西欧世界の限界と戦後民主主義の国際的意義

―若い世代との対話-21世紀の日本のポジションを求めてー

住沢 博紀


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1.西欧世界の限界と戦後民主主義のグローバルな意義
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 確かに東アジア・東南アジアは、まだポスト・ナショナリズムの地域ではありません。1970年代後半から、日本はG7の枠組みで欧米諸国とともに自由貿易と西欧的価値観にたつ制度作りを担ってきました。いま日本がこのようなグローバルな課題よりも「国益」を優先する路線を明確にするなら、戦後日本が築き上げてきた最良のイメージを自ら否定することになるでしょう。ドイツが露骨な「国益」を主張しないように、第二次世界大戦の敗戦国である日本が「国益」を前面に掲げることは、愚者の政策であるといっても間違いありません。

 わたしはここで「たてまえと本音」の話をしているのではありません。文字通り、平和で共生できる「東アジア」を創出することが、結果として、もっとも日本の人々および東アジアの人々の幸福につながるということを主張しているわけです。そしてそのためにはコストがかかります。またこれまでの国内の既得権や日米関係を中心に構築されてきた権力のインサイダーグループの利害とぶつかることも想定できます。鳩山政権が普天間県外移転や日米関係の相対化をめぐる政策でぶつかった壁です。そのための具体的な政策課題を練り上げ、それを実現するための戦略と日程表の作成にとりかかる必要があったでしょう。もちろん、これは日本一国の作業ではなく、複数の国との共同作業です。しかし90年代には、今よりもっと有利な環境がありました。

 最適の時期は逸しましたが、今からでも私たちは日本の21世紀を、アジアの中でしかも他者の視点も含めて構想しなければなりません。ただ一つの利点は、四半世紀を経て、私たちは日本の置かれた状況をより冷静に、客観的に把握できるようになったということです。そうした前提の下では、以下の二つの補助線を引いて構想することが助けになるかもしれません。

 第一の補助線は、1840年のアヘン戦争から出発して現在のグローバルな問題状況と新しいアジェンダを考察することです。いいかえれば戦後民主主義の意義を、1945年とパックス・アメリカーナの下でのみ考察するのではなく、幕末からの欧米・アジアと日本の関係を包括的におさえる中で、21世紀の役割を検討してみようという立場です。

 もう一つの補助線は、市場原理主義と力の安全保障に立つアメリカとの関係だけで世界を見るのではなく、欧州も含めた西欧社会的価値観と社会・経済システムも含めて日本の将来を構想することです。そうすれば、グローバル市場化や軍事同盟としての日米安保の強化だけではなく、人々の生活保障やアジア共通の安全保障政策の必要性も浮かび上がってきます。

 ここで第一の補助線である、1840年のアヘン戦争に出発点を設定することの意味を考えてみましょう。欧米列強の武力を行使した東アジアへの進出が明確になり、東洋の大国、清が西洋に敗れた年です。以後、明治維新・辛亥革命など、欧米諸国をモデルとした近代国家の樹立が東アジアにおいて模索されます。日本はいち早く「脱亜入欧」を果たし、富国強兵政策と日清・日露戦争により欧米列強の一員として朝鮮・南満に支配権を構築していきます。昭和前期の日本が欧米文明の鬼っ子であったとすれば、戦後日本は欧米の模範生となりました。

 戦前・戦後を通し共通していることは、アジア諸国に対しては「欧米諸列強」あるいは「欧米先進国」として対峙してきたことです。中国がアメリカに匹敵する「大国」として登場する時代が見えてきた現在、こうした2世紀に渡る日本の特異なポジションの歴史的な意味と将来を検討する必要があります。しかし再審の場に出されるのは日本だけではありません。帝国主義の時代を担い、西欧的価値の普遍性を主張した欧米諸国も同じです。何が21世紀も継続可能なユニバーサルな制度や価値であり、何が再検討を迫られるものであるかの検証です。とすれば戦後民主主義の意義も、日本や1945年以後に限定されず、1840年からの射程でグローバルに位置付ける作業が必要となります。

 戦後民主主義のグローバルな意義には、もちろん憲法9条の戦争放棄と脱軍事化も含みますが、それだけではありません。明治国家の成立のあとには、自由民権運動、大正デモクラシー、そして昭和初期の短い政党政治が続きます。1945年の日本の脱軍事社会化と民主化は明らかにアメリカ占領軍の力と占領目的に依りますが、日本社会もその平和と民主主義を受け入れ安定化させる基盤がありました。そして自由民権運動までさかのぼると、アヘン戦争も見えてきます。宮崎滔天や初期の北一輝など、自由民権運動の影響を受けた世代は、中国人のための中国革命を支援しています。アジア主義の系譜は、日中戦争後は三木清らの東亜共同体論や大戦末期の大東亜共栄圏に行きつきますので、今日からの評価はむつかしいところです。しかしアヘン戦争・明治維新・自由民権運動・大正デモクラシー・アジア主義・戦後デモクラシーの系譜が成立するのか否かが、2014年の現在、問われているといえます。言いかえれば日本の戦後デモクラシーが、一国を超える柔軟性と発展能力があるかどうかです。ここで戦後デモクラシーとは、欧米起源の自由で多元的な社会に立脚するデモクラシーの意味です。

 第二の欧州社会という補助線はどうでしょうか。過去30年ほど、経済・金融のグローバル化が時代の流れとなり、日米構造協議においても、アメリカを基準として規制緩和や完全な自由貿易の交渉が進められてきました。しかしEUを含めると、地域経済圏の形成というもう一つの流れが見えてきます。さらに地域経済圏とは、EUにみられるように、たんに市場・経済統合であるだけではありません。もう一つの柱として歴史や価値観の共有という文化的側面や、20世紀を通して発展してきた社会的な諸権利を発展させるという要請も伴います。
 このことは現在のTPP交渉を見るとき、非常に重要な論点です。TPPが単なる自由貿易とサービス・金融・情報のグローバル・スタンダード化(アメリカ基準へ)ということであれば、それが私たちにとって経済的に損か得か、という判断基準でしかありません。結果として官僚・業界団体・専門家の間での交渉に依存することになります。私たちの発言権は、せいぜい、消費者として有利か不利かという論点に限定されます。しかし地域経済統合とは、同時に文化的・社会的価値観の共有でもあるとするなら、私たちはTPPに対する自前の判断基準を提示することができます。

 この2つの補助線は相互に無関係のように見えますが、実は密接に関連しています。

 21世紀の東アジア・太平洋の新構想にヨーロッパ世界をもって来るということは、パクス・アメリカーナという第二次大戦後の世界だけではなく、19世紀帝国主義時代を含めて、欧米とアジアの関係を考えようとすることを意味します。ここで最初に述べた「社会的ヨーロッパ」という補助線を引いて発想することの重要性が生きてきます。私たち全共闘世代は、マルクス主義や社会主義の影響を受けた最後の世代であることも関係して、80年代からのネオリベラルの台頭には、常に批判的な観点から考察してきました。もちろんEUも、市場統合と社会的ヨーロッパの理念という二つの柱を設定しながらも、現実には経済・通貨統合が先行し優先されています。しかし1961年に制定された「欧州社会憲章」、1993年に発効したマーストリヒト条約の欧州市民権、また2000年に公布され2009年に発効した「欧州連合基本権憲章」では、基本的人権、労働権と社会保障を中心とする普遍的な権利を宣言しています。

 後者の「基本権憲章」は7編54条の構成の中です。そのうち最初の6編は、尊厳、自由(難民庇護を含む)、平等(性的指向、すべての差別の禁止、子供と高齢者の権利など)、連帯(平等な労働条件、不当解雇保護、医療、生活保護、住宅扶助など社会的権利と労働者の権利)、市民権(欧州議会の投票権、域内移動の自由など市民の権利として身近なものにする)、司法(法的救済、司法の権利)からなります。

 19世紀からアジア諸国にとって欧米とは、軍事力を背景に自国の植民地化、あるいは半植民地化にしようとする帝国主義諸列強でした。しかし同時に、先進技術と産業発展、近代国家制度、法治国家と立憲主義、伝統的社会から個人を解放する自由・平等の理念など、のちには社会主義の理想も含め、アジアの国々が近代化の目標とすべき先進国モデルでもありました。それから約2世紀が経過し、欧米モデルの普遍化、近代化の時代は少なくとも東アジアに関しては終了しました。工業化、市場経済と資本主義、自由な企業制度、近代国家、憲法体制、身分社会から近代社会へなど、数多くの欧米モデルが実現されました。他方で、基本的人権、法治国家、デモクラシー、個人の親密圏や市民的公共性の保障など、中国を筆頭に不十分のまま残された領域もあります。さらにはアメリカ発のネオリベラルの台頭により市場優位社会が復活し、欧米諸国においても20世紀に獲得された労働権や社会権が後退している領域もあります。近代化の到達段階の時間的なずれではなく、進むべき方向性自体が多様になってきていることも想定しなければなりません。

 西欧社会は、戦後においては冷戦時代ということもあり、自由やデモクラシー、社会的公正など普遍的価値を掲げて世界のヘゲモニーを争いました。その背景には、力による支配という裏付けがあったにせよ、法や理念が単なる隠れ蓑であるだけではありませんでした。地域や国より、デモクラシーや法の支配、基本的人権の保障などに濃淡の差がありましたが、目標や価値としては共通の理解がありました。19世紀・20世紀前半の帝国主義的分割と戦争の時代を引き起こしたのは西欧諸国でしたが、同時にそこから学び、20世紀後半は基本的人権、デモクラシー、国際平和などが共通の理念や価値観として承認されつつありました。1944年国連憲章や1948年世界人権宣言などがその成果といえます。

 西欧から生まれたこうした価値は、今でもグローバルな妥当性を持ち、国境を越えて承認されています。しかしいくつかの国や地域では、それらの支持者は少数派の地位に追い込まれ、宗教的原理主義や19世紀型の民族戦争に先祖返りする傾向もみられます。「アラブの春」とイスラム原理主義、さらには軍部独裁とは隣りあわせであり、クリミア半島のロシアへの編入は、冷戦後の旧ユーゴスラビアの「民族浄化」テロと内乱を想起させます。

 欧州社会モデルも、今やアジアでそれを担う国、あるいは勢力が存在しなければ、欧州だけに限定されその普遍的な意義を喪失する恐れがあります。基本的人権、法治国家、社会権、市民的公共性が、今や普遍性を持たないといっているのではありません。それが制度や権利として実質的に保障されているかどうかは別にしても、少なくともこうした諸価値を普遍的なものとして承認し、その実現を目指すグループや勢力はアジアのどの国にも存在しています。問題はそうした勢力が、知識人や小政党、メディアの一部に限定されており、将来的に民主化や西欧化が社会全体に拡大する可能性は、現段階では高くはありません。中産階級が増加すれば西欧モデルの市民社会が実現するという見解と、それでも宗教原理主義、独裁や権威主義体制、あるいは一部の突出した巨大企業体制に向かうという見解が拮抗しています。

 振り返って日本を考えると、日本の西欧化はもはや引き返しが不可能なほど展開されているともいえます。これは社会権や市民的公共性よりも、商業化された社会、個人化や都市化が進んだ社会という意味です。欧米との比較では伝統社会の束縛を多く残していますが、個人の価値観の多様性、社会の多元性と多様な団体、地域の豊かさなど、戦後日本社会が達成した資産と遺産とでもいえるものが数多く存在します。今1985年−1995年の転換期に実現できなかったことを、「あと知恵」としてこれから段階的に実現しようとするなら、21世紀日本のアジアにおける役割が見えてくるはずです。それはおそらく『現代の理論』がその当初から目指してきたものと大きな違いはないと思います。

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2.最後に:若い世代へのアピール
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 現在の若者は、1945年も1960年も1968年も1989年も知らないと言っておきながら、1840年をもちだすことに違和感があるかもしれません。同時代の体験がないのなら、1840年も、1868年も、1945年も、1989年も一つの塊として新しく考えることはできないのだろうかということです。何の先入観も思い入れもなければ、私たちの世代とは異なる視点と発想で、東アジアの200年を受け入れる新しい歴史像を持つことができるかもしれません。

 ただし現在の2チャンネルなどデジタル空間の言論、それに雑誌メディアを中心とする嫌韓・反中の氾濫状況をみると、この中で「外部者視点」を持つ若い知性が生まれるのかどうか悲観的にもなります。若い世代の人間関係や情報源の中心であるSNSはどうでしょうか。

 外部者視点を持つためには、日本の若者に人気のツイッターやLINEはあまり適切ではないかもしれません。ツイッターは、特定の著名人(たとえばフォロワー数が圧倒的である橋下大阪市長や安倍首相など、とりわけ安倍首相はプロフェッシナルの手で活用していると想定できる)のフォロワーになり、同じ見解を増幅して聞くことになるかもしれません。LINEも基本的にはすでにある友人間でのメール回覧ですから、最近しばしばその弊害が指定されている、グループ内の空気を読むという傾向がさらに強化されるかもしれません。外部者視点や海外にも開かれたネットワークという点では、おそらく face book が最も望ましいと思います。

 わたしはどちらかというと、face book はその成立からしてあまり好きではありませんでした。創始者のザックバーグなどハーバード大学のエリートたちのネットワークとして発足し、当初はアングロサクソン系のエリート大学のネットワークで拡大していったのですから。しかしこの間、アラブ、アフリカ、アジアの学生たちの間に拡大してゆきました。外部に開かれた情報交換という点では、またネットワークの拡大という点では、おそらくもっとも適切なメディアではないかと思われます。ですから face book で、できるだけ日本人だけではなく、国内・海外に住む外国人と英語で交流するようになれば、政治経済問題の見方、社会問題の考え方は飛躍的に拡大すると思います。

 次にお勧めできることは、自ら進んで海外に行くことです。考えてみれば、私たち全共闘世代には「ベ平連」は身近な存在であり、その呼びかけ人の一人であった小田実は、欧米と中東・インドを放浪して『何でも見てやろう』を1961年に書きました。この本はまだ中学生であった私たちに大きな影響を与えました。私たちもその気になれば世界を一人で旅することができると。未知の世界を直接体験することができると。

 もっとも海外の体験をした人が、ここで述べてきた「アジアの中での日本」に貢献できるかどうかはわかりません。海外生活を体験すれば、当初は多かれ少なかれナショナリストになります。それだけ80年代までの戦後日本は、自分たちの過去に無自覚のまま繁栄してきました。「失われた20年」ではそのトーンは下がったかもしれませんが、逆に屈折したナショナリズムが強くなったかもしれません。これにアメリカに留学したエリートたちが、ネオリベラルの台頭をそのままで新しい時代の流れとして摂取したとき、屈折したナショナリストの誇りとネオリベラルの市場主義という最悪の結びつきができました。留保をつけず国益を追求することと、自由競争・自己責任の世界観を一つに体現化すること、それが若き政治家やエリートたちの自画像になるからです。

 2014年の若者は、アメリカだけではなくアジアやヨーロッパにも同じように関心を持ち留学するとすれば、事態は少し変わるかもしれません。しかしその場合でも問題は残ります。シンガポール、韓国、中国などダイナミズムをもって成長している国では、若きエリートたちはアメリカ以上にアメリカ的競争万能主義の影響を受けた人々だからです。

 どちらにしても、男女を問わず青年には好奇心と知性のタフさが必要です。またこうした能力を自然と持っていることが若さの特権でもあります。もうひとつ若さの特権とは、悲惨な現実に直面したとき、共感の感情や正義感を呼び起こす潜在力を持っていることです。幸いなことに、日本の戦後教育や戦後社会のある種の「やさしさ」の遺産として、日本の若者は欧米諸国や新興アジア諸国のエリート意識の強い若者と比べ、庶民感覚で行動する感覚を持っています。私たちの世代もなおもこうした共感や正義感では若者に負けない気持ちですが、いかんせん行動力が伴いません。

 『現代の理論』がデジタル版として再刊することの最大の意義は、こうした新しい世代の知的好奇心を少しでも刺激できるような素材、コラムや論文を提供することにあります。それがある程度、実現できれば、次には双方向の対話の可能性も出てくるかもしれません。若者の提起に刺激を受け、もう一度、新しく考えてみる。その程度には私たちの世代もまだまだ柔軟です。デジタル版『現代の理論』が少しでもこのような世代を超えた、国境を超えた、そして人々と地域を結び付ける言論空間を実現できるなら、それは私たちにとって最大の喜びです。

(筆者は日本女子大学教授・『現代の理論』代表編集委員)

略歴:1948年生まれ。京都大学法学部卒業の後、フランクフルト大学で博士号取得。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003年)、『組合—その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版、2013年)など。

※ この記事は『現代の理論』デジタル版第3号(2014年12月・発信・無料)の住沢論文「西欧世界の限界と戦後民主主義の国際的意義」全7項目のうち最後の6・7項目を著者及び編集部の許諾を得て転載したものです。
 全文はホームページ http://gendainoriron.jp でお読みください。


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