■随想  

<わが家の一風景>筍掘り50年        富田 昌広

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 我が家から西側に一歩踏み出すと太平山の麓である。山途づたいにゆったりと
登ると山頂付近の"謙信平"に着く。そこから眺望を「日本風景論」の著者滋賀重
昴は"陸の松島"と呼んで絶賛したと伝えている。この見晴らし台に栃木市出身の
山本有三先生の文学碑と『渋柿』の創始者、松根東洋城先生の句碑"白栄えや雲
とみをれば赤麻沼"が建っている。
  わが家と地続きの裏山1町5反ほどが私の山林であるが、そのうち約3反歩が
竹林で、孟宗が2反、真竹の林が1反歩ほど。
 
  染井吉野が咲き出すと筍が首をもたげる。そこで筍掘りが始まり、5月中・下
旬までの1ヵ月半、筍と共栄関係――ときには格闘が繰り広げられる。
  昭和20年代から30年前半までは、筍掘りは八百屋の須田麻次郎さんこと"八百
鹿やん"の持分だった。毎朝リヤカーに籠を乗せて筍掘りにやってくる。仕事途
中でお茶を一服し、世間話に花を咲かせ、掘った筍は一部は栃木市の常設市場へ
、一部は近隣の農家に売って歩いていた。その八百鹿やんも昭和30年代半ばから
、寄る年波には勝てず30分ほどで、「あーこわい(疲れた)」と一休みするよう
になり、やがて「俺も年を取ったナ」とサジを投げ出してしまった。後は親父と
私が引き受けるしかない。
 
  父は農協勤務で朝が早いし、私も昭和37年から日本青年館に勤務するようにな
り、筍掘りは朝4時起きして一汗流し、それを市場に運んだのである。平成5年に
父が87歳で亡くなり、この仕事は私1人が背負うこととなった。少し過重労働で
あり、思い切って竹林半分を開墾し、植木場に模様変えをしたのである。この植
木場の"主"が5抱えもある大きなつつじである。"昭和史の怪物"の異名をもつ後
藤隆之助先生からいただいたもので、東京のお宅からトラックで運んできた。ち
なみに後藤先生は、第一次近衛内閣の発足に当って閣僚名簿を発表し、以後めき
めきと頭角を現した人でもあった。

 11年ほど前から、近くに農産物直売所が常設され、朝掘りの筍はそこに出荷す
るようになって、幾分か負担が軽くなった。筍は新鮮さが売りもので、飛ぶよう
に売れる。最初のころは1キロ当り500円位の高値がつき、結構いい小使い稼ぎ
になる。

 桜の開花と同時に首をもたげた初筍を掘る感触は何者にも替え難いものがある

  初筍秘仏のごとく掘られけり (昌宏)
  これは実感である。
  孟宗竹は首を1寸程出した頃が掘り取りの適期。探すのは目で見つけるという
よりは地下足袋の爪先で探すといった方がいいと思う。首の出方を見れば、根の
張っている方向や深さはほぼ見当がつく。鍬で2~3回掘りを入れ、根元を見定
めてエイ、ヤッと振り下ろす。ほぼ間違いなく根元から完全な形で掘り取れる。
  筍の止めの鍬をそらしけし (昌宏)
ということはまずない。あるとすれば作句上のお遊びに過ぎない。

 近年、核家族化が進行し、お客さんのこのみが徐々に変わってきた。つい最近
までは太い筍が好まれた。今はやや細めのものに人気が集まる。市場の呼称で言
えばMクラスである。筍は人間と同じで親に似る。太い竹からは太い筍が育ち、
細めの竹山からは細い竹が出る。M級の筍を揃えようとすれば、親竹から見直さ
なければならない。竹の生殖力はほぼ5年、竹林全体をM級にするには最低5年
はかかる。
  直売所への出荷は、泥を落とし、根元を切り取って、米糠を添える。この仕事
は主として妻の役であった。
 
  5月の入ると値段はぐーんと安くなる。5月中・下旬で一応出荷を止め、6月か
らは真竹の時節である。真竹は"掘る"という作業がない。1尺ほど伸びた筍を根
元から鋸で切ればそれでOK。後はビニール袋に4~5本ずつ入れてテープで止め
、これに米糠を添えて値段札をつければいい。真竹のさらりとした味を好む客も
結構多い。

 竹山の整備は1年がかりである。順調に育つためには3つの条件――太陽と水と
肥料が大切である。まず太陽。これには間伐をして日当たりをよくすることが肝
要で、目安は坪1本。次に水。その年の筍の発育は、前年の12月からこの年の1月
の降水量で決まるといわれる位、水の供給が不可欠で、精農は竹山に川を掘って
冬から水をかけ流すのである。肥料は筍を掘り終った後のお礼肥えを含めて年4
回程度が必要である。

 竹山の管理で大変なことは、地下茎が遠慮なしに伸び、その勢いはアスファル
トの道路など軽がると持ち上げてしまうほど強い。石塀などの障害物はその下を
くぐって侵入する。
竹の根が建物のそこに這ってきたら、それこそ大変。床は音を立てて突き破られ
てしまう。
これを防ぐ手段は竹山との境界に塀を作って、水を流すことである。竹の根は水
を敬遠する。竹林の隣の水田には竹の根がのびていかないのである。

 筍掘り50年の経験で、今年は半世紀に1度の異変が起きた。妻が1ヶ月余の入
院生活の後、退院間際に急変し、帰らぬ人となってしまった。5月1日に亡くなり
、初七日までの1週間は手つかずだった。筍は生育最盛期で、ところかまわず首
を出す。1週間もすると2メートルから3メートルほどに伸び、このままではジ
ャングルになってしまう。初七日がすんだ翌日、伸びた筍を切り取り、ことなき
を得た。

 5月下旬にはたけのこの生育が休止し、親竹は精力を使い果たして葉が次第に
黄ばんでくる。ほかの植物の秋のすがたに似ているので"竹の秋"と呼び、やがて
竹落葉の季節となる。
  竹落葉刻キが斜に流れゆく (昌宏)
  風に乗り妻の寝息や竹落葉 (昌宏)
  竹落葉のサラサラとした音を妻の寝息と見立てた私は、妻の浄土への旅を静か
に見送りたい。合掌。

               (筆者は俳句結社「柿の木」代表)

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