■ 【横丁茶話】
【閑話二題】 西村 徹
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1.仮名草子「犬枕」に思う。
江戸時代のごく初期、仮名草子という大衆読み物があった。そのなかに「犬枕」
というのがある。題名からして「枕草子」のもじりであることは察せられよう。
「長うて良きもの」として五つの項目が挙げられている。その筆頭に「恥多け
れども命」とあるが「短くて良きもの」の五つの筆頭にも「五十過ぎての齢」と
ある。命と齢は同義である。かたや長いのがよいといい、かたや短いのがよいと
いう。一見矛盾している。しかしいずれもその通りに思う。どちらかが間違って
いるというのでない。
夜目遠目のほかにも、視座というか、見る者の立つ位置によって変わることは
よくある。彫刻などは見る位置でずいぶん変わる。全方位で見るのがよいことに
なる。二次元の絵でも斜めから見るとそれまで見えなかったものが見えるように
意図的に描いたものさえある。寿命も同じで、遠目に見て寿命は長いのがよいだ
ろう。しかし江戸時代初期、五十過ぎれば立派な老残だ。江戸時代の五十は今な
ら七十とか、あるいは八十とかに延長されうるかもしれないが、老残そのものは
短いほうが自他ともに良いだろう。
老残をいかに処理するか、その解は容易に見つからなくて、とりわけ日本の一
大政治課題になっている。老人をして老人を葬らしめよという、いわゆる「自己
責任」小泉・竹中政治は歓迎されなかったようで、新政権は逆方向を模索してい
る。革命政権ならではのことと思う。結構なことではあるが、どうやら寿命も、
ただ長ければよいというものでもないというあたりに、あらためて目を向けるこ
とが問題の解を得るうえには必要かもしれない。そのように個人的に老残の身に
あって思う。
2.キリスト教は独善・排他的か?
ここで思い出すのが昨年11月10日、民主党の小沢幹事長が高野山での発言
である。「キリスト教は独善・排他的だ」「仏教は度量が深い」というようなこ
とを仏教会会長の前で言ったのだから予測されるとおりの反応が起こった。当然
キリスト教連合の抗議文が発せられ、牧師さんの投書も新聞を賑わせた。あちこ
ちのブログもいいタネに一斉に跳びついた。幹事長の不用意発言であるはずはな
くて、すべて計算どおりだったのだろうと思う。政治的には決してマイナスどこ
ろか大きな成功だったと思う。閣議での亀と菅のケンカとおなじだ。なにかと盛
り上がるのは政治的にプラスだろう。
では小沢発言はまるきり本当だろうか。まるきり本当ではないかもしれないが、
本当でないことはないぐらいには本当だろう。キリスト教の排他独善のもっと
も露骨な例は十字軍だろうし、ヨーロッパ列強の帝国主義はつねに
gun and gospel がセットで推進された。ブッシュもイラクを攻めるとき、やは
りヘンなことを言った。アメリカの多くのキリスト教会がヘンなことを言った。
だから、まるきり本当でないとは言えないだろう。しかしクエーカーのような絶
対平和主義者もキリスト教徒である。反対に創価学会やオウム真理教のようなミ
リタントな仏教の宗派もいないわけでない。浄土真宗でさえ織田信長と果敢に
戦った。主として専守防衛だったのかもしれないが北陸では既存の守護大名を滅
ぼしている。
だから事柄は相対的で一概には言えないが、どっちが独善・排他かというとキ
リスト教のほうが実績の上でだいぶ分が悪いだろう。そしてキリスト教の人でも
度量の広い人はそれを認めているようだ。今年1月11日の朝日新聞付録のGlob
eの7ページに The Authorという欄があって、キリスト教に改宗したユダヤ人神
父の生涯を描いたリュドミラ・ウリツカヤという、やはりキリスト教に改宗した
ロシアのユダヤ人が語っている。
「アブラハムから由来する宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)はすごい攻撃
性をもっていると思う。仏教などおだやかな宗教から学ぶことは多いのではない
か」と。
小沢一郎氏の言ったのとおなじことをロシアのユダヤ人のキリスト教徒が言っ
ている。これは重要だと思う。
「犬枕」の「短くて良きもの」の五番目は「咄」である。それに従いこの稿を
終える。
(筆者は堺市在住)
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