■ 農業は死の床か再生のときか 濱田 幸生
宮崎口蹄疫事件を検証する (第4回) ~30万の墓標~
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■硬直した防疫方針による30万頭の殺処分
宮崎県口蹄疫事件は、戦後畜産史上空前の30万頭にもおよぶ殺処分を出して
終結しました。私はこの「防疫」という名の下に積み上げられた巨大な屍の山
を、暗然たる気分で眺めました。
今なお、被災農家の心は苦痛でかきむしられています。ある牛はミルクちゃん
と名付けられ、子供は毎朝挨拶をして学校に行ったそうです。大変によく牛乳を
出す、大きな瞳の牛でした。
ある夕方、学校から帰ってみるとミルクちゃんはいず、真っ白な消毒剤だけが
残っていました。子供は「なぜ、どうしてなの?」と親に聞きました。親もただ
涙き崩れるだけで答えられません。
彼女は殺されたのです。ワクチンを打たれて、殺されたのです。口蹄疫はおろ
か、なんの病気にも罹ってはいませんでした。健康な、最後の日までよく乳を出
すおとなしい牛でした。親は、最後の日に一番いい取っておきの餌を与えて送り
出したそうです。 ミルクちゃんは子供の友達でした。なぜそんな彼女が殺され
ねばならなかったのでしょうか?いま、家の裏庭に彼女のお墓が出来ています。
親子で作りました。花が途切れる日はないそうです。
このような悲しみの墓標が30万もできてしまったのです。私はそれをしかた
がないことだとは思いません。 さて、宮崎県でとられた方針は、ワクチン接種
した後にすべて殺すという非常に硬直した方針でした。本来あるべき発生動向調
査(サーベイランス)も、NSP(*非構造タンパク質)検査もなされませんでした。
私がこの方針に強い疑問をもつのはこの点です。能力的にできなかったとは言
わせません。当時、100人もの獣医師が常時現地に派遣されていました。71チー
ム(獣医師1名+補助員1名+運転手1名)が活動しています。
ワクチンと自然感染が分別できなかった、ともいわせません。宮崎県で使われ
たワクチンは、英国メリアル社製製品名Aftoporで、O型、不活化、備蓄期間は
1年です。備蓄量は70万ドース。そしてNSPフリーワクチンです。通称マー
カーワクチンです(農水省に確認済み)。
マーカーワクチンは口蹄疫ワクチンとしては特殊なものではなく、今はほとん
どこの方法で製造されています。これは、ウイルスを不活化して濃縮して生成し
て作りますから、NSP(非構造タンパク質)は初めから除外して製造されます。
ですから、このNSP抗体が検出されれば、それは自動的に自然感染で非ワクチ
ン由来だということになります。わが国でもNSP抗体検査法は2001年に既に開発
されています。外国にも多数検出方法は存在します。
これらの手段を持ちながら、なぜ全頭殺処分としたのかのはっきりした理由が
わかりません。元々そういう方針があったからそうしたのだ、としか説明がなさ
れていないのです。 私は口蹄疫の防疫対策においてワクチン接種は切り札だと
思っています。私は4月段階から、緊急ワクチンをしろ、ということを叫んでい
ました。
ただ、当時私は宮崎で使用されたワクチンがNSPフリー・ワクチンだ、という
確証がありませんでした。それが判ったのは、終結して山内一也先生(東大名誉
教授)の論考に触れてからです。 また同様に、私は殺処分一般を否定する者で
はありません。特に初動においては英国-韓国型の発生点から500m~1キロの半
径内無条件殺処分は必要だと思っています。
■ワクチン接種して殺処分する必要などなかった
私が大きな疑問を持つのは、今回のワクチン接種が自動的に無条件殺処分とな
った、という不合理性です。その必要性などいささかもなかったと私は思いま
す。 それは諸外国の方法をみれば判ると思います。近年の諸外国でのワクチン
対策は、ワクチン・バンクを作るところから始めます。採取された各種のウイル
スを不活化して、濃縮・精製します。この抗原を保管してワクチン・バンクを作
ります。
そして、緊急時には、このバンクの中のストックを複合させて複合ワクチンと
して接種します。日本のような非清浄国に満ちたアジア地域で、清浄国を保つた
めにはこのようなワクチン・パンクの創設は必須でした。まったく手付かずとは
思いませんが、動物衛生研でどのような研究がなされているのか知りたいもので
す。
いずれにせよ、日本の口蹄疫対策は殺処分一本槍でした。ワクチン研究はなお
ざりにされて、ほとんど予算配分がなされていなかったと思われます。ですから
それがいったん破られると今回のような事態になります。
今回の政府の方針は、一見ワクチン接種が前面に出てきているので解りにくい
ですが、単なる全殺処分政策により、無家畜地帯を作る方針だと思います。です
から、ワクチンが効いたの、効かないのなどという論議は二次的なもので、本筋
ではありません(私はよくても6割ていどだと思っていますが)。 要は、感染
の可能性が高い危険な家畜だけを見つけて、淘汰していけばいいだけの話です。
健康な家畜は伝染を拡大しません。むやみやたらと殺す必要などまったくありま
せん。
科学技術の急速な進化により、口蹄疫防疫は2001年時とは比較にならない長足
の進化を遂げています。それにあわせて諸外国の防疫方法も大きく変化しようと
しています。まず殺処分ありきは、今や世界の主流ではありません。
■OIEも清浄国ステータス条件を変更している
そのような防疫方法の進化に伴って、OIEも清浄国ステータスの回復の規約
を変化させています。ワクチン接種後清浄確認ができれば、6カ月間で復帰が可
能です。 では、ワクチン接種・殺処分は3カ月間で復帰ですから、この「3カ月
間」の差をどう評価するかですが、現実にわが国が非清浄国に転落した期間中
に、非清浄国からの輸出が急増しましたか?していません。これは、二国間交渉
が必要だからです。
確かに輸出は清浄国にはできなくなりましたが、非清浄国には5月中旬以降変
化なく続けられています。 そもそも国は、5月中旬段階で、約12万頭もの自然
感染の殺処分対象を抱えて埋却地がニッチもサッチもいかなくなった宮崎県に、
さらにそれまでを上回る17万5千頭もの巨大な上乗せを要求したことになりま
す。 そのことにより処分の大幅な遅延が生じました。この処分の遅れはどのよ
うに計算されるべきでしょうか?
また全殺処分による12万5千頭の中で、自然感染した家畜、つまり本物の患畜
はたぶん半分前後ではないでしょうか。仮に約6万頭だとすれば、これらの農家
の再建に要する膨大な努力、財政的支援は考えるのもいやになります。
この「殺処分されなくてもよかった」可能性がある約6万頭の再建にかかる日
数は資金はどのように計算されるべきなのでしょうか?
そのように考えると、この3カ月の輸出の迅速化を要求するために、殺処分の
みが唯一の手段で、これだけが絶対に正しかったと言えるでしょうか。
今回の宮崎県の事件において、ワクチン接種家畜はNSP抗体検査により自然感
染と確認されたもののみ殺処分すべきであったと思います。そのことにより処分
数は軽減され、再建に要する日程も大幅に短縮されたと思います。
■将来の防疫モデルは
私が考える将来のモデルは、初動において1日以内の殺処分と予防殺処分とサ
ーベイランス(発生動向調査・遡及調査)を実施します。
しかし不幸にも初動制圧に失敗して拡大した場合は、緊急ワクチン接種をした
後にNSP抗体検査を実施し、自然感染した家畜のみを摘発淘汰します。
常時、初動チームと補償体制を準備し、県と国の防疫訓練を緊密に行います。
またワクチン・バンクなどわが国独自のワクチン開発などや、サーモグラフィな
どの簡易検査方法の準備も必要でしょう。
今後は国が常設した家畜伝染病危機管理対策セクションの中で、首席防疫官を
置くなどの指揮、命令系統の整理・統合と権限の明確化が必要となります。
さもないと、今回のような県と国が火事場で大喧嘩するようなドタバタになり
かねません。 それらを含めて家伝法・防疫指針の抜本的見直しは避けられない
でしょう。
■ワクチン接種・全殺処分政策が取られた内部事情
では、4月と5月初旬の時期を輪切りにしてみましょう。
国はほとんどなんの対応もしていません。それは口蹄疫確認から1週間以上た
っての4月28日段階で、ようやく疾病小委員会が本格会合(通算2回目)をも
ったことでもわかります。
確かに20日に口蹄疫対策本部が設置されていますし、赤松大臣が本部長に据
えられていますが、到底機能しているとは言い難い状況でした。 この時点で農
水省疾病小委員会は、「えびの市の発生農場は、既存の発生農場の関連農場」、
「消毒、殺処分などの現行策を評価する」と言っています。
同日、口蹄疫疫学調査チームが現地調査・第1回検討会を持ち、感染経路の究
明に向け調査開始しています。 この4月28日というのは今回の事件ので特筆
されるべき日時でした。県畜産試験場(第10例)が川南町で出て、後は雪崩の
ような感染拡大が起きていきます。
特にGW中の国道10号線に沿った感染拡大は、致命的なパンデミックの導火
線となってしまいました。この幹線を使った加工処理場、屠場への行き来は多か
ったにもかかわらず、無規制、無消毒状態でした。
それに対しての疾病小委見解は、5月5日に出ていますが、「空気感染の可能
性は低い」、「消毒、殺処分などの現行策を徹底すること」の確認にとどまって
います。 そのように言った翌日の5月6日に、あろうことか県畜産事業団の種
牛に発症し、種牛の避難が開始されます。
このような農水省の動きを見ていると、「ほんとうに彼らは現実を把握してい
るのだろうか」という素朴な疑問が湧いてきます。
それは疾病小委2回目の開かれた4月28日に、赤松大臣を不要不急のカリブ
海周遊の旅に行かせてしまったことでもわかります。もし、農水省対策本部が、
危機感をもっていたのならば、本部長をこのパンデミック前夜に外国に出すこと
をするはずがありません。 当時は山田大臣(当時副大臣)も同様な認識だった
ことは、5月8日の自身の地元長崎県五島市での養豚業者相手のパーティで、
「早期終息に向かいつつある」と挨拶したことで判ります。
■山田大臣は豚関連業界団体から直訴された
このパーティの席で、養豚関係者から、「とんでもない認識だ。終息どころ
か、拡大し続けている」という声を聞き、山田大臣は驚愕します。
そしてパーティの場から、みやざき養豚生産者協議会会長の日高氏(養豚家・
獣医師)に 電話をかけ、宮崎県の恐るべき状況を聞くことになります。
ちなみに赤松大臣は前日にようやく帰国しましたが、佐野市に同じ民主党の候
補の応援に行くと言い出す有り様で、危機感は皆無であったはずです。
たぶんこの5月8日の時点で、政府関係者の中で危機感を唯一持ったのは山田
大臣だけであったと思われます。 山田大臣が赤松氏にどのようにこの状況認識
を伝えたのか、判りませんが、ただちに現地入りしろということは言ったことは
間違いありません。しかし、現地に行っても、いばり散らしただけですが。
5月10日、帰京した山田大臣は議員会館の自室に日本養豚協会(JPPA)
会長の志澤氏、 同じく事務局の倉本氏、日本養豚開業獣医師協会(JASV)
代表理事の石川獣医師 から、話を聞きます。
この席上、山田大臣はあまりの悲惨な状況に涙すら浮かべたそうです。後に、
非常に強権的とも写り、コワモテのイメージが先行する山田氏ですが、このよう
な苦しみに共感して涙する心根があることは救いとなります。
農水省内部の副大臣室をつかわずに、議員会館を使用したことを見ても、山田
大臣が農水省官僚をまったく信じていないことが伺えます。農水省にこの2団体
を呼べば、どのようなリアクションが官僚集団に生まれるのか配慮したのでしょ
う。
■養豚関連団体の政策進言が、そのまま政府方針となった
さて、このようにして山田大臣と、養豚関連2団体(+みやざき養豚生産者協
議会)との直接パイプが成立しました。これは、農水動物衛生課とも、そしても
ちろんのこと宮崎県対策本部とも関係のない頭越しのホットラインでした。
5月16日、山田大臣は、この養豚関連2団体と鳩山首相を面談させていま
す。 まさに民主党流の「政治主導」の典型として、今回の防疫方針が出来上
がっていったことになります。
そして、翌5月17日にようやく、山田大臣の進言により政府が口蹄疫対策本
部(本部長=鳩山首相)の初会合を持ちます。そして同時に宮崎県に現地対策本
部が設置されることになりました。 実に発生から約1カ月後のことです。しか
し山田大臣がなかりせば、首相と民主党内閣は普天間問題で忙殺されていたため
に、この政府対応自体がさらに先に延びたであろうことは言うまでもないことです。
そして翌5月18日に宮崎県が前例のない「非常事態宣言」を発しました。
すでにこの時点で、127~131例目を確認。殺処分対象は11万8100頭に達してい
ました。完全な感染のブレイクアウトです。 また同じく5月18日に政府の現
地対策本部長として宮崎入りした山田大臣に、養豚開業獣医師協会の獣医師K氏
が個人アドバイザーとして随伴しました。
農水省疾病小委員会(4回目)が、「ワクチン接種を検討する時期にきてい
る」と答申したのも、この5月18日でした。これは養豚関連2団体が、既に4
月段階で提案し続けていたワクチン接種・全頭殺処分方針が、政府全体の防疫方
針となったことを意味します。
こうして、この5月18日という日付も忘れられないクロニクルになりまし
た。 (このシリーズ続く)
(筆者は茨城県行方市・農業者)
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