【コラム】
1960年に青春だった(3)
言葉の道~広告コピーの学びから聖書の疑問へ
◆ 物識りの小難しさ
本稿より「ですます」文体で書きます。『オルタ』誌への投稿、カッコウつけようと先稿まで「である」文体で書いていました。
青春期、文芸誌の中で中村光夫さんの原稿が好きでした。ほとんどの人が「である」文体で書いていた中で、中村さんの評論は独特の「ですます」文体でした。とっつきやすく読み進みやすい文章でした。
話し言葉は聞く言葉です。小難しい漢語は似合いません。「中村光夫-Wikipedia」にこんな文章があって笑いました。
独特の「ですます」文体による評論は、当人は「文章を長くして原稿料を
余分に取るため」と韜晦していた。
これこそ「である」文体の最悪例。「ですます」の中村さんご当人は「韜晦」なんて漢語は用いるはずがありません。思わず辞典を引いてみたところ「とうかい」と読んで、「才能、地位、形跡などをつつみ隠すこと。他人の目をくらまし、わからないようにすること」という意味。中村光夫さんを語るなら「と含み笑いしていた」ぐらいが似合う文章です。
同じころ、フランス文学者であり洒脱なエッセイの名手であった辰野隆さんが『河童随筆』の中で哲学者・西田幾太郎さんの文章を引用して、
私は屢々矛盾的自己同一的場所、絶対現在の世界、歴史的空間を無限球に兪
へた。周辺なくして至る所が中心となる、矛盾的自己同一的なる球が、自己
の中に自己を映す、その無限に中心的なる方法が超越的なる神である。そこ
に人は歴史的世界の絶対的主体を見る。その周辺的方法が、之に対して、何
処までも否定的に、悪魔的と考へられるのである。
辰野先生はつぎのようにケチョンパンにけなしました。
僕はこの文章を考え考えながら十遍ほど読み返してみたが、どうしても意味
がわからなかった。(中略)これはひどい悪文だ。こんな文章を決して模倣
してはならぬ。だれでも、ものごとを完全に理解せずして、ただ何となくわ
かったような気がすることもあるものだが、そういう気分を十分に征服しき
れないうちに想念を文に綴ろうとする場合に、えてしてこうした悪文ができ
あがるのである。
◆ 文章は読んでいただくもの
文章には実用文と非実用文があって、ボクが実働半世紀たずさわってきた広告コピーは実用文の最たるものです。広告主企業が顧客、見込みユーザー、すべてのステークホルダーに向け、多額の媒体料を費やして発信するメッセージですから、実用に供しないとバツです。商品やサービスの広告はモノやシクミの説明、企業広告は企業の思いの説明。コピーライターとはそれらをお取り次ぎする手伝い役、代書屋、上方落語のデーショ屋です。
ですからコピーライターは当然コピーに私的な思いは書きません。いや、じつはベテランになると企業の思いの表現作業に精魂傾けながら、私的思いをもちゃっかり書き込んだりはします。すなわち韜晦であります。
読んでもらう、もっと適切にいうと商業文章ですから、読んでいただく。たいていは「ですます」文体になります。読者の現実、知識のほどを想像し、敬う心で書きます。
ボクはバイオテクノロジーやコンピュータの広告を長くお手伝いしました。研究者、開発者、システム技術者といった人々からオリエンテーションを受けて帰ると、バケ学用語、テクノ用語などで、文系の頭は消化の悪い料理を食った後のお腹のようにもたれたものでした。それをコピーにすると、辰野先生に叱られる悪文になります。伝わらないコピーになります。ボクの仕事は読者のお腹の中でよくこなれて、明日の活力のもとになるように料理し直すことでした。
日常主婦たちが便利に使う家電製品などの商品広告にも長く携わりました。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と呼ばれた50年代後半、コピーの定番は「奥さま」で始まるキャッチ・コピーでした。家電のメイン・ターゲットですからこの呼びかけは理には適っていますが、ネオン街の「お兄さん、ちょいと飲んでかない」の呼び込みと同レベルで、脳がありません。
70年代、桜島の噴火が繰り返され、鹿児島一帯に灰が舞い続きました。「奥さま」のいちばんの悩みが洗濯物。洗濯機で洗濯はできますが、外に干せません。ボクの広告主は電気乾燥機を発売したばかり。絶好のPRマーケットです。新聞広告は一般紙の県版や県紙を使うことができます。現地の「奥さま」がたを取材し、話を聞いているうちに、コピーを鹿児島弁で、薩摩言葉で書いたらどうだろうかと思いつきました。「奥さま、お疲れさまです。」ではなくて、
「おっさん、おやっとさあ。」
です。面白いから目にとめてもらえて受け入れられる、と思いました。が、この時の担当者がなぜか話に乗ってくれず、方言コピーはいまでも残念な思い出として残っています。
国政選挙の政党ポスターのスローガーンにも使えると思いました。おらが県の方言で呼びかけたらどうだろう。ただしボクは政治がらみの競合プレゼンには参加しない信条でしたから、機会はありませんでした。
方言コピーは標準語の書き言葉にルビをふるといい、という妙手がボクの頭の隅に残りました。
このルビふりは三通りの効用があります。以下( )内はルビです。
第一の効用は、開(あ)く、開(ひら)く、踵(かかと)、踵(きびす)などのように漢字を正しく読んでもらえることです。
第二は、奥様(おっさん)、存在理由(レゾン・デートル)のように方言や翻訳語などに使える効用です。
第三は、イメージを飛ばして楽しんでもらえるシャレ。たとえば、起承転結(ストーリー)、国会議員(やつら)、性交(エクササイズ)、蝉時雨(ミーンミーンミーン)などなど。
◆ キリスト教の「話す」「歌う」「読む」
ルビふりといえば聖書や賛美歌集がそうです。
現役時代、入院することは一度もなかったので強がりを言ってきました。引退して暇になり妻の濡れ落ち葉となって教会に通っていましたが、八十路を前にして全身麻酔手術を二度続けて経験、人の弱さ、命の脆さを知らされ、パウロの「弱さを誇ろう」がストンと胸に落ちバプテスマを受けました。
教会歴の長い人たちに比べてボクは何十周もの周回遅れです。まだ祈祷がすらすらと口に出ませんし、賛美歌は音痴だし、聖書はラクに読めません。
それらの原因。信仰歴の浅い者にはそれなりのわけがあって、薄ぼんやりと分かってきました。青っぽい言い分ですけれど。
日本の宗教信者の数は神道系が9,200万人、仏教系が8,700万人もいると聞きます。キリス教はどうかというと、200万人にも届かないらしく、全体のわずか1パーセント。対人口比2019年の調査(キリスト教年鑑)では0.8パーセントです。日常の信仰の実態、葬儀の習慣などを勘案して考えると、もう少し違う数字になるでしょう。
教会での「話す」には、牧師の宣教や教会員の祈祷があります。
ボクの教会は自由な空気感が嬉しいバプテスト教会です。しかも幸運なことに、いつも自然体を貫いている、たいへん気さくな人柄の富田愛世牧師が8年間牧会していました。
「キリスト者だから」という思いから解放されなければならない。
という信条の持ち主。その宣教は面白いほど自由発想でした。さまざまな行事も信仰の中味を尊重し形式的なことは削ぎ落とし、未信仰者にも楽しいと思ってもらえるものにしていました。
コピーライターできた性、ボクもシンプル主義で形式的なことは避けたがるタチですので、愛世牧師と出会えたことは神さまの計略と信仰者はいいますが、それにしても出来すぎだと感謝しています。
世間には形式的なことを削ぎ落とすと本質的なことを軽んじているように誤解する目があります。形式に則っていると正しく思え、安心できるからでしょう。教会員の古株さんたちに、愛世牧師の気楽な宣教、サーバント・リーダーシップ的牧会をよく思わないお堅い人たちがいたため、牧師は8年の牧会にこれも自然体とキリをつけ、他の教会に移りました。こちらはいま無牧です。
教会歴の長い人たちの祈祷を聴いていると、だいたいは形式にはまっていて、常套句の長いつながりです。膝が貧乏揺すりをし始めそうで困ります。ボクは聖書マタイ6の7~8を最初に読んだ時、感動して祈りの作法を覚えました。
祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてならない。(中略)父は、
願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
わたしはこんなことにもあんなことにも覚えが飛ぶのだ、といわんばかりに、くどくどと祈ります。自分は異邦人であるといっているようなものです。そして祈祷会などでは多くの人が一様に同じことごとへの祈りを重ねます。江戸しぐさでは「時間泥棒」と嫌われます。
長くコピーライターを生業としてきた者には、使い古された常套句を使うことは恥ずかしいことなんです。本能的に平凡な言葉、人と同じ話題を避ける作法が身についています。
ですから、祈祷はマタイ6の7~8に倣えば「神さま」と呼びかけるだけ。頭に「惠み深き」も「天にまします」も「天の」さえもあたりまえのことですから必要ないのです。
神さま、あなたはわたしの感謝も祈りもお見通しです。
すべてを主イエスによってみ前にお捧げいたします。
これで全知全能の神さまには届くはずです。これ以上に言葉をくどくど垂らしていると、神さまはお忙しいお方、貧乏揺すりをなさりたくなるでしょう。
◆ 日本人は聖書を「読める」か
聖書は超ロングセラーの出版物です。お寺さんや神社と違って日本中のキリスト教会では主日礼拝が、ほかに祈祷会が毎週何回も行われています。ですから日常の具体的な信仰生活の実態を考えたらキリスト教の信者数は1パーセントより少し膨らむのではないかと思います。さりとて5パーセントになるとはとても思えません。
信者数も教会数も年々減少傾向にあります。聖書の頒布冊数は1912~16年の5年間、年10万冊前後で推移し、微減傾向にあります。
なぜなのでしょうか。二、三単純に思いつくことがあります。
ミッションスクール、キリスト教系の小~大学校の生徒・学生の総数を掴めていませんが、その卒業者は相当な人数のはずです。その人たちの信仰の「歩留まり」率がかなり低いに違いないということ。
もうひとつ、信者・未信者と教会をつなぐよりどころである聖書そのものに問題はないかということ。聖書に累々と記されている言葉たちが、一度は信者を虜にして、そのあと離さないでいるでしょうか。そして、世の幾多の未信者に向けて魅力的な光、香、音色を放ち、ウエルカムしているでしょうか。
聖書や賛美歌集にはすべての漢字にルビがふってあります。そのサービス精神やよしです。
主は(ぬし)ではなく(しゅ)、悪霊は(あくりょう)ではなく(あくれい)、み「言」には(ことば)、中風には(ちゅうぶ)、禍には(まが)、永遠には(とこしなえ)。
賛美歌の多くは未だに文語体のままですが、今日の新共同訳聖書は、難解な漢語だらけの仏教の経典と違って、ふつうの口語文の現代語で書かれています。
聖書約2,000ページ中1,500ページは旧約聖書。モーセ五書とイスラエル民族の群雄割拠、1,900年に及ぶ長編戦史です。現代語ですが、ストーリーも記述も複雑で読みやすくはありません。
残る500ページが新約聖書、いわゆる福音書、イエスの教えです。が、こちらも読みやすくなく、分かりやすくありません。
たとえばつぎの2行、マタイ5章、山上の説教の一つ。
心(こころ)の貧(まず)しい人々(ひとびと)は、幸(さいわ)いである、
天(てん)の国(くに)はその人(ひと)たちのものである。
「幸い」と「天の国」という一見万人に舌触りの良いキーワードがあるために、この2行は聖書の中のもっとも有名な2行として知られています。けれども、どういう意味? クリスチャンでない人にとっては首を傾げざるをえないでしょう。クリスチャンであっても、クリスチャンではない人にべつな平易な日本語で説明してあげられる人は、十人中何人いるでしょうか。聖書の中でもっとも高難度の箇所の一つでもあります。
聖書をよく勉強している、聖書のわけ知りの人のための日本語訳としか思えません。
ネットを見ても多くの牧師たちが「心の貧しい人」とは「霊において貧しい人」「聖霊に欠けている人」のことだと説教していますです。ちょっと待ってください、「霊」「聖霊」がまた聖書の中の難語の一つなのです。
「天の国」は天国ではありません。「天の国」の「国」は地域としての国ではなく「支配」という意味なのだそうです。「天の国」は「神の支配」という概念としての聖書語です。
聖書を初めて読む人は誤って読みかねません。聖書を読み始めてまだ日の浅い人にはとてもじゃありませんが腑に落ちない表現です。ひとりよがりの日本語。聖書をキリスト教の「狭き門」にしてしまっている日本語訳です。
◆ 山浦玄嗣さんの天晴れ
方言コピーを思いついたのち、ボクは『ふるさとのイエス』『イエスの言葉 ケセン語訳』という2冊の名著と、著者、山浦玄嗣さんという方の名を知りました。この本は2003年に初刷、以後毎年増刷されましたし、NHKで二度番組が組まれて話題になりましたから、お読みになった方が少なくないでしょう。
山浦さんは東北大で医学博士となり、研究所助教授をへて大船渡市で開院。敬虔なクリスチャンで、気仙の人々と膝つきあわせて聖書を読んでいたのですが、どうもよく通じない。ふとあることに気づきました。
「心が貧しい人」というと、気仙の人々はもちろん標準語人種でさえ、精神性が低く、想像力も乏しくて他人の痛みがわからず、自己中のサモシイ人、だと思います。「天の国」がことさらそういう人たちが行けるところだとは! 頭がホワイトアウトします。
都のエルサレムは南のユダにありました。イエスがいたガリラヤは北の、大工や漁師が多い寒村でした。大工の息子のイエスも大工でした。イエスたちが話していたのは都言葉、エルサレム弁ではなくガラリア弁、つまり気仙地方のようなズーズー弁だったのではないか…。
そう思った山浦さんはすでに還暦を過ぎていましたが、猛然とギリシャ語を勉強してマスターしました。原典に立ち返って日本語を探し直し、気仙衆にわかったもらえる話にしてみようと。
ギリシャ語原典では「心の貧しい人」は「ホイ・プトーホイ・トーイ・プネウマティ」。「プトーホイ」は「弱々しい人」。「プネウマ」には「心」「霊魂」という意味もあるけれども、「風」「呼吸」の意味もある。
山浦さんは「神の息吹の弱い人」という日本語に辿り着きました。同じ東北でも気仙から250キロメートルほど北の五所川原の吉幾三さんの歌を借りるなら、金もねえ、力もねえ、健康にも恵まれねえ、望みもねえ、あるのは神頼みだげだ~と嘆く、恵まれない人のことです。
そして東北弁を文字にするには標準語の仮名文字だけでは表せられません。
「す」と「し」の中間の音は「す」の字の横棒を削った新字、「ぢ」と「づ」の中間は「ぢ」の横棒を削った新字、が行の鼻濁音は濁点の代わり半濁音にする新字など、新しいケセン仮名文字をたくさん考案しました。
かくしてマタイの2行は次のようになりました。(註:下線の文字はケセン仮名と鼻濁音と思ってお読みください)
頼(たよ)りなぐ、望(のぞ)みなぐ、心(こごろ)細(ぼそ)い人(ひと)ァ幸(すあわ)せだ。
神様(かみさま)の 懐(ふとごろ)に抱(だ)がさんのァその人達(ひたぢ)だ。
気仙の大工さんや船乗りさんは日常「愛する」だの「義」だのというハイカラな言葉は使いません。山浦さんは言い換えや読み換えを、これでどうだこれはどうだと考えてたくさん用意しました。
「愛する」は「大事にする」、
「祈り」は「神の声に心の耳を澄ます」、
「義」は「①やさしさ、施し、②神さまのみ心を行うこと、③正しさ」、
「悔い改める」は「心をスッパリ切り換える」、
「使徒」は「お使い人」、
「わたしは復活である」は「わたしは人をまた元気に立ち上がらせる」
「預言者」は(みごどもぢ)、
「祭司」は(かんなぎ)、
山浦さんは精力的に『ケセン語入門』『ケセン語大辞典』、そしてついに『ケセン語訳新約聖書/四福音書・全四巻』などの刊行を成し遂げました。
教派を超えた公の書、定本とだれもが思っている日本語による新共同訳聖書にこだわらず、字面からいったん解放され、原典をひもどき、読む人たちの理解にこだわった末の偉業だと思います。
素朴に「文章とは読んでもらうもの」と学んだボクが嬉々として入っていける流儀の世界です。
そして富田愛世牧師が「キリスト者であることからの解放、自然体を愛すること」と示してくれた教えそのものです。
ある祝宴で山浦さんはケセン語の聖書を読み上げました。気仙の地ではそれがセケン語です。
空のカラスゥ見(み)なれ。種(たね)まぎもすねァす、稲刈(いねが)りもすね
ァす、秋仕舞(あぎすめァ)ァもすねァ、んだどもそだァなァどァ天(てん)のお
父様(どっざま)ァこれァどァ養(あぢが)ってけやんでァねァな…
はじめ会場は「東北人特有の恥ずかしさと当惑から逃げるための」奇妙な笑いが起こりましたが、やがて感動の静まりで包まれました。
終わった後、生粋の気仙衆、サクノおばあさんが走り寄ってきて山浦さんの手を強く握って言いました。
「ハルツグさん、いがったよ。おらね、何十年もこうすて教会さ通(あり)っ
てっともね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわがったごどァながったよ…」
山浦さんは書いています。
ミサで朗読される聖書は、「立派な」標準語で書いてある。頭ではわかった
つもりでも、そのことばは所詮は頭のことばであった。胸の中、腹の奥にま
っすぐ響くものではなかったのだ。彼女の慕うイエスさまの気持ちがよくわ
からない。そのことに対する「申し訳なさ」に、彼女はどんなに悲しく思っ
ていたことだろう。
サクノさんの頬には美しい涙が光っていたそうです。
(元コピーライター)
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