■宗教・民族から見た同時代世界

~オバマ政権の「対テロ戦争」はパキスタンに何をもたらす~    荒木 重雄

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 クリントン米国務長官が、米国歴代政権の対パキスタン政策を「支離滅裂」と
酷評したニュースが流れた。米ソ冷戦期の80年代にはパキスタン軍の強化を支援
し、98年の核実験では一転、経済制裁で困窮に陥れた、米国のご都合主義的な介
入を批判してのことだが、折から米国の圧力でパキスタン軍がタリバーン掃討作
戦を再開した状況のなかで聞いたこのニュースは、ある種、ブラック・ジョーク
の響きをともなった。


◇◇束の間で崩壊した和平


  事の次第はこうである。
  パキスタン政府はこの4月、北西辺境州スワート地区を対象に、タリバーンが
要求するイスラム司法制度の導入を認める代わりに反政府武装闘争を停止すると
いう条件で一部タリバーン勢力と和平を結んだ。
  これは、これまでの対タリバーン軍事作戦が成果を挙げぬばかりか住民に大量
の犠牲者や避難民をうみ、政府への批判が高まったためである。

 ところが、パキスタンをアフガニスタンと併せて「対テロ戦争」の「主戦場」
とする米国は、和平はタリバーンの勢力拡大に利すると批判し、折からスワート
地区の南隣でタリバーンの「イスラム法説諭隊」が首都イスラマバードまで100
キロの地点に出現したことを捉えて「米国と国際社会に致命的な脅威」と言い立
てた。
  米国の圧力に押されたパキスタン政府は、和平から2週間を経ずしてタリバー
ン掃討作戦を開始し、和平は崩壊、再び、掃討とテロの応酬、住民の巻き添えと
難民化の悪循環がはじまったのである。


◇◇出口なき閉塞状況のなかで


  パキスタンを動かすのは「三つのA」といわれる。アーミー(軍)、アッラー
(宗教)、アメリカである。前ムシャラフ政権は、この三つのバランスを綱渡り
的に保ってきたが、最後はアメリカとアッラー(反米イスラム勢力)の板ばさみ
になり潰された。陸軍参謀長を兼務して軍に基盤をもっていたムシャラフ前大統
領にして然り。選挙戦中に非業の死を遂げたブット女史の夫というだけで権力の
座についた現ザルダリ大統領には、とても三つのAを統御する力はない。さらに
加えて、国の支柱たる軍も世俗派とイスラム派の分裂が深刻化して、どちらかが
暴走しかねない懸念もある。
  このような国家崩壊に瀕した状況のなかで、もう一つのAの緊急性が浮上して
いる。


◇◇国家を脅かすもう一つのA


  そのAとはアフガンである。といってもアフガニスタンそのものではない。パ
キスタンの国名は、それぞれ異なる民族が住む地域であるパンジャーブのP、ア
フガンのA、カシュミールのK、シンドのS、バローチスタンのTANを組み合わせて
「清浄な国」を意味するPAKISTANに纏めたもので、その国名からも、同国が多民
族をイスラムという宗教の同一性で括った成り立ちがわかるが、そのなかでアフ
ガンとは、アフガニスタンと国境を接し、アフガニスタンの多数派民族であるパ
シュトゥーン人が国境を跨いで居住する山岳地帯で、すなわちパキスタンの北西
辺境州と連邦直轄部族地域を指す。
  勇猛で誇り高く独立心旺盛な地元部族が割拠し、これまでも中央政府が完全統
治したことがないこの地域に、いま「タリバーン化」が急速にすすんでいるので
ある。
 
  その背景には勿論、隣国アフガニスタンにおけるタリバーンの伸張がある。い
まやカルザイ政権の支配はカブール市周辺に限られ、全土の70%はタリバーンが
実効支配して徴税権を確保しイスラム法を敷く。その国と、国境など有名無実で
、言語・文化を同じくし通商・婚姻圏を共にするこの地域に影響が及ばぬはずは
ない。否、影響というよりは、厳格なイスラム主義を基盤にした外国勢力の排除
、自主独立の保持は、国境を超えたパシュトゥーン人共通の理念となっているの
である。
 
  とりわけパキスタン側部族地域においては、中央政府の汚職腐敗や、米軍の無
人機攻撃による住民の犠牲者の増大などが、各部族の武装組織化に拍車をかけ、
それらの部族武装集団がそれぞれ自らにタリバーンの名を冠しているのである。


◇◇米国介入で内戦の危機


  米オバマ政権は「対テロ戦争」の「主戦場」をアフガニスタンに移したが、戦
略的にはパキスタンも一体のものと捉えられている。したがって、今後増派され
る2万1千人の米軍や5千人のNATO軍の一部もパキスタンに向かうことになろう
し、資金的には、4月に東京で開かれた国際会議でパキスタン向けだけで50億ド
ルを超える拠出が表明された。
 
  しかし、軍事力と資金を注ぎ込んで治安を回復できるのだろうか。大規模な軍
事行動は当然、女性や子どもなど住民の殺傷をともなう。それは、女性や子ども
を傷つけられることに敏感に反応するイスラム教徒、まして、「自尊心」や「男
らしさ」、「郷土愛」、「血の復讐」などの価値観(パシュトゥヌワレイ)に立
脚するパシュトゥーン人の強烈な反発を引き起こすことは必至である。資金も、
中央政府の汚職や複雑な部族間の利害関係をくぐった末に、民生支援や生産的投
資ではなく、さらなる武器の供給に繋がる危険が大きい。
  不用意な介入はむしろ本格的な内戦の危機を孕むのである。

(筆者は社会環境フオーラム21代表)

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