【コラム】
1960年に青春だった(16)

7月5日17時「鐘の鳴る丘」大合唱

鈴木 康之

 前号、表題の企画を思いついて、友人のCFディレクターの大御所に電話をかけたところ、かいつまんだ説明が終わる前に「またその話?」と敬遠されました。

 彼はアマチュアながらプロなみのスイング・ジャズのベイシスト。しばしばプロのバンドから声がかかるほどの腕前です。
 それがコロナ以降、本業のほうも副業のほうも、来る電話、届くメール、「延期」「中止」「消えた」「逃げた」ばかり。

 たまりかねて音楽仲間たちが世界的なトレンドであるリモートセッションでコンテンツ作りをしようと声をかけあいました。
 自力でプロモートするには何はともあれコンテンツがなければ始まらない。

 自発的セッションは専属関係、製作会社の戦略など商業上の制約がありません。選曲、演奏時間も自由。リモートなら地方に居を構えている超大物クラスもその地でひょいとお出ましいただけるかも。

 いいことづくめです。災い転じて福。さっそくいくつものグループが立ち上がりました。
 友人のところにも笑顔が絶えないほど誘いがきました。

 ところがどっこい、音合わせをしてみて、みんなの口がへの字になりました。
 テレビでもよく見聞きするように、音声が届くまでに数秒の間があきます。合奏、合唱にとってこれは致命的です。この障害を解消するには百数十万円のシステム機材が必要だとか。

 一人消え二人消え、みんなあと退りしていきました。

 「鐘の鳴る丘」ファンの別な若い相談相手は、どこか放送局に話を持ち込み、機材や編集能力を活用したらどうか、と考えてくれました。素晴らしい。でも素晴らしすぎて母屋をとられることになりはしないか、と気が揉めたりして。

 音楽著作権のこともあり、個人で気楽に遊ぶにしては面倒くさいこともいろいろ。ラクしてイイ思いをしようというのですから、虫が良すぎます。

 発端は、見知らぬ人たちと一期一会でいっしょに歌ってみたいというだけの思いです。

 昨暮の、第九の一万人大合唱の向こうを張ろうなどというコンタンはない。
 また、1985年のあの歴史的なリモート音楽イベント、「アフリカ・エイド」や「USAフォー・アフリカ We Are The World」のように、みんなが心を一(いつ)にし、歌声を一にしようという高尚なものでもない。

 歌声はまちまち、バラバラで構わないんです。しばし気持ちが一になればいいわけで。

 と考えたら、首筋あたりのコリがすーっと消えました。

 7月5日のまえに、お馴染みの、川田正子と音羽ゆりかご会の「鐘の鳴る丘(とんがり帽子)」の YOUTUBE を各自パソコンに取り込んでおいて、パソコンの時分秒表示とにらめっこ、「16:59:59」になったら、
  https://youtu.be/zEc5ViEq8XQ
をクリックすればオーケー。歌詞も出てきます。

 当時の歌のスタイル、長ったらしい前奏やのどやかな間奏を楽しみましょう。

 子どもたちの顔が明るいのです。窓辺の子どもたちはクリクリ坊主。カメラに向かって振る手は「おいでおいで」です。横振りのバイバイではなく、Vサインなんてする子もいません。
 感慨ひとしおです。

 (♪)ミッドリノオッカには、自粛生活のさ中、自分勝手に連れ立って街に出かけたり、飲み騒いだりする行儀のワルイ子は一人もいなかった──。

 (元コピーライター)

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