【コラム】槿と桜(79)

韓国のキムチ、日本のキムチ

延 恩株

 韓国の代表的な食品は何か、と日本の方に質問すれば「キムチ」(김치)という回答率がかなり高くなるでしょう。確かに韓国の日常的な食事でキムチは欠かせない食品になっていますし、私などは家にキムチがないとなんとなく不安な気持ちになるほどです。
 韓国人がなぜこれほどキムチを好むのか、それなりに理由はあると思います。ただ朝鮮民族とキムチとの関わりは決して長くはなく、大雑把に言って200年ほどです。

 13世紀初頭の文学的な文献によりますと、野菜を塩漬けにして冬に備えるといった詩句が残されています。古くから韓国にも保存食としての野菜の塩漬けがあったことがわかりますが、ここに記された食品はおそらく日本にもあった野菜の塩漬けで、キムチとは異なるものでしょう。ただ、韓国語では「野菜の漬けもの」を「沈菜」(침채 チㇺチェ)と言うことから、「キムチ」という言葉はここから生まれたという説もありますが、不確かです。

 いずれにしましても、キムチと言えば、日本の方にもイメージとして思い浮かぶにちがいない白菜(배추)に唐辛子や塩辛を漬け込んで発酵させたキムチとはかなりかけ離れていたことがわかります。
 なにしろ朝鮮半島に唐辛子(고추)が伝来したのは16世紀末頃ですし、白菜が中国から伝えられたのは18世紀になってからです。この2つが揃わなければ白菜のキムチは誕生しなかったわけです。しかも、白菜がすぐさまキムチに繋がったわけではなく、茄子(가지)や大根(무)、胡瓜(오이)などが塩漬けの主な材料として使われていました。一説には白菜の葉が外開きで、しまりがなかったために使われなかったとも言われていて、私たちが見慣れた丸く結球した白菜の登場でようやくキムチと結びつくようになりました。

 このように今では韓国の伝統的な食品とみられているキムチの誕生はそれほど古くはなく、その歴史はむしろ新しいと言えます。これと似ているのが日本の伝統的な食べ物と考えられている「寿司」にも当てはまります。
 「すし」が中国から日本に伝えられたのは奈良時代とされていますが、魚介類を塩と米で漬け込んで発酵させた保存食でした。現在、世界中に広く知られるようになってきている「握り寿司」は、江戸時代の文化・文政年間(1804~1829)に出現したもので、やはり200年ほど前のことでしかありません。また「寿司」という漢字が使われ始めたのも江戸時代でした。

 長く古い歴史を持つと思われている食品が実はそれほど古くないにもかかわらず、民族の伝統的な食品と見られるようになったのは、民族が持つ味覚に対する好みに可能な限り合致させる創意工夫と改良が加え続けられていったからでしょう。これには気候風土も大きく関わります。
 その意味では、韓国のキムチと日本のキムチが違うとよく言われるのは当然とも言えます。歴史的には新しい食品と言える韓国のキムチ(その代表が白菜キムチ)ですが、韓国の気候風土、韓国人の味覚、嗜好に合わせる創意工夫が加えられてきました。

 一方、日本では1980年代に入る頃まで、韓国の本格的なキムチはその辛さやニンニク、魚介類の発酵臭が一般的に日本の人びとの味覚、嗜好に合いませんでした。そのため一部の人びとには好まれ、雑誌などでも紹介されていましたが、多くの家庭の食卓に上るというようなことはありませんでした。ですからキムチという名称は日本の人びとにはあまり浸透しなくて、朝鮮の漬け物ということから「朝鮮漬」と呼ばれていました。

 つまり、韓国人の味覚、嗜好に合った韓国的な製法のキムチは日本の人びとには合わず、敬遠されていたのです。ただ、日本の食生活と野菜の漬け物は切っても切れない深いつながりがあり、「漬け物とご飯があればあとは何もいらない」などと言う人もいるほどです。
 こうして韓国の漬け物であるキムチを日本の人びとの味覚、嗜好に合わせる日本的な創意工夫が加えられていくようになりました。

 では日本的な創意工夫とはどのようなものだったのでしょうか。
 キムチは、日本よりはるかに寒い朝鮮半島の冬の時期、野菜不足に備えた大切な保存食です。古くは野菜の塩漬けから始まり、香辛料のニンニクや山椒などを加えるようになり、やがて唐辛子が朝鮮半島に伝えられて、キムチが誕生するわけです。
 唐辛子の強い辛味だけでなく、さらに魚介類の塩辛や塩アミなどが加えられ、それらを発酵させるようになりました。そうすることで野菜をさらに長期保存させることができるわけです。しかも、発酵させますから野菜の甘み、酸味、魚介類のうま味などが混じり合った独特の風味が出てきます。これにニンニク、ショウガ、ネギなども使いますから、当然、この酸味、発酵臭、ニンニクや魚介などの強いにおいが伴うことになります。

 私の経験になりますが、ときどき母親が作ったキムチが韓国から送られてきます。まさに「おふくろの味」で滅多に食べられませんから、私にはとても嬉しく大切な食べ物になります。でもその梱包は厳重で、キムチにたどりつくためにはいくつもの箱を取り出し、開けなければなりません。理由は簡単です。韓国内でしたら多少、キムチのにおいがしても韓国人には「匂い」であって、「臭い」ではありません。でも日本では、そのにおいの感じ方が逆転する人がほとんどです。
 私の大学に韓国のキムチを大好物としている日本人の同僚がいます。母親が送ってくれたキムチをお裾分けするために大学に持参するときは何よりもこの韓国製キムチのにおいが外に漏れないようにするのに時間が取られてしまいます。

 もうおわかりだと思います。キムチ製法での日本的な創意工夫とは、〝これがキムチ〟と考えられている韓国のキムチの特徴を可能な限り排除して、それでも韓国のキムチらしく見せ、日本の人びとの味覚、嗜好に合わせることにあったのです。ここで、韓国と日本のキムチの違いを簡単に整理してみましょう。

<韓国のキムチ>
 ・乳酸発酵させる。強いにおいがある。
 ・乳酸発酵させるために魚介類を入れる。主な魚介類は以下。
   「까나리액젓」(カナリエッㇰヂョッ イカナゴ)
   「멸치액젓」 (ミョㇽチエッㇰヂョッ カタクチイワシ)
   「갈치액젓」 (カㇽチエッㇰヂョッ タチウオ)
   「새우젓」 (セウヂョッ アミの塩辛)等々
 ・日本の唐辛子(鷹の爪)より一回り大きく、品種が違う唐辛子。日本の唐辛子より辛みと甘みがある。
 ・「녹말풀」(ノンマㇽプㇽ)を入れる。もち米粉、小麦粉などをのり状にしたもの。味の深みと甘みを引き出すために使う。
 ・大根や白菜など日本の野菜と見た目は同じだが異なる。韓国の大根と白菜は水分が少なく香ばしい。しかも硬めで歯応えがある。

<日本のキムチ>
 ・乳酸発酵させない浅漬製法。においが少ない。
 ・まろやかさとコクを出すために甘みが強い。
 ・野菜の違いから使う野菜は水分が多く柔らかい。
 ・味が薄い。

 このように整理してみますと、日本のキムチは韓国のキムチとはまったく違う食品と言えます。日本のそれはキムチ風調味料を使用したり、添加物で発酵させたような味付けしたものが多く、発酵、熟成させていませんから時間が経つと味が落ち、腐ってしまいます。
 そのため、韓国人が日本のキムチを食べて「キムチではない」と言うのも不思議ではないのです。私は日本製のキムチも食べますが、キムチと思って食べたことはありません。
 でも、浅漬けの漬け物として食べるなら日本のキムチもそれなりに美味しいと思います。

 日本の人びとの味覚や嗜好に合わせるようにして、日本生まれの日本キムチが日本の食卓にその席を占めるようになっている現状を、私は大変、嬉しく思っています。
 その土地で生まれた食べ物はその土地で食べると格別の味わいがあるものですから、日本の方が韓国で韓国のキムチを口にすると、きっと美味しいと思われるのではないでしょうか。私が韓国ではなく日本で江戸前のお寿司をいただくと、実に美味しく感じるのと同じように。

 (大妻女子大学准教授)
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