【コラム】槿と桜(70)

韓国の冷麺

延 恩株

 まもなく梅雨が明けて夏を迎えようとしています。そのため暑さ対策のクール商品が出回り始めています。
 私が知っているモノでも、濡らして軽く絞ってさっと振ると一気に冷え冷えになるタオル、保冷剤を入れて首に巻くスカーフもどきのモノ、冬のほかほかカイロの夏版と言える、強くたたくと急激に冷えるポケットに収まる袋、さっと塗るだけでひんやりするローションタイプのモノ、手に収まるような電動小型扇風機等々、こうした商品はかなりたくさんあるようです。さらに今年は真夏のマスク対策としてひんやりマスクもいくつか商品化されています。

 一方、韓国では、暑いから熱いスープ料理や鍋料理を食べ、「以熱治熱」(이열치열 イヨㇽチヨㇽ;熱を以て、熱を治める)という考え方が伝統的にあります。熱い料理を食べて汗をいっぱい出し、ひんやり感を大いに味わいましょうというわけです。
 でも、やはり冷たい水やお茶、かき氷などの喉越しの清涼感は夏の醍醐味と言えるかもしれません。こうした夏場の清涼感が味わえる日常的な食べ物に、日本なら冷たい素麺やそばがありますし、韓国では何と言っても冷麺(이열치열 ネンミョン)でしょう。
 日本でも「盛岡冷麺」「別府冷麺」などがあり、特に「盛岡冷麺」はご当地商品として、広く知られてきました。

 ところで、この冷麺を食べて、その食感から日本のそばを思い浮かべる日本の方はほとんどいないと思います。スープは肉のだしですし、盛りつけられるものは肉、ゆで卵、胡瓜、キムチ、梨、スイカ、トマトなどの果物等々です。固く締めた麺はかみ切りにくく、日本の蕎麦のつもりで食べるとびっくりするかもしれません。そのため、日本のそばと冷麺が結びつかないのは当然かもしれませんが、原材料は実は同じそば粉なのです。
 そばは、米を作るには不向きな寒冷で、土地が痩せていて、水はけの良い土地を好みます。そのため、あえて傾斜地で育てるほどで、干ばつにも強い作物です。このように、そばは通常の穀物や作物が育ちにくい土地でも収穫ができるため、かつては食糧飢饉などでの救荒作物、あるいは備荒作物と考えられてきました。

 このような性質を持ったそばですから、冷麺の発祥地は韓国ではなく、韓半島の北部、つまり現在の朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)なのです。北朝鮮の国土の大部分が山と丘陵による山岳地帯で平野部は少なく、農業に適していない土地が多い地域です。また気候は韓国以上に大陸性気候で、冬の寒さは韓国よりもさらに厳しく、夏場を除くと雨が少なく、干ばつや水不足で食糧危機のニュースが北朝鮮から聞こえてくるのがそう珍しくないのも、こうした地勢や気候とも無関係ではないでしょう。
 だからこそ、人びとの生活とそばが密接に結びついていて、辛くない、冷たいトンチミ(동치미 大根の水キムチ)に麺を入れただけという大変簡単な食べ方が冷麺の最初だったようです。

 現在では、韓国の代表的な食べ物のように思われている冷麺ですが、韓国の人が冷麺を食べるようになったのは、韓国戦争(朝鮮戦争とも。1950.6~1953.7)で韓国に逃れてきた北朝鮮の人びとが広めてからのことで、韓国での冷麺の歴史はそれほど長くありません。そのためでしょうか、韓国で食べる冷麺にも関わらず、店などでは「平壌冷麺(평양냉면 ピョンヤンネンミョン)」「咸興冷麺(함흥냉면 ハムンネンミョン)」と北朝鮮の地名がつけられているのが一般的で、「韓国冷麺」「ソウル冷麺」とはあまり聞きません。
 さらに、北朝鮮で食べられていた「冷麺」は、確かに冷たい麺なのですが、本来は夏場の食べ物ではなく、冬に暖まった部屋で食べる寒い時期の食べ物でした。現在の韓国では、夏の食べ物と考えられていて、その意味では、日本で馴染まれている冷麺は「韓国式冷麺」と言えるでしょう。

 冷麺は大きく「平壌冷麺」と「咸興冷麺」の2種類に分けられます。「平壌冷麺」は「水冷麺(물냉면 ムㇽレンミョン)」のことで、「咸興冷麺」は「混ぜ冷麺(비빔냉면 ピビンネンミョン)」のことです。
 地理的に言えば、「咸興」は日本海側に面していて、平壌より300キロほど北東側に位置する李氏朝鮮発祥の土地です。「平壌」は黄海に近いとはいえ海には面していません。韓国のソウルからやや北西におよそ200キロ移動したあたりです。この2つの地勢と風土の違いが異なる冷麺を生み出したとも言えます。その違いは簡単に言いますと、麺に入る具材の違いとスープの有無です。

 冷麺の作り方は日本のそばの作り方と異なります。
 麺はそば粉が主な原料で「平壌冷麺」には、緑豆粉が加えられ、つなぎに小麦粉などが使われます。「咸興冷麺」には、つなぎにジャガイモやサツマイモ、トウモロコシなどの澱粉が使われます。いずれも製麺機で練り、麺絞り出し機で押し出して(まるでところてんのように)作ります。
 日本のそばは、そば粉のほかにつなぎとして小麦粉を入れ、手で丹念に練ってから、そばを麺棒で延ばし、薄い板状にして専用の包丁で細く切ります。もっとも最近では日本でも麺絞り出し機で作っているところもあるようです。

 「平壌冷麺」はそば粉と緑豆粉が主な原料ですから、黒っぽく「咸興冷麺」に比べると嚙み切りやすいのですが、日本のそばと比較すると、やはり噛み切りにくいと思います。「咸興冷麺」は「平壌冷麺」とつなぎが異なるため、白っぽく、非常に嚙み切りにくい麺が売り物になっています。

 「咸興冷麺」「平壌冷麺」とも日本のそばと同じように茹でて、それを流水で丹念に洗いますが、上述しましたように、「平壌冷麺」は「水冷麺(ムㇽレンミョン)」ですから、牛肉や雉肉をじっくり煮込んだダシが本来のものです。ただ、最近は雉が手に入りにくくなったため、牛の脚の骨でダシを取ったりもします。このスープこそが冷麺の旨味の決め手と言ってもよく、スープがさっぱりしていてコクがあり、透明でないものは、それだけで失格ですし、さらに肉の臭みなどが残っていてもやはり失格です。
 旨味の出た冷たいスープに大根の水キムチ(トンチミ;酸味があります)を混ぜたり、薄切りの牛肉、胡瓜、大根、ゆで卵や梨、スイカ、トマトなどの果物を加えたりして、麺に乗せます。
 冷麺に必ず一緒に出てくるものがあります。それは酢とからしです。酢はさっぱり感を倍加させますが、スープに直接入れずに麺にかけるのがコツです。からしも辛さを求めるというより、やはりさっぱり感を味わうためです。また砂糖を入れる人もいます。

 もう一つの「咸興冷麺」は、混ぜ冷麺(ピビンネンミョン)ですので、スープ麺ではありません。コチュジャンなどの味噌類、唐辛子の粉、酢、ニンニク、生姜、ごま油、砂糖などを組み合わせた調味料(양념 ヤンニョㇺ 薬味)は一般的には辛めで、これを麺と混ぜ合わせ、肉、ゆで卵、胡瓜などが盛りつけられます。ただ、「咸興冷麺」としてよく知られているのは、エイ、カレイ、スケトウダラ、イカなどのフェ(회 さしみ)を混ぜて食べるフェネンミョン(회냉면 さしみ冷麺)です。海に面した地域だからこその郷土料理と言えます。
 「咸興冷麺」を食べるときには、特に「さしみ冷麺」の場合は、辛さや甘さを調節するために、醤油、塩、ニンニク、生姜、唐辛子などを細かく切って混ぜ合わせた辛い調味料のタデギや砂糖をお好みで使います。

 以上、代表的な冷麺2種類を紹介しましたが、このほかに、日本ではくず湯やくず餅、くずきりとして食べられ、漢方薬の葛根湯などの原料になるくず入りの冷麺「葛冷麺(칡냉면 チンネンミョン)」、夏場だけごく一般的な食堂で食べられる「大根葉キムチ冷麺(열무냉면 ヨㇽムネンミョン)」などもあります。
 私は「咸興冷麺」「平壌冷麺」とも好きで、夏になるとよく食べていましたが、日本に来てからは、食べる機会が減ってしまいました。でも韓国では、最近は1年中、食べることができますし、インスタントラーメンのように手軽に食べられる商品もかなり豊富に出回っていて、日本でも韓国食品を専門に扱っている店でよく見かけるようになりました。

 韓国人と冷麺の繋がりは70年に満たないのですが、今やすっかり韓国人の食生活に根づいていることがわかります。ただ、韓国にも古くからそばの産地があり、「咸興冷麺」「平壌冷麺」ほど、日本の方には知られていませんが、この地域の郷土料理となっていることを最後に触れておきます。
 2018年の冬季オリンピックが開催された平昌(평창 ピョンチャン)は、記憶に新しいと思いますが、この平昌がそばの産地なのです。平昌がある江原道(강원도 カンウォンド)は山岳地域が広く、1月、2月の降雪量が多く、稲作ができなかったためにそばの栽培が盛んになったようです。その郷土料理が「マックッス」(막국수)と呼ばれる「そば冷麺」です。これはほぼそば粉だけで作られ、少し小麦粉をつなぎに使う場合もあるようですが、 麺そのものの食感は日本のそばに近いでしょう。

 ただ、味付けはまったく違っていて、甘ずっぱい薄切り大根、胡瓜、ニンジンの千切り、海苔などをのせ、唐辛子入りの甘辛ヤンニョㇺ(양념 薬味 調味料)に、ごま油をたらして混ぜて食べます。これに「トンチミ」(동치미 大根の水キムチ)の汁などをかけて、からしや酢を加えて食べる人もいます。また鶏肉、あるいは豚肉、ゆで卵などが添えられることもあります。

 日本のそばに食べ慣れてきている私からしますと、この「そば冷麺」も「盛岡冷麺」ほどではないにしても、もう少し日本で食べられるようになったら、日本でのそばの世界がさらに広がるのでは、などと思っています。

 (大妻女子大学准教授)

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