【コラム】槿と桜(22)

韓国の徴兵制と若者たち(2)

延 恩株


 入隊した新兵には、最初の1か月間は厳しい基礎訓練が待っています。覚悟しているとはいえ、この期間は社会との関係がまったく遮断され、携帯電話などの私物は没収、食事や入浴時間も制限され、軍隊式の立ち方、座り方、歩き方まで規則で縛られることになります。ですから個人主義的な考え方が浸透し、かなり自由に生活してきている最近の韓国の若者たちには、大変過酷に映るはずです。

 たとえば、軍事訓練そのものではないのですが、頭髪は短く刈り揃えなければなりませんし、支給されるのは軍服だけでなく、下着や靴下まで決められた物を身につけなければなりません。

 こうした訓練の厳しさ、規則の厳格性などから、なんとかして徴兵から逃れようとする若者が出てくるわけですが、その要因はこれだけではありません。もう一つ深刻な要因があります。いじめです。

 韓国では、軍隊内でのいじめ問題が発覚して、社会問題となるのはそう珍しくありません。閉鎖的で、抑圧的な空気が色濃く、鬱屈した気分に陥りがちな軍隊という特殊な社会であるからこそ、いじめも頻発するのだと思われます。

 今からちょうど2年ほど前の2014年6月21日、江原道(강원도;カンウォンド)高城(고성;ソン)郡で一人の兵長が同僚5人を射殺、7名を負傷させて逃走し、投降説得中に自殺未遂を起こした事件は、日本でもかなり大きく報道されましたから、覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 この衝撃的な事件の原因がどうやらいじめにあったようです。兵長の遺書らしいメモによりますと、周囲の兵士たちから無視され、部隊生活が辛かったことなどが記されていたということです。その後の調査ではこの兵長が仲間外れにされ、先輩兵士たちはいじめを繰り返し、後輩たちからも相手にされなかったということが明らかにされました。

 それでなくても閉鎖的な組織の中で、孤立無援となり、精神的に追い詰められていったらしいことは容易に想像できます。

 この事件でもわかりますが、青春時代のおよそ2年間を軍人として生きなければならず、信頼できる友人でも軍隊内にできれば耐えられるのでしょうが、性格的に内向きで、心から話ができる相手がいない者にとっては、特につらく苦しい日々に違いありません。
 したがって厳しい訓練や厳格な規則に加えて、こうした軍隊内でのいじめが頻繁に起きているとなれば、なんとか徴兵から逃れようとするのは人情というものでしょう。

 この徴兵逃れのための手段は様々です。ただ私がその方法について書けるということは、徴兵逃れが失敗し、不正な方法が見破られたからで、まんまと成功した人がどのような方法を使ったのかは闇の中というわけです。

 合法的に兵役が免除される場合もあります。次のような条件に合えば免除対象となります。
 たとえば、兵役に就く本人が一人っ子で、高齢の両親を扶養しなければならず、保有財産が少額の人です。

 そのほか次のような人たちは、ごく限られた選ばれた人たちと言っていいのでしょうけれど、韓国のために貢献した人として、兵役が免除されます。たとえば、スポーツで大きな功績を残した人で、これは目に見えますから明快といえば明快です。
 オリンピックで銅メダル以上を手にしたり、サッカーのワールドカップで好成績を残したりした選手などがそうです。残念ながら日本でも人気のあるタレントやK-P0P歌手などはこうした対象にはなれないようです。

 そのほかには、優れた頭脳を持ち、韓国に大きく貢献したとされる、あるいは期待される人も免除される場合があります。でもこちらはその判断基準がスポーツほど明快ではなく、不透明感があるのも事実です。

 国外で永住権や市民権を取得した人も兵役免除の対象となります。そのため、兵役から逃れるために敢えて国外、特にアメリカでの永住権などを取ろうとする韓国人の男性は少なくありません。

 もちろん身体の不自由な人や重い病気を患っている人など、兵役義務が果たせない人なども免除されます。

 変わっていると言うのか、奇妙と言っていいのか、複雑な思いにさせられるのが、全身の3分の1以上に刺青がある人は兵役免除ではなく、入隊が禁止されるということです。

 当然のように、こうした刺青を意図的に入れて、兵役から逃れようとする人が出てきます。このほか徴兵逃れの手段には、徴兵検査で採取した尿に薬物を入れて、腎臓疾患者と判定させたり、みずからの肉体を破損させて障碍者となったり、国外永住権獲得など様々ですが、宗教的な信念などから徴兵拒否をして逮捕、収監の道を選ぶ人もいます。

 韓国の若者にとって徴兵制度(兵役義務)は、国防が全国民の義務として位置づけられていますから、決して避けて通れないものになっています。でも韓国政府は、こうした制度が若者に歓迎されていないこともよく知っています。しかしその一方で、現在の北朝鮮との現実からは、国防をおろそかにできないことを韓国の国民が十分に理解しているという認識も政府は持っています。何よりも韓国人がこの徴兵制度を受け入れていることがその証左でしょう。上述しましたように、少数の違反者はいるのですが・・・。

 一方、韓国政府としては、一人の違反者も出さずに、一定の年齢に達した若者が徴兵検査を受け、兵役に就くことを望んでいることは明らかです。そこで様々な方策が取られてきています。

 兵役期間の短縮や友人と一緒の入営などがそうです。また今年の1月30日からは、兵営内での受信専用、しかも共同使用のようですが、携帯電話を兵舎内の各生活室に1台ずつ割り当て、兵士が使えるようにしたようです。

 これまで服務中の兵士は、家族などへの連絡は部隊内の公衆電話などを使うしかなかったのですから、たとえ受信だけとはいえ、電話とメールが携帯電話で可能になったことは、兵士たちの精神面での安定をもたらす一助にはなるのではないでしょうか。

 世界的に見れば、現在、徴兵制度を導入している国は次第に減少する傾向にあります。しかし北朝鮮と休戦状態が続いている韓国では、この徴兵制度を廃止することはできないでしょう。

 私は韓国人として、現時点では徴兵制度を容認せざるを得ないと考えていますが、未来永劫、この制度を維持することには反対です。この制度を一日でも早く廃止するために何が必要かと言えば、答えはあまりにも簡単明瞭です。

 北朝鮮との対立構造が消え去ることであり、世界のあらゆる地域に存在する対立構造がなくなることです。

 誰もがわかっていることです。それにもかかわらず、この簡単明瞭なことが実現できないのも厳然とした事実です。

 結局、行きつくところは、私ができることを少しずつ、こつこつと積み上げていくしかないのでしょう。
 私にできること? 日本で生活する韓国人として、日本の方に韓国を知っていただくこと、韓国人に日本や日本人について語って聞かせること、まさに『オルタ』編集者が私に与えてくださったコラムの名称「槿と桜」のように、この2つを私自身のものとして、実践していくしかないようです。

 (筆者は大妻女子大学准教授)


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