■迫られる対米依存の脱却              榎 彰

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 ◆日本の国内右派は分裂必至か
 民主党の圧勝に終わった米中間選挙は、歴史的な大転換を刻む事件であったの
かもしれない。東西対決の時代が終わった後、一時的には、楽しんできた一極体
制が崩れ、国際協調体制へと進まざるを得ない転機に直面した米国の苦悩の最初
の兆候であり、米国が“正道”に立ち返る可能性を見せたといえるだろう。とり
わけ日本の周辺では、中国、あるいはインドその他のアジアの国々が、いよいよ、
自ら独自の、あるいは国家連合によって大国への道を歩き始めた。ある意味では、
世界政治の新しい舞台、いわば主役の交代、文明の交代を告知する警鐘であるか
もしれない。
 
 ヤルタ体制の崩壊以来、“対米依存”を強めてきた、広範な意味での、日本の
右翼の内部では、いよいよ無原則な対米依存を強めるか、あるいは米国の核の傘
の信頼性に絶望、自主独立の名の下に核武装もあえていとわないグループとの分
裂が、明らかにされつつある。東京裁判の“歴史的正当性”にあえて挑戦する勇
気も、このような“分裂”の可能性の衝動に突き動かされたといえるかもしれな
い。安倍首相は、就任早々、北朝鮮の核武装発言を前に、中国、韓国を訪問する
ことで、とりあえずの危機を回避した。しかし拉致問題での国民の情動的衝動に
寄りかかった安倍内閣の本質は、覆いようがなく、多分、右からの策動によって
瓦解する可能性が強い。
 
 国際的孤立を深める北朝鮮の暴走によって、核武装を含む安全保障問題につい
ても、もうあいまいさは許されなくなった。日本としては、核武装をしないこと
を宣言した上で、当面、中国その他アジアの国々が、明示あるいは黙示に支持す
る日米安保体制を堅持しつつ、近い将来、米国、中国も含めた地域的安全保障体
制を確立することを目標とすべきだろう。この場合、小渕内閣が唱えた「人間の
安全保障」を キーワードとすべきだろう。
 
 ◆価値観の共有は小泉の錯覚か

 今回の米選挙におけるブッシュ政権、共和党の敗北は、普通の選挙の結果とは、
若干異なる。ある意味では、常軌を逸した米国民の政治的判断が、ようやく正気
を取り戻し、振り子を元に戻したということなのかも知れない。2001年9月
11日の米国中枢同時テロ事件は、米国の存在自体を揺さぶる大事件だった。そ
れ以後の米国は、さながら半狂乱の状態であり、米国をモデルとする開放的民主
体制そのものを脅かす措置を自らがとった。歴史上、例がないわけではない。た
とえば、20年の禁酒法。ピューリタンの宗教的潔癖が行きすぎて、酒類の醸造、
販売を禁止し、結果的には、暗黒街の犯罪を助長した。まだ人々の記憶に生々し
いのは、第二次世界大戦後、50年から54年まで、吹き荒れたマッカーシー旋
風。折からの東西対立に便乗して、赤狩りの名の下に冷戦体制に批判的な人々を
失脚させた。

 特に映画界における傷跡は今でも残っているといわれる。そして今回2001
年からのこの5年間、対テロ戦争の名の下で、まさに寛容と忍耐という、米国の
民主主義の優れた部分が、まったくなおざりにされ、踏みにじられてしまったの
である。これはあくまで米国にとっては、異常の5年間なのであり、例外的な季
節なのである。
 
 米国と付き合いの長い欧州などは、米国の狂乱が、ある程度、続くことを知り
尽くし、米国が、やがて正常に戻ることを想定し、適当に、時には抵抗し、ある
程度は妥協しながら、完全に同調することなく、現状を保ってきた。フランスな
ど民主主義の基底を同じくする諸国は、米国の動揺もある程度理解できるという
ことだっただろう。フランス、ドイツなどは、最初、アフガニスタンへの作戦に
は協力しながら、イラク戦争への参加を拒否した。ブッシュ再選後、米国内の自
律失調症に同情を示しながら、微妙に米国を牽制する作戦を取ったところなど、
欧州連合(EU)全体としての外交は、見事だったといえよう。

 日本の政府だけが米国の混乱を一時的なものとは見ず、米国と「価値観を共有」
するものとして完全に同調を決めた。「価値観の共有」などという言葉が、政界
のキーワードとなったのは、そういえば小泉政権になってからのことなのかもし
れない。保守本流ではない小泉前政権にとって見れば、常軌を逸したブッシュ政
権の方が、通常の米国の政権よりは、価値観の近接を感じたのかもしれない。い
わば「価値観の共有」は、小泉首相の錯覚だったといえよう。民主主義という
「価値観」をどう解釈するか、問題を投げかけたといえよう。

 ◆米国の情報力への不信

 少なくとも、ブッシュ政権が、イラク戦争の直接的な理由として挙げたのは、
9・11事件を仕組んだテロ組織「アルカイダ」が、イラクのサダム・フセイン
政権と、なんらかの関係を持っていたこと、毒ガスなど化学兵器、生物兵器さら
に核兵器など、大量破壊兵器を所有し、また直ちに使用する準備をしており、周
辺諸国にとって脅威となっていることーなどであった。80年代からの「アルカ
イダ」の創設の過程、活動の実態を正確に分析していたら、「アルカイダ」とフ
セイン政権の密接な関係などという説は、噴飯ものだとわかっただろう。また湾
岸戦争以来、国連による制裁の実施、国連による地道な活動を真摯に観察すれば
ば、大量破壊兵器破壊にあたって、国連が見事な成果を上げたことは、自明のこ
とである。また国民国家としての一体性を欠いたイラクが、国家として自立して
いくためには、強力な政治が必要であり、ある意味では独裁政治もやむを得ない
と見ていた。

 したがって、諸外国の中東専門家などが、諸外国とは比較にならない巨額の費
用を惜しまない米国の情報当局が、正確な情報を把握しているだろうと考えてい
た。これらの情報当局が、あえて発言しなかったのは、情報当局としての特性も
さることながら、米国の情報当局が、「情報の操作」に踏み切るのではないかと疑っ
てい
たからである。「アルカイダ」とフセイン政権との関係につ
いては、チェコとの関係がもっともらしく語られていたし、大量破壊兵器の存在
については、もともとイラクが所有していたのだし、戦争の結果、イラク全土を
支配した米国によって、大量破壊兵器の移動など、なんらかの操作は物理的に可
能だった。またブッシュ政権には、それなりの情報操作の実績があると見ていた、
 果たして、ブッシュ政権が、情報操作にあたって真摯だったのか、それともや
ろうと思って失敗したのかは、明らかではない。そんなことをしなくとも、その
うちに、目的を達することはできると思っていたと見ることもできる。いずれに
しても、この二つの重大な虚偽は、虚偽であることが、判明した。この裏切りに
対し、米国民は、ブッシュ政権に対して、ノーを突きつけたのである
 
このことは、米国の圧倒的な国力に対する深刻な疑惑を生んだ。ひとつは情報
力の圧倒的な強さに対する不信である。いまだにすべてが明らかにされているわ
けではないが、東西対立の絶頂期にあっても、米国の情報力は、すべての意味で、
圧倒的であった。自由主義陣営が、共産主義陣営に勝つことができたのも、総合
的な情報力の強さのためだといえるかもしれない。そのことは相対的な情報の正
しさばかりではなく、社会心理学を駆使した情報操作を含むものでもあった。そ
ういう情報力の圧倒低な強さが、裏目に出たということは、今後の米国の安全保
障における重大な失点ともなろう。

また軍事力全般についても米国の圧倒的な強さの限界が明らかにされたといえ
る。イラク軍は、まさに瞬時にして壊滅、3ヶ月にして、戦争終結を宣言したが、
その後3年経っても、流血は止まない。米国の軍事力は、軍事的な、単発の戦争
には勝てても、占領することはできないと言われるのである。選挙後、責任を負
わされた形で、事実上解任されたラムズフェルト米国防長官は、「イラク戦争を
、人類が21世紀に入って最初の戦争だった」とし、「国民にはわかりにくい戦
争だった」とするが、実は米軍にとっては犠牲者の少ない戦争だったといいたい
のかもしれない。イラク人の犠牲者の数はまだわからず、15万から65万とい
う数字まであるが、米軍の犠牲者は、11月で 2千8百人。少ないと見るか、
多いと見るかはわかれる。ラムズフェルト長官は、自らが推進した軍事革命(RMA)
の成果を、もうちょっとPRしたかったのかもしれない。

 ◆中東、北朝鮮外交に大きな転機

 いずれにしても、イラク戦争は、ブッシュ政権にとっては、中東外交上、イラ
クに焦点を合わせすぎたこととのからみで、テロ対策上、また世界戦略上からも
致命的な失敗であり、今後もその後遺症に悩まされ続けるだろう。なんらかの形
で、イラクから撤退の方向に向かわざるを得ないことは確かである。イラクとい
う国家の存在そのものが問題になるということなのかもしれない。ともとメソポ
タミアの昔ならいざ知らず、イスラム教が普及してからのイラクという地域に一
体性はないし、イラク人という存在にも実体はない。第一次世界大戦の後、オス
マントルコの9州に、イギリスが、フセイン家の主張を、自らの都合で 国王に
任命した。
 
 その後、イスラム教の異端、シーア派が圧倒的に多く、(6割といわれる)、
ほかの地域では多数派のスンニ派は2割少々だったが、長い間、スンニ派主導の
バース党による独裁政治が続く。イラク戦争を経て、現在は、米国の事実上の管
理の下、少数民族のクルド人とアラブ人シーア派による、スンニ派を事実上排除
した政治が行われている。この地域に伝統的なつながりを持つ英国のブレア首相
は、共和党の敗北に終わった米国の選挙の後、イランとシリアとを含めた話し合
いによる解決を提唱した。イランは、ペルシア人、シーア派主体の国家であり、
アラブ人のシリアは、スンニ派が多数派だが、政権はシーア派の一派であるアラ
ウィ派が握る。
 
 イラクと国境を接するこの三国は、シーア派を柱として密接な関係を持ってい
る。パレスチナにおけるイスラエルとパレスチナ人の対立の激化をにらんだこの
発想は、意味深長だが、もし話し合いが始まれば、ほかの圧倒的なスンニ派アラ
ブ人と、かつてこの地域を支配し、現在クルド人に対しては、強い警戒心を持つ
トルコが介入し、中東はかつてない混乱を呈するだろう。
いずれにせよ中東におけるパクス・アメリカーナ(米国による平和)の後退だけ
は間違いない。
 
 中東だけではない。すでに民主党などから、北朝鮮に対するブッシュ政権、共
和党の硬直した政策に対する批判が出始めている。米朝の直接交渉を要求する声
も出始めた。クリントン政権下で、退陣前夜、米朝の国交回復交渉は、着実に進
み、クリントン大統領が訪朝する寸前までいっていた。どうして米朝関係が破綻
したかについては諸説があるが、米国は、北朝鮮の欺瞞を理由に挙げている。

しかし、いずれにせよ、ブッシュ政権の硬直した姿勢が一因であったことは疑い
がない。中東も、北朝鮮も、ブッシュ政権の負の遺産であり、二年後、次期政権を
獲得するために、民主、共和両党とも、朝鮮問題でも多少の譲歩を考慮に入れた
対策を考えなければならないことは、自明である。一方で、もし米朝関係が、ク
リントン政権当時、予期されたように、軌道に乗っていれば、日朝間の拉致問題
が忘れ去られ、難航したことは確かである。米国における政権交代の機微に乗じ
て、日朝関係は、小泉訪朝によって、ある程度、展望を開くことができた。それ
が崩れ去ったのは、よくも、悪しくも、拉致問題の徹底解決を主張した安倍首相
らグループの強硬方針によるころが大きい。米朝関係の打開が当分ないという判
断から、北朝鮮への強硬外交を唱えて、国民の圧倒的支持を集めた安倍内閣が、
今度は、北朝鮮外交の突破口を開かねばならなくなったというのは、強烈な皮肉
である。

 ◆親米右派の失望とアジア外交の新構想

 11月16日のサンケイ新聞「正論」は、「米民主党勝利で日本の防衛は」と題
する佐伯啓思・京大教授の論文を掲載した。佐伯教授は、この論文に中で、今回
の米中間選挙の結果について、「共和党の自滅」と捉え、「アメリカの政治は確
信を失い、世論は動揺している」とする。そして「単に日米同盟の強化というだ
けで、日本の安全保障が確実なものといえるか」と自問している。そして二年後
の「アメリカ大統領選挙では民主党が勝利する可能性も高」いとして、「アメリ
カの民主政治にわが国の安全保障の動向を委ねることは適当ではない」として、
「今すぐに核保有について意思決定をする」ことをていしょうとしている。共和
党にすべてを賭けた日本の右翼の失望感を露呈するものかもしれない。ある意味
で言えば、その通りであり、米国の民主主義に日本の安全保障を任せるわけには
いかないのは当然だろう。しかしすぐに核保有の是非に結論を持っていくという
のは、性急すぎる。まだまだ核保有の是非という前に、国家安全保障の分野でも
しなければならないことが、たくさんあるだろう。
 
 同じ日の朝日新聞は、「世界の窓―アジアネットワーク」という欄に、天児慧・
早稲田大教授の論文を掲載した。この論文で、天児教授は、「安倍首相の中国・
韓国訪問を、日本外交の久々のクリーンヒット」とした上で、「わが国の重要課
題のひとつ、日朝国交正常化を視野に入れた大規模な経済支援策を六者協議のシ
ナリオの中に組み込む」ことを提案している。そして中国は、米国との同盟関係
を目指す可能性さえあるとし、米中機軸を選択する可能性を指摘する。教授は、
こうした現状認識を基礎に、「日韓中米の四カ国安全保障の制度化」さらには「豪
州なども加えた「太平洋条約(PATO)の構想を提唱すべき」だとしている。
 
 このところ北朝鮮の拉致問題、核武装騒ぎに引きずられ、日本全体が右傾化す
る中で、こういうまともな構想が提案すされるのを聞かなかったために、天児教
授の提案が、まったく新鮮に聞こえる。天児教授自身、日本の安全保障を語るの
に、まず安倍首相の中国、韓国訪問を、「日本外交のクリーン・ヒット」と賞賛
するところからはじめざるを得なかった。中国、韓国などとの外交関係がギクシ
ャクしたのは、内閣の外交政策の失敗によるところが大きく、その失敗の修復を、
「外交のクリーン・ヒット」と褒め称えることはない。小泉内閣の外交政策の失
敗の過程全体を、再評価するためには、「安倍官房長官」の評価をせざるを得な
い。アジア外交についての、小泉内閣の失敗を修復することが、安倍首相の責任
を追及することより、当面、学者、研究者を含め、最大の急務という意識が、こ
ういうレトリックに走らせるのだろう。

 PATOについての天児教授の提案には、賛成である。しかしそれ以上に、世界
の大勢、という欧州の平和への歩みを見ることが必要だろう。欧州の地から、大
戦をもう起こさせないという悲願のもとに、欧州統合運動は、不戦の誓い、戦争
を武器とする国家主権への反省、国民国家を超える政治的統合への希求が、根底
にある。東アジア共同体への動きもそれが根底になければならない。
 日本の安全保障を考える場合、まず日米安保体制の堅持といわれる。1990年
代このかた、日米安保を中国側が公然と認めて以来、いわば国是のような存在と
なった。

  しかし今は、日米安保の堅持を前提に、もう一回り安全保障の枠組みを
加えざるを得ない。日本、米国、中国を中格とする、それに朝鮮半島の二カ国、
ロシア、さらにASEANを加えた地域的安全保障を確立することである。協調的安
全保障体制といってもよいだろう。六カ国協議がその舞台になるかもしれない。
迂遠と思われるかもしれないが、欧州ではすでに六カ国協議が発足した当時から、
そう見ていたグループがある。欧州連合(EU)の加速度をつけたのは、実は、ヘル
シンキ会議以来であると見る向きである。EUのほかに、欧州の平和を推進する
動きがいくつもあるが、欧州安全保障協力会議(CSCE)はその重大なひとつであ
る。六カ国協議は、その性格、構成などから見てCSCEそのものだというのであ
る。
 東アジア共同体を目指す運動も、こういう欧州統合運動の影響を受けざるを得
ない。欧州連合は、7年のブルガリア、ルーマニアの加盟で、一段落する。次に
控えているのは、トルコの加盟であり、まったく異文化の統合に直面するわけで
ある。
 米中間選挙の結果は、このように直接、間接の影響を国際情勢に与える。これ
から2007年、2008年にかけて、ますますその影響は強くなろう。
               (筆者は東海大学教授)