■NGO BAHNの活動について 篠原浩一郎(インタビュー)
───────────────────────────────────
編集部 加藤宣幸
日本の国際貢献が議論されている時、NGOの果たす役割は非常に大きいものがあると思います。私たちと学生運動出身の友人でNGOとしてユニークな活動に
取り組んでおられる「BHN」の篠原さんにまず「BHN」とは何か。どのような活動をしてこられたのか。篠原さんはどういう経緯でこの仕事にかかわられたのか。などエピソートもまじえて分かりやすくお話していただきたいと思います。
【篠原】
この組織は1992年に設立され、私は設立時からの理事で加藤さんとも共通の友人である小島弘さんの関係で、関与し始め、96年8月からは専従になりました。この団体は普通のNGOとちょっと違って、発起人は1992年当時NTTの社長
児島さん、NEC社長関本さん、富士通社長関沢さん、オムロン会長立石さんなど電気通信の重鎮たちが、今で言う「デジタルデバイド」、当時ですと電話が途上国にはあまりない地域があり、先進国だけの普及では良くないから途上国にもっとチャンスを広げるべきだという考えで創ったものです。
発起人にこういう方々が並び、NTTや通信機械工業会などが基本的な財源を出し、活動そのものはプロジェクトのお金を外務省や、WHOから補助金として貰ったりして始まりました。
1992年にこの団体(BHN)が発足した当時、国連機関のWHOは日本人の中嶋宏氏が事務総長でした。
1986年4月にチエノブイリ発電所の原発事故がおきましたが1989年にソ連が崩壊するまでは、それらの情報は秘密にされ、ソ連崩壊後、WHOが、被災者を救うプロジェクトを始め、これに日本政府や当時の笹川財団がずいぶん応援しました。
そういう中で、モスコーから約120kmのところにチエノブイリの患者を収容している病院があったのですがモスコーまでの電話・FAXがまったく通じない。
それでは国際援助しようにもできないというのでWHOから、この間の電話を復旧してくれという依頼が私どもにあったのです。
しかしWHOは予算がないから、なんとか安くやってくれというのですが国際水準からみても問題にならない安い金額なので各メーカーはまったく相手にしないのです。
その時、NGOの私たちが、当時アナログからデジタルに変わるときで、いらなくなったマイクロウエーブの機械が沢山出るという情報を知りました。いわゆるNTTの「撤去品」です。
これを使ったらどうかとWHOに聞くと、ロシアがOKすれば構わないというのでロシア側を打診すると最初は難色を示しましたが結局、中古品でしかできないことがわかり承知しました。そこでNTTのいらなくなったものを全国から一度、北海道に集め、その中から使えるものを選び出し、調整・検査し綺麗にして横浜からロシアに出し、2年くらいかけて設置しました。
それでようやく被災者の病状などが国際的に連絡できるようになり国際支援がスムースに動くようになったのです。そのとき私は行きませんでしたが小島さんは設置の段階で現地のロシア側ともいろいろ折衝したり大活躍された。これが私たちの最初の活動です。
そのあと、ロシア・ウクライナ・ベラルーシなどチエルノブイリ関連の支援をかなり長い間やりました。
96年に私が専任になったとき理事長も変わり、もう少し、アジアに力を入れようということになり、最初にミヤンマーに行き、同国最大の病院であるヤンゴン・ゼネラル・ホスピタルを訪問しました。
1880年代に立てられた古い煉瓦づくりの2階だて建物で1500床くらいあります。
余談ですが、有名なア・ウンサン将軍が看護婦さんと恋愛結婚して生まれたのがア・ウンサン・スーチー女史であるのが良く知られているなかなか由緒ある病院です。
ところが病院の中は、ベッドが入りきらないで廊下に置いてある。クーラーが効かないから窓は開けっ放し。エレベーターは壊れて動かない。電話もまったく通じないといった状態でした。お医者さんを呼び出すのに看護婦さんが広い病院を走り回っている。
私たちが行った時、少年がコブラに噛まれて担ぎ込まれましたが、医者がすぐに出てこれず、どこにいるか探しているうちに死んでしまった。
そういう状態のなかで、私どもは外務省のお金を貰い、交換機を取り替える仕事から始めたのですが、現地では、こういう援助があるんだといって大変喜ばれました。
このあと、病院はヤンゴン、モールメン、マンダレー、シットウエ(昔のアキャブで有名な加藤隼戦闘機隊の基地)に交換機をつけ喜ばれましたが特にシットウェにはドコモが特別に構内PHS(PHS携帯電話)を寄付してくれました。
これがアジアとのかかわりあいの始めです。
そのうちにミヤンマーの隣のラオスでもやってくれということになり、ミヤンマーと同じように病院に交換機はどうかということで現地の実情に詳しい東京大学医学部の先生に話を聞きに行きましたら「交換機なんていうレベルではないよ」と一笑に付されましたが、ともかく一度、見てきたらということで出かけました。
ところが電話交換機つけるからにはある程度広くなければ意味ないのですが叫べば声が届くような病院しかないのです。ラオスは人口500万人、県が18あって県の下に4つくらいの郡がある。郡は50-60くらいあって郡ごとに郡病院があり、その下にヘルスポストというのがある。これを全部合わせると病院ではなく「医療施設」ともいうべきものが全ラオスで500くらいあることになります。
しかし18の県病院までは電気も電話もありますがその下の郡病院には電気も電話もない。まして、その下のヘルスポストはいうまでもない状態です。
1-2箇所見ましたがヘルスポストといっても中には何もありません。看護婦さんでなく産婆さんのような人が用事のあるときだけひょこひょこやってくるにすぎない。
郡病院にも行きましたが、これも看護婦さんが一人いて医者はいない。一応、郡病院になると入院設備があるのですが窓は破れ、医者がいないところに患者が蒲団敷いた荷車に積まれてやってくるのです。
無線機が欲しいというので、わけを聞くと、WHOがポリオ(小児麻痺)対策のために子供に接種するワクチンは生ワクチンなので冷蔵庫のある県病院に保管してある。それを発泡スチロールの箱に入れ自転車に積んで郡病院まで持ってくる。
さらにヘルスポストまで運び、そこで接種する。しかし発泡スチロールの箱にいれてもワクチンは24時間くらいしか持たないから、その間に接種を終えるためにはあらかじめ連絡をして集めておかなくてはならない。それがうまくいかないので接種がうまくできないというのです。
そのためには、郡病院にどうしても電話が必要であり、ヘルスポストにも欲しいけれど無理だろうから、まず無線機というわけです。
それならば無線機をつけましょうということになったが、いざ付ける段になったら政府の通信省が横槍を入れてきて、いままでは、郡には電報があり、使われなくなるのだから通信料分として無線機1台150$よこせと言うのです。
私どもは外国人で支援のためにやっているので、そういうものは払えない。駄目だ。ともめましたが結局、病院のほうでは、どうしても必要なものだからと150$払いました。
18の県は、いずれも貧乏でGDPが一人当たり300$くらいですから、大変な金額なのです。どうしても必要なものだからといって工面して払い、あちこち付けてきました。
このラオスという国は道路らしい道路がなく、メコン川に向かって山からドンドン川が流れている。ところが川にまったく橋がない。丸木橋くらいでは、人間は渡れても車は渡れないから無線機を設置するためには雨季は行けない。雨季は大体4月の末から10月くらいですが、自動車は乾季だと川底を渡れるが雨季には川を渡れない。なかには車では駄目でボートでというところもある。そういう苦労を重ね6年かかって今までに189箇所つけました。
これに150$づつ払ったのですからラオス側も大変な期待をしているのです。
6年たって、電話が入ったから設置した無線機はいらなくなったという所はわずか4--5箇所です。殆ど電話がついていないのです。
私どもこれだけ沢山設置し、最初は日本人がやっていましたがラオス人がやったほうがよいと保健省に提案したのですが、出してきたのが臨時雇用で、月給が2000円か3000円なのです。これでは駄目だからと散々交渉して正職員にして
もらいましたが、それでも給料は幾らも上がらず何千円程度です。この人に最初から設置の方法を教え、今は彼だけで設置くらいはできるようになりましたが問題は故障なんです。簡単な無線機ですけれど、機械が動かないとそのままで何故動かないか分からない。バッテリーが乾いているのか。ほんとに機械が壊れているのか。基板を変えるのか。部品のどれを取り替えるのかの判断が必要なのですが、今の日本では機械が壊れると機械ごとポイです。
そうすると安い機械であっても500$くらいするので5万円というのは彼らにとって大金です。しかし基板を一枚取り替えると、これも7-8000円するので結構高い。
彼らに負担なので、抵抗とかコンデンサーなどの部品交換をさせようとしても、これを教えられる日本人は非常に少ない。
私どもも人を一生懸命探して送り込み修理の方法を教えているのですが設置は見よう見まねで出来ても故障は電気通信の基礎知識がないと分からない。その辺から一生懸命に教えているのです。
本来、電気がないので無線機は使えない筈ですが、地図でお分かりのようにメコン川ぞいにタイが平原側にあって山地側がラオスですがタイのTVは皆が見られるのです。
勿論ビエンチャンにはラオスのTV局があるのですが社会主義国の政府のつまらないTVは誰も見ないでタイのいろんなチャンネルを見る。言葉もタイ語に似ていて分ります。
それはバッテリーを充電する商売があり、その充電屋が回ってきて1回充電すると1週間くらいTVが見れる。そのため電気もないのに高床式の小さい家にTVのアンテナがみんな立っているのです。
その充電屋を利用して病院も無線機を使うのですが無線機は電気を大して食わないから1ヶ月くらい使える。こうやって電力は解決している。
ソーラーバッテリーという話もありますが無線機は大体3万から5万円なのにソーラーバッテリーだと10万円くらいするので、なかなか付けられません。
その他、人間を派遣しているので病気にならないかとか、いろいろな苦労が沢山あります。
【加藤】
有名なケシの栽培地帯や治安問題などはいかがですか。
【篠原】
たしかに麻薬地帯は危険なのですが、全般的には治安は案外にいいです。経済の実態はまったくの「自由経済」なのですが。一応は「誰も相手にしない社会主義国」とでもいうべきなのでしょうが、経済は一向に発展していません。
(地図で無線機設置箇所やラオスの地勢など説明)
【加藤】
「社会主義」ならば病院は国営なのに国営の病院が国に150ドルを払うのですか。
【篠原】
そうです。保健省が通信省に各県で県の保健局が金を集めて払うのですが私どもが輸入するときに今回は何県の分で何台ということで払います。
もとの王様というのがパリにいて年に1回くらい14-5人が鉄砲撃つくらいの規模で王党派が「反乱」を起こしますが、パット撃って、すぐタイ領に逃げ込むのです。
パテトラオは共産軍で王党派が服従していないところもあるらしいのですが、始終ドンパチやっているわけではありませんけれど、日本人は歩いて行っては駄目といわれています。
それからジャール高原にはベトナム戦のとき米軍がベトナムまでいかないでこの辺で適当に爆弾を落として帰ったのですが不発弾の山で、勿論立ち入りできません。この処理だけでも重大な問題です。
このようにラオス一つとっても大変なのだとお分かり頂けたと思います。
ラオスをやった後カンボジヤ、マレーシアもやりましたが長くなるのでアフガニスタンについて少しお話します。
9・11が2001年の9月ですがアフガニスタンにはその直前の夏に入りました。北の方のサリブリというところです。その時は2年か3年つづきのひどい旱魃で、飢死者がでたり、遊牧民の羊がみんな死ぬとか大変な危機的状況でした。
タリバン政権でしたがわれわれの入国を認め是非助けてくれということでした。
タリバンの案内で北のほうをずっと見て、何か支援しなくてはといっているところに9・11が発生し、とても入れるどころでなくなった。
それでもアメリカの爆撃が終われば支援しようということで、パキスタンのイスラマバードに日本のNGOが話し合って事務所を作り、支援ができるチャンスをうかがっていたのです。年が明けて3月か4月に空爆があり、すぐ終わったので私
たちも中に入ることになって、2002年の1月ごろから中で支援活動を始めたのです。
アフガニスタンでは「アフガニスタン復興会議」というのが2002年1月に東京であり、その前年12月に「アフガニスタンNGO国際会議」というのを日本のNGOが主催してやりました。
アフガニスタンでは長い紛争の間、特にソ連が侵入した後、、大勢の人が外国、主としてパキスタンに逃げてパキスタンからアフガニスタンにいる自分たちの同胞=部族にたいする支援をNGOとして活動していたのです。ですから部族ごとに細かくNGOが分かれていて、それぞれが縁者を頼って資金を集め、それで食料などをタリバン政権の目をかいくぐって自分の知り合いに送っていた。
あの当時、パキスタンだけでもNGOが百幾つ活動していて、そのなかの主だったNGO20団体ほどを日本に呼び、日本のNGOと協力していこうではないかという会議を12月にやったのです。そして1月に政府主催の国際会議にわれわれNGOも出ようとしたら問題の鈴木宗男がこのNGOは生意気だから入れないとか始まったのです。
その団体は「ピースウインズ」というのですが、私たちも彼らが始めた「ジャパンプラットホーム」という緊急支援をするグループに入っていましたので、その団体が入っては、いけないということはまったく不可解でした。この時は、御承知のように大変ドラマチックでピースウインズ代表の大西君は、まだ30代の人ですが、鈴木宗男に何回か議員会館に呼びつけられたり、恫喝されても鈴木宗男にたいしてぺこぺこしたり、詫びを入れたりしないで非常に毅然とした態度を貫いていました。私どももどうなるかと思いながら彼を支援していました。
そのあと私たちはアフガンに人をおきましたが、最初はあまりにも忙しすぎて仕事にならなかった。それは通信が分かる人が誰もいないので、大使館もJICAも国連も助けてくれ、きてくれと叫ぶ。行って見ると日本人のNGOは日本と通信ができない。パソコンがちょっと立ち上がらないから助けてとかいう騒ぎです。
そんなことの面倒みながら、活動を始めたアフガン人NGOのために通信網をつくるというのがプロジェクトとしては初めの仕事でした。
プロジェクトの前は今お話したように大使館のLANをつくるとかいろんなことにこき使われながら皆さんの役にたっていたわけですが、あんまり、私どもが無償奉仕をつづけていたのでジャイカのほうから話があって、南で治安が悪いカンダハル州だけれどラオスでやったように病院に無線機をつけてくれということになった。
アフガニスタンも電話が間まったくなく、一応線はあるのだが働かない。たとえばカンダハルという町と首都カブールの間も衛星電話なのです。カンダハルから日本に電話しようとしたら、カンダハルからカブールで1回、カブールから日本へもう一回合計2回も衛星を経由しないと通じないのです。
病院に無線機をつけることになり、2003年の8月から2004年の3月までかかってやったのですが途中で段々治安が悪くなって、日本人はカンダハルの市内から出てはいけないアフガン人を使って設置しなさいというということになった。ラオスですら何年もかけて訓練し、ようやく彼らだけでやれたのですから、いきなり現地人だけでやれというのも大変なのですがともかく、やりくりして設置していきました。
その間、私たちはカブールに現地NGOの事務所兼宿舎の2間を借り、1間で寝起きして1間で仕事するというように目立たない事務所をつくり、カンダハルにも同じようなものを持ちました。
ところが2004年の1月6日に爆弾を投げ込まれたのです。日本人は正月で帰国していましたし、手製の爆弾でガラスが割れたぐらいでたいした被害もなかったのですが、重大なことなのでカンダハルの事務所は閉鎖し、日本人はホテルから通うことにしました。
目立たないようにしているのに何でやられたのか調べたのですが、行った日本人がアマチュア無線の愛好家で大きなアンテナを立てていたのが目立ち、組織的なものでなく嫌がらせではないかということでした。
次はドスタムという将軍が頑張っているマザリシャリフというところを2005年4月から始める予定です。
そのほかアフガニスタンではカブール警察の警察官に日本が供与した無線機の研修をするとか、子供にIT教育をやるため、その前に先生を教育し、さらに教育省の役人に教えるということをやるとか、この国ではなにもないのでいろいろと手助けをしています。
今は現地に2人行っていますが本人たちは案外ノンキですが家族のかたは心配しています。なにしろ現地人と暮らすとプライバシーがない。朝だろうが夜だろうがドアーをバンとあけ、挨拶もなしで入ってきて、あれないかこれないかというし、あるいは、どこそこから帰ってきたから挨拶に寄ったというような調子です。
【加藤】
イラクには関わられたのですか。
【篠原】
米軍が空爆すると難民が沢山出てくるだろうということでヨルダン国境に待機し医療関係の支援をしましたが難民があまり出なかったので短期間で終わりました日本側は半年くらいやって国際機関に譲って帰りました。
イラク国内に対する支援としてイラクの病院に遠隔治療のシステムをつくるなど計画しているのですが治安が悪いという理由で外務省が許可せず、お金が下りずに苦労しています。したがって、現在のところイラクについては誇るような仕事はしていません。
【加藤】
いろいろと私たちが知らないところで御苦労されていることがよくわかりました。有難う御座います。
少し角度を変えて、「NGO」のもつ役割とか、問題点などについて篠原さんの体験を通した御意見を伺いたいと思います。
【篠原】
NGOについて私の感じていることは二つあります。
一つは「NGOとは何か」。「何のためにやるのか」。ということが非常に大きい問題で回答の無い問題でもあるかとも思いますが。これをどう考えるか。
もう一つは日本のNGOというものはどうなのか。ということです。
あとの日本のNGOはどういうポジションにあるのかということはデータ的なものですから誰にもわかりやすい。
今の日本のNGOは財団とか何とかを含め、日本国内で民間の寄付金の総額が約6000億円で、ODAという形でNGOに向けて政府から出るのが約100億円です。ただし、この6000億円というのは、笹川財団、競輪のお金などが全部入っているもので政府からの100億円には政府系の財団に出すものも含まれています。これに比べてアメリカは、民間が出す金が17兆円、政府がODAの中から出す金が約4000億円で桁違いに大きいのです。ですから日本のNGOというのは非常にスケールが小さいものです。
NGO経由のODAのほうが汚職とか、腐敗もゼロとは言いませんが少ないし、また、草の根的な活動をしますから、より効果的なものになる。
日本のODAというと日本の企業のためにやるようなところがあり、日本の企業がやりたいことを相手の国に押し付けることもあって、なかなか向うの国に受け入れてもらないことがある。勿論、NGOにもそういうきらいが無きにしも非ずですが
それでも現地の人が喜ぶ顔が見たくてやっているのですから、そういう意味ではNGOにもっとお金を回せというのが私たちの要求なのです。
政府も一進一退なのですが、ODA予算が減るなかでは少しずつNGO向けが増えているのが実情です。
も一つは税制の問題で、日本では税金などで民間で余ったお金は全部おカミが召し上げ、おカミが福祉でもなんでも使いたいように使う仕組みで民間人はやることない。というのが今までの考えかたです。
阪神大震災以後、ボランテイアがもてはやされるようになったのですが、たとえば赤十字の名誉総裁は美智子妃殿下で、聖武天皇の昔からお上が民に施しをする。
税金もとりあげるという考えかたです。一方、欧米とくにアメリカでは税金は最低限で、政府はちいさくなくてはならない。人道支援なども民間がやるべきものだということで相続税、所得税などは非常に低くなっていて、寄付をすればその分は税金から免除される。
アメリカの場合、免税資格をもっている団体に対する寄付は、所得の30%まで寄付しても免税なのです。企業の利益が100億円あれば30億円まで免税です。
日本の場合は100億円の1.25%ですから1億2500万円しか免税にならない。特別に公益増進法人でもさらにあと1億2500万円ですから合計2億5000万円で税制が厳しいのです。、税金は役人が勝手に使うのでなく、国民が使うのだというように税制が変わらない限りアメリカのクラスにはならないだろと思います。まだまだ日本の役人の考えは硬いですが、今の役人の崩壊の有様を見ると、たとえば福祉などはいちいち役人がやるのではなく国民がやるのだという方向に行っていると思います。
勿論、日本的な福祉国家とアメリカ的に国が医療費など殆どださない国とどっちがよいかの選択の問題はあります。
そういう風に何のためにNGOがあるのか。何をするのか。根本的にどうあるべきか。どちらがよいのかということになってきます。
医療なども国が全部面倒を見る日本式か、アメリカのように国は殆ど見ないでNGOなどが見て高度医療は全部自分の金でやる小さな政府とどちらをとるか。ということになる。
では、なぜ私たちはNGO活動するのか。
若いときは金を稼いで年金貰うようになったらやるのか。というのもちょっとおかしい。
では金は稼がないでよいのか。
金は稼がなくてはいけないけれど、福祉などにも使っていくバランスが重要なのだというのが私の考え方です。
言い換えれば、どのようにバランスをとるかということがわれわれに突きつけられているのです。まさに「強くなければ生きていけないし、やさしくなければ人間ではない」のです。
私たちがNGOの支援を求めて各地で講演会をやりますと、男の勤め人は斜めに聞いていて「お前たちはそんなこと言うが、NGOの幹部の中にはビジネスクラスで飛行機に乗るのがいると言うではないか」「ハイヤー乗り回すのがいるのではないか」と真っ先に言い出しますが、女性は、「ご苦労さんですね。そういう悲惨な子供たちはまだまだおおぜいいるのでしょうね。少ないけれどお金をださせて下さい」と比較的素直に聞いてくれます。
日本のサラリーマンは金を稼ぐのは正しく、使うのは間違いだというような感覚なのです。会社も稼いだ金を社会に還元するよりも再投資をして企業規模を大きくするのが正しいというのが日本の企業の考え方です。もっとも規模を拡大しても景気が悪くなればドンと潰れる。
こういうのが日本の経営者、サラリーマンの典型的な考えだったのですがこれが正しかったのかどうか。
ノーベル経済学賞をとったアマルティア・センというインドの経済学者と日本の緒方貞子さんが共同議長になって「人間の安全保障」ということを言い出しました。
これはどんなことかというと「国の安全保障」というのはあるが、個人にも安全保障はあるので「脅威から身を守る」ということがあるはずだ。脅威とは病気であり、貧乏であり、死亡率が高い、自由が無いなどいろいろある。人間として平等に活動できるためにはこういうことがクリアーされなければならない。というのです。
緒方さんは難民高等弁務官していたから難民たちがいろいろなチャンスが奪われているのを見て、なんとかしなくてはという立場から、食べもの与えればすむという問題ではなくなんとか彼らに平等の権利を与えなくてはならない。勉強することも、自分の才能を伸ばすこともできるという環境をつくることが「人間の安全保障」だという考え方を持ったのだと思います。
アマルゼヤ・センという人は経済学に倫理学を持ち込んだ人で、経済は単にGDP・GNPだけではかられるだけの問題ではないのではないか。ケイパビリティーというか人間の可能性というものを彼らがどう与えられているかということで数えられるべきだということを言い出した経済学者・哲学者なのです。
この2人が共同議長で言い出して、日本の外務省もこの考えを柱にしようとしています。
従来の「最低必要な物資だけ支援する」「インフラ投資に集中する」と言った考え方よりははるかに現地の人の成長を促す良い考えかただとおもいます。
【加藤】
外国ではNGO活動としてはどこが活発なのでしょうか。
【篠原】
イギリスも進んでいますがフランスもたいしたものです。フランスは特に政府とは協力しないという立場が強く、お金を大衆的に集めるのです。イギリスの場合はまだ貴族性があるというか、お金は貴族や、企業家とか金持ちが出すのだという考えですがフランスの場合はグリンピースや国境無き医師団があんな活動しているわけですから、政府の金なんか一銭も貰らわず広く集めるところが優れています。一切、政府の金は受けないし、介入は許さないという考えに徹しています。
国際赤十字はもともと政府の介入は許さないという性格のもので、赤十字行動コンタクトというものがあり、政府との関係には非常にうるさいのですが、日本の場合、名誉総裁に美智子さんがなっているように政府と癒着していますがこれも問題なのです。
さらに問題なのは、こうした巨大海外NGOが日本に乗り込んできて、資金力に物言わせて一般からの募金を集めはじめていることです。国境無き医師団、グリーンピースなどの広告宣伝力にはとても日本のNGOは太刀打ちできません。日本のNGOに対する寄付免税もこうした日本であまり活動しない団体には有利に働くように考えられています。新しいNPO免税資格は日本のNGOが取得するのは難しく、これらの国際NGOには容易になるようになっているのです。
また、日本は外務省のODAから国連に巨額のお金が行っているにも関わらず、ユニセフなどはさらに一般からの募金も集めています。テレビでの募金もほとんどユニセフに行き、日本のNGOには回ってこないのも問題だと思っています。
日本のODAから国連に対する寄付は、国連が14%を取った上で、ほとんどが国際NGOを通じて途上国支援に使われているのです。こういうところにも日本のNGOは入れない仕組みが出来ています。
【加藤】
募金も町内会を動員するなど行政と一体ですね。
【篠原】
赤十字には沢山の役人がいますから募金もその人たちの給料に相当消えていくわけで問題なのです。
このようにいろんな問題が山積しています。もっと多くの人が「NGOとは何か」と興味を持ってくれるよう願っています。
【加藤】
国内問題やるのがNPOで国際関係やるのがNGOと考えていいのでしょうか。
【篠原】
結局われわれもNPOなのですが国際的とはどういうことかといえば、国連でやるときにガバメントとノンガバメントと分けるのです。ガバメントはみんな国連に票を持っていますが票を持っていない人をノンガバメントでNGOとして分けているのです。
国連の会議などではNGOのスペースがあり、そこはノンガバメントとしてあるのですがそういう場合はNPOとは言いません。
国内ではノンプロフィットということでNPOといっていますが定義がはっきりしていないのではないでしょうか。たとえば労働組合はNPOかそうでないのかとか。
【加藤】
生活協同組合などはNPOであって経済分野で特に発達した組織と考えるべきだと思うのですが。
【篠原】
そうだと思います。
【加藤】
NGOでも北のNGOと南の(現地の)NGOの問題もあるのではないでしょうか。
【篠原】
貧しい国でのNGO活動は立派です。勿論なかには先進国のNGOのフアンドを目的にして設立されたものもありますが、自分たちの同胞を助けようとしてつくられたものが殆どです。アフガニスタンのNGOなども非常に真面目でした。しかし、真面目であるが同時に自分の部族のためだけにやるという側面もがあったが、そうでないとお金も集まらなかったでしょう。たとえばCoARというNGOは北のほうなのですが、南のカンダハルにいったときには彼らも外に出れない。情報を集められないのです。そのときは彼らとこの地方で組んだのは失敗だったと思いましたよ。
【加藤】
アフガンの場合、篠原さんの団体は「ジャパンプラットホーム」として活動されたのですか。
【篠原】
いいえ、独自に活動しました。「ジャパンプラットホーム」というのは緊急時のために外務省から毎年4月にお金を貰ってプールしておく、NGOと学識経験者と外務省が加わって3者でたとえば、イランで地震が起きたから、皆さんから活動の提案を出してくださいというわけです。
そこで「BHN」はイランの被災地で無線機を配ります。「ピースウインズ」は毛布を配ります。あるいは子供の病院を開きます。などでそれぞれ1000万円くださいといって直ちに配分を受け現地に飛ぶのです。これが、その都度外務省に申請していては時間がかかって緊急時には間に合わないのです。
今アフガンではだいぶ時間もたったので「ジャパンプラットホーム」としてはお金が出ませんので「BHN」はJICAや国連機関などからの補助金でやっています。
結構NGOどうしはそれぞれ目立ちたがり屋が多く仲はよくないのです。
【加藤】
現地の人に手芸などを教えているシャプラニールは有名ですが。
【篠原】
以前からパングラデッシュでじっくりとやっている立派な団体です。私どもは通信ですから設置して教えたらぱっと帰ってくるのですが、彼らのように腰をすえてやるというのが、ほんとのNGOでしょうね。
【加藤】
そうでしょうがいろいろなタイプがあって、通信なんかは基礎的なインフラとして必要なものでしょう。
【篠原】
勿論そうですが、彼らの活動をみると足が地についてほんとにいい活動しているなーという感じはしています。自分たちもラオスで教えてはいますがそんなに長くは続かない。
【加藤】
でも、技術を覚えて自立すればよいわけですね。
ところで「BHN」の一般会員はどのくらいいるのでしょうか。
【篠原】
1口年会費3000円で6百何十人かいます。法人会員が60社くらいあって大はNTT ドコモとかNTTコミニケーションとかで会費の合計は大体4000万円くらいで、事業規模は年間1億3000万円くらいです。電気通信ですから、もう少し大きくなって技術者を抱えておきたい、技術者のOBで年金貰っている人ではもう古いのです。
特に、インターネットとかコンピユーターとかはどうしても若い現役でないと駄目ですから家族も養わなければならないので給料もちゃんとしたものを払う必要があるのですが、そのお金を払うことが現在のNGOでは出来ません。
たとえばカンダハルで事業をやれば、お金はJICAから仕事のある間だけですが一人当たり月給24万円は出ますが30代40代の現役の技術者をこれでは雇えないのです。いつも困っています。
【加藤】
アメリカの大学ではNPO経営専門の講座があって、もっと事業的に稼いで使うという考え方に切り替えることが必要である。日本人はNGOが稼ぐということを悪いことのように思っているのは遅れていると教えていますが。
【篠原】
そうです。良い人材を集めるにはそれなりの待遇をする。そのためにもしっかり稼いで使うことが必要なのです。
【加藤】
長時間ありがとうございました。
略歴
1938年 満州帝国撫順市生まれ
1962年 九州大学経済学部卒業(1960-1961社会主義学生同盟委員長)
1962年 甲陽運輸(株)勤務
1969年 日本精工(株)勤務
1985年 大日機工(株)専務取締役
1986年 ベンチャー企業数社経営
1995年 (社)総合研究フォーラム常務理事
1996年 (特活)BHNテレコム支援協議会 常務理事・事務局長
現在に至る
篠原浩一郎
常務理事・事務局長
特定非営利活動法人BHNテレコム支援協議会
Tel:03-5348-2221 Fax:03-5348-2223
URL: http://www.bhn.or.jp