【アフリカ大湖地域について考える】

(10)アフガニスタン難民を歓迎

大賀 敏子

 ◆ 旅人をもてなす

 東アフリカにこのような言い伝えがある。「旅人のことは歓迎しなさい。食事を出し、寝床を用意して3日間もてなしなさい。4日めからは農具を持たせ、一緒に働いてもらいなさい」

 その昔、農業は家族単位だった。一夫多妻、子だくさんのため、家族だけでも相当な人数だったが、農繁期にはもっと人手がいる。そんなとき人を雇うのではなく、それぞれの家族が、家族の垣根を越えて“若い衆”を融通しあう。駆り出されたら数日間は泊りがけだ。お互い様だからお金を払うわけではないが、助けに来てくれた人のことは食事と宿泊でていねいにもてなす。言い伝えが生まれたもともとのイメージは、こんな感じだっただろう。
 伝統が失われつつあるとは言え、これはいまも完全に忘れられてしまったわけではないと筆者は感じている。誰かを訪ねると、いつも恐縮してしまうほどの歓待を受ける。

 「ウガンダのドアは、難民に対していつも開いています―歓迎するのは人道的決断にはとどまりません、難民は国に貢献してくれるからです」(2021年9月23日、アルジャジーラ)
 このような表題の、ウガンダのオドンゴ外務大臣の投稿をみて、この言い伝えを思い出した。

 アメリカ軍主導で、12万を超える人々がアフガニスタンを緊急出国した(8月末現在)。どこへ行けばいいのか? カナダ(2万人、のちに4万人に増加)、イギリス(5,000人)などが受け入れを表明する一方、大勢のシリア難民を引き受けたばかりのいくつかのEU加盟国など、いまは難しいという国もあった。このなかでウガンダは、2,000人のアフガニスタン難民を歓迎すると表明し、8月下旬には最初のグループが到着した[注]。

[注]これとは別に、アフガニスタンと国境を接する国々への人々の流入は続いている(2021年8月現在)。

 ◆ 150万人をホストする

 ウガンダは世銀の分類ではいまのところ低所得国だ。東京オリンピックのウガンダ選手団の一人が、日本で働きたいと宿泊施設から姿を消して話題になった。ウガンダのメディアでは、外国で働けばこんなに儲かりますといった類の広告が散見され、少しでも条件が良いのだろうか、ケニアで働くウガンダ系の人には確かにしばしば出会う。つまり、多くのウガンダ人が、一旗揚げるには国を出るしかないと考えている(オルタ広場第40号の拙稿を参照されたい)。というのに、わざわざ難民を歓迎するとはどういうことなのだろうか。

 外務大臣はこう言う。ウガンダはもともと難民にやさしい国である。古くは1940年代、ポーランドからの亡命者を受け入れた(オルタ広場第41号の拙稿を参照されたい)のをはじめ、2020年現在、150万に近く、アフリカで最大規模の難民(大部分が南スーダンとコンゴ民主共和国(DRC)からの人々)をホストしている。コロナ禍で確かに国内もたいへんだが、さらにアフガニスタンから2,000人をホストする理由は、第一に、盟友であり、パートナーであり、同盟国であるアメリカに頼まれたから、第二に、多くのウガンダ人がかつては難民だった、ゆえに難民のことを他人事と思えないから、そして第三に難民が来てくれること自体が国への貢献となるからだ、という。

 ◆ 大湖地域は一体

 アフリカ大湖地域はつねに難民を抱えてきている。第二次大戦中のポーランド亡命者の受け入れはイギリス植民地政府の政策であり、アフリカ人側から出てきたものではないが、1960年代の独立以降、たとえばウガンダのムセベニ大統領自身、70年代のアミン治政下でタンザニアに逃れていた。隣国ルワンダのカガメ大統領も、政権をとる前はウガンダの難民だった。

 そもそも歴史、文化、言語、気候などで、大湖地域は一体だ。難民という言葉のかわりに、人々の移動と交流と言い換えれば、それには数百年の歴史がある。19世紀末のベルリン会議で、ヨーロッパ諸国が植民地を分割しあう目的で国境をひいてしまったので「外国」になってしまっただけだ。言葉が通じ、生活文化が共通なのだから、経済活動なり、教育なり、行ったり来たりする理由はいくらでもある。

 バーがおりていて、バーの両側にそれぞれ異なる国旗がひるがえる、陸の国境はおおむねこんなイメージだ。出入国管理、検疫、税関などが、こじんまりとしてはいるがそれぞれの事務所を置いている。声をはり上げれば国境越しに会話ができるだろうが、軍服で銃を持った人が見張っていて、筆者のように明らかに外国人と見える者は、うっかり近づけない。ただ、果物やスナックを売って忙しく働く現地の女性たちにとって、平和時なら、バーのこっち側の人たちは客だがあっち側はダメ、という厳格な区分けがあるのかどうか、疑わしい気もしてくる。

 今年5月、DRC東部のニャラゴンゴ火山が噴火し、およそ7,000人がルワンダに緊急避難した。コロナ禍の真っただなかだが、PCR検査結果や隔離を求める暇はなく、国境を開いて逃げてきてもらうしかなかった。何らかの事情で、逆にルワンダからDRCに大勢の人が逃げ込んだとしても、同じような緊急対応をとるだろう。お互い様なのだ。その意味で、国境の垣根は低い。
 親しいウガンダ人が言っていた。「ボス(大統領ら指導層)が元・難民だから、現・難民(アフガニスタンも)に来てもらうのも、まぁ、しょーがないか」と。

 ◆ 諸悪の根源から平和の源へ

 ウガンダがホストする150万という難民の数は、アフリカ諸国ばかりか世界の国々と比べても最大規模のクラスである。仕方なく入れているのではない、積極的にドアを開く、つまり、歓迎するのが国策なのだ。このためにウガンダは「難民パラダイス」と呼ばれることがある。

 2000年代に難民法と難民規則(2006 Refugee Act and 2010 Refugee Regulations)が制定され、これに基づき、難民の到着と暮らしを支援する制度が整えられた。自給できる程度の耕作地を与えられ、子供たちは学校に行ける。身分証明書を発行され、国内ならどこに住んで、どんな仕事に就くのも自由だ。もちろん、諸外国や国際機関からの援助あっての国策だ。ただ、それも7割は難民のため、3割はホストするウガンダ人のためなるように使うという明確な方針がある。学校やクリニックの建設、井戸ほりなどはみんなのためになる。
 与えられた耕作地の良し悪し、薪や水源などをめぐる現地人との対立など、現場レベルの問題はもちろん多々ある。それでもほかの多くの国の難民が、キャンプの中でかぎられた生活を送るのとはまったく対照的だ。

 難民にもウガンダ人にも役に立つ、かつ、援助をより効果的に活用することにつながり、おまけに、欧米の負担軽減にもなる、ウィンウィンウィンウィンを目指したもので、外務大臣はこれを「世界でもっとも先進的、寛容かつ思いやりがあると、国連や世銀に評価されている」と胸を張る。そしてこれを通じてウガンダは、「アフリカを不安定にする諸悪の根源から、もっとも主導的な平和の源へと、目を見張るような変貌を遂げ」てきたのだ、とも。

 ◆ これからは頑張ります

 おりしも第76回国際連合総会がニューヨークで開会中だ。9月23日、ウガンダのムセベニ大統領が演壇に立ち、新型コロナウィルス、持続可能な開発ゴールなどさまざまな課題を網羅したうえ、しめくくりに人権保護と難民対策について発言した。冒頭の外務大臣投稿は、大統領の国連演説を待ち、これをサポートする目的で同日付けで公表されたのだろう。大統領はこう言う。

 「国際法と国連憲章に基づき、人権を尊重し守るのはすべての国の義務であります。ですから、人権問題を政治の道具にしてはなりません。ウガンダは、憲法と国際法が命じるとおり、人権の尊重と保護のために義務を果たし続けてことを固く誓います。専制時代の最悪の経験と教訓から学んだウガンダ人は、この誓いほどウガンダ人にふさわしいものはないという固い信念をもつものであります。……
 (アフガニスタン難民の受け入れについて)祖国を逃げたくて逃げる人はいないし、難民になりたくてなる人はいないのです。どうしてもならざるを得ないのなら、その人たちが困っているときは、尊厳と寛容で扱わねばならないと確信しております」

 「専制時代の最悪の経験(大統領演説)」といい、「アフリカの諸悪の根源(外務大臣投稿)」といい、かつての自国についてずいぶんへりくだった言い方だ。過去はどうであれ、これからは平和のために国際舞台で貢献するのだという決意表明なのだろう。わかりやすく言い換えれば「これからは頑張りますので、よろしくね」

 ◆ 1950年代のある国

 これを見ていたら、1950年代のある国の国連総会演説を思い出した。
 「(わが国の)国民は今日恒久の平和を念願し……全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有することを確認するものであります。われらは、いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は普遍的なものであり、この法則に従うことは自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であることを信ずるものであります」

 1956年に80番めの国連加盟国となった、日本の重光葵外務大臣の演説の一部だ。この時点で東南アジア諸国や中南米諸国、いま話題のアフガニスタンも、日本にとってはみんな先輩で、これらの国々に加盟を「認めてもらった」立場だった。
 重光外務大臣はさらにこう言った。「わが国の今日の政治、経済、文化の実質は、過去一世紀にわたる欧米及びアジア両文明の融合の産物であつて、日本はある意味において東西のかけ橋となり得るのであります」

 この後、高度成長期を経て、日本は経済大国へと成長した。ここで誓ったような「東西のかけ橋」になってきたのだろうか。ときには振り返って考えるのも、将来のあり方を考えるのに役立つかもしれない。

 ウガンダの外務大臣投稿に戻るが、その中で、ウガンダが難民を受け入れる第一の理由は、アメリカに頼まれたからだという。一国の外交の責任者がこうはっきり言いきれるかどうかは別として、アメリカに頼まれてノーと言えない国は、いまの世界にほかにも多々あるだろう。
 ただ、人類史上、永遠に強者であり続けた者はいない。難民とそれに対応を求められるいまの世界のことも、後の人々が「パクス・アメリカーナの時代も、そう言えば、あったなぁ」と振り返ることにつながるのかもしれない。

 (ナイロビ在住・元国連職員)

<参考文献>
・Jomo Kenyatta “Facing Mount Kenya The Traditional Life of the Gikuyu”, first published in 1938 by Martin Secker & Warburg Ltd, reprinted in 1978 by Heinemann Educational Books
・Aljazeera “Uganda’s doors will remain open to refugees – For us, welcoming refugees is not just a humanitarian decision – we know the value they can add to a host country”, Jeje Odongo, Ugandan Minister of Foreign Affairs, 23 September 2021
・Address by H.E Yoweri Kaguta Museveni President of the Republic of Uganda at the General Debate of the 76th session of the United Nations General Assembly, 23 September 2021, New York
・The World Bank “An Assessment of Uganda’s Progressive Approach to Refugee Management”
・BBC “Afghanistan: How many refugees are there and where will they go?”, 31 August 2021
・The New Humanitarian “The shrinking options for Afghans escaping Taliban rule”, 30 August 2021
・Forbes 「アフガン崩壊で「数百万人の難民」を懸念する世界各国の動き」、2021月8月16日
・外務省「国際連合第十一総会における重光外務大臣の演説」、昭和31年12月18日
・そのほか、The Independent, Reuters, The New York Times, Aljazeera, The Daily Nationなど

 (元国連職員、ナイロビ在住)

(2021.10.20)
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