「戦争をしないための軍隊」タナカ試案

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「戦争をしないための軍隊」タナカ試案

田中 七四郎


◆ I.『魔の河』における火野葦平の<悲劇の共感>と<誠実主義>について

 2015年は火野葦平(1906〜1960、以下あしへい)が自裁して55年、筆者はあしへいの世評に流布している「戦争作家」というレッテル貼りをやめる機会にしたいと考えている。『ペンと兵隊—火野葦平の戦争認識』(今村修/著、石風社、2012/12/30、参考文献1)を読んでその辺りを考えてみたい。

 さて著者今村修(1941〜)氏はあしへいを思想家、哲学者としての視点から捉えている点が興味深い。作品では<悲劇の共感>はあしへいが戦後になって考え付いたのではないかと疑問を呈している。<悲劇の共感>とは『魔の河』(火野葦平、1957(昭和32)年10月)に出てくる「兵隊(日本兵士)と(中国人)苦力と(石炭)仲仕との間に通底する奏音をこう呼んだ。

 著者は、この作品はあしへいが<20年以上前からも書きたかったものである(『魔の河』あとがき)>と述べていることから、<悲劇の共感>は『魔の河』の舞台である杭州湾敵前上陸頃の1937(昭和12)年にはすでに思いついていたとように見えるが、これには<なにほどかの嘘が含まれていたと言わざるを得ない・・・>(『ペンと兵隊』P177)と指摘をしている。また著者はあしへいの<皮膚のようなヒューマニズム(誠実主義)>を<日本的な感性に裏打ちされた人格論として違和感を持つ>(同上)とも指摘している。筆者においては<悲劇の共感>を、たとえあしへいが戦後になって考え付いたとしても、まさにこのときこの作品で正直に吐露したかったことばだったのではないかと思う。

 また、あしへいの<誠実主義>についても、国難の時代を嘘をつかずになんとか必死で生きようとしたあしへいの証左であったのではないかと考える。
 あしへいは公職追放該当者としてかつて仮指定を受けた際、特免申請理由書(昭和24年5月)において、<私は・・・戦前も、戦中も、戦後も変わらぬ立場、すなはちヒューマニズムを守りつづけてゐます。・・・ヒューマニズムは民主主義と直結するものであり、今後の社会状勢のなかで、さらに自分の文学の立場を押しすすめたいと念願して居ります。>と堂々と宣言している。

 人は突然戦争という国難に立ち向かわざるを得なくなったとき、どんなふるまいをするのか。国民は人格(思想)を変え、国を背負って戦争には絶対勝たなければならないと、強い意志で立ち向かうのではないか。その結果敗戦、国民は茫然自失、虚無的情況に陥ったのではないか。戦争では殺られる前に殺らなければ殺られる。あしへいは召集されると前線では本心死ぬ覚悟で戦った。

 運よく敵の弾は当らず餓死にも遭遇せずいのちは取り留めた。あしへいにとって戦闘、敗戦の体験は、<人間はどんなことがあっても絶対に戦争をしてはならぬということだけを肝に銘じ>て学んだ(『戦争犯罪人』あとがき、1954(昭和29)年10月5日)。文学と戦争とともに成長し、最期は戦争と文学に殉じた。<戦争、戦争犯罪を政治的な面からではなく人間としての立場から書きたかった、>(同上)と語っているように、彼を思想家や教育者としての視点から捉えるのはいささか無理があるのではなかろうか。真実は小説でないと表現できない、と意識的?に事実と違えて表現している箇所がみられる。必ずしも事実を正確無比に表現することにこだわらなかった。

 幾多の作品の遍歴を仔細に追っても、『魔の河』や戦争3部作の中からも普遍的、一貫したあしへいの思想化を抽出できるものとは思えない、揺れ動く彼のこころの遍歴の矛盾を指摘できるのがおちではなかろうか。一貫していたのは、あくまで庶民・兵士の目線から素直に真実を語り、作品以外では沈黙を守った。断定を下したり、絶叫したりすることは嫌った。静かな闘志で思想や大説でというより行蔵に力をたのんだ。
 家族を愛し、仲間や郷土を愛し、国家を慈しんだ。思想家というより頓着しない人間<襤褸の人>(鶴島正男、1926〜2006)であった。
(注)襤褸(らんる)→ やぶれた衣服。ぼろきれ。−をまとう(集英社国語辞典)。

◆ II.あしへいのアジアへの眼差しについて

 昨年(2015年)は孫文没後90年に当る。1924(大正13)年11月28日の旧制神戸高等女学校講堂における孫文が行った大アジア主義講演—西洋覇道の走狗となるのか、東洋王道の守護者となるのか、と問い、日本は西洋覇道より東洋王道を目ざせと主張—は歴史的演説として語り草となっている。
 <皇道>ということばを遣った日本人が居ることを知ったのはつい最近である(毎日新聞、2015/5/9)。孫文が王道を説いた講演より20年以上前のことである。その人は、明治人・荒尾精(1859 〜1896)という。荒尾は名古屋の出身で陸軍士官学校を卒業して連隊勤務の後明治18年に参謀本部支那部に転任、清国への関心を強める。明治27・28年の日清戦争の折に、清国に勝ったからといって領土割譲や過大な賠償金をとるような愚を犯すなと説いた。
 荒尾の思想の骨格に据えられている<皇道>とは、<至誠一貫の道>であり、軍事力や軍事思想とは別で、明治維新以来唱えられた皇道は誤っている、という。日本は道義国家としてアジアの一角に位置を占め、西欧帝国主義の覇道に抗議すべきだったとの意見を述べている。荒尾は明治29年に39歳で台湾で客死している。その思想も忠告も明治政府に受け入れられなかった。

 <皇道>は孫文のいう王道と通じるものがありまた、あしへいの<ヒューマニズム>(誠実主義)や<道義の頽廃>(『革命前後』)はそれらと相通底するものがあるのではないだろうか。あしへいが前の戦争体験を通して<悲劇の共感>を感じ取った根拠は、中国を始めとするフィリピンや、ビルマなどアジアへの眼差しがあったからではないか。
 古来日本国の特異点は地政学的にみて世界(中国・西洋列強)の周縁(極東)に当る。九州からは明治から昭和にかけて日本の近代化を図るために朝鮮半島、中国、アジアに眼差しを向けてきた先人の系譜がある。西郷隆盛(1828〜1877)を嚆矢として、玄洋社の頭山満(1855〜1944)、黒龍会の内田良平(1874〜1937)、革命家の宮崎寅蔵(滔天、1871〜1922)、東方会の中野正剛(1886〜1943)らアジア主義活動家がそれである。孫文との出会いがあり彼らを支援し、辛亥革命を支えた。

 あしへいには未完の小説『中津隊』(昭和19年)がある。明治10年の西南戦争で西郷軍に呼応して挙兵・戦死した中津隊小隊長増田宋太郎(1849〜1877)を取り上げた作品である(『あしへい16』)。アジアへの眼差しの精神はあしへいら九州文学の仲間にも影響を与えたことは想像に難くない。ちなみに現在パキスタン、アフガニスタンで井戸を掘る日本人医師として活躍中のペシャワール会の中村哲(1946〜、あしへいの甥)氏らはそのDNAを引き継いでいるように思える。
 昨年は戦後70年、明治以来の脱亜入欧一辺倒とは異なる「新しいアジアへの眼差し」について見直し、再検討してみる時期ではなかろうか。いまそれがアジア主義活動家の先人やあしへい自裁に報いる残された者の戦後責任—義務ではないかと考える。

◆ III.<戦争をしないための軍隊>とは、について

1.古来どうしても戦争をしたい政府の10の嘘

 表題については、『戦争プロパガンダ10の法則』という古典的有名な言説がある(参考文献2)。すなわち(1)われわれは戦争をしたくない、(2)しかし敵側が一方的に戦争を望んだ、(3)敵の指導者は悪魔のような人間だ、(4)われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う、(5)われわれも誤って犠牲をだすことがある、だが敵はわざと残虐行為に及んでいる、(6)敵は卑劣な兵器や戦略を用いている、(7)われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大、(8)芸術家や知識人も正義の戦いを支持している、(9)われわれの大義は神聖なものである、(10)この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である、というものである。

 この政府の10の嘘は今日でも全く古くささを感じさせない、むしろ国家間のみならず、その後のテロとの闘い、民族、宗教、信条の違いの相手に対してまで世界中に拡がってきている。あしへいは、昭和の戦争に従軍して戦争は決してするべきではないと肝に銘じたというが、ではどうすれば戦争をしないで済むか、残念ながら彼の見解は筆者は寡聞にして知らない。
 ここではあえて筆者の私見を述べて大方のご意見を仰ぎたい。

2.筆者(タナカ)試案

(1)戦争になってから対策(勝つ戦争)を考えるのは遅きに失する、その前にできるだけ戦争を近づけない、戦争に近づかない工夫(努力)をはかる、→日本国は平時において「避戦(筆者造語)」を世界に宣言する。避戦の要件とは、国家間紛争に暴力、戦争を用いない、外交、話し合いでネゴシエーションする国家、民族、宗教、信条を越えた国際条約を遵守し、国連安保理などへ提案していく(独、印、伯などと常任理事国入りを働きかけ中)。ジェノサイド/エスノサイド/民族浄化は禁止、核、原潜、ロボットなどは不使用、特攻兵器/特攻隊、殲滅/全滅/生物(ウイルス、細菌)兵器は不保持を宣言する。

(2)避戦は非戦、不戦、反戦に非ず、「避戦の軍隊」は<戦争をしないための軍隊>(「約束の海」、故山崎豊子)にそのアナロジーを求める。「避戦の軍隊」の精神は、打たせてアウトを取る野球、肉を切らせて骨を絶つ、昔の武芸の達人の奥義に近い。完全非武装中立ではなく、日本国土を防衛する武装した常備軍組織である。「国土武装防衛隊(仮称)」と称し、通常兵器レベルの技術を所有し、場合によっては戦争にルール(島尾敏雄(1917〜1986))を設け通常兵器戦争は辞さない覚悟を持つ。かねては天災人災大規模災害事故対応を実施する奉仕隊として活動する。他国からの脅威、攻撃に対しては受けて立ち(専守防衛)、いかなる脅威、攻撃に対しても圧倒的に凌駕する。現自衛隊レベルの規模(機能、予算、活動範囲)をベースとする。現行自衛隊と根本的に違うのは、国民自身が自衛隊を正規の軍隊として認知(憲法上)する。そのためにはこの一点に絞って憲法改正の国民投票による賛否を問う。安全保障関連法案に修正が必要であればまず違憲問題を払拭してからを先とする。

(3)避戦宣言と並行して国内に向けては平和憲法を護持し、国民の権利はしっかりと守り、憲法9条をイスラム語訳他世界言語訳化して世界へ紹介する。憲法がノーベル平和賞受賞の対象とならないとも限らない。

(4)海外に向けては、各国の民主勢力と連携を図り、地球規模的な飢餓、貧困、難民、をなくすための武器・弾薬・軍需支援ではないソフトパワー(現自衛隊幹部人材・ノウハウ・ルールなど)の輸出に一役担う。また日本人としてアフガニスタンや東ティモールの紛争後処理に関わり、国連PKOを率いた経験もある伊勢崎賢治(1957〜、東京外国語大学教授)氏が行っているような活動を地球大に拡充していく。日本国は軍事的な関与はしていない、中立な立場であるという<美しい誤解>(参考文献4)を世界の一部が認めているからこそできる活動である。<美しい誤解>のメッセージが解けないうちに更に支援・活動の輪を拡げていく。

(5)「避戦の軍隊」を実現するバリアはとてつもなく大きい。<戦争をしないための軍隊>にどういうステップで近づけていくか。憲法9条と「避戦の軍隊」との矛盾、軍隊常備による過剰防衛から防衛を口実にして、『戦争プロパガンダ10の法則』の陥穽にはまらないか。偶発的暴発的戦争防止策、国内では沖縄問題、北朝鮮・中国・韓国などアジア近隣諸国との関係、スイス連邦(㈿.後述)、ベネルクス、東西ドイツ、旧ユーゴスラビアなどヨーロッパの過去の歴史、米国軍隊のフィリピンからの撤退事例、などを研究・検討をはからなければならない。

◆ IV.スイス連邦の軍隊組織について

 1674年武装中立を宣言。しかし中立と傭兵は別問題と考えられており、中世より国外へ傭兵の供給が唯一の産業であった。雇用主は仏国王、ローマ教皇、神聖ローマ帝国など。現在でもバチカンの警護はスイス衛兵隊が衛っている。「現在永世中立のスイスは、人口800万人の小国にもかかわらず15万人(人口の1.9%)という大規模な軍隊を持つ。19〜34歳の男子全員に兵役を課す国民皆兵制(徴兵制)である(2013/10/8掲載、Newsweek)」。

 また『地方分権ひとつの形』(参考文献7)によると、スイスには兵役義務とは別に民間防衛組織があるという。男子の43歳〜52歳が対象となり、市町村がその基本単位となる。災害救助装備や医療装備、地下施設(含シェルター)が準備されており、シェルターは国内25万箇所設置、人口620万人収容可能という。

 スイスはこのように自らをハリネズミの防御体制と呼ぶ防衛組織を維持する。有権者一人ひとりが直接ものを言うことができる青空会議(ランツゲマインデ)の伝統をいまも守りヨーロッパのモザイク国家の政治力学の中でたくましく存立し続けている。

 2002年9月、スイス連邦は正式に190番目の国際連合加盟国となった。しかし未だEUへの参加は国民投票で否決されている。国連に加盟しても連邦政府はあくまでも「中立国」として加盟していると強調している。国連の議論に加盟国として参加・発言しなければならない機会が増えている。今後国際社会の中でジュネーヴ効果などを活用して、いかに「中立」を貫き通していくか課題が大きい。今後も日本が学ぶところが多い国家の一つである。
 地球大の軋む悲鳴や白い秋かな 烏有

 (筆者は北九州市小倉北区在住・NPO役員)

参考文献:
1)『ペンと兵隊—火野葦平の戦争認識』、今村修、石風社。『思想の科学』1973/6月号、火野葦平と戦後の出発—戦後責任問題との関連で—今村修
2)『戦争プロパガンダ10の法則』—ポンソンビー卿「戦時の嘘」より、アンヌ・モレリ、草思社。
3)『世界史の構造』、—交換様式による未来に対する想像力、柄谷行人、岩波書店、岩波現代文庫。
4)『本当の戦争の話をしよう—世界の対立を仕切る』、伊勢崎賢治、朝日出版社。
5)『帝国の構造—中心・周辺・亜周辺』、柄谷行人、青土社。
6)『戦火のサラエボ100年史—「民族浄化」もう一つの真実』、梅原季哉、朝日新聞出版。
7)『地方分権ひとつの形—スイス:発言し、行動する直接民主制』、国枝昌樹、大蔵省印刷局。
8)『スイスの凄い競争力』R.ジェイムズ・ブライディング、日経BP社。


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