【宇宙にもっていく本】戦争と平和~哲学と科学

3)カント『永遠平和のために』(一七九五年)

木村 寛

カント『永遠平和のために』(一七九五年) 宇都宮芳明訳、岩波文庫

 カント晩年の作品で(七一歳)、その動機は革命後のフランスとプロイセンとの間に結ばれたバーゼル平和条約(同年)に対する不信であった。彼は、「将来の戦争の種を保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない」と結論する。辛辣に言えば、その平和条約は休戦条約であり、将来の永遠平和の確立には役立たないのである。事実両国は十年後、戦火を交えるに至る。
 サン・ピエールは一八世紀初頭に永遠平和の実現のために、ヨーロッパ諸国連合を提唱したが、彼の平和論は「理論では正しいかもしれないが、実践には役立たない」と政治家たちから無視されてきた。カントは彼を「理性の空想家」と呼んだ。
 カントは人類が殲滅戦に突入する危険を防止するために、常備軍の段階的廃止を訴える(最も有名な提案)。常備軍の存在は他国を戦争の脅威にさらし、双方の無際限な軍備拡張、軍事費増大による国内経済の逼迫、この重圧が先制攻撃をもたらす。カントは軍事力均衡による平和維持を妄想だと言う。常備軍廃止の第二の根拠は、国家が殺人(逆に被害者)のために人間を雇うことは人間性の権利に反するからである。
 カント倫理学の原理は、「人間は自他の人格を常に目的それ自体として尊重すべきであって、単なる手段として扱ってはならない」。これは国家についても成立する。常備軍の廃止はカントの倫理学から帰結する最も重要な提案である。

4)アインシュタイン『平和書簡』 

アインシュタイン『平和書簡』ネーサン/ノーデン編、金子敏男訳、みすず書房

 アインシュタインは社会主義者であり、権力の集中を心配していた。第一次世界大戦勃発後(一九一四年)、初めて平和主義者の心情を公表した。ナチズムの展開により渡米した。
 しかし彼の地平はそこに止まらなかった。アメリカにおける原爆(原子の核分裂エネルギー)の開発成功と日本人への実験成功( 一九四五年、ウランニ三五・広島とプルトニウムニ三九・長崎)と、それに続く水爆(核融合エネルギー、太陽の熱源)の開発は、核物理学者にとっては「人類殲滅の危機」が頭上の脅威として迫ってくるものであった。オッペンハイマーは水爆の開発に猛反対した。
 アインシュタインは生まれつき国際主義者またファシスト国家は国際間の条約を守らないことも知っていた。国際連盟の改革も考察していた。
 行動を共にしたバートランド・ラッセルはこの本の「はしがき」に書いている、「もし政治家たちが彼の言葉に耳を傾けていたとすれば、人間のいろんな出来事の経過は実際起こったほど悲惨なものではなくなっていただろう」。「政治的な事柄についての彼の発言は多数の人々から、極めて好ましからざるものと考えられた」。「政府に対する彼の態度はヘブライの予言者たちに実によく似ていた」と。
 アインシュタインの平和論は人類の緊急事態に向けられたものであった。カントの平和論はこの危機的状況を知らない。

(2024.4.20)
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