【コラム】槿と桜(100)

韓国版マイナンバーカード

延 恩株

 2023年1月6日、日本の松本総務大臣が年頭の会見で、マイナンバーカードの累計の申請件数が2022年12月27日時点で、およそ8300万件に達し、運転免許保有者数8190万(2021年末)を超え、顔写真付きの本人確認書類では最も普及したものになったと述べていました。
 日本では、2016年1月からこのマイナンバー制度の導入が始まりましたから、7年間で申請がおよそ8300万件に届いたことになります。この制度をめぐっては、導入当初から個人のすべての情報がマイナンバーにひも付けされ、国によって管理されるのではないかといった不安や抵抗感がありました。さらに個人情報の流出、他人による悪用などを危惧する声も多くあり、それは現在も解消されているわけではなく、国民のおよそ3分の1がまだ申請していないことからもわかります。
 このような状況だからでしょう、政府は2023年度中にほぼすべての国民にマイナンバーカードを普及させようと、2月末までにマイナンバーカードを申請すれば、最大2万円分のポイントを還元すると宣伝して、「マイナポイント第2弾」(2022年1月1日~2023年2月末予定)を実施しています。マイナンバーカードを新規取得すると5,000円分、健康保険証の利用登録をすると7,500円分、さらに公金受取口座の登録をすると7,500円分相当のポイントが与えられるというものです。「マイナポイント第1弾」(2020年9月1日~2021年11月末)では5000円分相当のポイントでしたから、ひも付き項目を増やし、ポイントを増やしていることがわかります。
 それでも国民のおよそ3分の1の人びとが申請していませんから、それだけマイナンバーカードへの不安や抵抗感が依然としてつきまとっているからなのでしょう。さらにはマイナンバーカードの必要性を感じないという人も少なくないようです。
 それだけに、政府は丁寧な説明を繰り返し、長い時間をかけるつもりで、十分な理解を得ることが必要のようです。

 一方、韓国は「マイナンバーカード」という言い方はありませんが、「住民登録番号」制度が導入されています。この制度は日本よりずっと早く、1962 年に制定された住民登録法に基づいています。住民登録番号は、日本の住民票のような役割も果たすもので、生年月日、性別、住んでいる地域などが記されています。そして、1968 年からは国民一人ひとりに「住民登録証」(カード)が発行され、17歳以上の国民はこの「住民登録証」を持たなければいけないことになっています。私ももちろん持っています。このカードの表には、氏名、住民登録番号、写真、現住所、発行区役所名などが記され、裏面には住所変更欄のほかに指紋が登録されています。
 指紋が登録されていますから、本人確認という点では、これほど確実なものはなく、日本のマイナンバーカード(氏名、本人顔写真、住所、生年月日、カード有効期限、カード番号)に比べるとその意味では厳正さがあります。
このように指紋まで登録されていますのは、「住民登録証」が単なる身分確認のためのカードでないからです。多くの〝ひも付き〟になっているからです。日本ではこの〝ひも付き〟が上述しました理由などによってマイナンバーカード申請が進まないわけです。
 ところが韓国では、「住民登録証」はまったく逆の状況にあって、住民登録法制定から60年が過ぎて、生活の中にすっかり根づいてしまっています。ですから「住民登録証」を持つのは当然と受けとめています。日本ではマイナンバーカード導入を決めてから7年過ぎるのに、まだ3分の1の国民が登録していないと知ったら、韓国人の多くが理解不能に陥ると思います。
 なにしろ「住民登録証」一枚あれば、本人確認は言うまでもなく、税務関係、 医療関係、教育、銀行・金融関係、保険、年金・福祉関係、不動産関係、出入国ほか、あらゆる分野の手続き関係がすべてできてしまいます。

 生活に浸透した「住民登録証」がどのように使われているのか、例をあげてみましょう。
 町の医院に行ったとします。日本では、初診の場合ですと、保険証の提示が求められるだけでなく、氏名、年齢、生年月日、来院の理由から症状、既往症等々、かなりの項目をその場で記入させられます。そして、診察が終わると料金支払時に診察券が渡されます。
 一方、韓国では保険証も診察券も必要ありません。「住民登録証」を提示すればいいのです。この登録証に記された住民登録番号が「私」という人間の情報を把握しているからです。ですから風邪の治療に行ったときに、看護士から〝インフルエンザの予防ワクチンを受けていませんね。肺炎のワクチンも〟などと言われてしまうことがあるのです。
 つまり病院(医院)は来院した人が「住民登録証」を提示さえすれば、健康保険の加入非加入、初診か再診か、過去の受診経歴、投薬記録までも把握できてしまうのです。そのため日本のように月が変わるごとに保険証を提示する必要もなければ、「お薬手帳」のようなものもありません。
数年前、韓国でクリニックに寄ったことがありました。受付で「住民登録証」を提示すると、〝現在、健康保険が止まっていますので診療代は全額支払いになります〟と言われました。確かに健康保険は私が韓国を離れ日本に来てからは止めていました。そこで、一時的に保険料を支払えば、診療代は保険扱いになりますから保健所に連絡をしました。手続きは本人確認のため「住民登録番号」を言えば、それで済みます。
 ところがその時、我ながら日本での生活が長いことに気づかされました。保健所の担当者は、私がいつ韓国に入国したのか把握していて、出国の予定も確認しながら保険料の一時払い込み手続きの説明をしてくれました。実は私のパスポートには「住民登録番号」が記載されているため(2020年からは「住民登録番号」は削除)、保健所でも私の出入国情報を掴むことができてしまうのです。日本では考えられないことです。その便利さに感心すると同時にここまで個人情報が広範囲で把握されていることに不安もおぼえました。
 
 そのほか、日本の銀行で定期預金を解約したり、機械では受け付けない高額の預金を引き下ろしたりする場合には契約したときの印鑑だけではなく、必ず本人確認ができるもの(免許証、保険証、パスポート等々)の提示を求められます。車を運転する人でしたら免許証を携帯しているのでしょうが、そうでないと、保険証やパスポートを日常持ち歩くとは限りません。そうなると出直さないといけなくなります。
 でも韓国では、「住民登録証」、あるいは住民登録番号が記載されている免許証や障害者手帳などでも本人確認が可能です。
 
また、キャッシュレス化が進む韓国では、10万ウォン(日本円で約1万1千円)を超える単位の「紙幣」を使って買い物をする場合は、紙幣の裏面に住民登録番号の記入を求められます。

 このように韓国では住民登録番号が公共機関や組織と「私」という個人が繋がっている〝縦〟の関係だけでなく、公共機関や組織が〝横〟の関係で「私」という個人の情報を把握できることになります。つまり「私」の知らないところで「私」の多くの個人情報を〝横〟の関係でも知ることが可能なのです。
 
 韓国でこのような住民登録番号制度がすんなり実現したのには、日本と異なる事情があったからでした。
韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日)で休戦協定が成立しましたが、現在でも休戦中というだけで、いつ戦争になっても不思議ではない状況にあります。北朝鮮との政治的、軍事的緊張関係が現在よりもさらに厳しかった1950~60年代、韓国政府は国民の動向を把握する必要性がありました。そこで、すでに述べましたが、1962 年に住民登録法が制定されました。当時は国民の移動などを把握する程度でしたから、現在の日本の住民票の役割と言っていいと思います。ところが、1968年1月に北朝鮮のゲリラ部隊が朴正煕(박정희 パク・チョンヒ)韓国大統領(当時)を暗殺する目的で大統領官邸を襲撃する事件が起き、さらに北朝鮮工作員が韓国に侵入する事件が相次ぎました。
 当時の韓国政府に衝撃を与えたことは言うまでもありませんでした。こうして北朝鮮からのスパイ潜入や妨害事件を防ぐために住民登録番号制度を改正し、1968 年11月からは国民一人ひとりに「住民登録証」(カード)が発行されるようになりました。
 北朝鮮との緊張関係がいかに強かったのかは、1970年の建築基準法改定で、ソウルで家を新築する際には防空壕として地下室を作ることが義務づけられたことからもわかります。

 韓国では、このような大きな理由で「住民登録番号制度」が導入されましたから、韓国民からはほとんど抵抗なく受け入れられ、すっかり定着しているわけです。今や韓国では、「住民登録証」と携帯電話を持たないと、日常生活さえ難しくなると言っても言い過ぎではありません。身分証明やコロナワクチン接種情報は住民登録番号で管理され、しかもその情報が携帯電話につながっているからです。いずれにしても煩わしい手続きも簡素化され、何事にも楽に処理できるメリットは大きいと言えます。

 おそらく私も韓国で生活していたら、こうした「住民登録証」の便利さに疑問を持たなかったと思います。でも、住民登録番号には個人情報がたくさんひも付けされていますから、情報流出事故が起きますと大きな被害を受けますし、他人の番号を記憶して、電子上での〝なりすまし〟による盗用も可能です。実際、こうした事故や事件はなくなっていません。また個人情報データ入力ミスも起きています。
 ネット社会ではどうしても起きてしまう事故として片付けてはいけない問題であるはずです。でも、韓国では現在も官庁、民間を問わず個人情報の流出事故が珍しくありません。そのたびにセキュリティ強化を図る対策が取られてきていますが、完全になくすことは難しいと言えます。

 韓国人の多くが住民登録番号に不安を持たず、抵抗感なく「住民登録証」を提示している日常生活に日本に住む私としては複雑な気持ちになります。なぜなら日本ではプライバシーの保護、個人情報の漏洩にはかなり敏感で、神経を使っているからです。もちろん私が勤務している大学でも同様ですし、私もそうした空気に慣れてしまっています。
 日本の政府もそうした国内の空気を把握しているのでしょう、現時点ではマイナンバーカードの申請は義務ではなく任意とされています。将来的には韓国のように幾つもの紐付けを考えているとは思うのですが(デジタル庁は健康保険証については2024年秋にもマイナンバーとの一体化を目指していることを公表しています)、韓国のようにスムーズに実現できるとは思えません。
すでに述べてきましたように、個人情報漏洩のリスク(紛失、盗難などによる)、セキュリティ体制への不信感(他人による盗用、悪用)、銀行口座との紐づけへの不安(資産状況が把握されてしまう)、さらには通知カードで間に合っている(身分証明書としては使えませんが)、必要性を感じていない、といったさまざまな理由で日本では政府の思い通りにはマイナンバーカード制度の導入は進んでいません。

 でも私はこれでいいと見ています。日本(人)には日本(人)の常識があって、その常識の中でマイナンバーカード制度の導入が動いていると思うからです。韓国(人)には韓国(人)の常識があって住民登録制度が一気に導入され、便利さを享受しています。国や地域が異なれば異なった常識があるのは当然なのですから。
 大妻女子大学准教授

(2023.1.20)
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