■宗教・民族から見た同時代世界

~タリバーンの出自は政治に揺らぐイスラム神学校~    荒木 重雄

───────────────────────────────────

  アフガニスタンのタリバーンの復活に呼応するように、隣国パキスタンでも、
多数の犠牲者を出した9月の米国系マリオット・ホテル自爆テロをはじめ、タリ
バーン支持者によると目されるテロが頻発している。オバマ米次期大統領がアフ
ガニスタンを「対テロ戦争」の主戦場と位置づけているところから、この地域の
一層の不安定化は免れないだろう。
  タリバーンとはなにか、いま改めて注目されるところだが、その背景をかれら
が巣立ったイスラム神学校、マドラサから探ってみよう。


◇◇マドラサとはなにか


 マドラサとはイスラム圏に伝統的な神学校である。規模はさまざまだが各地に
あり、多くは寄宿舎を備えて、5、6歳から30歳くらいまでの児童や若者が住ま
いながらクルアーン(コーラン)暗誦やイスラム諸学を学ぶのである。経費は教
団やコミュニティの寄付で賄われ、授業料も寄宿代も無料。公教育が遅れている
地域や貧しい家庭の子どもたちには、読み書き算数など基礎教育が受けられる唯
一の機関ともなっている。
 
  この教育システムは、他のイスラム圏同様、パキスタンでもごく普通のものだ
が、アフガニスタンに国境を接する北西辺境州では特別な事情があった。東西冷
戦のさなか、1979年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、米国および西側諸
国(パキスタンや親米アラブ諸国を含む)はアフガニスタン、パキスタンのイス
ラム勢力に武器と資金を与えてムジャヒディン(イスラム聖戦士=義勇兵)とし
てこれと戦わせる一方、パキスタン側国境地域に多数のマドラサを建設した。ア
フガンからの難民を迎えてムジャヒディンを養成するためであった。
  こうして80年代に入ると一部のマドラサは政治状況とぬきがたくかかわること
になった。


◇◇政治化するマドラサ


 米国・西側諸国の資金提供によるマドラサを実際に運営したのは、この地域を
拠点とするデーオバンド学派の宗教政党「イスラム・ウラマー(聖職者)党」(
JUI)であった。
  デーオバンド学派とは、19世紀後半にインドの町デーオバンドで興り、植民地
インドのイスラム教徒の反英独立運動を指導したスンナ派の有力宗派であり、厳
格主義で知られている。

 そのマドラサの教育では、まず3年はクルアーンの丸暗記、次の1年はクルア
ーン朗誦の独特な声の出し方の修練、次の3年でアラビア語、そのあとでようや
くクルアーンの意味や解釈を学ぶ。そのあいだにイスラムへの揺るぎない信念と
、徹底した禁欲的な生活態度を身につけるのである。
 
  89年、ソ連軍が撤退したのち、軍閥と化したムジャヒディン各派が覇権を争う
内戦状態に突入すると、アフガニスタンに自国寄りの政権をつくろうと企むパキ
スタン政府とこれらイスラム・ウラマー党のマドラサが連携して、アフガン難民
を中心とする神学生たちに資金と武器を与えて一大軍事勢力に仕立て上げ、アフ
ガニスタンに送り込んだ。これが、アラビア語の「学生・求道者」を意味する「
ターリブ」に由来するタリバーンである。

 タリバーンは軍事力に加え、神学生という純粋・清新なイメージで大衆の支持
を集めつつ破竹の進軍をつづけ、96年には首都カブールを制圧して政権を樹立し
た。男性に顎鬚をたくわえさせたり、女性の外出を禁じたり、ビデオやDVDを
焼却させたり、ついにはバーミヤンの石仏まで破壊するという極端なイスラム化
政策は、かれらを育てたデーオバンド学派の厳格主義に由来するものなのである


◇◇政教蜜月から対立へ


 パキスタン政府とイスラム・ウラマー党系マドラサの蜜月は、しかし、ここま
でであった。
  9・11事件後、「テロとの戦い」を掲げる米国の圧力に屈したムシャラフ大統
領がタリバーン攻撃に向かう米軍への協力を宣言すると、パキスタン中に反米・
反政府気運が広がり、マドラサは、義勇兵として米軍と戦うためアフガニスタン
に赴こうとする若者たちの窓口となった。
  さらに、マドラサをタリバーン支援の拠点と敵視する米国の意を汲んで、ムシ
ャラフがマドラサに登録制を敷き過激なマドラサは取り壊すなどの措置をとるに
およんで、神学校および神学生と政府の対立は決定的となる。

 この軋轢が爆発したひとつが昨年7月、首都イスラマバードで起こった「赤い
モスク」事件であった。ここは2、3千人が学ぶマドラサであったが、ムシャラ
フの親米路線に反対する急先鋒の学生たちが武装して立て籠もり、一週間に亙る
睨み合いの末、軍に武力制圧されて、学生側に多数の犠牲者を出すにいたった。
  この事件への報復もあって、以後、パキスタンにおける軍、警察への自爆攻撃
が急増するのである。


◇◇08年政変の意味するもの


 2001年にはじまる米国の「対テロ戦争」以降、パキスタンの政治と社会はつね
に対米協調とタリバーン運動に代表されるイスラム主義のあいだで揺れてきた。
米国追随姿勢が国民の反発を招いたムシャラフ政権は強硬手段を繰り返して危機
をしのごうとしたが、ついにはその米国に見限られて下野し、替わって米国の後
押しで登場したザルダリ政権も、パキスタンの主権さえ無視した対テロ戦の強行
をめぐって米国との亀裂を広げている。
  こうした過程が広範なイスラム民衆の反米感情を一層深めることは免れない。
そして、アジアでは、民衆の思いの先頭に立つのはつねに若者である。いつまた
新たなタリバーン(神学生たち)が政治舞台の表や裏に登場せぬともかぎらない
のである。
  このような要因を含め、この国の今後の状況を左右するのはやはり新大統領を
戴く米国である。

(社会環境フオーラム21代表・元桜美林大学教授)

                                                    目次へ