【コラム】風と土のカルテ(113)

農村社会の維持・発展と農村医療の貢献

色平 哲郎

 敬愛する「農民作家」の山下惣一さんが亡くなって、もう1年以上が過ぎた。

 昨年、「欧州のパンかご」と呼ばれるウクライナで戦争が勃発し、世界の食料供給に赤信号がともる中、山下さんは86年の生涯を閉じた。

 生前、山下さんは「農業問題は消費者にとっての問題です」と語っていた。さらには、「農家はどんな状況でも自分の家族が生きていけるだけの作物は作れるので心配はない。農産物の自由化で、海外から安い食べ物が入ってくるのを歓迎するのはいいが、いざ、戦争や経済危機で農産物が入ってこなくなったら、消費者はどうする。そのとき、自由化の波を受けて日本農業が衰退し、食料を確保できなくなっていたら困るのは消費者だ」と警鐘を鳴らしていた。

 今、日本の食料自給率は38%(カロリーベース)。厳しい現実に直面している。

 穀物や野菜、果物、畜産物、乳製品は、肥えた土壌があり、農民がそこで働いて農村共同体が形成されていなくては、生産も流通も消費もかなわない。地域で支え合ってこそ農業は生きる。

 そうした山下さんの洞察は、常に人と食べ物の原点に根差しており、「農民とともに」医療を展開してきた佐久総合病院(長野県佐久市)の理念と相通じるものがあった。

 実は、1996年、私はタイで偶然に山下さんと行き合った。その頃、山下さんは「アジア農民交流センター」の代表として、タイとの交流を進めていた。牛肉やオレンジの輸入自由化を契機として外圧にさらされる日本の農民と、大資本のモノカルチャーで借金漬けにされるタイの農民の現実をすり合わせながら、地元で生産し、地元で消費する「地産地消」の道を切り開こうとしていた。私はというと、HIV感染者の支援でタイを訪れていた。山下さんは、亡くなる4カ月前、私との出会いを次のように語り残してくださった。

 旅の終わり、立ち寄ったバンコクで偶然、日本人医師と出会いました。長野県の佐久総合病院の色平哲郎さん。「エイズにかかったタイ人を支援するため来た」と言うのです。
 なぜ長野からエイズ支援か。98年冬季五輪を前に工事景気に沸く夜の街で、タイから出稼ぎに来た女性が多数働いていたんですね。その女性の中からエイズ感染者が出た。彼女たちの出身地をたどると、森を追い出されたタイの少数山岳民族の娘が多い。何とタイの農業・農村の問題が、回り回って私たちの暮らしとつながっていたんです。
 タイの村人たちが古里で暮らせるようにする──。それは村人の幸福に加え、エイズのまん延を防ぎ、私たちの命を守る道でもありました。
(2022年3月5日、西日本新聞【聞き書き】振り返れば未来第89回より)

 大規模化、近代化を追う農政に異議を唱え続けた山下さんは、晩年、家族主体の「小農」の重要さを強調していた。山下さんに倣うかのように国際連合は、2019年から2028年を「家族農業の10年」と定めた。加盟各国や関係機関などに対し、食料安全保障確保と貧困・飢餓撲滅に大きな役割を果たしている家族農業に関する施策の推進・知見の共有などを求めている。全世界を見渡しても、食料生産額の8割以上を家族農業が占めているという。

 人間が生きていく糧を生む農業を中心に据え、家族、地域、農村……という同心円的な広がりの中に私たち佐久総合病院の医療もある。

●雇用を守り、産業を再生して地域づくりに貢献

 今年3月、佐久総合病院元院長で私の師匠でもある清水茂文先生が鬼籍に入った。清水先生は、「農村医療を守って50年」と題し、小海診療所開設50周年記念誌(2004年)に次のように書き残している。

 小海(村)診療所という種が(小海町の)土村地区に蒔かれて50年、いまや幹より枝葉の方が大きくなりました。しかし原点にある精神、みんなで助け合っていく、仕事に心をこめる、地域の中に出ていく、この精神は不変です。時代は変わり、形は変わっても、自分たちに誇りをもち、この先に希望と平和があることを確信してこれからも歩んでいきたいと思います。

 ここでいう「種」とは診療所で、「幹」や「枝葉」は「南部地域全体に張りめぐらされた保健・医療・福祉のネットワーク」。種から小さな幹が育ち、それらが大きく枝葉を伸ばす。当初「職員はわずか17名」だったが、今や南佐久南部の保健医療福祉関係職員は350人の大所帯となった。医療を守る視点だけでなく、雇用を守り、産業を再生して地域づくりへの貢献を考える「メディコ・ポリス構想」を意識した「小さなメディコ・ポリス」の実践だった。
 (関連記事:メディコ・ポリス構想 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200806/506741.html

 最後に、清水先生と故・若月俊一先生(佐久総合病院名誉総長)の共著『医師のみた農村の変貌―八ケ岳山麓50年』(勁草書房、1992)より、お二人の農村医療に対する考えを紹介したい。

 もし私どもが農村住民を真にまもろうとするならば、「農民個人の医療」から、今後はきびしく「農村社会の医療」に移らねばならぬことを知る。農村、とくにへき地は、このままでは滅亡の道をたどるかもしれない。これをまもるには、私どもの「農村医学」が、地域社会自体の発展の仕事と結びついて、これを助けていかねばならない。

※この記事は著者の許諾を得て『日経メディカル』2023年9月28日号から転載したものですが、文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。
 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/202309/581340.html?n_cid=nbpnmo_esln_medley

 
(2023.10.20)
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