【読者日記——マスコミ同時代史】(19)

2015年6〜7月

田中 良太


◆【主テーマ=解釈改憲の成功を許してしまったマスコミ】

 本稿の締め切りは7月15日だったが、その日まさに自公与党による集団的安保容認法制が衆院特別委で「強行採決」(与党側は「強行」を否定)された。16日の衆院本会議で可決し参院に送られた。そこまで見て原稿にし、締め切り後の送稿とさせていただいた。参院は与党過半数でないため、審議が60日間経過してなお議決が行われないはずだ。政府与党は衆院の優位を定めた憲法59条ただし書きを適用し、衆院で3分の2以上の多数で再議決し、法案を成立させるはずだ。

 報道各社の6月世論調査では、そろって安倍晋三内閣について「不支持」が「支持」を上回るという逆転現象が起きた。それでも現実政治に影響を与え、安保法制の成立を阻むことはできなかったのである。
 全国紙だけ見るから、安倍政権批判の朝日・毎日と、安倍政権支持の読売・産経が対立しているような様相となる。じっさいには地方紙(ブロック紙・県紙)の大半が安倍政権批判であり、「政府対新聞」の緊張関係は健在だと言える。
 しかし新聞論調は、現実政治を動かす力にはなり得なかった。新聞論調が影響を与えたのは、世論調査の安倍内閣支持率だけだった。現実政治には何の影響も与えなかったと言えるのではないか?

 どうしてこうなったのか? 55年体制は端的にいえば自民党の政権独占だったのだが、その自民党の実態は「派閥連合」だった。新聞論調が政府批判一色となるような展開の場合、新聞の批判を受け入れて軌道修正すべきだという主張が党内で強まり、その「党内世論」が、政府の政策を変更させたのである。
 1994年に成立した選挙制度「改革」=小選挙区比例代表並立制の導入によって、自民党は「派閥連合」ではなくなり、単一の政党に変身した。新聞論調に代表される世論を受け入れ、政策を変更すべきだと主張する党内勢力がなくなったのである。

 「解釈改憲」によって「集団的自衛権」を行使できるようにする安保法制審議では、安倍政権側の「ミス」として騒がれる事態が2件あった。一つは6月4日、衆院憲法審査会で行った参考人の意見聴取で、与党側の推薦を含めた憲法学者の公述人3人全員が安全保障関連法案について「憲法9条違反」と明言したことである。
 この日の参考人質疑に出席したのは、自民推薦の長谷部恭男・早大教授、民主党推薦の小林節・慶大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人。憲法改正に慎重な立場の長谷部氏は、集団的自衛権の行使を認める安保関連法案について「憲法違反だ」とし、「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判した。9条改正が持論の小林氏も「憲法9条2項によって、自衛隊は海外で軍事活動する法的資格を与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは9条違反だ」との見解を示した。笹田氏も、従来の政府による9条解釈が「ガラス細工と言えなくもない、ぎりぎりで保ってきた」との認識を示し、法案について「(これまでの定義を)踏み越えてしまっており違憲だ」と指摘した。
 これを受けて朝日は5日付社説で<安保法制 違憲との疑義に答えよ>と主張。毎日も6日付社説で「安保転換を問う 「違憲法案」見解 根本的な矛盾あらわに」と指摘し、読売・産経を除く各紙は「安保法制は違憲」とキャンペーン的に報じた。

 ミスとされた事態の2件目は、6月25日自民党本部で開かれた若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」の初会合だった。講師として出席していた作家百田(ひゃくた)尚樹氏を含めて「沖縄タイムスと琉球新報の沖縄県紙2紙はつぶさないといけない」「マスコミ懲らしめるには広告収入をなくするのが良い。経団連に働き掛けてほしい」など、マスコミへの「圧力」を強調する問題発言が相次いだ。この「懇話会」は木原稔青年局長が代表。安倍首相お気に入りの百田氏が講師となり、首相側近の加藤勝信官房副長官や萩生田光一党総裁特別補佐も参加していた。「文化芸術懇話会」と名付けたのは、護憲を主張する「9条の会」に対抗して、全国各地で組織化を図ろうとしていたという報道もある。端的に言えば、「アンチ9条の会」の母体といったところだろう。
 当然のことながら沖縄県紙2紙は強く反発。「広告収入」に触れたことからテレビを含めたマスコミ全体が批判・非難する事態となった。自民党の谷垣禎一幹事長は27日に記者会見し、代表の木原稔青年局長(衆院熊本1区、当選3回)を更迭し、1年間の役職停止処分にしたと発表した。問題の発言を行った衆院議員3人は厳重注意とした。その前日の26日、佐藤勉国対委員長が木原氏に、暗に辞任を促した。しかし木原氏は応じなかったため、27日午前に谷垣、佐藤両氏らが電話で協議。「週明けの法案審議への影響を避けるため潔さを示さなければならない」と処分を決めたという報道もある。
 安倍首相は3日、衆院の安保法制特別委で「党を率いる総裁として、国民に心からおわびを申し上げたい」と陳謝した。首相は周囲に「おわびして切り替えるしかないな」と語っていたという報道もある。「切り替える」という言葉は、「懇話会」開催前は、積極推進の姿勢だったことを示している。「アンチ9条の会」という性格付けといい、百田(作家)加藤(官房副長官)萩生田(党総裁特別補佐)といった登場人物といい、安倍首相好みであることは間違いない。
 沖縄県の県紙2紙について「つぶさなければならない」、さらには大企業の広告費支出ストップなど、発言が過激にすぎ、「言論の自由」への配慮も欠けていた。このため安部首相本人も陳謝やむなしと判断したのだろう。しかし首相の初心は、懇談会開催「推進」であり、初会合でトンデモ発言が飛び出したため、「陳謝」へ切り替えざるをえなかったのだろう。この推測が誤っているとは思えない。

 この2つ目のミス、つまり文化芸術懇話会の開催は、結果的にミスになってしまっただけで、意図の段階では、安倍政権の欲の深さを示すものだったのではないか? 
 安倍晋三首相は昨年12月14日投開票だった衆院総選挙で、街頭活動の締め切り時間、つまり投票前日=13日の午後8時を、東京・秋葉原の駅頭で迎えた。政権奪還を実現させた12年12月16日投開票の衆院総選挙、その後の13年7月21の参院選の街頭活動締め切り時間も同じだった。つまり秋葉原街頭演説フィナーレは、3回連続の「お祭り」だったのだ。聴衆は3回とも共通して若い人たちが多く、安倍氏の演説に対して、日の丸の小旗が一斉に振られる場面が山場となった。
 この秋葉原フィナーレには毎回麻生太郎氏(現副総理・蔵相)も同行している。聴衆の中にはヘイトスピーチを展開する人々も多い。つまり国政選挙秋葉原フィナーレに参集して安倍政権支持をアピールする人びとは、ヘイトスピーチ実行者たちと「親せき」なのである。
 「文化芸術懇話会」に参加した自民党の若手議員たちは、いわば国会に議席を持つ「ヘイトスピーチ実行者」ではなかったか? 国会議員が発声するヘイトスピーチと考えると、その代表例として安倍首相自身の発言を考えざるをえない。今年2月19日の衆院予算委員会で民主党議員が西川公也前農相の献金疑惑を取り上げた際、安倍首相が「日教組(日本教職員組合)はやっているよ。日教組どうするの」と閣僚席からヤジを飛ばした。首相は20日の同委でも「日教組は(国から)補助金をもらい、(日教組関連団体の日本)教育会館から献金をもらっている民主党議員がいる」と主張した。だが、日教組が国から補助金を受けた事実はなく、民主党議員が日本教育会館から献金を受けたこともなかった。首相は23日、同委で「私の記憶違い」「遺憾で、訂正する」と発言を撤回、陳謝した。ただ同日も民主党議員の名を挙げ「日教組からダイレクトに献金をもらっていた」などと批判を続けた……というのが事件の経過だった。

 毎日は2月26日付夕刊2面の「特集ワイド」のテーマを「見過ごせない!安倍首相のヤジ」とした。その記事でヘイトスピーチ問題にもっとも詳しいジャーナリスト・安田浩一氏を登場させた。安田氏は著書「ネットと愛国 在特会の『闇』を追いかけて」で講談社ノンフィクション賞を受け、ヘイトスピーチを「問題」に押し上げた人物と言える。

<安倍首相が「日教組、日教組!」と連呼するのを見て、「ネット右翼(ネトウヨ)」と呼ばれる人たちが好んで使う罵倒の言葉を思わず連想しました。
 ネトウヨの人たちやヘイトスピーチに参加する人たちの世界では、特定の相手を敵と認定し、皆で攻撃するための負のキーワードが存在します。それが「反日」「売国奴」「在日」などです。「日教組」もそんなキーワードの一つです。私自身、彼らから関係もないのに「日教組」と言われたことがあります。そう口にするだけで相手の言論を封じ込め、問答無用でおとしめ、自らが優位に立てると、彼らは信じているのです。
 安倍首相は西川前農相の献金問題を追及する民主党議員に対し、唐突に「日教組!」とヤジを放った。それで相手をたじろがすことができると考えたのなら、ネトウヨ的発想に近いものを感じます。
 ある選挙中、首相が秋葉原で演説するのを見たことがあります。日の丸の小旗を持った支持者たちが最も熱狂したのは、首相が日教組とマスコミを批判した時でした。「日教組」と言えば多くの人の共感を得られると思っているのかもしれません。
 今、社会では、相手を敵か味方かに分け、敵と認定すれば皆で寄ってたかってたたく風潮が広まっています。「反日」「売国奴」など、何の議論も対話も成立しないような根拠のない罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせかける風潮もあります。
 今回はそれがとうとう、国会の議論の場にまで持ち込まれてしまった。まして一国の首相の手によって。そのことが最大の問題ではないでしょうか。>

 これが「特集ワイド」のほぼ全文だ。その後に作家・吉永みち子氏と政治評論家・森田実氏の談話を付けている。

 吉永談話の見出しは<マスコミよ、もっと怒れ>。全文は以下のとおりだ。
<ちょっと失礼ですが、言わせていただきますよ。あのやりとり、大人じゃない。安倍さん、野党の批判は批判として粛々と受け止めればいいのに、なぜそれができないのでしょうか。批判があってこそ議論が生まれ、物事がより良くなっていくはずなのですが。
 歯がゆいのは「首相の品格」の問題に矮小(わいしょう)化されてしまったこと。本当なら、政治とカネの問題をとことん突き詰めるべき場面だったのに。これは民主党もだらしないよ。安倍さんがヤジった時点で「総理、それはどういう意味ですか」と、逆に民主党側の土俵に引きずりこむ好機だったのに、ストレートに怒っちゃった。やり方が稚拙です。
 この問題を大きく報じているのは一部の新聞です。安倍政権の広報紙みたいな新聞は当然として、テレビもあまり取り上げない。私が心配するのはそんな今の日本の空気感です。
 このヤジ騒動、ニュース番組やワイドショーのおいしいネタのはずですよ。民主党政権時代、原発事故を巡る閣僚の失言がありましたが、どこも特集組んで放送していたじゃない。イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の事件でも、政府対応が正しかったのか検証が必要なのに、それを言うと、なぜか「テロに屈する」などと言い出す。議論のすり替えなのに、みんな黙っている。安倍政権からクレームがくるのが怖いのでしょうか。
 なぜ戦前の日本人は政府・軍部の愚かな暴走を許したのか、不思議でしょうがなかったんです。でも今の日本を見ていて「ああ、そういうことだったのか」と得心します。杞憂(きゆう)に終わればよいのですが。>

 森田談話は<昔なら内閣が吹っ飛んだ−−>という見出し。
<安倍首相の言動に、1953年2月の衆院予算委員会を思い浮かべた。右派社会党の議員の質問に当時の吉田茂首相が小声でつぶやいた「バカヤロー」という言葉を偶然マイクが拾った。懲罰動議が可決され、さらに内閣不信任案の可決に発展、いわゆる「バカヤロー解散」の引き金となった。
 首相の発言はそれほど重いということだが、今回は面と向かって、しかも事実誤認であり、より悪質だ。本来は内閣が倒れるような問題なのに、直後に起きた西川前農相の辞任問題に世間の視線は向いてしまった。
 首相がヤジで言及した日教組の組織率は既に2割台だ。そんな組織への敵がい心に凝り固まっているとすれば、あまりに古い思考と言わざるを得ない。国会で政府を点検するという正当な行為を首相自らが妨害するのを許せば、行き着く先は弾圧だ。
 感情を抑制できず表に出してしまったことも問題だ。むきになる姿勢は国内政治に限らず外交的にもマイナス。それでなくても関係良好とは言えない中国や韓国が、敵がい心が強く感情的な首相の言動を信用するだろうか。
 一方、民主党の対応は残念だ。次の質問者が直ちに取り上げるといった臨機応変さが必要だった。首相への懲罰動議も提出すべきだ。国民と政治を結ぶという議会人としての自覚がもっと欲しい。
 「高慢は常に破滅の一歩手前にあらわれる。高慢になる人はもう勝負に負けている」とはスイスの思想家ヒルティの言葉だ。民主党議員を見下した首相の姿勢が目に付く。だが、それは自ら終えんに近づいているということだ。>

 その後も安倍首相のヤジは止まない。5月28日の安保法制特別委でも、民主党の辻元清美議員がホルムズ海峡での機雷除去の危険性を指摘する発言中、首相は閣僚席に着席したまま、「早く質問しろよ」と叫んだ。首相自身、前日に議員席のやじに対して「議論の妨害はやめていただきたい。学校で習いませんでしたか?」とたたしなめたばかり。このヤジで審議は紛糾し、首相は「言葉が少し強かったとすればおわびしたい」と謝罪した。その後6月1日の委員会でも改めて謝罪する事態になった。
 昭和史研究で知られる保阪正康氏は、この首相のヤジで、1938(昭和13)年3月の衆院国家総動員法案委員会で出現した陸軍省軍務課員・佐藤賢了中佐の「黙れ」発言を想起した、と書いている(「毎日」6月13日付朝刊「昭和史のかたち」=月1回の連載、保阪氏の署名入り記事)。

 国家総動員法は、政府に「勅令ノ定ムル所ニ依リ」、「工場、事業場、船舶其ノ他ノ施設ヲ管理、使用又ハ収容スルコトヲ得」(第13条)とし、さらに「鉱業権、砂鉱権及水ノ使用ニ関スル権利ヲ使用又ハ収容スルコトヲ得」(第14条)とも規定していた。つまり立法によらず、勅令だけで、民間企業の持っているすべてを国に提供させることができるようにするための立法だった。そのモデルは1933年にナチスが成立させたドイツの授権法だった。
 「黙れ!」発言の背景となったのは、答弁を名目にした佐藤中佐の長広舌だった。軍部の立場からの政策論を長々と語ったため、質問者の宮脇長吉は委員長に対し、「この男にどこまで答弁させるのですか」と抗議した。これに対して佐藤が、「黙れ!」とどなったのである。この時期の軍部の傍若無人さを示す出来事として「15年戦争」期の歴史記述にはたいてい出てくる。
 安倍晋三首相は著書「美しい国へ」(〇六年七月、文春新書)で、「戦う政治家でありたい」と書いている。「戦う政治家」となって、日本を「戦う国」につくり変えたいというのが、延長国会の焦点となっている安保法制の意味だろう。その国会で安倍首相が「黙れ事件」を想起させるような発言をしたというのも、意味深長と言うべきだ。

 安部首相本人の国会委員会審議でのヤジ▼自民党若手議員の勉強会と位置づけられた「文化芸術懇話会」での安倍氏に近い人々のマスコミいじめ発言▼国政選挙の秋葉原フィナーレ▼東京・新大久保や大阪・生野区で行われるヘイトスピーチと並べると、隣同士の項目はすべて「共通項を持つもの」としてつながっている。
 つまり安倍晋三政権はヘイトスピーチとつながっている政権なのである。首相自身ヘイトスピーチの実行者たちこそが安倍政権支持者の中核にいることをよく知っている。首相は頻々とフェースブックに投稿する。それに反応して「いいね」を入力するのが安倍政権支持の人々といえるが、その中核にいるのもヘイトスピーチ実行者たちなのだ。

 こうしていると「文化芸術懇話会」の開催は、安倍政権にとってのミスではなかった。ミスがあったとすれば、時期的に「早すぎた」だけなのである。日本は、「沖縄県紙2紙はつぶせ」「政府批判のマスコミは、広告料を出さずに締め上げよう」などの主張が「当然」と受け入れられる社会にならなければならない……。近いうちに日本はこうした主張も「意見の一つ」と受け入れる社会になる。そういう社会をつくるためには、いまの時点で、「それが必要だ」という主張を発信しなければならない……。
 こうしてみると、安倍政権は「欲が深い」のである。1件目の憲法学者が安保法制について、そろって「違憲」と主張したことも、最終目標は「改憲」であるべきだという主張で一致したことになる。安部首相自身「最終目標は改憲」という主張を鮮明にしている。現在審議中の安保法制が合憲だとするなら「改憲が必要」という基本的な主張があいまいになるだけだ。
 こうした「欲の深い」言動を展開しながら、安倍政権はとりあえず第1段階の政治目標、安保法制の成立を成功させようとしている。安倍氏の性格から見ると、第2段階の目標「憲法改正」への取り組みを16年通常国会に始めるのではないか?

注)7月15日までの報道・論評を対象にしております。新聞記事などの引用は、<>で囲むことを原則としております。敬称略の記述があります。
     ×     ×     ×
 前号では休載となってしまいました。古いままの外付けハードディスクが突然機能しなくなり、ほとんど完成していた原稿が送稿できなくなってしまいました。
     ×     ×     ×
 今回はこの問題1本に絞りました。
 その他のテーマについては、筆者独自のメールマガジン「読者日記」として発信しております。受信希望の方は<gebata@nifty.com>あてメールでご連絡下さい。

 (筆者は元毎日新聞記者)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧