■ 農業は死の床か。再生の時か。 濱田 幸生
~私がグローバリズムと戦おうと思ったわけ 第2回~有機JASの大罪
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■有機農業支援がないのに、取り締まりだけあるとは
自分の関わったことを書くのはしんどいものです。自分の手袋が白いことを証
明するためにではなく、自分の成したことがいかなる結末を見たのかを知るのは、
なかなかしたくはないことです。
グローバリズムは決して抽象的な事柄でもなければ、海の彼方にあることでも
ありません。むしろ私が日々日常でその中に住む世界の中にこそ、グローバリズ
ムがあるのだということを知るために、このシリーズを書き始めました。
有機JASについては、ほとんど話題にすら登らなかったために、国民の大部
分は知らないままに通りすぎているというのが実態ではないかと思います。
なぜでしょうか?
その大きな理由は農水省の不作為です。不作為・・・本来すべきことを知りな
がら作為的にしないこと、まさに有機農業に対する彼らの農政には、この言葉が
もっとも適しています。
農水省は、JAS有機を施行するにあたっての幾度とない説明会の席で、この
法律を作らねばならない理由を、コーデックス(WTO傘下の国際食品規格委員
会)の外圧と、有機農産物の表示法がないために似非「有機」の跋扈状態をあげ
ています。つまり、一方で「黒船が来るよ。もう浦賀の港の外で大砲を撃ってい
るよ」と脅しながら、一方で「あなたたちもニセモノにはお困りでしょう」と宥
めるというわけです。
この「脅しと宥め」のカードを巧妙に繰り出す中で、私たちが自ら有機JAS
を率先して取得するように追い込んでいった、ややブラックに言えば、そういっ
たところです。
われながら、歯ぎしりをしたくなるような愚かさです。
政治力というものに疎い私たち有機農業者を手玉に取ることなど、しぶといJ
A農協や自民党農水族と,年中わたりあったり、野合したりしている農水省官僚
にとってはまるっきりの楽勝であったと思います。 反骨精神と浪漫だけは人一
倍あり、理屈っぽく、ナイーブ(←褒め言葉ではない!)、情報力も貧弱。政界
への人脈、笑えるくらい、なし。資金力は聞かなくても、ゼロ。従って、政治力、
ダメダメ。ああ、私の性格そのもののよう。まさにこれが、われらが「業界」
のいいところでもあり、ダメなところでもあります。
私たちがJA農協のように巨大な利害集団であり、関係議員もわんさかいる票
田であったのなら、議員先生のひとりも出てきてもう少しまともな有機JAS法
が出来たのでしょうが、有機農業関係の議員など、今に至るもツルネイ・マルテ
ィ氏ひとりしかいないという寂しさが、わが「業界」(てなもんか)の実力なの
です。
しかも氏の政治力は、お世話になっていますが、まぁそのご想像どおりで
す。
2005年に有機農業推進法が全会一致で採決されただろうって?いえいえ、
あれはマルティさんの孤立した力業と、中島紀一先生など有識者のご尽力があっ
たればのことで、有機農業の生産者の力とはかならずしも言えません。われらが
同業者は、自らの支援法にすらまったく大同団結できないことを満天下に示して
しまったのではないでしょうか。
まして農水省などの発意ではまったくありません。彼ら官僚は国会で通過した
後に、農水省上層部から「今後有機農業が日本で可能かどうかなどという議論は
しなくていい。推進法が出来た以上、この方向でやれ!」と一喝されて、渋々重
い神輿が上がったのだと聞いたことがあります。
まぁそれはともかく、有機農業推進法は、むしろ国会での「全会一致」などと
いうこと自体、国会議員諸公にはどっちでもいい、痛くもかゆくもない「総論賛
成、各論なし」の法律だったということです。
実体を作るには、各地での有機農業者の自覚を待たねばならない、そのような
融通無下というか、ファジーな法律だったのです。
EUなどでも有機農業推進法に似た法律は多くあります。それも10年以上前
に作られて、現実に有機農業を国策化すらしています。
それも10年以上前に作られて、現実に有機農業を国策化すらしています。E
Uの有機農業認証制度や篠原孝衆議院議員がモデルとした直接支払い制度は、こ
のような流れの枠組みの中で登場する諸政策なのです。
どういうことかといえば、直接支払いや支援法などを作るためには、その対象
を絞り込む必要があります。どこまでを「有機農産物」と呼ぶのか、その基準が
必要となるわけです。
だからそのために、有機認証制度が必要だったのです。
大事なことですからもう一回繰り返しますね。 有機農業を支援するための制
度作り(制度設計)をするためには、どこまでが有機栽培であるのかの線引きが
要ります。それを基準として明示せねば、支援する「範囲」が明示できないから
です。
だから、本物の有機農産物と似非有機を厳しく区別する必要が出て、有機生産
基準と、それがほんとうの有機農産物であることを立証する認証システムが生れ
たのです。それが本来の有機認証制度のあり方だったのです。
つまり支援政策=育てると、基準を作る=取り締まる、という一見相反する概
念は同じ政策哲学から生れていたのです。
一方わが国農政には、有機農業に対しての「哲学」自体がありません。ですか
ら、初めから有機農業を支援する意志などさらさらないし、ただひたすらグロー
バリズムの外圧に屈して私たちを生贄を差し出しただけでした。これがJAS有
機認証という歪んだ法律が出来た誕生の秘密でした。
本来あるべきだった有機農業に対しての政府の支援政策はおろか、自分たち官
僚が外圧に屈した結果生れたはずの有機JASに対してすら政府広報もまったく
せず、痛みすら感じなかったのです。
重箱の隅をつつくような表示義務違反を取り締まるだけが、唯一の農水省の有
機農業政策でした。ですから、JAS有機の所轄は、表示法担当部局であって、
有機農業部局ではありません。いやそもそも、あれだけの巨大な官庁の中に、有
機農業担当部局など、いまだもって存在しないのが農水省です。こんな彼らに、
これから来る本格的なグローバリズムと闘争ができるのでしょうか。
ただですら経営体力があるとはいえない零細な有機農業者や団体に対して、こ
の10年間で行われた支援はまったくのゼロ!そして、有機認証の重圧の上に、
覆いかぶさるようにして厚労省管轄のポジティブリスト制度までもが発足するに
至っては、気分として「どうして有機農業ばかりいじめ抜くのか」といったとこ
ろです。これで日本の有機農業が成長したらほんとうに奇跡です。
これを農政の不作為と呼ばずして、他になんと呼べばいいのでしょうか。そし
てこの不作為を許したのは、苦々しいことには、ほかならぬ私たち自身でした。
無知と無力は罪です。
トレサビリティは「官」の権限の増大をもたらす
選挙前に、民主党政権がトレサビリティを徹底すると言っていました。GAP
(適正農業規範)もど~んとやるんだとか。
ため息がでてきますね。だから素人はイヤダ。
例の悪名高きMA米事件から、このすべての農産物にトレサビリティを義務づ
けようという流れが現れてきたようです。しかし、このMA米事件は大きくはW
TO交渉によるMA米という関税に伴う措置からきているのですし、悪徳業者と
農水省の地方事務所の怠慢による失態がそれを助長しました。
だからといって、トレサビリティをすべての農産物に拡げようというのは、い
かがなものでしょうか。
有機JASは、日本でたぶん最初の農産物トレサビリティでした。ですから、
トレサビリティに関してはもっとも経験を摘んでいます。
うちの団体のすべての冷蔵倉庫の扉には「農産物の表示を正しくしましょう」
という貼り紙が張ってあります。「エコ・チャレンジ」とあるのはパルシステム
出荷の減農薬減化学肥料(特別栽培=特栽)というジャンルの商品です。
また「theふーど」(現在コアふーどと改称)とあるのは有機JASのジャ
ンルの商品です。「このふたつを明確に区分して保管しなさい」とこの貼り紙は
注意を促しているわけです。
素人の皆さんは、トレサビリティと気安く一言で言いますが、これほど大変な
ことはありません。やりゃ分かる。
つまりは、消費者が手にした一本のニンジンが、どの畑で、誰が作り、いつの
時期に種を蒔いて、どのような栽培管理をして、どのような土壌資材や種を使っ
て、いつ収穫し、そしてそれをだれが生産工程管理の責任を負い、そしていかな
るジャンルの農産物であるのかを誰が格付けしたのか・・・まぁおおざっぱに言
って(←これでもですぜ)、このようなことを明確に表示し、区分して保管する。
以上の工程すべてをせっせと帳簿を作り、記録し、保管するわけです。帳簿の
記録だけで膨大なものとなります。うちのグループでは事務所の壁面にいっぱい
ズラーっとファイルされて並んでおります。
あ~、よ~やっているよですが、しかしこれが有機JASを取得した個人や団
体の負わされた有機JAS法に基づく義務です。このうち一点でも間違っていた
り、虚偽をすれば認証取り消しとなります。
有機認証制度には、認証と非認証しかなく、その中間はありません。オール、
オァ、ナッシングです。
ちなみに、似たようなシステムを持つHACCPやGAPは、ISOにルーツ
をもっていますが、同じ「認証取得」といっても、、自分で年次目標を立て、そ
れに沿った計画をたてて、その実現を審査されるシステムです。ですから、でき
そうもない部分をあらかじめ次年度にまわしたとしても、「認証」は取得できま
す。
常に満点を要求され、99点になったら認証取り消しとなる有機JASとの根
本的な違いです。
さて、この工程管理は、単に帳簿だけにとどまらず、倉庫、コンテナ、荷姿、
トラックに至るまで区別されて管理されなければなりません。流通業者の手に渡
るまで、1個の出荷コンテナ、1枚の伝票に至るまで「明確な区分」がなされな
ければなりません。
このような膨大なトレサビリティ・システムの運営のために、私たちのグルー
プではこれらの管理のための専従職員を雇用しているほど、大変な手間となりま
す。また、先ほどふれた貼り紙のように、農産物の区分けのために、それを置く
冷蔵倉庫を別途に使用しています。
つまり、通常の農産センターは、減農薬減化学肥料栽培と有機農産物を一緒に
出していますから、有機JASを取得するためには、減農薬減化学肥料栽培と別
途にそう倉庫や冷蔵庫を設置せねばなりません。
これがいかにすさまじいコストを農業現場に要求するものか、なんとなくでも
お分かりいただけましたでしょうか。そしてこのコストは販売価格に転化できま
せんし、とうぜんお国はビタ一文助成などは出してくれません。ただひたすら毛
を吹いて傷を求めるような取り締まりをするだけときています。
以前に一度試算したところ、私たちのセンターコスト15%のうちの実に3分
の1の5%という腰が抜けそうな数字が出て、見えません、見えません、見えな
かったことにしよう、クワバラ、クワバラ、ツルカメ、ツルカメと言い合ったこ
とがありました。
私たちもこれが有機農業の生産にかかるコストや手間なら惜しみません。多少
高い土作りだって、微生物の研究だって、有機に向いた種作りだって、いくらで
も金をかけます。しかし、このトレサビリティは、なんの生産もしない、ただの
表示義務だというだけだからバカバカしくもなります。
そうです、この有機JASのもうひとつの側面とは、このトレサビリティの徹
底して至り着いた姿です。日本の農産物の大部分がされていない現状ですが、こ
の有機JASのやり方に、他の農産物を合わせようというオソロシイことを、民
主党の素人衆は仰せになっているのです。これがどのようなことを招くのか、一
回有機JASの現場を視察してから、言い出して頂きたかったものです。
とまれ、このようにしてトレサビリティの行き着いた姿である有機JASによ
り、農業現場はコスト増大と、行政の権限の関与の肥大化を招いたのでした。
前回に有機JASの三つの大罪と言いましたが、ここにもうひとつ追加します。
四つめの大罪、有機農業に対する行政権力の関与を大きくし、官の権限を強化
してしまったこと。
■今、有機JAS施行の後の畑は・・・
えてして、私たち有機農業の世界に住む住人は、高踏的と言われる場合があり
ます。どこか日本農業に対しても、突き放したというか、容赦のない批判者に終
始しています。
私は、ある高名な有機農業者の口から、「長年の誤った化学農薬と化学肥料へ
の依存が、今の日本農業の衰退を生んだのだ。反省して、一切の化学農薬と肥料
を切ることから始めろ」という言葉が吐かれたのを聞いたことがあります。
これは、もちろんその人の確かな経験と理論から生れているわけですが、なん
と無慈悲な言いようでしょうか。なんと他者の生き方を断ち切る言葉なのでしょ
うか。私が既存の農家ならば、金輪際、こんな連中とは関わろうと思わないこと
でしょう。
私はその同席したその場で、「違う!断じて違う!」と心の中で吠えていまし
た。自分の到達した地点をして山頂と見なすなら、なんとでも言えます。では、
今の日本の有機農業が置かれた位置はなんなのですか。その人が居る高嶺は、道
標なき独立峰ではないですか。
その高名な農業者も有機JASの認証団体の責任者も勤めています。しかし、
自分の農場は有機JASに導入していません。この自分の中にあるギャップに向
き合わないで、他者へ原理的な決めつけをするならば、それはどこかおかしいと
私は思うのです。
なぜ、有機農業に一般の農民がそれぞれの道を辿ってやってこれないのか、何
が立ちふさがっているのか、その障害の原因を明らかにせずに、「農薬を切って
こい」ではなんの解決にもならないのではないでしょう。
私は、多くの原因があると思いますが、その筆頭に有機JAS制度を挙げます。
有機JAS制度がなかりし前の有機の畑を私は懐かしく思い出します。それは
精緻なつれづれ織りのようでした。
初夏ともなると、茄子の根本にはねぎやニラが植えられ、トウモロコシの茎を
支柱にしてインゲンのツルが巻きつき、水田の畦の淵には大豆が育っていました。
シャレた言い方で、このような農法をコンパニオン・プランツ、混植(混作)
といいます。ねぎが好むシュードモスという土中微生物の働きを借りて、病害虫
に弱いナス科を守る知恵です。
ちょっと前までの有機農業をやっている農家は、いっぺんに大規模な作付けを
しなかったものです。だいたいが、2畝~5畝(1畝=0.1アール)といったと
ころです。
その理由は、畝ごとに互いに相性がいい作目を植えることができるからです。
ナス科の横にユリ科、ユリ科の横にはセリ科を植えたりして、できるだけ、人様
が虫をとったりする手間をかけずに、自然界が自分で勝手にやってくれる仕組み
を作っていたのです。そうです、「自然界が勝手にやっいてくれる仕組み」を少
しばかり手伝うこと、それが有機農業なのです。
そう言えば、ハーブなどというと、今やイタリアンの流行で多く作られていま
すが、初めに畑に植えてみた農家は、食べようというより、その強烈な臭気(失
礼)で害虫を追い払うために作ったのが始まりです。バジルなどは害虫予防に効
きます(笑)。春菊も強烈に土壌せん虫を寄せつけません。有機農業の輪作体系
には春菊が必ず一回は入ります。マリーゴールドも同じような働きをします。
ところが、今やこのようなタペストリーのような畑を今作ろうとすると、「有
機農産物」の名での生協や大規模流通への出荷はあきらめねばなりません。もう
お分かりですね、有機JASのシールがつけられないからです。
もちろん、有機JASの基準にはただの一行も、混植をやめろとか、一作をど
れだけの面積にしろとなどとは書いてありません。それはあくまで農家の自由で
あることは確かなのです。しかし、現実にやってみたらわかる。茄子の根本のネ
ギやニラを、どのように管理票に書くのか・・・?!
そして仮にそれができたとして、あの煩雑にして膨大な有機JAS認証システ
ムに乗せる手間と意味がどれだけあるのか。
・・・ナンセンスです。無意味。それは伝統的農法の破壊でしかない。
有機JASは、イリノイの広大なとうもろこし畑や、オーストラリアの小麦畑
にこそふさわしい。ここはアメリカでなければ、オーストラリアでもない、日本
という湿潤な、褶曲に満ちた、その里と森にそれぞれの神が宿りたもう土地なの
です。
細々とした作物を、土にはいつくばるようにして、年に四季折々40品目以上
を慈しみ作る土地なのです。飛行機で種と農薬をばらまいて、大型ハーベスター
で収穫する国と同列にしないでいただきたい。
今、日本型有機農業は消滅するか、JAS有機制度の外にその世界を求めよう
としています。あるいは今まで通りの孤立した高嶺に留まって終わろうとしてい
ます。
そしてその代わりにやって来たのが、有機農業の大型化と単作化、つけ加える
のなら有機JASシールをつけた外国有機農産物の流入です。この流れは押し止
めようもなく、今も続いています。
有機JASは日本の有機農業のいわば「構造改革」でした。今までの積み上げ
てきた伝統的なあり方を守旧派として切り捨て、新しい有機JASによる新世界
を夢見たのがこの私です。
結果、私は日本の有機農業に対するグローバリズムのトロイの木馬の役割を果
たしてしまいました。
私はこれが大きな誤りであったと認めます。時間がかかりましたが、今は心の
底から苦々しく、そう思います。しかし、この苦さを味わうことで初めて、メキ
シコの密林で今日も資本グローバリズムという現代の妖怪と戦う、サパティスタ
の農民と笑顔で話ができるのではないかと思います。
(このシリーズ終了)
(筆者は茨城県在住・農業者)
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