【コラム】
『論語』のわき道(22)

遊ぶ

竹本 泰則

 遊びをせんとや生れけむ……。ここ十年余りの間、遊んでおります。といっても、決して「結構なご身分」などといわれるようなものではありません。取り立ててやること、あるいはやれることがない、それだけのことです。
 遊んでいることに、それほど後ろめたさは感じませんが、わが身をつらつら考えてみますと、世の中でなにも役に立っていない、煎じ詰めれば、いてもいなくてもいい存在だということに思い至ります。こんな風にばかり思っていてはさみしくなりますから「いてもいなくてもいい……そうだよ。だからこそ気楽なんじゃないか!」と気をとりなおしたりしています。

 ところで、この国で「あそぶ」といえば仕事をしていないという風にすんなり通じるのですが、漢字の国・中国で「我遊」(ワレ、アソぶ)なんていっても、そんな意味にはならないようです。遊という漢字には、仕事がなくぶらぶらしているという意味はなく、この使い方は日本だけなのだそうです。

 漢字の「遊」を辞書で調べてみますと、遊興、豪遊といったいわゆる「あそび」の意味のほかに、遊学、遊子などというように家を出て他所に行く、あるいはいろいろなところを動きまわるといった意味が出てきます。大雑把にいってしまうと、楽しいことをする、好きなことをして心を慰めるといった意味に加えて、一所にじっとしていない、目的とか役割などが一定しないといったようなニュアンスがある字のように思えます。

 『論語』の中には「あそぶ」と訓(よ)む漢字が二種類あります。一つは見慣れた遊という字で、あとの一つは游です。游の方は「あそぶ」のほかに「およぐ」という意味もあるようです。この二つの字は、部首が「しんにょう」か「さんずい」かの違いがあるだけで、斿の部分は共通です。

 旁の斿は、これだけで独立した漢字として辞書にあります。リュウと音読みして、字義は「はたあし」となっています。「はたあし」なんて聞いたこともない言葉じゃないでしょうか。
 今はほとんど見かけないように思いますが、下側の縁に凧のしっぽのようなものが垂れ下がっている形の旗があります。そのしっぽの部分を「はたあし」と呼ぶらしいのです。素人の当てずっぽうなのですが、ブラブラ、ユラユラするところが「あそぶ」につながったのでしょうかね。

 ついでながら、斿に「むしへん」がついた蝣という字があります。こちらも「ユウ」と訓み、昆虫のカゲロウをいう字です。カゲロウの類を表す漢字にはこのほかにもいくつかあり、「蜉(ふ)」もその一つです。わが国ではカゲロウを漢字で表すときは「蜉蝣」とこの二つの字を組み合わせるのが普通でしょう。そのほかにも『蜻蛉日記』の「蜻蛉」という書き方もあります。蜻蛉の方はもともとトンボを指すことばで、日本でも古くはそうだったようですが、いつの間にかカゲロウまでを含むようになったようです。
 『源氏物語』第五十二帖の巻名は「蜻蛉」となっています。

 『論語』で遊が使われている例を引きます。少し長めの文章の出だし部分です。

  樊遅(はんち)、従いて舞雩(ぶう)の下(もと)に遊ぶ

 樊遅とはお弟子さんの名前。舞雩とは孔子が住んでいたまち(魯国の中心都市)の郊外にある地名、そこには林があり、奥には雨乞いをするための祭壇があったとのことです。「下」はある地点の付近。漢字の「上」も「下」もある場所の近く、附近という意味もあります。ただいま住んでおります調布市などもそうですが、東京都には入るけれど区部ではないという地域に「都下」という呼び方があります。この「下」などがそれです。遊ぶは動きまわることですから、孔子さまは樊遅をお供にして舞雩のあたりを散歩でもしていたのでしょう。

 このあとに続く文章では、樊遅が人としての徳を向上させること、あるいは人間的な欠点をあらためることなど人格修養についての教えを乞い、孔子がそれにこたえています。なにも遊びの時間にまで学ぶことないじゃないかと俗人はあきれてしまいます。

 もう一つの「さんずい」の游は別の章ですが、孔子のことばに出てきます。

  道(みち)に志し、徳に拠(よ)り、仁(じん)に依(よ)り、藝(げい)に游(あそ)ぶ

 分かったようでわからない、やっかいな章句の一つです。岩波文庫の『論語』(金谷治訳注)の現代語訳を引きますと「正しい道を目ざし、〔わが身に修めた〕徳を根拠とし、〔諸徳の中でも最も重要な〕仁によりそって、芸〔すなわち教養のなか〕に遊ぶ」となっています。

 はっきり言って、これが訳文といわれてもわたしなどには何をいっているのかわからず、まさに靴の上から痒いところを掻くような感じです。しかし、これは翻訳者がどうこうではなさそうです。『論語』のなかには誰もが扱いかねそうなこの種の文句が時々出てきます。
 フランス文学者桑原武夫による『論語』などはこの章を飛ばしちゃっています。武者小路実篤の『論語私感』には逐語的な訳がありません。その上で「ここに述べられたようなことが孔子が理想とした生活態度であり、それは窮屈なものではなかった」という解説だけになっています。
 道だの、徳だの、仁などと、十分に窮屈と思えますが……。

 しかし末尾の「藝(げい)に游ぶ」という表現は、その意味をはっきりとは理解できないながらも、なんとなく響くものがあります。
 「藝(げい)」とは、この時代の孔子などが位置していた階層、解説書によれば士大夫(したいふ)と呼ぶ身分ですが、そのレベルの人々にとっては必須とされた教養だそうです。六芸(りくげい)ともよばれますが、リテラシーのほか数学や音楽、さらには弓術、馬の御し方といった実技までも含まれています。

 芸も「学ぶ」ことからスタートしたでしょう。教えられながら、あるいは手本を見ながら勉強、稽古を重ねていくわけです。この時代には紙はまだ発明されていませんから、今のような本もノートもありません。ほとんどのことを体で学んでいたことでしょう。そうしていくうちに一通りのことができるようになる。生活の中で実用するレベルまでマスターすれば、芸を身につけたといえる段階でしょうか。

 芸の道はなお続きます。継続してゆくことによって芸が実用という目的を飛び越えるといえばいいのでしょうか、パフォーマンスの質が一段飛躍するということがあるように思われます。単に「できる」という水準を越えて「上手」、「美しい」、「速い」など様々な修飾語が登場する世界です。こうなれば芸を実践することは苦痛どころではありません。楽しみであり、生活の中に豊かさといったものをもたらすものになりましょう。

 「芸に游ぶ」とは好きな芸をすることで心を慰める、楽しむということと思えますから、それはこうしたレベルにまで到達して初めて味わえる境地でしょう。孔子は常々そんな境地に身をおくことを生活の信条としていたのではないかと想像しています。

 ところで芸に游ぶという段階からさらに精進をしていくとどうなるでしょう。
 芸の下に「術」がつく。「芸術」となる……などと、そんならちのないことまでを考えてみたりします。

 『論語』はおきまして、もう少し「遊」について続けます。
 何かで「遊糸(ゆうし)」という言葉に出くわしました。簡単な説明も添えられていたのですが、それだけではよくわかりませんでした。辞書を繰ってみたところ、①空中に漂っている、クモなどが吐き出した糸、②かげろう(陽炎、地面から立ちのぼる水蒸気で遠くの景色がゆらゆらする現象)という二つの意味が出てきました。①の説明はピンとこなかったのですが、①、②ともに古い時代からあった語義と説明されています(用例は唐よりももっと古い時代から見られるそうです。ということはこの国でいえば、聖徳太子か、それくらいの時代にはあったということになります。古い言葉ですね!)。

 宮本輝の『約束の冬』に「遊糸」のことが出てくるというので、その小説をパラパラとめくってみました。冒頭の章で登場人物の一人が見知らぬ少年から手紙を渡されます。その手紙の書き出しの部分です。
 「――空を飛ぶ蜘蛛を見たことがありますか? ぼくは見ました。蜘蛛が空を飛んでいくのです……」。

 ここで蜘蛛が空を飛ぶといっているのは、小春日和の日などに見られるらしいのですが、上昇気流がおこったとき、蜘蛛の糸は軽いので飛ばされてしまう、それには糸を吐き出した張本人であるまだ子供の蜘蛛がぶら下がっていて、一緒になって飛んでいく。そういうことが起こるのだそうです。人の目に映るのはキラキラと光る糸だけで、小さな蜘蛛はよく見えないらしいのです。この飛行している蜘蛛の糸、あるいはその糸が飛ぶ現象を「遊糸」というのだそうです。

 この現象が蜘蛛の仕業によるものだということは、随分長いあいだ分からなかったようです。遊糸という言葉が生まれた頃ももちろん分かっていません。だから「遊ぶ糸」などという風に表現されたのでしょう。

 遊糸自体はごく普通の自然現象で日本でも外国でも見られ、古いヨーロッパの文学作品などにもこれが登場するのだそうです。英語では gossamer と呼ばれ、シェイクスピアの作品にも二か所ほど出てくることが紹介されていました。
 ひとつは『ロミオとジュリエット』。ジュリエットが、愛するロミオと秘密裡に結婚するために修道士ローレンスの庵に小走りでやって来る場面。恋の只中にある乙女の舞い上がるような気持ちを「gossamer にまたがっても落ちないほど」と形容しているように読めます。もうひとつは『リア王』。崖から飛び降り自殺を図った父親に向かって息子のエドガーが生命を全うするよう説得する言葉に出てくるようです。

 俳句歳時記をみますと、遊糸を春の季語として載せるものがあるのですが、ほかに「糸遊」というヘンテコな言葉を採用しているものもあります。「いとゆう」と読むのだそうですが、これでは「湯桶(ゆとう)読み」になってしまいます。
 さらに俳句の世界ではこの語が表す内容も少し変わってきます。遊糸といおうが糸遊といおうが、いずれもかげろう(陽炎)だけをいい、蜘蛛の糸が飛ぶほうは季語にならないみたいです。遊糸の現象が見られた後、本格的な雪の季節が訪れるということから、これを「雪迎え」と呼ぶ地方もあるそうです。こちらの方は季語らしい雰囲気があるように思うのですが、これを採用する歳時記はないようです。

 歳時記を見ていて、かげろうに陽炎の漢字を当てるのは特にひっかかりはしなかったのですが、「野馬」という字も当てるものがあってびっくりしました。念のために漢字辞書を引いてみると、なんとこの熟語はれっきとした漢語じゃないですか。しかも紀元前の昔からかげろうの意味で使われていたとのこと。しかし、なぜこんな字を使うようになったのか、その由来は分かっていないようです。

 かげろうとくれば、むかし教科書で見た万葉歌思い出されます。

  ひむがし(東)の 野にかぎろひ(炎)の立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ

 この歌の景色の大きさに刺激されたわけでもありませんが、目障りなものなどなんにもない草原(くさっぱら)のようなところに寝っころがり、風に飛ばされるまま空に遊ぶ蜘蛛の糸を見る。そんなシーンに憧れたりします。

 (「随想を書く会」メンバー)
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