■宗教・民族から見た同時代世界

~独自の近代化路線を歩むイスラムの少数宗派~     荒木 重雄

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  東にはインドとの関係、西にはアフガニスタンのタリバーンとの関係をめぐっ
て、親欧米の政府とイスラム原理主義派の国民との緊張がつづくパキスタンだが
、そのなかで独自の歩みをすすめている宗派がある。イスマーイール派である。
今回はこの派の活動を軸にイスラム社会の多様性に注目しておきたい。


◇◇イスマーイール派とはなにか


 イスラムがスンナ派とシーア派に大別されることはよく知られるが、スンナ派
が指導者の血統を問わないのに対し、シーア派は、預言者ムハンマドの女婿アリ
ーの子孫を歴代の指導者(イマーム)と仰ぐところに大きな違いがある。
  そのシーア派にも各派があり、たとえばイランが国教とする十二イマーム派で
は、9世紀に12代目のイマームが「お隠れ」になったとし、いつの日かの再臨
を信奉するのに対して、イスマーイール派では、連綿と続く血統を信じ、現在の
イマームはアリーから数えて49代目に当たるとされる。

 この派は、現在のイマームから4代前の第46代イマーム以来、現イランのカ
ージャール朝から授けられた「君主」を意味するアーガー・ハーンの称号を用い
、現在のイマーム、シャー・カリーム・フサイニーはアーガー・ハーン四世と称
される。
  アーガー・ハーン四世率いるイスマーイール派の特徴は、「アーガー・ハーン
開発ネットワーク」と括られる多様なNGOによる多彩な社会開発活動である。
四世はパリ近郊エグルモンに本拠を置きながら、パキスタンと東アフリカで活発
な活動を展開している。ここでは子島進氏の著述(『パキスタンを知るための60
章』『NGOが変える南アジア』)などからパキスタンにおける活動を紹介して
おこう。

 ちなみに、パキスタンの全人口の97%がイスラム教徒とされるが、そのうち
の9割以上はスンナ派で、イスマーイール派は1割にも満たない。だが影響力は
大きいのである。


◇◇住民参加型開発活動を主導


 パキスタン北部のカラコルム・ヒンズークシ山脈に連なる山岳地帯。入り組ん
だ枝谷に点在する集落では農民が畑作と放牧の暮らしを営んでいる。
  集落の中心に設けられた集会所には、イスマーイール派の礼拝所があり、アー
ガー・ハーン保健事業、アーガー・ハーン教育事業が経営する診療所と小学校が
併設されている。診療所ではカラチ市のアーガー・ハーン大学で研修を受けてき
た村の女性が母子保健や予防接種にあたり、小学校ではやはりアーガー・ハーン
大学で教育を受けた村の若者が児童の教育にあたっている。これらの建物も、ア
ーガー・ハーン建設計画事業から派遣された技術者の指揮のもと村人総出で造っ
たものである。

 各地の事業を統括するのは宗派の住民代表による評議会である。評議会は地方
(村)‐地域‐国‐イマームのヒエラルキーで構成され、村レベルの意見が吸い
上げられると同時にイマームの指導が伝えられる。行政機関との折衝にあたるの
も各段階のこの組織である。
  宗派の住民組織はまた各段階で「仲裁パネル」を設け、住民のもめごとの解決
にあたっている。土地争い・水争い、家庭内のトラブルから傷害・殺人事件まで
扱い、政府に公認されていて、裁判所から訴訟が回されてくることもある。

 村人の経済生活の向上を図るのはアーガー・ハーン農村支援事業である。男女
別の組合を組織し、組合員の定期的な会合と貯金の積み立てを基礎に、果樹・野
菜の共同栽培、植林、化学肥料へのローン、灌漑水路や貯水タンクの建設などを
資金と技術の両面から支援している。
  この組合活動は、前述の診療所や学校とともに、宗派の別なく村全体に開放さ
れ、地方行政サービスを代行するとともに、宗派間融和のメッセージも発し、政
府から農村開発のモデルとして全国展開の後押しを受けているのである。


◇◇少数派宗派の華麗な戦略


 これらアーガー・ハーン四世の開発プロジェクトを支える財政基盤は、カラチ
市を本拠とするイスマーイール派の富裕なビジネス・コミュニティー「ホージャ
」の人々である。高級ホテル経営をはじめ観光・流通を牛耳る彼らは、半年に一
度、収入の10%をザカート(献金)としてアーガー・ハーン財団に納める。
併せて大きな収入源が欧米先進国や国際開発機関からの寄金である。
ハーバード大学卒業、オリンピック出場(スキー)の経歴をもち、西洋紳士のマ
ナーをそなえ、欧米のメディアで「衝突する二つの文明間の調停者」と紹介され
るイマームは、西欧の期待を理解しそれに応えるかたちで開発を語り、世界銀行
やIMFからパートナーの処遇を得ているのである。

アーガー・ハーンの名声はしかし、四世の実力からのみ生まれたのではない。1
9世紀中葉にペルシャからインド亜大陸に移ってきた一世・二世はペルシャ貴族
の威厳をそなえ、三世は、祝いには体重分の金やダイヤモンドが献上されるイン
ド的豪奢を享受しながら、一方、西洋文明を積極的に摂取し、金融・保険の近代
化や教育・医療制度の導入に努め、また、インド・ムスリムの政治指導者として
も活躍した。そのような歴代の遺産の上に、現四世は、NGOによる社会開発路
線を推進することで、少数派としての不安定な立場を補強し新たな地位を確立し
ようとしているのである。

オバマ政権の米国が「対テロ戦争」の軸足をアフガニスタンに移すことでますま
す混迷の度を深めるであろうパキスタンの中で、このような宗派がいかなる軌跡
を辿るのか、目が離せないところである。
            (筆者は社会環境フオーラム21代表)

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