都知事選の残した傷痕はあわ雪のように消える(?)

                        三上 治

「カチューシャかわいや わかれのつらさ せめて淡雪解けぬ間にと…」(『カチャーシャの唄』)

 都知事選の後のテントでは結構激しい議論が繰り返されていた。僕の泊りの日などは終電近くまで細川支持であった人と宇都宮支持であった人が白熱した議論をやっていた。外には二度の週末の大雪の残雪が道端にあってか、テントも寒い。周辺の空気は冷たいのである。一昔前なら、雪も含めて冬を過ごし人々の生活の知恵が機能していたのであろうと想像をするが、いつの間に利便化が浸透した都市生活では自然の猛威になすすべのなさを露わにしている。でも、都心というよりも周辺部でそのことが顕著であることは注目しておいていいのかも知れない。テントで寒さを凌ぎながら都知事選のことを論議していたのであるが、時代の流れは速いから、議論もいつの間にかき消されるように終る(?)のかもしれない。

 「都知事選は脱原発を掲げる候補の敗北で終わったが、あちらこちらに傷痕を残しているようだ。テントの内で選挙をめぐる討議は白熱した形であるし、これが冷めるのには時間も必要であろう。都知事選の残した傷痕は残雪のように自然には消えていかないものだし、その傷痕は思想的に包括されてしか解消しえないものだろうから、痛みがあっても多いに論議すればいいのだと思う。ちゃんとした論議ができることも僕らにとってはとても大事なことで、論議や討議の下手な僕らの現状を振り返りながら、大いにやればいいと思う」。こんなことを僕は2月19日付のテント日誌で書いたのだが、都知事選からさして日は経っていないのに議論は消えてしまいつつ(?)あるように見える。

 時折、散発的に話されるにしても、人々の関心からは消え去っている。それはそれでいいのだが、本当に考え抜いて自分なりの結論を出した結果なのか疑念は残る。今回の都知事選で垣間見せた脱原発運動陣営の亀裂は今後の形をかえつつも再び現れるかもしれないことを考えると腑に落ちないところはある。あの時にきちんと総括しておけばよかったなんてならないことを願いたい。

 僕は今回の選挙に当たって「『火事と喧嘩は江戸の華』という喩もあるじゃないか」(1月15日)、「細川でいいじゃないか」(2月22日)などをテント日誌として書いたが、これには多くの反応を頂いた。都知事選の両候補をめぐる問題で、多くの人が悩み、選択の判断で迷っているのがうかがえた。これは原発問題のみならず、現在の政治的・社会的運動の難しさを暗示しているのだ、と思えた。

 僕は今回の選挙で細川を支持した。都知事選自体が多分に突発的であり、それが何を目標にしてあるべきか難しいことだったことはあるのだろうが、原発問題を中心的な課題にすべきであると僕は考えた。脱原発運動を当面する最大の政治的・社会的課題として進めている立場にあって、これは自然に出てきたことだった。もちろん、都知事選の争点について、また、今回の場合の争点としてこれに批判的な人がいたことは承知であり、その考えを無視したわけではない。これは一種の政治的判断であるが、僕の考えを変えるような有力な考えに出会わなかった。この点についての意見の相違はやむを得ないが、宇都宮陣営からはこの点が曖昧だったことは疑いない。この点はあまり深入りしても、いたし方ないが、記憶しておいていいことのように思う。

 僕が細川支持をした最大の理由は小泉も含めて細川の脱原発の動きを評価し、その背後の動きも含めて今後の運動で連携をめざすべきであると考えたことにある。これは今回の細川の都知事選出馬以前の小泉の脱原発発言を聞いたときから考えていたことだった。どういう形になるか分からないが、小泉たちの脱原発の動きにどう連携していけるかは小泉の発言を聞いた時から考えていたことで、その流れの中でのことにほかならなかった。これは今後の脱原発の運動にも関わることなので、この点を何よりも明瞭にしたいと思う。都知事選でやはり気になったのは宇都宮支持陣営での小泉や細川の脱原発の動きの評価であった。

 宇都宮候補を支持した人たちの小泉や細川の脱原発の動きに対する評価は多様であったと思われる。彼らの中でも、小泉や細川の脱原発の動きは評価するが、選挙は別だという人もいたと思う。そして、彼らの脱原発の動きは評価できないという人もいたと推察される。また、これだって細かくいえば、様々の考えがあったのだと思う。例えば、細川はいいが、小泉はダメという人もいるように。こうした中で、僕らが批判し、注目してきたのは小泉や細川の脱原発の動きは評価できないとする考えである。選挙で細川と宇都宮が対立候補になったから、行き掛かり上でそういった人もいるだろう。そうではなくて本心からそう言った人もいるに違いない。この点は僕の方で推察するだけのことだが、選挙のためにそうした人はこの際、批判する気はない。だが、僕は細川や小泉の脱原発の動きを批判する人たちは批判したい。なぜなら、これは今後の脱原発運動に大きな影響を与えるし、また、亀裂を持ち込むことになると思えるからだ。

 「それで、この点を考えたいのだが、僕は持久戦と称している日々の闘いの中で自問していることが二つある。自問自答している中で一つは政府の再稼動の足音が聞こえる中で、前回の大飯再稼動時を超えていく闘いをどう展望できるかであり、もう一つは福島での闘いである」(2月19日付けのテント日誌)

 鹿児島の川内原発が再稼動の第一番手に上げられているが、僕らはかつての大飯再稼動の反対闘争を超えて行くということについて様々のことを考えている。なかなか、展望は描けない中で、原発再稼働立地の地域住民の反応に秘かな期待を寄せ僕らなりのできることを準備している。期待というよりは強く不安をいだきつつ見守っているというのが僕らの現状だが、こうした中で、小泉等の動きがどう出てくるかも注目している。これは前回の大飯原発再稼動時になかった契機であり、動きがあれば提携して行きたいと思っている。それは実際の動きが出てこない限りなんとも言えないが、僕は積極的に提携して行きたいと考えているし、彼らの動きを批判してそれを妨害することが脱原発運動の内部から出てこないことを願っている。

 そんなの危惧だというならそれでよいが、再稼動阻止の過程で小泉たちの脱原発運動は偽物であると言いだしてもらってはこまる。そのような一端が都知事選であらわれたのではないかと僕は考えるわけで、そこのところをよくよく考えてもらいたいのである。何故なら、このことには原発問題における政治的視点が深く関係していると思えるからだ。僕は常々、脱原発が左右、保守・革新などの政治的枠組みを超えた課題としてあること、そこに従来の政治性(党派性)を持ち込めば運動は発展しないと語ってきた。この点が曖昧だと思わぬところで旧来の政治的立場が出てきてしまうのである。

 誰しも原発問題は党派の枠組みを超えた問題であるということに異論ははさまない。当たり前のことだと思っている。原発問題は具体的な解決を要求されること、理念的には科学技術としての核生成(核解放)(その産業化を含む)の是非であり、従来の体制的理念の問題ではない。資本主義か、社会主義かという問題に収斂する問題ではない。これは普段は当たり前のこととしてあるように思っていても、時には突然のように、こうした立場の政治性が出てきてしまう。この考えを政党や政党の組織する運動の周辺にある人には出てきがちである。ここのところの徹底した理解がないと、政治意識という名の同族意識や党派意識に囚われたところが出てきがちなのだ。多分、原発問題での政治性(例えば敵と味方の規定)と政治課題一般とでは異なったことが出てきてしまう、という現在の問題がなかなか理解しにくいところがあるのだ。

 原発問題と他の政治課題では敵と味方は異なっており、対応も別のことが要求されることなどなかなか理解されないのだ。政党やその周辺にある人たちに無意識も含めて従来の政治的立場が身体化している。それは深くて遺伝子のようにあって、意識的(自覚的)でないと原発問題での政治性(敵と味方の規定)に曖昧なところを残し、それが地金として露出する。脱原発運動を従来の政治的枠組みを超えて闘うことは最も単純だけど、もっとも難しいことであり、そこが今回の選挙でも鍵だったのだと思える。政党やその周辺の人たちは歴史的な政治的立場が身に深く入っている。(かつての原水爆禁止運動における政治的立場での分裂を想起してもいいが、この歴史が認識にまで高まった反省としてあるのか、どうか。そういう疑問を呈してもよい)。

 都知事選で細川と宇都宮の対立として露呈したことで、僕が注目したのは原発問題の政治性についての認識だった。主に小泉に対する宇都宮陣営からの批判には「左翼性の誇示」であったのではないかという批判がある。僕はこれを古い政治性であり、この立場が原発問題のとらえ方であらわになったのだと思う。原発問題を従来の政治的枠組みを超えて対応することは、他の政治的課題との関連において矛盾的に出てくることもある。

 このことを従来の政治的立場をとる人たちはよくよく考えるべきだと思う。これは現在の政治が過渡にあることの証だが、この現在という過渡の中では矛盾的な対応も強いられることを自覚すべきだ。スローガンにすればすべてをある立場で包摂できるそんな政治的存在などないのだ。こういうことを考えざる得ない契機を脱原発運動は持っている。それは可能性であるとともに、矛盾として出てくる側面だ。都知事選はそんなことを僕らに示したのではないだろうか。

 (筆者は通産省広場前反原発テント村・政治評論家)


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