【アフリカ大湖地域の雑草たち】

(13)ルールどころではなくなるとき

大賀 敏子

 ◆ 1月は受難月

 南緯1度16分、南半球のナイロビの年末年始は盛夏だが、高地のためけっして暑くはない。門松とお雑煮の日本の正月も良いものだが、陽光あふれる当地の天然の美しさは、なにものにも代えがたい。そのかぎりでは、ケニア人ほど恵まれた人はいないと言いたくなる。
 しかし、多くのケニア人にとって1月は受難の月だ。原因は、ほとんどの場合、子供の学費の工面だ。公立小中学校の授業料は無料だが、ボーディング・スクール(寄宿制)なら、ひと学期分の生活費を払い込まねばならない。私立学校なら保護者の負担はもっと大きい。おまけにほとんどの家庭で、複数の就学年齢の子供を抱えている。

 スワヒリ語で、空腹(または飢饉、飢餓)のことを「njaa(ンジャー)」という。多くの人にとって「January」は「njaanuary」だ。
 シングルマザーFは、年末に一週間の休暇をもらって帰郷していたが、その休暇中に雇用主から電話があり「もうナイロビに戻らなくてよい」とのこと。解雇の知らせだ。携帯電話は、便利だが残酷だ。
 Fの仕事ぶりに問題があったわけではない。「njaanuary」を乗り切るには、Fより若くて廉価で雇える人に代えて、コストダウンしようという雇用者側の資金繰りの問題だ。5年以上も仕えてきたが、インフォーマルな関係だったため、Fには保護も補償もない。信頼と好意を信じきっていたので、貯金もない。1月早々一人息子の学校が再開されたが、学費を払えない。Fは途方に暮れたままだ。

 ◆ おてがら

 大手紙の年末の社説に、おてがら警察官の話題が載った。交通事故現場で、犠牲者の持ち物のなかにキャッシュを見つけた。45万シリング(およそ45万円)という大きな額だったが、そのオフィサーはそれをそのまま遺族に渡したという。わざわざ社説に取り上げられたのは着服しなかったからだ。なぜそんなことが話題になるのだ、ケニア人は盗人ばかりなのか。
 電話さえかければ交通事故現場に警察や救急車が急行してくれるという、日本とは事情が異なる。事故があったら、付近の人々が集まり、なんとかけが人を救助しようとする。警察が到着するまでには時間がかかる。その間、たいてい、めぼしいものはなくなる。キャッシュや小物ばかりか、バッテリー、タイヤなどもだ。

 筆者は、とある寒村で事故に巻き込まれたことがある。村人たちがバケツに汲んだ水をもってきて、手足や顔についた泥を洗ってくれたうえ、どこか痛むか、これを吞んだらどうだと鎮痛剤を分けてくれた。事故を起こした運転手は、車の持ち主である雇用者から責任を問われるのを恐れて逃亡した。別の車が来たので、筆者も現場を離れた。あとに残った事故車は、村人には宝の山となった。

 ◆ 命の値段

 ケニア人にかぎらず、お金はあって困るものではない。あればあるほどいい。しかしだからと言って、他人のものを自分のものにしてしまえばいいと、いつもみんなが考えているわけではない。そもそも大金をいきなり手にしても、使い道に困る。これもケニア人だけではない、庶民の常である。
 45万シリングとは、ケニア人にとってどんな額だろう。1,000シリング札が最高額の紙幣だから、この額は紙袋に入れると、その袋が立つような大金だ。とあるナイロビの孤児院では、これだけあれば1ヶ月分のランニングコストを賄える。家賃と、孤児20人の生活費、24時間体制のスタッフのサラリーである。親が姿を消した、死んだ、保護者はいるが捨てられた、といったさまざまな事情を持つ子供たちの、失われていてもおかしくない命を救うための値段だ。

 ◆ おいつめられれば

 昨年のGにとっては、3人家族の存亡を決める額だった。夫が新型コロナウィルスに感染した。コロナのことは知っていたが、まさか自分の家庭を直撃するとは考えもしなかったので、心の準備も貯金もなかった。
 医療崩壊が問題になるのは、一般大衆が医療サービスにアクセスできる社会でのことだ。当地では、搬送する手段と入院の前金がなければ、そもそも患者を病院に担ぎ込むこともできない。公立病院なら廉価だが、期待どおりのサービスを受ける前に病状が急変することもある。なじみの教会に頼んで当座の資金を用立てたが、入院治療は一週間で40万シリングを超えた。考えたことも、見たことも、さわったこともない額だった。

 Pにはあこがれの車のあたま金だ。Pは小さな会社を自営している。かっこいい四駆は、たとえ中古でも、ビジネススーツと黒の革靴とともに、ステータスと信用を示すビジネスツールだ。その車を担保にして銀行のローンを組んだ。問題のあたま金は、手持ちの車の売却代金で返済するからと、知人に頼んでひとまず用立ててもらった。ところが、なかなか売れない。こうしてPは、借りた人から逃げ回るという新しい課題を背負い込み、クリスマスの楽しさも半減、家庭内のいざこざも増えてしてしまった。

 筆者を含め、人は一般に、持ち物、住む家など、目に見えるものに心を縛られてしまいやすい。ストレスを抱え込んでまで、車の買い替えがいま本当に必要なのかどうかと距離を置いて考え直してみることができない、この弱さは、Pにかぎらない。
 もしFやFの元雇用者、G、Pが、事故現場にいて45万シリング見つけたらどうだろう。盗みは良くない、これはルールである。だれもルールを破りたくはない。しかし、状況に追い込まれてしまうということは、誰にでも起きうる。

 ◆ 暴力化する大陸

 ニジェール(3月、未遂)、チャド(4月)、マリ(5月)、ギニア(9月)、スーダン(10月)。2021年、軍事クーデターがあったアフリカ諸国である。未遂を含めれば、その件数は過去10年で最多だ。エチオピアではティグレ紛争が続いている。
 70-80年代、内戦と軍事クーデターは、あたかもアフリカの年中行事のようだったが、90年代以降、それは確実に減少した。しばしば大陸を東西代理戦争の修羅場とした冷戦が終わり、民主主義的な価値観や制度が定着しはじめ、人々の生活レベルの全般的な向上もあって、市民社会も台頭してきた。さらに、アフリカ連合(2002年まではその前身であるアフリカ統一機構)が旗印となって、暴力を許容しないという政治的立場を明確にし、多国間で協力して首謀者への制裁措置をとるようにもなった。
 しかし、昨年、暴力がまた増えてしまった。加えて、この10年くらい、テロリストの台頭が顕著だ。テロは既存の国境をたやすく越え、大陸を脅かし続けている。

 暴力がなくならない。アフリカはいつまでたっても何も学ばないのだろうか。個々の事情は様々であるうえ、諸外国の思惑も作用していようから、一般化はできない。それでもあえて単純化することが許されるなら、こういうことではないか。
 一般論として軍政は良くない。誰にとっても、暴力より平和の方がいい。しかし、政治的指導者のことを信用できず、かつ、日々の暮らしが良くならないなら、変化を希求せざるをえなくなるかもしれない。平和、人権保護、民主主義は、人間が長い時間をかけて、失敗を繰り返しながら編み出してきたルールである。しかし、状況に追い込まれてしまうなら、一般に正義とされるこのような価値観も、必ずしも絶対的ではないのだと思えてきてしまうことがあるのではないか。

 ◆ 愚直に

 新年早々、二人のケニアの著名人の訃報が届いた。
 一人は、チャールズ・ンジョンジョ(1920-2022年)。60年代から80年代の有力政治家だ。東西冷戦下、ソ連の支援を排除し、西側寄りの政策をとる決断に関わった。ことに、1976年のウガンダのエンテベ空港奇襲作戦(『オルタ広場』2021年8月20日号の拙稿を参照されたい https://bit.ly/3nvwR1n)では、イスラエル軍がナイロビ国際空港に着陸するのを認めたときの、ケニア側インテリジェンスの中心的人物だと言われる(写真)。

画像の説明
  チャールズ・ンジョンジョ氏の1974年の写真。右から二人目。
  左端と右端は、それぞれ初代ケニヤッタ大統領と二代目モイ大統領
   ~Nation Media Group

 もう一人は、イギリス系ケニア人のリチャード・リーキー(1944-2022年)。古代人類学者、動物保護活動家であり、政治家でもある。80年代、当時の政権を通して、ゾウとサイの密猟と密輸を、ケニアはもうぜったい許さないのだという決意を、内外にはっきりわかるように示した。自ら軽飛行機を操縦してサバンナを飛び回る一方、メディアには白いワイシャツにブラックタイをきっちりしめて現れた、ホワイト・ケニアンのアイコンの一人だ(写真)。

画像の説明
  リチャード・リーキー氏の1977年の写真
   ~Marion Kaplan/Alamy Stock Photo CNN Japan

 いずれも、若いケニアの国づくりという熱気あふれる舞台で、欧米の思惑と支援をたくみに操り、また操られ、倒すか倒されるかのポリティクスを生き残った。両者それぞれの足跡はいったい何だったのか、おかげで社会は良くなったのかその逆なのかと、ケニア国内のみならず、海外も巻き込んで、さまざまな意見が交わされ続けている。亡くなった人のことだ、ご冥福を祈って、ほっとけばいいではないか、とならない。なぜか。やはり、多くの人が先人から学びたい、過ちは繰り返したくない、と考えるからではないか。

 著名人と言われ、その訃報がメディアをかけめぐる人もいれば、雑草のように生きて、葬られていく人もいる。それでも、すべての人が世界史の登場人物だ。世界史はひとつの大きな系である。どんな人でも、その足跡は、いつの時代かどこかで別の誰かの生き方に、必ず作用する。
 『オルタ広場』は「一人ひとりが声をあげて平和を創る」場だ。英語を使った大手メディアのように、ワン・クリックでビリオンの目に届かなくてもよい。雑草たちの声を、たまたま生き合わせた者として知る立場にあるかぎり、書き、伝え、残すという、愚直な営みを続けていこう。

 (ナイロビ在住・元国連職員)

※ 執筆者より
 シリーズのタイトルを【アフリカ大湖地域を考える】から【アフリカ大湖地域の雑草たち】に代えます。
 これまで12稿書かせていただきました。そうする中でフォーカスがはっきりしてきたように思うのです。「……考える」というのは、専門の学者やUNのえらいさんに任せておけばよい。私の視点は、むしろ雑草のように生きる人々かな、と。

<参考文献>
・Daily Nation “Inspector Job Oyagi, an officer and gentleman”, 30 December 2021
・Kenyans.co.ke “Police Officer Returns Ksh450,000 to Accident Survivor”, 26 December 2021
・Aljazeera “2021, the year military coups returned to the stage in Africa”, 28 December 2021
・防衛研究所「ブリーフィング・メモ「アフリカにおけるクーデターの再来?」」、2021年11月
・Daily Nation “Charles Mugane Njonjo and the making of a political power broker”, 3 January 2022
・Daily Nation “Charles Njonjo, Jomo Kenyatta insider who made and destroyed careers”, 3 January 2022
・Daily Nation “The judicial inquiry that shed light on Njonjo’s bullying political tactics”, 4 January 2022
・Daily Nation “The fossil man: Inside Dr Leakey’s search for early man and hunt for poachers and cartels”, 4 January 2022
・Sunday Nation “Metamorphosis of ex-Attorney General, from oppressor to believer of change”, 9 January 2022
・The Guardian “Richard Leakey obituary: Kenyan conservationist, politician and fossil hunter who promoted Africa as the birthplace of mankind”, 3 January 2022
・The Guardian “Fossil hunter Richard Leakey who showed humans evolved in Africa dies at 77: Kenyan conservationist found oldest near-complete human skeleton in 1984, dating from 1.5m years ago”, 2 January 2022
・The Guardian “The Portrait: African warrior”, 9 October 2001
・The New York Times “Opinion: Leakey in Kenya: LETTERS TO THE EDITOR”, 12 September 1995
・The New York Times “Richard Leakey: The challenger In Dispute on Human Evolution”, 18 February 1979
・The New York Times “Richard Leakey, Kenyan Fossil Hunter and Conservationist, Dies at 77”, 3 January 2022
・BBC “Richard Leakey: Kenyan conservationist dies aged 77”, 4 January 2022
・National geographic “Richard Leakey, trailblazing conservationist and fossil hunter, dies at 77: From transforming the study of early humans to working to save the elephants, “he was a force to be reckoned with.”, 3 January 2022
・CNN 「高名な古人類学者のリチャード・リーキー氏、77歳で死去」 2022.01.03 Mon
・共同通信「ケニアの古人類学者死去 リチャード・リーキー氏」2022年01月03日

(2022.1.20)
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