■読後感

記録絵画『北米日本人の収容所』       木村 寛

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 JR津久野駅前の四日ごとに本が入れ替わる古本コーナー、ここで西村徹先
生と数回ばったりお会いする月もあるのだが、先日面白い画集を発見した。それ
は第二次大戦下のアメリカ本土でジェローム収容所(アメリカ中南部のアーカン
ソー州)に入れられたヘンリー・杉本謙(1901年和歌山県生まれ、和歌山中
学4年終了、カリフォルニア州の両親の下に渡米、オークランド芸術大学卒業、
パリ留学などの経歴を持つ画家)の記録絵画、「北米日本人の収容所」久保貞次
郎編、叢文社1981年4月発行、5000円である。
 
本誌32号(2006年8月)に「戦時下アメリカ本土における日系人の
収容」を寄稿したこともあって、日系人の収容はアメリカが持った戦時下の憲
法違反事件の大規模な一つの問題であると理解しているが、収容者による画集
の発見は収容者によるいくつかの手記と合わせて、収容の渦中に居た収容者の
意識の深層に更に迫ることができるのではないかと思った。
 
というのは20年ほど前、出光美術館でルオーの「ミセレーレ」展を見た
時に感じたのは、絵の世界は言葉と言う形をなす世界と違って、まだ形をなす
以前の世界、換言すれば水の中の世界(言葉は陸の世界、生物は水中から陸に
上がって進化した)みたないなものではないかということであった。「絶句」
という言葉があるように、世の中には言葉で言いあらわすことのできない悲し
みや、やり場のない憤りみたいなものがいつも不幸な事件にともなって発生す
る。そうしたことに最も対応できるのが画家ではないのかという気もする。ナ
チスの無差別爆撃に抗議したピカソの「ゲルニカ」にまでいかないとしても。
 
さて、素人は「なーんだ、たった一枚の絵か」と言うかもしれないのだが、
情報量という点からみれば、どんなに小さい一枚の絵画でも短編に匹敵する情
報量を持つ。昔、会社の絵画部で体育館の工事現場の壁に「ピンクの鯨」など
を描いた時、当時のパソコンで図案を描いた絵画部部長がこれで精一杯という
のを聞いたことがあり、情報量という視点から絵画を見る目が初めてはっと開
かれたからである。
 
この杉本画伯の画集には37枚の絵が収められている。したがって、情報
量から言えば、37篇の短編が収められた短編集と等価な重みを持つ。西村徹
先生はメキシコのシケイロスの絵に似ているものもあると言われた。
 もう一点、収容者による手記として、「引き裂かれたアイデンティティ」
ーある日系ジャーナリストの生涯ー、G.オオイシ著、染谷清一郎訳、岩波書
店(1989年8月発行、1900円)もみつけた。オオイシは1933年生
まれで、アリゾナ州ヒーラリバー収容所に入れられた人である。
                   (筆者は堺市在住)

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