【沖縄の地鳴り】

辺野古裁判傍聴記

平良 知二


 「辺野古新基地」をめぐる国と沖縄県の裁判が始まった。その第1回口頭弁論の12月2日、那覇の裁判所前に出向いた。開廷の1時間半以上も前だったが、周囲には旗など掲げた支援者が200人ほど詰めかけていて、すでに熱気をはらんでいた。

 少々びっくりしたのは、ほとんどお会いしたことのない知人4人と会ったことである。うち1人は、辺野古の座り込みにもたまに参加しているという。あと1人は中学時代の同級生で、卒業後2〜3度しか会っていない。友人と一緒だった。立ち話をしていると、初対面のその友人は何と僕の遠戚のお婿さんにあたっているのだった。

 沖縄は狭い。実感であった。

 この狭い沖縄での新基地問題である。嘉手納基地などの主要基地は頑として動いていない。キャンプ・ハンセン、国道58号沿いのキャンプ・キンザー、広大な北部訓練場、キャンプ瑞慶覧、読谷のトリイ通信基地、あるいはホワイト・ビーチ。沖縄の普通の人なら、このくらいの基地の名前はすぐ出てくる。70年近くも存在し続けているから頭に入ってしまっている。「嘉手納」は言わずと知れた極東最大の空軍基地である。中国、北朝鮮をにらんでいる。相手国にすれば、神経いらだつ基地であろう。こういう環境にある。

 「なぜまた沖縄なのか」と県民が疑問を持つのは当然だ。国に対する根本的な問いである。

 翁長知事が「政治の堕落」と断じた。戦後の、あるいは本土復帰後の沖縄の基地問題を振り返るとき、その言葉は真に迫る。日本国はこの間、沖縄の基地問題で米国にどう立ち向かったのか。今ごろ「普天間の危険性除去」を言っているが、そんなこと昔から提起されている。その提起も含め、基地に関する沖縄からの何十回もの問いかけ、要請を真剣に受け止め、解決のため米国相手にどう奮闘したか。安全保障がどうの、日米同盟がどうの、と軽く引き下がってきたのが実態であろう。基地は沖縄でいい—そういう政治姿勢ではなかったか。翁長知事は県民を代表してその非を鳴らしている。

 米軍のプレゼンスのことがよく言われる。冷戦時代、沖縄の米軍の存在は確かにやむを得ないか、と諦めの気持ちにもさせられた。しかし、ソ連のゴルバチョフ大統領の登場で、冷戦構造が崩れていく時、沖縄の米軍基地は一大転換期にあったはずだ。だが、ほとんど動かなかった。こっちの認識が甘かったか、失望感を抱いたのを覚えている。冷戦構造がどうであれ、日米ともに沖縄を動かしたくなかったのである。「おもいやり予算」などあって、米軍は日本に“甘えて”居心地のいい沖縄に居座り、日本は米国に寄り添うばかりであった。米軍のプレゼンスというのはそんなものである。「唯一、辺野古でなければならない」とリフレインする菅官房長官の顔は、だから嫌なのである。

 「唯一、辺野古」の根拠は、別の地を探す面倒をしたくないということに過ぎない。翁長知事の言う「政治の堕落」である。法廷でその実情が露わになることを願う。裁判所前の集会はそのあと1000人近くに膨れ上がって、大いに盛り上がった。私は失礼ながらなかばで引き上げたのであるが。

 (元沖縄タイムス編集局長)


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