【コラム】
槿と桜(57)
身体の一部を使った韓国語の表現
私たちが日常使う言葉には、なにげなく身体の一部を使って表現するものがあります。それは身近で親しみがあり、理解されやすいということから、使われるようになったのでしょう。それだけに、こうした表現は民族を超えてあるようです。
たとえば、日本語で「~にする」の「~」に耳、口、目、手を入れますと、「耳にする」は〝聞く〟、「目にする」は〝見る〟、「手にする」は〝持つ〟という意味ですし、「口にする」は〝食べる〟という意味のほかに〝話す〟という別の意味にもなるようです。
このような表現は韓国語でも古くから使われてきているものが少なくありません。そこで、今回はこうした身体の一部を使った韓国独特の表現をほんの少しだけ見てみることにします。「少し」と断ったのには、身体の一部を用いた表現は比較的多くあり、しかも日本語の表現とまったく、あるいはほぼ同じものが少なくないからです。
◆「口」を使った表現
○「입에 발린 소리」(イベ バㇽリン ソリ)
直訳しますと、「口に塗られた音」となります。口に音など塗ることはできませんから、それが理由だと私は思っているのですが、「心にもない口先だけの言葉」といった意味になります。
日本語でしたら「舌先三寸」とか「歯の浮くような」といった表現に近いかもしれません。その場合、日本語でも「舌」「歯」と体の一部が使われています。
○「입이 짧다」(イビ チャㇽタ)
直訳しますと、「口が短い」です。この表現も日本語にはないように思いますし、似たような表現もないのではないでしょうか。食べ物の好き嫌いが激しい人などにこのような表現をします。
◆「足」を使った表現
○「발 뻗고 자다」(パㇽ ポッコ チャダ)
直訳しますと、「足をのばして寝る」です。この言い方は日本語にもあって、私なども使います。意味としては、文字通りと言えるでしょう。スペースも十分にあって、足を伸ばしても誰ともぶつからず、ゆったりと寝ることができるといった意味です。
でも韓国でこの表現を使いますと、違った意味になり、日本語で表現すれば、「枕を高くして寝る」と同じ使い方です。つまり「心配事がなくなって、心安らかに眠れる」というときに用いる表現になります。
○「발이 넓다」(パリ ノㇽタ)
直訳しますと、「足が広い」となります。この表現も日本語にはありません。「足が」と「広い」は通常、日本語としては結びつきませんから変な表現に映るはずです。でも日本の方には「顔が広い」と言えば、通じるだろうと思います。いろいろな人とのつき合う範囲が広く、知り合いが多い人のことを指します。日本で住むようになるまで、韓国語の「足が広い」という表現に少しも違和感を覚えませんでしたが、日本語では「足」が「顔」になるのを知ってからは、この違いが気になっているのですが、現在もこの違いが生まれた理由を私は見つけられていません。
◆「手」を使った表現
○「손을 씻다」(ソヌㇽ シッタ)
直訳しますと、「手を洗う」です。日本語でもこの表現はあります。でも、「手を洗う」という意味だけで、言外にほかの意味を持つということはありません。ただ、先ほどの「足が広い」と同じですが、「足を洗う」と言えば、日本の方にも通じるだろうと思います。
これまで繰り返してきた悪事(犯罪なども)をやめることを意味します。
私の単なる感覚ですが、こうした意味で使う場合なら、日本語の「足を洗う」より韓国語の「手を洗う」という表現の方がいいようにも思うのですが。日本語で「悪に手を染める」などと言いますから、その反対語として「手を洗う」があってもよいのではないだろうか、などと勝手に思ってしまいます。
○「손이 크다」(ソニ クダ)
直訳しますと、「手が大きい」です。「手を洗う」と同様に日本語でもこの表現は使いますが、やはり言外の意味はありませんし、日本の方で韓国語での言外の意味を思いつく人は、韓国語に触れている人を除けば、あまりいないのではないでしょうか。
韓国語では、お金の使い方が激しい人を表現するときに使います。日本語では「お金を湯水のように使う」などとは言うようですが。
「金遣いが荒い」という意味で使うときは、もちろん、ほめ言葉ではありません。ただ食べるものをたくさん用意してくれる人などにも使いますから、批判的な意味だけではありませんので、ちょっと文脈を頭に入れながら理解する必要があります。
◆「目」を使った表現
○「눈이 높다」(ヌニ ノㇷ゚タ)
直訳しますと、「目が高い」です。この表現、日本語にもあって、しかも、言外の意味が韓国語と似ているようで違っているのを知って、日本語を学び始めた頃、驚いた記憶があります。日本語でこの表現を使うと、「優れたものを選択できる能力がある」という意味で、相手を褒めるときに「お目が高いですね」などと言います。
でも韓国語では、優れたもの、水準の高いものだけに目を向ける、つまり「要求水準が高い」というときに使います。
○「눈에 들다」(ヌネ トゥㇽダ)
直訳しますと、「目に入る」です。冒頭で書きましたように、日本語で「目に入る」と言えば、「見る」という意味です。しかし、韓国語では「気に入る」という意味で使われます。これも私の感覚でしかありませんが、韓国語の使い方は「目に入る」程度がより深くまで入り込んで、「気に入る」に行き着いたといった印象があります。
○「눈코 뜰 새가 없다」(ヌンコ トゥㇽ セガ オㇷ゚タ)
直訳では、「目と鼻を開ける暇がない」となります。面白い表現だと思いますが、もちろん日本語ではこのように言うことはありません。日本語では「目が回るほど忙しい」と言えば、ぴったりです。
韓国人の私でも「目と鼻を開ける暇がない」が、なぜ「超忙しい」の意味になるのか、私が日本語を使う生活に慣れてしまっているためなのか、つい首をかしげてしまいます。
◆「耳」を使った表現
○「귀가 따갑다」(キィガ タガㇷ゚タ)
直訳しますと、「耳がちくちく痛い」で、意味は「繰り返し同じ事を言われて、嫌気がさす」です。これと似たような意味を持つのが、
○「귀에 못이 박히다」(キィエ モシ パッキダ)
直訳しますと、「耳に釘が打ちこまれる」となり、いかにも痛そうです。意味は「同じ言葉を繰り返されて、聞きたくない」といった時に使います。
この二つの表現、実によくわかるよう気がします。日本語での「耳に胼胝(たこ)ができる」に近いです。また日本語で「耳が痛い」と言えば、「自分の弱点や欠点を正しく批評されたり、言われたりして反論する余地もない」といった意味になりますから、韓国と日本ではかなり異なるようです。
○「귀가 얇다」(キガ ヤㇽタ)
直訳しますと、「耳が薄い」です。では、もう一つ、
○「귀가 간지럽다」(キガ カンジロッㇷ゚タ)
直訳しますと「耳がくすぐったい」です。
では、日本語ではどのような意味になるかと言いますと、「耳が薄い」は日本語では「優柔不断で、自分では決められない」となりますし、「耳がくすぐったい」は「他人が自分のことを噂している」という意味になります。
◆「鼻」を使った表現
○「내 코가 석자」(ネ コガ ソッㇰチャ)
直訳しますと、「私の鼻は三尺」です。これは日本語にはないと思います。意味は「自分のことで精一杯」です。他人のことなどとてもかまっていられないといった時に使います。日本語には「猫の手も借りたい」といった表現がありますが、少し似ているかもしれません。
○「코가 빠지다」(コガ パジダ)
直訳しますと、「鼻が抜ける」で、これまた日本語の表現としてはないようです。意味は、心配することがあり、心が沈んだ状況の時に使います。
○「코 먹은 소리」(コ モグン ソリ)
直訳しますと、「鼻を食べた音」です。「鼻声」をこのように表現します。なかなか面白い言い方だと思いますが、なぜこのように言うのかは、やはりわかりません。これも日本語にはないようです。
いかがですか。今回は敢えて日本語の表現と異なる言い方を例として挙げてみました。でも共通した表現も少なからずあります。機会があれば、韓日両国の同じ言い回し、同じ意味を持つ表現を紹介してみたいと考えています。そうすれば、両国人の感性上の近似性がよくつかめるようになるかもしれません。
(大妻女子大学准教授)
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