【コラム】槿と桜(109)

韓服

延 恩株

 「チマチョゴリ」(치마저고리)と聞けば、多くの日本の方は「韓国の伝統的な民族衣装」を指す言葉として思い浮かべるのではないでしょうか そのように思うことに間違いはないのですが、より正確に言えば「チマチョゴリ」は「韓国の伝統的な民族衣装」の一部であってすべてを指しているわけではありません。なぜなら「チマ」(치마)はスカートのことで、「チョゴリ」(저고리)は上半身に着る衣服のことです。つまり「チマチョゴリ」は女性用の民族衣装を指しているのです。ですので、男性用の伝統的な民族衣装は「チマチョゴリ」ではなく、「パジチョゴリ」(바지저고리)と言います。「パジ」(바지)はズボンのことです。このほかにも子供用の「セクトンチョゴリ」(색동저고리)などもあります。
 そして、スカートの意味の「チマ」、ズボンの意味の「パジ」は民族衣装に対する名称ではなく、現在、日常生活の中でも「スカート」「ズボン」の意味として一般的に使われています。
 そのため、韓国人は民族衣装を指す場合「チマチョゴリ」とは言いません。「ハンボク」(韓服 한복)と言います。日本の「和服」という言い方に当たります。なお北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)では「チョソノッ」(朝鮮服 조선옷)と呼んでいます。

 韓服は高句麗時代(紀元前37年頃~668年)の壁画に描かれていた服装が原型と言われていますので、少なくとも2000年ほど前に朝鮮民族の生活に入っていたことになります(壁画には中国北方地域に住んでいた匈奴や鮮卑と呼ばれた遊牧騎馬民族の服装に似ていて(胡服)、筒袖の上衣にズボンという上下で別れた衣服が描かれています)。高句麗時代の韓服は男女の区別はほとんどなく、チョゴリ(上衣)は男女とも腰より下まである長めのもので、下半身には女性は「チマ」ではなく、男性と同様に「パジ」をはいていたようです。おそらく男女とも戸外での作業など、活動的な動きに適した実用服だったと思われます。

 高句麗時代以降、百済、新羅(以上「三国時代」と呼びます)と時代が移り変わっていきますが、服装も時代によって変わっていきました。これには政治、宗教、国外からの影響など、さまざまな要因が絡んでいました。
 いずれの時代も中国の衣装と仏教の影響を受けていましたが、特に貴族たちには中国の影響が強く、百済は新羅より華やかで、女性的だったとされています。また新羅の貴族たちも中国の服飾文化を積極的に受け入れていたようです。そして、三国時代に共通していたのは、上衣の丈が長く、袂がゆったりしていることでした。

 三国時代のあと、918年に王健(ワンゴン 왕건)によって建国された高麗は、新羅同様に仏教を保護しました。そのため、寺院は歴代の王や貴族たちの庇護を受けてその勢力を伸ばしていき、仏教文化が盛んになりました。高麗4代王・光宗(クァンジョン 광종 949~975年)の即位の後、袖の色を身分などの違いによって4色に分けました。13世紀には北方からのモンゴル族の侵入によって、その文化的影響も大きく、たとえば肉食をするようになったのもこの頃からでした(仏教は肉食を禁じていました)。高麗時代末期には韓服も短い丈の上衣が流行し、モンゴル服の影響で「コルム」と呼ばれる上衣の合わせ部分を止める結び紐が使われるようにもなりました。

 高麗時代のあと、1392年に李成桂(イソンゲ 이성계)によって建国された朝鮮王朝時代は仏教が否定されて、国体を維持する思想的な支えとして儒教がとってかわり、それにともなって身分秩序が重んじられるようになりました。そのため服装についても身分、年齢、婚姻の有無などによって服装が区別されるようになりました。
 たとえば、大臣や役人は「官服」(クァンボク 관복)という宮廷内での制服にあたる服を着ていましたが、身分などによって服の色が異なっていました。高麗時代と朝鮮王朝時代とでは服のデザインも色も同じではありませんし、同じ王朝でも時代によって色が違っていました。いずれにしても身分や位階(正一品、正二品といった位)によって着てよい服、着てはよくない服があったのです。

 韓国の朝鮮王朝時代中期以降を時代背景としたテレビドラマなどにもさまざまな色の服が登場しますが、非常に大雑把な見分け方としては、
 王   濃い赤
 王族  あずき色
 役人  大臣級は赤、中堅役人は青、下級役人は緑
 女官はチマ(スカート)とチョゴリ(上衣)を着ていますが、位階が上の者はチョゴリが薄緑、チマが藍、位階がない者はチマが青、チョゴリが薄ピンク
 といった違いがあったようです。
 しかし朝鮮王朝時代は良質な染料が国内にはなかったため、中国から染めた布を買っていましたので、色鮮やかな服は高級品でした。一般庶民には縁遠く、身分制度が厳しかったため、鮮やかな色で染めたり、模様の入った服は禁じられ、多くの人が麻製の服を着ていましたから、くすんだ象牙色の服だったと思われます。
 両班(貴族、知識人階層)であっても服は単色染めが多く、刺繍入りの服が着られたのはかなり裕福な人か王族に限られていたようです。

 一般庶民は時代による変化はそれほど大きくなく、男性は簡素なパジチョゴリ、女性はチマチョゴリを着ていました。朝鮮王朝時代中期頃からチョゴリの丈がだんだんと短くなって、末期には現在の長さになりました。このように、現在一般的に着用されている韓服は朝鮮王朝時代の庶民の服が原型となっています。
 とはいえ、現在では鮮やかな色が使われていますし、現代的なアレンジが加えられて、デザインや形が変化して、より機能的な韓服も作られてきています。
 なお、韓服の仲間なのですが、特別な行事、たとえば、祭祀での伝統衣装を「祭礼服」(제례복 チェレボック)、結婚式での「婚礼服」(혼례복 ホルレボック)、葬儀での「喪服」(상복 サンボック)と呼ぶ衣服もあります。
 また男性の韓服では、チョゴリとパジだけでなく、チョッキやマゴジャ(마고자 チョゴリの上に重ねて着る上着)を着たり、さらにトゥルマギ(두루마기 いちばん外側に着る丈の長い外套)は主に外出用の服となり、礼服としても通用する服装となります。

 なお、これまでたびたび触れてきましたチマチョゴリやパジチョゴリはそれだけを着ればよいのではなく、中に着る下着などが必要です。たとえばチマチョゴリですと、

・汗染みや透けを防ぐために「チョゴリ」の下に着る内着の「속저고리 ソックチョゴリ」
・チマの下につける「속치마 ソックチマ」
 チマの広がりを調整する役割もあり、1段、2段、3段と重ねてつけることもでき、フワッとした感じが出せます。
・ソックチマの下に履くズボンの形をした下着の「속바지 ソックパジ」
 といったものを身につけなければなりません。
 さらに日本の和服でも足袋や下駄がありますが、韓服にも同じように「ポソン」(버선 靴下)と「コッシン」(꽃신 刺繍靴)を履くことになります。

 残念ながら、現在、韓国では韓服を名節(명절 ミョンジョル)や誕生日、婚礼、葬儀などの冠婚葬祭やフォーマルな場所以外ではほとんど着ることがなくなってきています。
 生活様式がすっかり変わってしまったことが大きな理由と考えられますが、身支度をするのに手間がかかるという理由もあるのではないでしょうか。さらにそれなりの韓服を一式揃えるには費用が安くないという理由もあると思います。
 でも、韓国の伝統的な民族衣装(韓服)が消えてしまうことはないでしょう。多くの韓国人が年に数回しか着ない韓服ではあるのですが、強い愛着を持っているからです。もちろん私もその一人です。

 現在、朝鮮王朝時代の王宮だった景福宮(キョンボククン 경복궁)周辺には韓服のレンタルショップが多くあります。と言いますのは、朝鮮王朝時代にタイムスリップしたような景福宮周辺を韓服を着て散策してみたくなる観光客が多くいるからなのです。若い韓国人だけでなく、ここを訪れる外国人観光客(特に日本人や中国人)なども韓服を着てみたいと思うようです。
 そのような観光客の心理に対して粋な計らいと言えるのは、韓服を着て景福宮を参観すると入場料が無料になるというものです。観光客誘致と伝統的民族衣装奨励という一挙両得を狙った施策なのかもしれませんが、私としては、このような試みからも民族衣装を残し、守ろうとする姿勢が窺えて嬉しくなります。

大妻女子大学教授

(2023.10.20)
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