■臆子妄論 

~ 翻訳の限界 ~            西村  徹

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◇バートランド・ラッセルの『西洋哲学史』を読んだ


  60年も前に出たバートランド・ラッセルの『西洋哲学史』を今頃になって読ん
だ。みすず版の市井三郎訳(第三巻をのぞく)と英語原書を併せ読んだ。理数に
弱い私は理数に強い憧れを抱きつつ、ラッセルの論理分析哲学を敬遠してきた。
そもそも哲学そのものが苦手だからラッセルでなくても敬遠気味になる。しかし
苦手でもヒマつぶしにはなるので読んだ。政府筋からすれば75歳を過ぎてまだ死
なずにヒマつぶし(pastime)をするのはゴクつぶし(parasite)かもしれない。さ
て、読んでみて、ないものねだりさえしなければ、なかなかおもしろい。哲学な
のに退屈しない。

 古くても(私には)新鮮であった。哲学のややこしいところは分かったり分か
らなかったりでも、ときどき一筆書きのような警句が出てきて、講義の途中で学
生が湧くようなところがおもしろかった。たとえばエルベシウスの平等観をまと
めてMen are born ignorant, not stupid; they are made stupid by education
(人は生まれたとき無知であって、バカではない。教育しだいでバカになる)な
ど。ほかにも小さな警句集が作れるほどある。

あるいはベンタムがHe was painfully shy, and could not without greattr
epidation endure the company of strangers(いたましいほど人見知りが強く
て、見知らぬ人と同席するとガタガタ震えがとまらなかった)というような温も
りも可笑しさもある人間描写。
  かと思うとErasmus was incurably and unashamedly literaryなどという。知
識人の文章には格別めずらしいことではないが、こういうひねりの効いたソフィ
スティケーションも、やはりおもしろい。市井氏の直訳だと「エラスムスは、恥
じも知らぬげに癒しがたいまでに文学的であった」(みすず版511ページ)と素
っ気ない。日本語にすると修辞の表層が剥き出しになって、辛口の裏に隠された
味が消える。のみならず居心地の悪い違和感が残る。

 じつはすこしもムキになって毒づいているのでなくて、エラスムスのliterary
ぶりをちょっと呆れ顔でからかっているのだろう。「文学的」が「下品」「卑劣
」「無能」「貪欲」「淫猥」とかいうならハナシは別である。Russel was incur
ably and unashamedly rationalと誰かが言っても当人は怒るまい。
  この市井訳の「文学的」がじつは曲者で、literary をいきなり「文学的」で
片付けるからこうなるのでもある。エラスムスを全く知らない人はひとまずそれ
ですんだとして、多少とも知る人は、エラスムスは十分に文学的であるにせよ、
それほどに過度に文学的なのであろうかと戸惑う。
 
literary は「文学」以外に「文字」「文献」「著作」にも関わって用いられ
る。日本語の「文学」も元々は、例えば文学部というように、文芸以外をも含む
言葉だったろうが、今はもっぱら文芸に限られている。人文主義者エラスムスの
作品が「文学的」でなくはない。結果として文学ではあるだろう。しかし単に文
学であるにはとどまらない。詩ではなくて散文によって文学芸術の創作を意図す
ることは、この時代にはなく、エラスムスにもなかったであろう。
 
彼は旺盛な著述家であり、『愚神礼賛』を一週間で書いた(と本人が言う)速
筆のジャーナリストであった。無学な兵隊のための読書心得まで書いた。なんで
も口あるいは筆を挟まずにいられなかった。その過剰なまでの「健筆」「饒舌」
をこのように言ったものであろう。ラッセル自身反戦・反核・平和・教育につい
てエラスムスにおとらずやかましかった。自分と重ねて照れたというところもあ
ったであろう。原語の品位には遠いが「書き魔」とでもいうところか。
 
あるいは、ラッセルは反戦で入獄したりデモの先頭に立ったりした闘士でもあ
ったから、常に世の煩いから逃避したエラスムスは、言うだけの「うどん屋の釜
」だという当てこすりも多少はあったかもしれない。
  神経質なルソーと快活なヒュームが(じつはヒューム一人にかぎらないが)ケ
ンカになるはなし、ニーチェについての論理分析というより心理分析などなど、
哲学の中身でなくて余談というべきところで私は勝手に愉しんだ。ラッセルも十
分茶飲み話が好きなようだ。


◇意味は「最大許容限度」というだけのことだが


 この本そのものを正面から扱うのはわが任ではない。哲学とは縁のない、翻訳
のほんの一点について興味をそそられたことを書く。市井三郎氏の翻訳も評判ど
おりの名訳だ。その名訳の、まずはどうでもよい一点をめぐって日本人と外国語
、とりわけ英語との、切ないような関わりについてのみ書く。みすず版バートラ
ンド・ラッセル『西洋哲学史』2(1971年第2刷)の475ページにこんなところが
ある。

 同王(筆者注:フランス国王フイリップ四世)はロンバルディアの金主たちを
略奪し、「車馬の往来の耐ゆる」限度までユダヤ人を迫害した後に、聖殿騎士が
金主であるばかりではなく、フランスは厖大な土地不動産を所有していることに
気づき、その財産を法王の助力によってわがものにしてもいいのではないか、と
考えついたのである。

 誤植が一つある。3行目の「フランスは」は「フランスに」が正しい。「は」
と「に」で意味がまるで変わる。「は」では辻褄が合わなくなって読者はへども
どする。「聖殿騎士が金主であるばかりではなく、フランスに厖大な土地不動産
を所有している」、つまるところ「テンプル騎士団が銀行屋である上に、べらぼ
うに大きな不動産屋でもある」こと。そう見当をつけるのに手間取る。勘の悪い
私は確認のために原文を見ることを必要とした。これは単純な校正ミスにすぎま
いが、興味をそそられたのは「車馬の往来の耐ゆる」という訳である。さきに英
語原文を掲げる。

 After he had plundered the bankers of Lombardy, and persecuted the Jew
s to the limit of "what the traffic would bear," it occurred to him that
the Templars, in addition to being bankers had immense landed estates i
n France, which, with the Pope's help, he might acquire.( pp480 )

 「車馬の往来の耐ゆる」は"what the traffic would bear"の訳である。ちな
みにThe traffic will bear は「現状(状況)がゆるす」が基本訳で、今では小
学館プログレッシブ英和中辞典(87年第2版)のtrafficの項目にも、唯一の成句
としてボールドイタリックで掲げられている。なお文語とことわってもいる。研
究社『新英和大辞典』第5 版(1980年11月)にも出ている。

 インターネットのスペースアルク(英辞郎)は、はなはだ念入りに説明してい
る。

 What the traffic will bear:現状で[現実的に]可能な[許される]範囲[
最大限]のもの。

 そして次のような例文も掲げている。

 Charging what the traffic will bear is unethical;可能な限り高い価格を
設定するというのは道義に反する。

 Googleで検索するとEconomist ; Forbes ; Timeのヘッドラインとしてそのま
ま使われていることがわかる。いわば新聞見出しの常套句であるらしい。


◇常套句だから分からない―そして辞書にもない


 今はこのように辞書にもあり、インターネットでそのまま入力して検索すると
簡単にヒットする。しかし1973年に出た小学館ランダムハウス英和大辞典の初版
には出ていない。もっと古いが手持ちのOEDにもSODにも見当たらない。いつから
辞書に現れたのかはさだかでないが、翻訳出版が1956年、改版が70年だから市井
氏が翻訳した時代の辞書には出ていなかったものと推定してよさそうに思う。

 なぜ古い辞書には出ていないのか。ラッセルが、まだナチス・ドイツが完全に
は降伏していない時期に大学の講義のなかで気軽に使っているのだから、よほど
ありふれた言いまわしだったはずである。たぶん新聞の見出しなどでよほどあり
ふれていて、英語を母語とする者なら誰でも知っているから辞書に載せるに及ば
なかったのであろう。辞書編纂者は、その必要に気付かなかったのであろう。出
典はいまのところ私は知らない。戦時中の「ABCD包囲網」みたいに新聞が造った
表現かもしれない。要するに「最大許容限度」を麗々しく表現した、いわゆるpu
rple passageであるらしい。
 
だとすると、今の目で見て市井訳をいきなり誤訳だといって切り捨ててしまえ
なくなる。それでは時代の認識を誤る。完全に正しいのではないから誤訳でない
とはいえない。たしかに一見難解な日本語ではある。「車馬の往来の耐ゆる」が
口語でないことは明らかだ。衒学的で、思わせぶりで、結局よくわからないが、
なんとなくそれらしい気分は出ている。
 
訳者は文脈からユダヤ人「迫害」の苛烈さを強調する修辞であろうと、正しく
見当をつけた。この訳文の含意するところを酌んで読者もおなじ方向に見当をつ
けうる。しかし正味のところは御簾の向こうで霞んでいる。訳者も読者もおなじ
く消化不良で、過剰に咀嚼反芻しなければならない。なければないでいいものが
、あるのでなんとなく気になる。ともかくも引用符があるから成句で、成句なら
和漢混淆で成句らしくキメておこうと、いささか大時代な文語でしのいだ。


◇消費者はやかましい


 翻訳は分からなくても分からないではすまされない。かならず分かったものと
して決着をつけねばならない。こんなものは単なる修辞のあやだから論旨に深く
関わるものではない。あってもなくてもいいものだと端折ってしまう手もある。
私は、それはそれでいいと思うが「消費者はやかましい」。そこだけ原文で残す
というわけにもいかない。

 これを訳者が翻訳したころの日本は、高度成長期に入っていたとはいえ、まだ
2コンマ5等国程度のものだった。今の中国が出しているような公害をさかんに出
し始めていた。この改版刊行はまさに大阪万博の1970年。万博が終わるや会期中
は蓋をして出さずに堪えていた有害ガスやら毒液やらをドッと吐き出して大阪(
だけではないが)の空は真っ暗になり、海の魚は油臭くなった。それが跳ね返っ
て71年大阪に革新の知事が誕生したりした。東京でも石神井という地名は光化学
スモッグと結びついて有名になった。海外では第三世界の人々からはイエローヤ
ンキーと言われ、アパルトへートの南ア在住日本人の子どもが「お父さんが召使
を買ってきました」と作文に書くような時代だった。
 
第三世界に対しては傲慢に振舞い欧米先進諸国には卑屈(今もあまり変ってい
ないが)で、そのくせ大学は戦前同様閉ざされていて、留学生はおろか、外国人
は、月給だけは日本人の三倍ぐらい取る会話用ガイジン教師がちらほらいるだけ
だった。今のような情報化社会とは大違いで、インフォーマーとかインフォーマ
ントとかいわれる、相談に乗ってもらえる英語の母語話者は東京でさえけっして
多くはいなかった。

 今はまるで様子がちがう。大学の研究者は休暇になるのを待ちかねて、まさに
「車馬の往来の耐ゆる」限度にまで海外に出かける。80年代になると日本人はバ
ブルでにわかに金満になって、経済の長期低迷に苦しむロンドンなどにフラット
を持つ人さえあらわれる。彼らは一年の三分の一ぐらいを海外で過ごす。休暇と
出張を上手くつないでドクターを取ってきたりする。日本の大学にも教師、学生
をふくめてインフォーマーに事欠かない。英語を母語とするバイリンガルの、い
わゆる帰国子女も増えている。
 
市井氏が実際に翻訳しごとをしたのは50年代であろう。いまのひとは想像もで
きない劣悪な時代条件のなかでの「車馬の往来の耐ゆる」は、まだ翻訳したとは
言い難いものではあるが、情報を欠いたままの遣り繰り算段としては上等であろ
う。じつは直訳しているにすぎないのだが原文のヴェクトルはしっかりおさえて
いる。文語の抽象性が持つ意味容量の大きさに負うところも大きい。成句は、意
味が分からなければ、直訳でひらきなおるしかない。


◇デジタルとアナログ


 言語がもっと正確な記号体系であるならば直訳がもっとも正確な翻訳になる。
しかし言語は正確なものでなく、あいまいなところが当然残るから機械的な直訳
では翻訳にならない。直訳するにしても、文の要素を(当たり前のことだが)構
文および文脈との関連のなかで捉えねばならない。つまりデジタルではなくアナ
ログでなければならない。ちなみにThe traffic will bearをコンピュータで翻
訳させるとこんな風になる。

 Exciteでは; trafficは子を生むでしょう。
  Infoseekでは; trafficは曲がります
  Alta Vistaでは; 交通は耐える

 Alta Vistaが辛うじて耐えうる訳といえるが、先の二つは噴飯ものである。い
くらデジタルでも「交通は運ぶ」があってもよさそうであるが、ワープロの漢字
変換で面食らうのとおなじことがここにもある。意味をなさないのである。「誤
っているのではなく、ナンセンスなのである」。市井氏の直訳は誤っていなくは
ないが近似値を狙った直訳である。今日改版あるいは新刷する(たとえば文庫化
などで)のであれば当然改められるべきではあるが、翻訳出版された時点ではお
そらくこれが最善で、ほとんどみごとな力技(tour de force)と言っていい。訳
語の選沢に品位があって、なにがし旧制高校寮歌風の匂いが懐かしい。大袈裟に
飾ったこの種の文語には丁度よかった。

 ここに来て私の意識から「車馬の往来の耐ゆる」に対する違和感はいつの間に
か消えていることに驚く。つまり私においてこの句は熟して、いまや成句(idiom
)に化しているのである。成句とはそういうものだ。成句は、言語にそれがない
と人工語のようになって気が抜けてしまうが、翻訳者にとっては厄介なものであ
る。仮に意味するところは分かっても、「許容限度いっぱい」では原文の気取っ
た言い回しには対応しない。案外「車馬の往来の耐ゆる」が正解かもしれない。
なぜならば、それは原文を読むことへと読者の心を誘うからでもある。

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