■ 【時評】地方分権と2人の知事             森田 桂司

地方分権の前進に賭ける二人の男の動きと知事としての評価

       ~東国丸宮崎県知事と橋下大阪府知事~
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  「地方分権」、そもそもこの言葉に対する理解の不足で、こんな大切な問題の
前進を遅らせていると言うと語弊があるかも知れないが、長年この問題と取り組
んでそう思う。
  地方分権についてはいろいろな説明があり、それぞれ解ったようで自分に都合
の良いように解釈して表面的に語っているようにしか見えないのが残念である。
  そう云う私も学者のように理屈付けしているわけではないので、その一人かも
知れない。そんな人間が云うことだから不十分を承知で後文を読んで頂ければ幸
いである。
 
  そもそも「地方分権」とは文字が示すような地方が国から権限を分けてもらう
というものではなく、主権者市民の預けている権力の一部を仕事がしやすいよう
に市民に近い地方に返還させようとする地方主権拡充の要求であり、解り易く云
えば、中央集権化に突進した明治体制の前まで遡って見返し、今閉塞の原因とも
言われている中央集権制度に代え、地方主権を強化することによって、そこに住
み、暮らす主権者の生活に密着したより効果的な行政を目指すことであると云い
たい。
 
  そこで、そういうことを前提にして、今回の地方分権要求をめぐる二人の知事
の動きから何を学ぶべきか検討してみたい。この二人の知事が総選挙を前にして
地方分権を争点に政党を競わそうとする魂胆は今まで地方政治を司ってきた人物
にはない良き戦術家的発想の持ち主として評価してもよさそうである。なぜなら
、地方分権が時流となり、それを各方面から主張する首長が多数派になりつつあ
る現実でも、まだ国と真正面から戦ってでも行動を起こそうとする首長が見えな
い中で、進め方に疑義があっても、今回の選挙で弱みだらけの自民党の姿を見透
かして「溺れる者は藁をもつかむ」の諺のように何でもありの自民党の心境に攻
め込もうとするその勇敢さに敬意を表したい。
 
  1975年、神奈川県に誕生した長洲県政は「地方の時代」の到来を予見し、
この国の未来のキーワードとして国際化・グローバル化、分権化を提示した。す
なわち、大きく物事を考えて、仕事は地域から組み立て直して進めるという地方
分権時代に対する思考、行動様式を明らかにしたのである。長洲知事が経済学者
、知事としての政治家だけでなく、未来学者、哲学者とも云われる所以である。
  ここから始まった長年の地方分権を目指す運動はいろいろな障害にぶち当たり
ながら、漸く国の機関委任事務廃止、国と地方の対等・平等を確認する「地方分
権一括法」の制定の段階にまできた。しかし,一進一退を繰り返し、またしても
閉塞状態に陥るかと思われていたが、私が先に本誌でも述べた淀川水系のダム建
設に関わる嘉田滋賀県知事、山田京都府知事、橋下大阪府知事の共同行動から出
発して、国土交通省との直轄負担金問題のいい加減さが明るみに出、マスコミや
世間の注目を浴びるようになった。
 
  そういう下地があった中で、先ず「全国知事会」のマニフェストなるものを持
ち出して自分の政治家として進むべき道に「地方分権」という旗印を掲げたのが
東国丸宮崎県知事である。最初は元三重県知事の北川早稲田大学教授などと行動
を共にしていくかに見えただけに、若い橋下大阪府知事より政治への志や信念を
持っているかのように考えられたのであるが、彼が橋下氏より一歩先に知事にな
り、「宮崎を何とかせにや」と宮崎のセールスマン、広報課長と揶揄されるまで
に宮崎の諸々のものを宣伝し、宮崎県に人々の目を向けさせ、宮崎の知名度を上
げる中で脚光を浴びるに従って,彼の仕事は東京に行き宮崎県東京事務所長とタ
レントとしての活動が折半するような状態になっている。

 知事として宮崎を足場に一定の実績を上げ、人気が凋落しない内に自らの希望
である国政に移ろうという魂胆が見え見えに思われてきたが故に、人気者を宣伝
に選挙を戦いたい自民党がチョッカイを出し、話し合いに入ったのである。「大
阪で失敗した横山ノックと同じ」と、単なる芸人扱いにされる様子を見るに及ん
で、選挙に使いたいが、打ち上げ花火のようになるのも困るとの恐れで躊躇する
という内部矛盾を抱え込んだ。これに当の本人が個人の要求を誇示するに至って
益々その本意が見破られ、自民党のスケベー根性も後退した。ここには本人自身
のことを個人で自らが出すのでなく、周囲から知恵を借りて自分の思っている方
向に持っていくという組織を動かす戦術戦略の長期的展望のなさが窺え、今回の
失敗の原因になっている。このことは政治家たる者、芸人やタレントとしての個
人的稼業からの脱皮することが必要であること示している。
 
  一方、橋下知事の方は地方分権を旗印としながらも一人で政権政党に乗り込む
という東国丸流の個人行動ではなく、横浜市長や松山市長等と「首長連合」を結
成して組織的に動こうとしたものであったし、自民党だけでなく各政党の政策の
中味をはっきりさせようと選挙前に揺さぶりをかける作戦のようであった。そし
て橋下知事には先に述べたように国交省という強敵と戦い続けている経験があっ
た。しかし喧嘩上手な橋下知事にも巨大な抵抗勢力とどう戦い、道州制も含めた
地域主権国家の絵をどう描いていくかという戦略・戦術がまだ不十分である。組
織的な動きには民主主義的な手続きを経て大きく纏めていくという時間とエネル
ギーが必要なものだけにコロコロと方針を変えたりするものでなく、そう簡単な
ものでないという心構えを持ち、継続的な忍耐力でもって引っ張っていけるのか
が問われる。
 
  橋下知事が脚光を浴びるのは「若いが故に恐れずはっきり物を云う。それに住
民の支持を得ているという強い自信に裏付けられている。」からであろう。国の
直轄事業に対する地方の負担金など橋下知事の一声で一種の謀反のように知事た
ちの声が上がったが、これなど今まで他の知事が知らなかったとは考えられない
。知って知らない振りをしていたか、そこまで突っ込んで考えてこなかったかの
どちらかだ。職員が「こういう慣例です」と云えば了解していくという中央官僚
と地方官僚の談合任せであったというのが事実であろう。
 
  これに地方官僚には「何を言っても国には勝てない。」「物申すと必ず仇とり
をされる」という怖じ気、自信のなさがあってのことかも知れない。この点は当
選後、ただちに行財政改革に取り組み、一つ一つの点検作業も自ら行い、不明確
なこと、理解のいかないことにはイエスを云わず公開して世論の動向をみながら
判断するという橋下流の新しい手法の成果である。ここでの橋下知事の強みは今
まで国に物申せずじくじくしてきた知事が多い中、知事への信頼が厚みを増して
いるというバックグランドの変化があったとしても、「地方に任せてくれたら、
こちらで責任を持つ」という強い自信に満ちた発信力を持っていることである。
 
  このような動きから得られる教訓は真の地方分権を進めるには地方の方がまず
先に変わり、自信を持って「責任はこちらで持つから任せろ」と云える体制固め
を行うことであろうと思うが、それも長洲氏が二十数年前に述べていた「地方の
自己革新」として急速に進んでいるとも思えない。まだまだ地方から自冶を磨き
住民と協働で変わっていこうとする首長は少数である。また、長年続いてきた中
央集権の官僚が抵抗なく簡単に応ずるものでもない。

 現実は地域住民のことを考えて政策をたてるべき国会議員たちは選挙の時以外
は官僚の言いなりであり、各首長や各級議員までもが官僚に頭を下げに行くこと
しか能のない現状になっている中で、まず国会議員に誰がための代表か、地域主
権国家構想をどのように実現しようとしているのか聞きただし、官僚に頼らない
国家構想に英知を集めて足元から創り上げ、その案を地方からの大運動とし、議
決させるところまで進ませねばならない。そのためには国と地方の権限・財源分
捕り合戦と看做されることのないように、地域から補完の原理に従いこの国のか
たちと仕事の分担、統治構造を早く詰めていくことが必要で、この案に賛成か、
反対かの踏み絵で国会議員を追い込む必要があろう。

              (筆者は元八尾市助役・自治体学会顧問)

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