【視点】

<フランス便り(30)> パリで見た東京オリンピック

鈴木 宏昌

 南ヨーロッパでは熱波が襲来し、ギリシャでは山火事が続くというのに、パリは全くの冷夏で、7月から晴れた日はほとんどなく、空はどんよりと曇り、雨の日も多かった。もっとも、日本の雨と違い、少しの間降ってはまたやむ感じで、終日雨が降ることはない。最高気温は22、23度の日がほとんどで、セーターを離すことができない。

 最近のフランスの話題と言えば、相変わらず新型コロナに独占されている。今年初めの英国型変種の流行が終わったと思っていたら、この夏は、デルタ型(インド型)が流行し始め、観光地の海岸地帯や海外フランス領土では、外出禁止やロックダウンが行われ始めている。このように、重苦しい話題ばかりなので、今回は趣向を変えて、パリで見た東京オリンピックの感想を記してみたい。パリで見たとしたのは、多分、日本で中継されたオリンピックと大分異なるのではと想像するからである。オリンピックが平和の祭典とは言うものの、実際には、平和的なナショナリスムの祭典なのではなかろうか?

 ◆ 1 オリンピック前の東京大会に関する新聞の論調

 オリンピックの大会がまじかに迫ると、日本に関する報道記事が多くなる。私が購読しているルモンド紙では、2人の特派委員が常時日本関係の記事をカバーしている(その一人、フィリップ・ポンスは半世紀以上日本に住み、大変な日本通で著書も多い)。

 ほとんどの記事は、新型コロナの感染者が東京で増え、世論調査では、国民の大多数がオリンピックの開催に反対していることを伝える。オリンピック時に、外国から大量の選手団や観光客が来日すれば、コロナ感染者が猛烈に増えることは明らかで、オリンピック以上に安全と健康を重視すべきとする。さらに、医療関係者は、コロナの変種が蔓延すれば、医療体制の崩壊につながると強く大会中止を訴えていると報道する。そして、日本はワクチンの承認手続きが遅れ、接種が他の先進国に大きく後れをとっていることを伝える。

 政治面では、菅首相にカリスマがなく、その指導力の欠如から、不評なオリンピックと新型コロナ対策の間で、決断することができないとした記事が多かった。また、政府与党と経済界には癒着の体制があり、オリンピックを中止あるいは延期できない背景を示す。大会開催まじかの記事では、オリンピックを中止した場合、契約上、IOCに1兆2,600億ユーロという巨額の違約金を払わなければならないという裏の事情も伝えた(7月13日付けルモンド紙)。結局、オリンピックは外国観光客をシャットアウトし、日本人客もなしのヴァーチャルの大会になる。

 以上が、ルモンド紙や週刊誌の大方の報道であった。このルモンド紙の記事に代表されるように、大会直前の当地のマスコミの東京オリンピックに対する報道は冷めた内容のものが多かった。

 ◆ 2 オリンピックの開催とテレビ中継

 オリンピックが始まると、情勢はかなり変わる。まず、テレビ中継がフランス選手の活躍の様子を各家庭の中に持ち込む。テレビのニュース番組は、それまで全くオリンピック関係のことを伝えていなかったが、フランス選手が金メダルを獲得するたびに、トップニュースとして扱うことになる。同じように、新聞も見出しで、毎日のフランス選手の活躍の状況を伝え、オリンピック関係の記事が飛躍的に増加する。
 これには、訳があり、オリンピックが始まると、フランスから送られてきたスポーツ記者がオリンピックを担当し、日本駐在の特派員は沈黙する。そのため、政治問題や医療の問題はオリンピック記事では扱われなくなる。オリンピックの視聴率に関する記事を見たことはないが、オリンピックに関する関心は次第に盛り上がったのではないかと推測する。フランス選手の活躍はとくに大会の終わりに目立っていた。

 ここで、私の見た東京大会の感想を記してみたい。私は、スポーツ好き(テニス)なので、時々オリンピックをテレビ観戦した。とは言っても、全部見たのは開会式と閉会式で、後はフランステレビが伝えるいくつかの競技だった。今、東京とパリは7時間の時差があり、東京の夜8時がこちらの午後1時なので、ちょうど昼食をとりながら、開会式と閉会式をテレビ中継で見た。

 開会式というと、代々木スタジアムで見た1964年の開催式を思い出す。大学の4年だった当時、フランス語習得にずっと通っていた日仏学院の友達の紹介で、フランス選手団のガイド兼通訳のアルバイト引き受けていた。競技(私の配属は自転車の選手団で、宿舎は八王子)が始まる前だった開会式には、そのため、1等席で全部見ることができた。
 当日は、10月らしい快適な日和で、風も穏やかだった。式のなかでは、上空を飛んで行った飛行機が青空の中に5色の雲をなびかかせたのが印象的だった。各国選手の入場と聖火が入ってきた瞬間、多くの観衆の拍手やざわめきがスタンド全体から湧き出し、オリンピックが始まるという高揚感を伝えた。

 今回の開会式では、選手団の入場が非常に長く、聞いたこともない国が出ていて驚いた。やはり印象的だったのは、数千のドローンが描いた見事な世界地図。さすが、技術大国日本と感心したが、その後 新聞で、それはアメリカのインテル社が制作したものとあり、少しがっかりした。また、最終走者が大阪なおみは予想外だった。彼女は、フランス・オープンを途中棄権し、治療に専念しているものと思っていた。
 開会式の全体的な印象は、多くの映像を駆使し、まあよくできていたと感じた。翌日読んだルモンド紙は、控えめな演出と表現していた。北京大会やロンドン大会の豪華さや華やかさととは異なっていたという見方と思われる。ただ、終わりの頃のスピーチ(橋本組織委員長、バッハIOC会長)が少し長すぎた感じを持った。

 その後、競技の中継が始まると、そこはフランスのテレビなので、フランス選手の出ている競技ばかりが中継されていた。朝 時々中継を見たが、ルールも知らない競技が多く、あまり興味はひかれなかった。ただ、その中では、山中湖周辺の景色が見られた自転車競技と江の島海岸で行われたセイリングが私には懐かしかった。時間の関係で、メインのはずの水泳も陸上競技は全く見られなかった(フランス選手は水泳で銀メダル1個、陸上でも銀メダル1個と全く不振だったことも影響したのだろう)。

 私が見た範囲で、最も面白かったのは、大会の最終日前日に行われたバレーボール(男子)のフランス対ロシアの決勝で、すさまじい接戦の末、5セット目にようやくフランスが勝った。しかも最後のポイントにはクレームがつき、ヴィデオ判定で、ボールがアウトと判定され、試合が終わった。勝利が確定した瞬間、興奮したアナウンサーと解説者がマイクを忘れ、選手と同じように踊りだしたのには驚いた(試合後、カメラがアナウンサー席を映した!)。バレーボールでは、フランスは全くアウトサイダーだったので、余計みんな興奮した模様である。それにしても、スポーツには人を熱狂させるものがあると感じるとともに、陽気な国民性を表しているのだろう。

 大会の始まる前には、観客なしの大会でしかも国民の多数が大会開催に反対ということが伝えられ、あまり関心は高くないフランスだったが、競技が始まり、フランスの選手が活躍する中継が多くなると、次第にオリンピックに対する関心が高まり、テレビのニュース番組は、オリンピックの話題に大きな時間を割くようになる。とくに、大会の終了間際、団体競技(ハンドボール、バレーボール、バスケットボール)でフランスが決勝に進み、大きな盛り上がりとなった。昨年の春以来、3回にわたるロックダウンで気分のすぐれないフランス人には、オリンピックは、普段の心配事から解放される機会をつくったように感じた。

 閉会式は、特別目新しい演出はなかったように思ったが、コンパクトで祭りの終わりにふさわしかった。競技の緊張から解放され、リラックスした選手の表情が良かった。とくに、東京音頭をまねて、踊りだす選手をテレビがアップし、会場の雰囲気をよく映し出していた。東京大会が終わり、小池都知事からパリのイダルゴ市長に五輪旗が渡された。その際に、フランス国歌「ラ マルセイエーズ」の演奏の映像は面白かった。これはフランス革命時に士気を盛り立てる歌なので、陰惨な歌詞と行進曲風の勇ましい音楽なのだが、今回は実にゆっくり、優しく様々な音楽家のリレーで演奏された。最後に、フランスの人気ものである宇宙飛行士トマ・ペスヶが宇宙衛星からサクソで国家の冒頭のメロディーを演奏した(録画だったのだろうか、それとも生中継?)。なかなか、気のきいたパリのプレゼンだった。そして、締めくくりのIOC会長の演説で、We did it と言ったのには、個人な感慨がこもっていたように感じた。新型コロナのため、1年間の延期、そして無観客という異例の大会で、IOC自体も悩みながらの開催だったのだろう。

 ◆ 3 聖火は東京からパリへ

 3年後のオリンピックはパリで開かれる。クーベルタン男爵のおひざ元ながら、第1回目のパリ大会はちょうど100年前となる。2024年のパリ大会には、いくつもの不安材料がある。
 まず第1が新型コロナの今後の展開。先進国では、今年中にワクチン接種は国民の大多数に行き渡ると思われるが、発展途上国はどうだろうか? また、デルタ型のような変種が現れ、ワクチンが余り有効でない型が流行すれば、開催そのものが危なくなる。

 2番目の心配は、フランス国民のオリンピックに対する態度である。これまでの世論調査でも、相当の割合の人はお金のかかるオリンピックの開催に批判的である。もしもパリのオリンピックの経費が予算を大幅にオーバ-すれば、大会開催反対のデモが行われるに違いない。日本と異なり、上からの指令に反発し、抗議活動をする伝統をフランス人は持っている(歴史の教科書は、いまだにフランス革命に大きなページを当てている!)。

 3番目の大きな不安は、オリンピックテロの可能性である。日本と異なり、多くの国との国境を持つフランスは、ある意味どこからでも入国できる。しかも、人権尊重の意識が強く、警察官でも不審者に身分証明書の提出を求めることがほぼできない。
 イスラムテロの問題は深刻で、2015年以降、何回となくイスラムテロの被害を受けている。オリンピックという一大イベントになれば、宣伝効果が大きいので、フランス国内のイスラム過激派あるいは外部からのテロ行為の可能性は相当あるだろう。パリ大会の場合、危険を事前に察知し、大会の安全を守ることは可能だろうか? このほか、施設整備や交通手段の確保などの問題もある。幸い、多くの競技施設は、既成のものを利用するようだが、メトロなどの整備は遅れることがすでに分かっている。

 以上 いくつもの問題点を抱えてはいるが、フランス人はイベントづくりに才能があるので、テロさえなければ、華麗なオリンピックになることが期待できる。

 最後に、ルモンド紙のスポーツ担当者の東京大会の総括記事を紹介したい。
 東京は伝染病の感染が続く中、観客なしの異例な大会となったが、選手団のなかでは感染者が少なく、全競技が無事進行した。とくに心配されていた、外国選手団がデルタ型などの変種を日本に持ち込むのではないかという不安は実現しなかった。その代わり、東京での衛生管理は徹底したもので、毎日のPCR検査、オリンピック村から一歩も出られない不便さ、会場でのマスクの着用など選手に課された負担も大きかった。

 競技面では、前回のフセイン・ボルトや昔のカルル・ルイスのような種目を超えるスパースターはいなかったこと、陸上競技などで多くの世界新記録が記録されたこと、そして新しい種目が多かったことを今大会の特徴とした。フランス選手の成績については、期待された種目が振るわなかったのに対し、団体競技で金や銀メダルを獲得し、全体的にまあまあであったとしている。
 大会の組織に関しては、大変に高い評価で、各競技がスムーズに運んだこと、衛生管理が徹底していたことを讃えている。中でも、多くのボランティアの人が、いつも笑みを絶やさず、実に親切に対応してくれたと感激していた。普段は辛口の記事の多いフランスの新聞記者だが、献身的なボランティアの活動が印象深かった模様である。

 別の記事になるが、3人のスポーツ記者の2、3行にまとめた印象記で面白いものを紹介しよう(8月9日付け、ルモンド紙)

―東京に着き、規則通り、3日間をホテルの一室で過ごしたが、後で聞いてみると、規則を守ったのは私だけだったらしい。
―東京に来て、東京の太陽とパリの太陽が違うものなのを実感した。なぜ、東京では観光客が日傘をしているのに、パリでは全身を覆う服装なのかを理解した。
―忙しいので、毎日コンビニの食事で済ましていたが、最後は、コンビニ弁当は嫌になった。
―昼夜いつでも開いているコンビニがあるが、この国では労働法がどうなっているのだろうか?
―新聞記者相乗りでタクシーで移動したが、1度だけ運転手が、ナイトクラブに行かないかと誘い、断ると高速度道路で遠回りし、いつもの3倍の料金を請求された。
―外国選手団で埋まる会場が多かったので、日本人客を入れてもよかったのでは?
―数日間 富士山の麓で過ごしたが、富士山は全く見られなかった。
―2021年だったが、2020東京オリンピックはよかった。

(2021年8月14日、パリ郊外にて)

 (早稲田大学名誉教授・IDHE-ENS-Paris-Saclay 客員研究員、パリ在住)

(2021.08.20)
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