【コラム】
槿と桜(80)

食べると飲む

延 恩株

 日本の方に「「食べる」と「飲む」、この二つの動作をしてみてください」とお願いすれば、ほとんどの人が間違いなく口をもぐもぐさせるのと、吸い込むようにする二通りの動作をすると思います。つまり「食べる」は口に固形物が入ったときで、「飲む」は液体が口に入ったときです。
 ところが韓国では、この「食べる」(먹다 モㇰダ)と「飲む」(마시다 マシダ)は日本のように単純ではありません。

 よく例示されるのが「薬」です。
 日本では「薬」に使われる動詞は「飲む」です。ところが韓国では「食べる」が使われます(ただし、液体類は「飲む」です)。日本語で考えますと「薬を食べる」などと言ったら笑われてしまいますが、韓国では「薬を食べる」が「薬を飲む」の意味になります。そのため、「약 먹었어?」(ヤン モッコソ 薬食べた?)が正しい言い方になり、日本語的に「약 마셨어?」(ヤン マショッソ 薬飲んだ?)とは、液体の薬以外には言いません。

 ただし、敢えて「食べる」(먹다 モㇰダ)ではなく、「する」(하다 ハダ)を使う場合があります。通常は使わない表現ですから特別な意味があって、「약을 하다」(ヤグㇽ ハダ 薬をする)の「薬」は麻薬を指します。そういえば、日本語でも「薬(やく)をやる」などと表現して麻薬に手を出す意味になりますから、それと同じだと言えるでしょう。

 ちなみに中国語でも薬は「飲む」(喝 ホー)ではなく「食べる」(吃 チー)という表現を使い「吃薬」(チーヤオ)と言います。韓国と中国は同じ表現なのです。歴史的には漢字文化圏にあった韓国ですから「薬を食べる」という表現も中国から入ってきた可能性を否定できませんが……。
 それでは、英語では薬は「飲む」「食べる」のどちら? 実はどちらも使いません。英語で「薬を飲む」は、“drink”ではなく“take”を使います。薬は「飲む」ものでも「食べる」ものでもなく、「取り入れる」という発想があるようです。

 それではもう一つ、純粋に液体であるビールではどうでしょうか。
 ここでも日本の方が「おやっ」と思うことが起きます。日本では決して「ビールを食べる」とは言いません。ところが、韓国では「맥주를 먹다」(メッチュルㇽ モㇰタ ビールを食べる)と、ごく当たり前に使います。ただし、ビールの場合は薬と違って、日本と同じように「ビールを飲む」(맥주를 마시다 メッチュルㇽ マシダ)と言っても構いません。

 韓国では、ビールと同じ発想なのですが、液体の水、コーラ、酒などもすべて「食べる」(먹다 モㇰタ)と「飲む」(마시다 マシダ)の併用ができます。日本ではあり得ないことですが……。
 一方、英語は日本と同じようにすべて“drink”です。中国語も同様にすべて「ホー」(飲む)です。

 では、スープはどうなるのでしょう。
 韓国では「食べる」と「飲む」のいずれも使います。ただしどちらでもいいというのではなく汁やスープだけならば「飲む」(마시다 マシダ)ですが、スープや汁に具も入っていて具も一緒に食べる場合は「食べる」(먹다 モㇰタ)で表現します。ただ、もしも具は食べずにスープだけ飲んだ場合は「飲む」というのが一般的です。

 たとえば、参鶏湯(삼계탕 サㇺゲタン)の場合は、内臓を取ったニワトリのおなかに餅米や朝鮮人参、ナツメ、ニンニク、栗等を詰め込んで煮込んだ滋養豊かなスープで、通常はこのニワトリ等も食べますしスープも一緒に飲みます。ですから「食べる」という動詞が使われます。韓国語の用法としては当然と言えます。面白いのは日本の方も参鶏湯だけは「飲む」とは言わないで、「食べる」と言っていることです。「湯」はスープという意味なのですが。

 韓国では汁物、スープ類に使われる動詞は主に「食べる」で、時には「飲む」でも表現できます、と説明するのがわかりやすいかもしれません。これには韓国での食事のスタイルが大きく関わっていると思います。日本では茶碗やお椀は手に持って食べます。でも韓国では、食器は基本的には手に持ちません。テーブルに置いたままスプーンや時には箸を使って食べます。茶碗などを持って食べるのは無作法と見られ、ご飯もスプーンで取って、口に運びます。汁物も同様です。つまり「飲む」より「食べる」と言った方がむしろ自然だと言えます。

 私がこのように考えるのは、欧米でも韓国と同じく、基本的には食器を手に持って食べたり、食器に直接、口をつけて飲んだりすることはエチケット違反です。そのため、お皿からスープを飲む時にはフォークやスプーンがついてきて、スプーンですくって飲みます。そして、「スープを飲む」の動詞は“drink”ではなく、“eat”を使い、“eat soup”と表現します。このように「スープを飲む」に「食べる」という動詞が用いられるのを見ますと、決して韓国だけの特殊な言い方でないことがわかりますし、食事のスタイルが関わっているらしいことが窺えるのです。

 この理解を補強することになるだろうと思えるのが、スープ・カップのような取っ手がついた容器の場合です。この時には直接、口をつけて飲みますから、英語では“drink soup”と表現し、「食べる」(“eat”)ではなく「飲む」(“drink”)が使われています。

 さてこのように「食べる」と「飲む」の表現を見てきて、日本語での「食べる」と「飲む」は、「固形物」と「液体」の違いで、非常にすっきり分かれていると思っていました。ところが、日本の食事では欠かせない一品とも言えるみそ汁になりますと、具もそれなりに入っていますし、地域による違いもあるからなのでしょうか、かなりばらつきがあることを今回初めて知りました。
 『現代日本語方言大辞典』(明治書院 1992年)を見ますと、みそ汁は日本全国で使われている「飲む」のほかに「食べる」「吸う」「啜る」とも表現されているようです。

 特にみそ汁を「食べる」としている地域が山口、香川、愛媛など大阪より西の地域に多く見られるようです。ただ私の推測にしかすぎませんが、「みそ汁を食べる」と表現するのは地域限定とは言えず、正確な数はわかりませんが、それなりに多いのではないかと思っています。その理由は、みそ汁は具が多少にかかわらず入りますから、「食べる」という感覚もあって、「みそ汁を食べる」と言ってもあまり不自然ではないからです。
 その証明になるかもしれませんが、「豚汁を食べる」と言って、あまり違和感を抱かない日本の方は少なくないようです。

 そして今回、このような文章を書いて気がついたのですが、もし「食べる」、飲む」どちらを使うのが適当か迷ったとき、日本語には素晴らしい表現があります。それは「いただく」です。

 (大妻女子大学准教授)
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