【ドクター・いろひらのコラム】(5)

AI時代だからこそ求められるケアとは

色平 哲郎

 私たち医師は、「AI(人工知能技術)時代だからこそ求められるヒューマンケア」にもっと自覚的になっていいような気がする。
 AIの進歩にあわせるばかりではなく、AIがもつ別の側面をも見越したケアに目を向けたい。
 
 先日、懇意にしている同世代の自営業の男性に「今後、AIの画像診断技術が進んで、微細な肺がんでも何でも、次々に見つかって診断を下せる時代がきそうなんだけど、どう思う?」と聞いたら、こんな答えが返ってきた。
 
 「毎年、自治体の健康診断を地元のクリニックで受けているのだけど、あの検査しろ、この検査しろとうるさい。
 人間ドックを受けて異常なしなのに、あれだ、これだ、と。何が何でも病気を掘りおこそうとしている。いったい誰のための検査なのか。
 AIは、そうした検査をもっと迅速にしかも効率的にやろうってわけでしょ。医療マーケティングの賜物ですね。せっつかれているようで嫌だね」
 
 さらに彼は、こうも言った。
 
 「そりゃ、60代も半ばになれば、病気の一つや二つは隠れていることでしょう。でも、こっちは定年退職で楽隠居できる身分ではないので、致命的なものじゃなきゃ、病気と共存しながら生きて、仕事をしていたい。自分の病気の治療法は自分で決めたいのです」
 
 この男性は、やや自信過剰ぎみなのか、自己決定を重んじるタイプだが、AIがもたらす効率化に対し「せっつかれているようで嫌」なのは多くの人に共通する感覚なのではないか。
 
 では、医師は、たとえばAIによる高度な画像診断と、いろいろな思いを抱いて日々生活している患者さんとをどうつなげばいいのか。
 
 医学的に正確な画像診断なりで定期フォローすることはいうまでもないが、大切なのは、その患者さんが治療方法を知ろうとし、選びとれるように「うまく」導くことではないか。
 
 一例をあげよう。
 ネット上の「あなたの先生が教えてくれたすばらしいことはなんですか?」という問いにさまざまな人が答えているサイトがある。
 そのなかに小学校5年の担任の男性教諭が「私はまだまだ勉強が足りていません。だから、みんなに教えてもらいたいんです」と生徒に伝えたエピソードがある。
 
 その教諭は、「明日の社会科では日本の工業についてやります。自分で調べて、先生に教えてください。調べた本ももってきてください」と生徒に予習を促した。
 
 すると、翌日の授業は「先生に教えなきゃ」と、どの生徒もどの生徒も、活発に手を挙げて発言し、グループ学習もわいわい賑やかに進んだという。
 
 患者さんを生徒に見たてて予習させよう言いたいのではない。
 相手の意欲を喚起するやりとりは、たとえ患者さんと医師との間でもなりたち得ると言いたいのだ。
 どの患者さんも、不安で、何とか平穏な日々を取り戻したいと願っている。
 そんな思いを尊重しつつAIが有効なら活用すればいい。
 
 AIと競いあうのではなく、人間として人間の世話をする。
 心の底から「それは大変なご体験でした」なりと、患者さんやご家族に声をかけることこそ肝要な場面なのだと感じる。
 

色平 哲郎(いろひら てつろう)
JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長

※この記事は著者の許諾を得て『大阪保険医雑誌』2024年4月号から転載したものです。文責は『オルタ広場』編集事務局にあります。
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(2024.10.20)
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