【コラム】槿と桜(89)

韓国でお酒を飲むときには

延 恩株

 日本にはコミュニケーションを言い換えて「飲みニケーション」という表現があり、こうした言い方があるのを知ったとき、とても面白いと思った記憶があります。お酒を飲むことで気持ちをリラックスさせて、普段は話すのにためらいがあることでも言葉にして、意思疎通がいっそう高まる、という意味合いが込められているからです。
 韓国には「飲みニケーション」という言葉はありませんが、日本と同様に家族、親類縁者、勤め先、友人知人といった人びととのお酒が伴うつき合いの機会は日本より多く、より大切と見られているかもしれません。

 日本ではこうしたお酒の席では時として「無礼講」(ぶれいこう)という言葉も使われます。「無礼講」とは、友人知人たちとお酒を飲むときにはあまり言わないようですが、上下関係がはっきりしている企業や組織の人たちとお酒を飲むときには使われます。組織の役職や上下関係を考えずにお酒を飲んでいいという意味です。
 確かに地位や身分に関係なく、お酒を一緒に楽しく飲むことなのですが、礼儀もすべて忘れて「無礼」でいいという意味ではないとのこと。ですから「無礼講で飲みましょう」と言えるのは地位や身分が上の人で、新米社員が言ってはいけないようです。つまり、上下関係に気を遣いすぎなくていいといった目下の人への思いやりの言葉程度に理解しておいた方がよさそうです。この言葉にも日本語を理解する難しさがあり、私が最初、誤解してしまったのも無理ないのかもしれません。

 さて韓国人とお酒の関係ですが、韓国人は何かにつけてお酒を飲む機会が日本より多いことはすでに触れましたが、そのお酒の席でもきちんと礼儀を守る必要があり、日本以上にそれらが守られています。日本でも年長者を敬う文化風土はまだ残っていますが、韓国は日本に比べると厳しく、その生活にはまだ年長者を敬う儒教的な思考が色濃く残されています。たとえば年長者の前で煙草を吸ってはいけないのはその典型的なものでしょう。私は儒教的な思考のすべてが良いとは思いませんが、お酒を飲む場合には礼儀を守って飲む方が一定の節度が保たれますから良いのではないでしょうか。

 韓国でお酒を飲むときに必ず守らないといけないいくつかのマナーがありますので、以下に挙げてみましょう。先ずは入門編といったところから。そのため、すでに知識としてご存じだけでなく、韓国で実践されたという日本の方も多いかもしれません。

 ① お酒を相手に注ぐときは、片手で瓶を持ち、もう片方の手を肘に添える、あるいは軽く胸に当てる。そうでなければ両手で注ぐ。
 ② お酒を注いでもらうときは、両手でコップやグラスを持つ。
 ③ 目上の人とお酒を飲むときは、顔を横に向けて口元を隠すように飲む。
 ④ 相手のグラスにお酒がなくなってからお酒をつぎ足す。

 次には中級編です。
 ① お酒を相手に先に注ぐのは地位や身分、年齢が下位の者から。
 ② 地位や身分が上、あるいは年長者が年少者にお酒を注ぐ場合は、片手でも良い。
 ③ 自分のグラスに自分でお酒を注ぐのは避ける。
 ④ お酒は年齢が上の者から順に注ぐ。
 韓国でのお酒の場では特に長幼の序列の考えが強いのが理解できるのではないでしょうか。お酒を注ぐという行為にも年齢差が大きく関係しています。とはいえ、相手の年齢が自分より上か下か、わからないときもありますから、親しい人でない限り両手で注ぎ、両手で受け、横を向いて飲むのが礼儀に合っているでしょう。

 それでは上級編です。
 ① 女性は男性にお酒を注がない。
   女性が男性にお酒を注ぐのは水商売の人と見られてしまいがちです。
   女性がお酒を注いでいい男性は父親や夫、恋人ぐらいでしょうか。
 ② お酒を注ぐ際には右手で。左手で持って注ぐのは避けること。
 ③ 乾杯では、目上の人よりも低い位置でグラスを合わせる。

 なお私が入門、中級、上級と分けたのは、韓国のお酒の飲み方マナーについて、日本での認知度という点から私が便宜的に示しただけですから、それ以上の意味はありません。
 でも、上級編になりますと、日本の方はほとんど気にすることなく、つまり韓国ではマナー違反になってしまうことを日本でのお酒の席では行なっているのではないでしょうか。

 韓国では食事中でも「乾杯」をします。日本のように飲み初めに「乾杯」するのとは異なって、何度でも「乾杯」をします。そのため注意していないと思っている以上にアルコール量が増えてしまうことにもなります。でも、そのようにしてお酒に「酔う」ことが韓国での酒文化の一つとも言えます。

 それでは最後に、お酒の席での支払いは誰がするのでしょうか
 長幼の序列が生活に根づいていますから、支払いは地位や身分が上、あるいは経済力のある年長者が支払うのが一般的です。特に企業などでは、地位が上の人が支払わないと部下から信頼を失ってしまいます。
 カップルだったらほとんど男性が支払います。日本のようにたとえカップルでも割り勘で支払うのはまだ少数です。その意味では、経済的に豊かでない男性はなかなか大変です。

 このような歴史的に積み重ねられてきたお酒を飲む文化と生活環境の中で育った私が日本に来て、まだ日本語もままならない頃のことでした。日本に長く住んでいた親戚の者に、日本にも韓国のサウナに似ている所があるからと連れていってもらいました。「健康ランド」でした。こうした施設は普通の銭湯と違って、いろいろな湯船もあって、長時間滞在もできますから、ゆったりとした気分になれます。また休憩や昼寝もできるコーナー、さらには飲食ができる施設も備えられていましたので、私たちもそこに入りました。

 隣の席では仲の良さそうな父親と息子らしい二人が楽しそうにお酒を飲んでいました。ところが、息子らしい男性が相手に片手でビールを注いでいて、しかも、タバコも吸っていました。私はびっくりして慌てて親戚の者に聞きました。「隣の男性二人は親子だよね」と。「オヤジって呼んでいるからそうだね」というのが答えでした。
 韓国では考えられない光景が目の前で起きていたのです。私の家では親子どころか兄弟の間でも、私の次兄は長兄の前ではタバコを吸わなかったからです。

 国が違うと文化も大きく異なることを、来日して日が浅い頃に衝撃的に教えられ、鮮烈な記憶として今でも忘れられない思い出になっています。
 「郷に入れば郷に従う」とはよく言われる言葉ですが、そこで生活している人びとが大切に育ててきた文化を尊重するという意味も込められています。私も「健康ランド」での強烈な体験から、日本文化や日本の伝統、歴史への理解を深めなければならないと密かに決意したことを、今回取り上げたお酒の飲み方から久しぶりに確認しました。

 (大妻女子大学准教授)

(2022.2.20)
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