■「核のゴミ」処分から考える原発問題      濱田 幸生

~入り口=需要から考えるのではなく、出口=最終処分から考える~

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■「原発推進」フィンランドの覚悟と知恵

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 フィンランドはユニークな原発政策を持っている国です。
グスタフソン・フィンランド駐日大使はこう語っています。
「多くのフィンランド人は原発推進派ではない。論理的に導き出された選択であって、情熱やイデオロギーの問題ではない。」(「ニューズウィーク」10月30日号)

 グスタフソン大使はフィンランドが、日本の原発護持派によってまるで無原則な原発推進派のように喧伝されていることに不満なようです。
確かにフィンランドは原子力の割合が29.6%あり(※日本23.9%)、新規に3基の建設をしようとしていますが、それが可能となった秘密は「オンカロ」という最終処分地を確保しているからです。
そして最終処分場のキャパシティに合わせて原発を建設する政策をとっています。

 つまりエネルギー需要という入り口から発想するのではなく、逆に核廃棄物の出口問題を解決してから新規建設計画を立てるという逆転の発想です。
わが国のように原発を建設し始めた時に、最終処分場はなんとかなるさで始めたツケが今になって抜き差しならないことになった無責任ぶりとは大きく違います。

 わが国は最終処分場というバックエンド問題を解決しない限り、実は原発ゼロも推進もないのです。※
 民主党政権が原発ゼロといいながら、再処理にこだわるのは使用済み燃料のリサイクル工程がなくなると核廃棄物の最終処分問題がクローズアップされてしまうからです。

 「オンカロ」とはフィンランド語で「隠された場所」を意味し、この地下埋却施設の地層はなんと18億年変動していないそうです。この安定した地層を500m掘って二重のキャスクに入れて保管する計画です。
「オンカロ」は2020年に操業を始め、2100年代にいっぱいになる予定で、いっぱいになったらコンクリートで蓋をしてしまいます。
 実はこの「オンカロ」が人類最初の完全な核廃棄物の最終処理施設なのですが、90年先なのでこの結果を見届けられる人間は残念ながらいません。

 フインランドは既存の4基に加えて、新たに3基の原発を作る予定ですが、、この「オンカロ」に核廃棄物を2100年代まで埋設し、その間に再生可能エネルギーを代替エネルギーとして使えるエネルギー源にする計画です。
 つまり、フィンランドはこの最終処分場の容量に合わせて原発を作っているわけで、何のあてもないまま54基も作ってしまったわが国は爪のアカを煎じて飲みなさい。

 フィンランドは、今でも世論調査をすれば原発反対が賛成を上回るそうですが、この最終処分場の地層が安定しており、国民にそれを丁寧に説明してきているために大きな反対運動は起きなかったそうです。

 ところで、フィンラド人が原子力発電を維持し続ける理由はなんでしょうか。まず第1に、フィンランド人が原発のリスクより地球温暖化によるリスクが大きいと考えたからです。フィンランドは寒帯に属する国で、気候変動が起きた場合大きな破局を迎える可能性があります。

 また北極圏にあるために化石燃料の増大によるオゾン層破壊が、そのまま紫外線の増大とつながってしまうことを恐れています。
新規原発3基を建設することによって国内のCO2の3分の1にあたる000万トンを削減する計画です。そして2020年までに石炭火力発電所をゼロにする予定です。

 第2に、80年代にエネルギー供給の多くをロシアに依存している構造を解消して、エネルギーの安全保障を確立したこともあります。
 ロシアは湾ひとつ隔てた巨大な燐国で、常に侵略を受けてきた苦い過去があります。ソ連の侵略を受けた1939年の「冬戦争」は今もフインランド人の魂の中に生き続けています。※

 ですから、フインランドは「独立」の二字にかけてかつての支配民族ロシアにエネルギーを依存する選択はありえなかったのです。※
電力供給をロシアに握られてしまっていては、フィンランドの独立にも関わります。同様の地政学的位置にあるバルト三国や東欧圏も、ロシアの異民族支配を肌身で知っているだけに安易に原発からの離脱の道を選べないのです。

 そして第3に、フィンランドは国際競争力世界順位1位2位を争う工業国です。その彼らにとって、エネルギー・インフラは教育制度や金融制度と並んで重要な国際競争力の源泉です。小国でありながら技術立国であり続けるためには原発は必要悪であり、その維持のためには「オンカロ」が許容するだけの放射性廃棄物は認めていこう、そう彼らは考えたわけです。

 私はドイツの短絡的な脱原発政策より、このようなしたたかなフィンランドの「推進」策のほうを高く評価します。
 フィンランドが「オンカロ」の用地選定に乗り出したのは原発稼働と同時期の83年でした。そしてチェルノブイリ以後初めて原発の新設を国会が認めたのもフィンランドが最初でした。

 第4に、かつて使用済み核燃料をロシア(当時ソ連)に渡したところ核兵器に転用されたという苦い歴史もあるからです。
そのことがあってフィンランド人は放射性廃棄物を外に持ち出すくらいなら、国内で最大限安全な場所に保管しようとその時に決意したのです。
しっかりとした核廃棄物の最終処分場を定め、その容量に合わせた原発を容認し、厳重な安全措置を施す、そして国民にそれを周知させていく、このようなフィンランドの原子力政策はわが国にとって学ぶべきことが沢山ありそうです。

※≪参考文献≫
「ニューズウィーク」2012年10月30日
「フィンランドの原子力発電開発と原子力政策」
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=14-05-05-02

※バックエンド 原子力発電所で、燃料製造・発電所建設・運転などの「フロントエンド事業」に対し、原子炉の廃炉費用や放射性廃棄物の処理、核燃料サイクルにかかわる 事業を「バックエンド事業」と呼んでいます。
参考 http://www.nuketext.org/yasui_backend.html
※初期の原発であるロビーサ原発は旧ソ連の技術で作られており、使用済み燃料を旧ソ連に返還したところ核兵器に転用されました。
※冬戦争 第2次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、旧ソ連がフィンランドに不可侵条約を破って侵入した戦争。フィンランドはこの侵略に英雄的に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守りました。
しかし講和の代償は大きく、産業の中心地であるカレリアの割譲やハンコ半島のソ連軍駐留などの譲歩を支払わざるをえませんでした。
Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%88%A6%E4%BA%89

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■核のゴミについての日本学術会議のリアルな提案

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 今の日本の状況は、初めてまじめに原子力の矛盾と向き合ったという意味で、スリーマイル原発事故の直後の1980年代のヨーロッパに似ているかもしれません。

 スゥエーデンはスリーマイル事故の翌年、国を二分して「原発容認」か、「原発反対」かに別れました。 そして全政党を挙げての政争にまで発展し、連日のように両派のデモが繰り返されました。  もはや冷戦期さながらのイデオロギー論争となって、その決着を国民投票で問われることになります。そして原発反対派が勝利し、30年先の2010年まで
を原発モラトリアムとすることに決します。

 ただし、その間エネルギー政策の混乱があり、モラトリアム=凍結にもかかわらず6基の原発を作ってしまう迷走もしています。
 また1986年のチェルノブイリ原発事故においても、スゥエーデンは国土の一部が被曝し、食品や土壌、家畜に大きな被害を出しました。
その時、当局が混乱を恐れて情報発信に失敗したことで、かえって混乱が増幅した苦い経験もしています。このことについて、スゥエーデン政府の詳細な記録が公開しています。

 このような経験を経て、スゥエーデンは原子力問題を具体的に解決することを学びました。 たとえば、かつての賛成、反対と言った国民対立の段階から、「いかにして核のゴミを処分するのか」、「廃炉においていかに作業員の被曝を軽減するのか」といったよりリアルな問題に深化していったのです。

 残念ですが、我が国はスゥエーデンの80年代の状況です。つまり、賛成、反対が具体論に結びつかず、あたかも空中でトンビ同士がお互いの尻を追いかけて旋回し続けるように、いつまでも同じ議論を続けて飽きることがありません。まるで神学論争です。

 たとえば、「原発は安全か否か」など問うまでもありません。危険極まりないに決まっています。「核燃料リサイクルはあったほうがいいか、ないほうがいいか」、同じくないほうが言いに決まっています。
 この調子で再処理工場は、プルトニウムは、と問い続ければ、全部ないほうがいいに決まっています。
 ただし、なくて済むのならば、ですが。問題はいいか悪いかではなく、ではどうしたらいいのか、なのです。

 日本学術会議が9月に出した核のゴミ(使用済み核燃料)の処分についての提案は大変に興味深いものでした。
 私が知る限り我が国で最初の核のゴミに対する具体案です。

 ではいままで政府がどうしていたのかと言えば、一言で言えば、「処分地を探すふりをしていた」のです。
 認可法人「原子力環境整備機構」(NUMO)という組織が、最終処分地に適した場所を探すというふれこみで、なにか「やっているふり」をしていたのです。
最終処分地はおろか調査候補地すらないことはわかりきった話で、ある財政難の小さな自治体が村長の独断で応募したところ、発覚して村を上げての大騒ぎになりました。

 ですから、このご大層な名前のナンジャラ機構とやらは、なにも仕事がないのです。しかし、゛このようなナンジャラ機構があるというだけで、経済産業省は、国会での言い訳が出来たというバカバカしい一席しです。
 原子力村にはこの手のなにもしないが、あるだけで言い訳の材料となるという組織がゴマンとあります。いずれも役人どもの天下り先です。
 このような停滞状況を初めて真摯に突破したのが日本学術会議の提言でした。日本学術会議は、いままでの政府が固執してきた地層埋却処分を、到底受け入れられないものをにしがみついて時間を無駄にしたと批判しました。

 その上で、我が国で万年単位で安定した地層を探すのは困難であり、当面は最終処分という迷妄、いや正確に言うなら「言い訳」にしがみついているのではなく、現実を直視して数十年から数百年ていどの「暫定保管」というモラトリアム処分に切り換えるこことを提案しました。

 また日本学術会議は、このモラトリアム期間に新たな技術進歩があったり、社会的なコンセンサスが取れた場合、いつでもそれを取り出すことができる方式としました。

 そしてもう一点きわめて重要な提言もしています。それは際限なく核のゴミが出続けるのではなく、この暫定保管できる許容量に合わせた核のゴミの排出量を定め、それに合わせて原発発電量を決めるべきであるとしたのです。
 いわばフィンランド方式とでもいうのか、入口=発電需要からだけから考えるのではなく、出口=暫定保管量から発電量を決めていくという考え方は大変に合理的です。

 ただし、暫定保管であったとしても、プルトニウムの直接埋却は、容器の破損の可能性が高く危険であることには変わりありませんが。
 しかし今必要なのは、このような個別具体の問題解決なのです。もう賛成、反対の総論は沢山です。

 このように具体的な問題解決をそろそろ始めませんか。私はリアルに原発を廃炉にするための知恵をしぼる時期が来たと思うのですが。
 と言っても残念ですが、総選挙まではトンビの空中戦は終わらないでしょうが。

 (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)