【コラム】槿と桜(8)

韓国から消えた「姦通罪」

延 恩株


 「姦通罪」と言われても、私にはせいぜい韓国のテレビドラマなどを通して、なんとなく知っている程度でした。韓国では不倫や浮気を扱ったテレビドラマが珍しくありません。夫が不倫しているらしいからと探偵に尾行させ、証拠写真を撮るとか、妻が同行して不倫現場に乗り込んで、夫の不倫相手を殴るといったシーンはよく目にします。こうしたシーンでしたら日本のテレビドラマでもあると思います。でも警察官のような捜査機関が不倫現場に踏み込むなどといったシーンは日本ではあり得ないことには気がついていませんでした。韓国に「姦通罪」が存在していたからこそのシーンだったわけです。
 また幸いなことに、私の身の回りに「姦通罪」騒ぎを起こした者などいませんでしたから、なおさら「姦通罪」と聞いてもあまりピンとこなかったのだろうと思います。ましてや日本で20年以上も暮らしている私にとって、なにやら古色蒼然とした響きさえあります。また日本の方も江戸時代を舞台にした時代小説などではおなじみの言葉でしょうけれど、やはりピンとこないのは私と同様だと思います。もちろん現在の日本には存在しない罪名であることは言うまでもありません。
 しかし韓国では、今からほんの2カ月前まで、つまり2015年2月26日までこの「姦通罪」が存在していました。なんでも「姦通罪」は、東アジア諸国では韓国と台湾だけに存在していて、韓国では1953年に制定されて以来、62年ぶりに憲法裁判所で違憲とされ、即刻、廃止されたというわけです。

 実は韓国での「姦通罪」は1953年制定以前にもあって、大韓帝国時代の1905年に法律で定められました。そして日本の植民地となった2年後の1912年には、朝鮮刑事令が制定され、「姦通罪」は日本の刑法の規定がそのまま適用されることになりました。
 この日本の刑法では、夫以外の男性と性的な関係を持った女性と、その相手を2年以下の懲役に処すと定められていました。ところが日本は1945年の敗戦、そして1947年の日本国憲法施行で、女性だけを処罰対象とした「姦通罪」は、法の下での男女平等を定めた新憲法に違反するとして廃止されてしまいました。
 ところが韓国では日本の旧憲法下で存在した「姦通罪」をそのまま維持し続け、1953年になると、女性だけでなく男性も処罰対象とする内容が刑法に盛り込まれました。ただ量刑は日本の「姦通罪」と同じく、2年以下の懲役に処すというもので、これが62年間維持されてきました。

 ただ、すでにおわかりのように、韓国の「姦通罪」が日本を始めとする他国のそれと異なるのは、妻からも夫やその相手を訴えることができるという点でした。
 これは「姦通罪」に対する画期的な解釈と言えますが、しかしその一方で、韓国社会での女性の地位がいかに低かったかをも教えているのではないでしょうか。つまり女性を守るためには「姦通罪」の解釈の変更が必要だったとも言えるのです。
 こうした解釈上の変更は、日本でもそうでしたが、韓国でも男性中心社会であり、夫の不倫で辛い思いをするだけでなく、夫から離婚などを持ち出されると、働いている妻はまだしも手に職を持たない女性は生活できなくなってしまったからです。

 つまり「姦通罪」が合憲か、違憲かが争われ始めた1990年頃までは、妻は夫の不倫にひたすら耐え続けるのではなく、堂々と「姦通罪」で訴え、多額の慰謝料を求めてよいという道筋を、韓国社会が明確に認め、「姦通罪」は必要だという認識があったと言えるでしょう。
 また日本よりずっと保守的な思考が浸透している韓国では、結婚の形態は一夫一婦制で、それを維持すべきだと捉える人が少なくありません。それに関連して家族という形態の保全をしっかり守るべきだと考える人たちは、乱れた男女関係がもたらす弊害を法律によって阻止するのは当然とする思いが「姦通罪」を長く維持させてきた、もう一つの理由だと考えられます。

 ところが1990年代に入りますと、韓国社会に経済的豊かさが次第にもたらされ、それに連動するように個人主義的発想の台頭が見られるようになりました。さらには女性の社会的地位が上がり始め、経済的な自立者も増加してきました。
 これは韓国人の多くが“生きるのに精一杯”という社会から抜け出し、さまざまな価値観にも目を向けられるようになってきたとも言えます。また世界の情報が瞬時にして手に入れられる時代の到来は、多様で、より自由な発想が受け入れられやすくなってきたとも言えます。
 こうして、今でもなお根強く残る「一夫一婦制保持」「婚姻制度の保護」の主張と、それとは相反する「個人的恋愛の自由と私生活の秘密保護」の主張、この両者の争いが「姦通罪」をめぐる訴訟となって表面化したのだと思います。したがって、1990年になって、初めて「姦通罪」が合憲か違憲かで争われたのは、韓国という国家の状況変化と国民の意識変化が突きつけた、時代の要請であったとも言えるのではないでしょうか。

 1990年と1993年の憲法裁判所の判断では、2回とも裁判官9人のうち6人が「姦通罪」を合憲とし、2001年では8人が合憲、2008年では4人が違憲、1人が憲法に合致しないとして、合憲の数を上回りました。ただ9人の裁判官のうち6人以上の違憲判断が必要だったため、「姦通罪」は合憲とされていました。
 このように判決の流れを見ますと、裁判官の間にも「姦通罪」廃止につながる違憲判断が次第に増えてきていたことがわかります。こうして25年間にわたって合計5回の憲法訴訟が起き、5回目の2015年に至って「姦通罪」は違憲と判断した裁判官が7人となり、ついに62年目にして「姦通罪」は消滅しました。

 「姦通罪」が消えたことで、法律による刑事的な処罰はなくなりました。自由な恋愛を希求する人びとには、罪人として懲役刑を受ける恐れがなくなっただけに、大いに歓迎している人も少なくないかもしれません。またたとえ結婚していても配偶者以外の恋愛対象者を自由に持てると考える人も多くなるかもしれません。
 でも決して不倫行為を推奨しているわけではありませんから、道徳的、倫理的な視点に立てば「姦通罪」消滅、イコール不倫への免罪符でないことを肝に銘じておかなければならないでしょう。もちろん民事的訴訟の可能性は大いにあり得るのですから。

 私は今回、「姦通罪」が韓国から消えたことで、韓国人は刑事的処罰から免れられることになっただけに、よりいっそう自分自身を道徳的、倫理的に厳しく律する必要が生まれたと見ています。
 言い換えれば、「姦通罪」が存続していれば、最長で2年間の懲役刑で罪をあがなったことになりますが、これからはすべて自己責任で処理しなければならなくなるからです。国家による法的介入の否定は、それに替わって社会からの個人に対する倫理的非難やペナルティーを生涯、みずからが背負わなければならないことを意味しています。

 個人の自由や私生活の秘密保持は大切に保護されるべきです。でもそれだけでは無秩序で、利己的な社会や人間関係が生まれるだけでしょう。自己を律するとは他者(多者)の立場に目を向け、その中に自分を置いて自己の存在を客観的に見つめ、そこから初めて自分の立つ位置を見定めることではないでしょうか。時には自己の欲望や願望は抑え込むことがあっても。

 いずれにしても「姦通罪」が消えた韓国では、今後、結婚の形態や恋愛の受け止め方、男女の交際のあり方などさまざまな面からの論議が起きてくると予想されます。
 その意味で、しばらく韓国からは目が離せないようです。

 (筆者は大妻女子大学准教授)