ヒロシマを知り原発を考える 遊絲社 2013
・肥田舜太郎が語る いま、どうしても伝えておきたいこと—内部被曝とたたかい、自らのいのちを生かすために 肥田舜太郎×大久保賢 日本評論社 2013
●肥田舜太郎氏の訳書
・死に過ぎた赤ん坊—低レベル放射線の恐怖 時事通信社 1978
・ペトカウ効果—人間と環境を荒廃させる放射線の影響(共著) 自費出版 2009
・放射線の衝撃—低線量放射線の人間への影響(被ばく医療の手引き)自費出版 1992
・死にいたる虚構−国家による低線量放射線の隠蔽ー(共訳) 自費出版 1994
・内部の敵 自費出版 1999
・低線量内部被曝の脅威(原書;内部の敵)(共訳) 緑風出版 2011
・人間と環境への低レベル放射能の脅威(原書:ペトカウ効果)(共訳)あけび書房 2011
●その他
・[愛蔵版]はだしのゲン(1973年連載開始) 全10巻 中沢啓二 1988
・被曝国アメリカ—放射線被害の恐るべき実態 ハーヴィ・ワッサーマン 早川書房 1983
・誕生前の死—小児ガンを追う女たちの目 藤原書店 1992
・チェルノブイリから広島へ 広河隆一 岩波書店 1995
・米軍占領下の原爆調査 笹本征男 新幹社 1995
・人形峠ウラン公害ドキュメント 榎本益美 北斗出版 1995
・共同研究 広島・長崎原爆被害の実証 沢田昭二ほか 新日本出版社 1999
・ヒロシマを持ちかえった人々—「韓国の広島」はなぜ生れたのか 市場淳子 凱風社 2000
・人間を幸福にしない日本というシステムーこの国がダメなこれだけの理由(新約決定版) カレル・V・ウォルフレン 2000
・被爆二世の問いかけ—再びヒバクシャをつくらないために 全国被爆二世団体連絡協議会 2001
・原発・正力・CIA−機密文書で読む昭和裏面史 有馬哲夫 新潮新書 2008
・封印されたヒロシマ・ナガサキ—米核実験と民間防衛計画 高橋博子 凱風社 2008
・「被爆二世」を生きる 中村尚樹 中公新書ラクレ 2010
・広島・長崎への原爆投下再考—日米の視点 ピーター・カズニック 法律文化社 2010
・長崎原爆記—被爆医師の証言 秋月辰一郎 日本ブックエース 2010
・増補 放射線被曝の歴史−アメリカ原爆開発から福島原発事故まで 中川保雄 明石書房 2011
・福島原発メルトダウン 広瀬隆 朝日新聞出版 2011
・原発・放射能 子どもが危ない 小出裕章・黒部信一 文芸春秋 2011
・原発のウソ 小出裕章 扶桑社新書 2011
・福島第一原発—真相と展望 アーニー・ガンダーセン 集英社新書 2011
・原子力その隠蔽された真実—人の手に負えない核エネルギーの70年史 ステファニー・クック 飛鳥新社 2011
・見えない恐怖ー放射線内部被曝 松井英介 旬報社 2011
・低線量・内部被曝の危険性—その医学的根拠 医療問題研究会 2011
・ひろがる内部被曝 Q&Aプラス最新解説 矢ケ崎克馬 本の泉社 2011
・アヒンサー 未来に続くいのちのために 原発はいらない 第3号 「被爆医師・肥田舜太郎さんの証言」—あなたは、内部被ばくのことを知っていますか— PKO法「雑則」を広める会 2011
・はだしのゲン わたしの遺書 中沢啓二 朝日学生新聞社 2012
・原爆症認定訴訟が明らかにしたことー被爆者とともに何を勝ちとったか 東京原爆症認定集団訴訟を記録する会 あけび書房 2012
・原発と原爆「日・米・英」核武装の暗闘 有馬哲夫 文春新書 2012
・3・11原発震災—福島住民の証言 ロシナンテ社 解放出版社 2012
・内部被曝からいのちを守る—なぜ今内部被曝問題研究会を結成したのか 市民と科学者の内部被曝問題研究会 2012
・封印された「放射能」の恐怖—フクシマ事故で何人がガンになるのか クリス・バスビー 2013
・戦後史の正体 1945−2012 孫埼享 創元社 2012
・A LETEER FROM JAPAN 日本からの手紙 児玉順一 2013
・福島原発事故 県民健康管理調査の闇 日野行介 岩波新書 2013
・放射能汚染から生命と健康を守るために—「日本からの手紙」講演会 児玉順一 2014
・「原発事故子ども・被災者支援法」と「避難の権利」 合同出版 2014
・日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治 集英社インターナショナル 2014
・放射能から生命と健康を守るための活性酸素とミトコンドリアのものがたり 児玉順一 2014
・検証 法治国家崩壊ー砂川裁判と日米密約交渉 吉田敏弘+新原昭治、末次靖司 創元社 2014
・美味しんぼ 第111 福島の真実(2) 雁屋哲 小学館 2014
・美味しんぼ「鼻血問題」に答える 雁屋哲 遊幻舎 2015