アメリカ人の人種偏見とテロリズム

【アメリカ報告】

アメリカの人種偏見とテロリズム

武田 尚子


 もう1ヶ月になるだろうか、ISISが、20人ばかりのクリスチャンにオレンジ色の服を着せ、ひざをついて横並びさせた情景は未だに多数の読者の胸に焼きついているに違いない。側に立つナイフを持った大男はジハデイのジョンと呼ばれる、ロンドンでアルカイダの訓練を受けたテロリストであり、彼は囚われて跪いた男たちを次々に斬首しようとしているかに見えた。それはその少し前に行われたISISによる生身の人間の焼殺に劣らぬ恐怖を、見る者の胸に呼び起こした。
 今日のISISの残虐と対策を論じたオバマが、「西側にも反省すべき点はある」といったために、保守派の大攻撃を受けたという記事を読んで、筆者がまず思い浮かべたのは、ほかでもない、アメリカ南部で行われたリンチの歴史である。果たせるかな、必ずしも広くは知られていないアメリカの負の歴史を、再点検し、反省しようという動きが、幾つかの論説や評論の形であらわれ始めた。その一つ「人種偏見のテロとしてのリンチ」と題した、本年2月11日のNYタイムズの論説を要約でご紹介しよう。

 「アメリカで行われたリンチは、往々にして公の事件だったことを忘れてはならない。時にそれは新聞で報道され、何百、何千の白人、選挙で選ばれた官吏や街の名士を巻き込み、彼らは家族や子供を連れ、無残にリンチされた黒人の屍体から至近距離で、談笑もしつつ、このカーニバルを見物した。これらのコミュニティあげての暴力は、リンチ州であったルイジアナ、ジョージア、アラバマ、フロリダ、ミシシッピでは今では市民たちの記憶からほぼ消し去られた。しかし、市民権運動の弁護士、ブライアン・スチーブンソン氏はこれをアメリカ人に想起させ、今なおアメリカを揺さぶる人種対立がどうして生まれたかと対決させようと奮闘している。

 スチーブンソン氏の組織“Equal Justice Initiative”は、1877年から1950年までの間に、南部12州で実行されたほぼ4000件のリンチ記録を公表した。それらのリンチは、ジムクロー法、及び人種差別を強化するためになされたものだった。これらの犠牲者の多くは、事実上の罪過ではなく、例えば白人に向かって口答えするとか、公平さや権利を求めたためにリンチで罰せられたのである。
 スチーブンソン氏のレポーターたちは、地方新聞、歴史のアーカイブ、裁判記録、地方の歴史家、リンチ犠牲者の生き残りや遺族とのインタビューを通して事実を克明に追跡しようとしている。また彼らは4000件ばかりかさらに700件も多くのリンチ事実を突き止めた。また、60年代以降の南部から北部への黒人の大量脱出は、経済上の利点より、リンチの恐怖からのがれることが目的だったという指摘もある。

 リンチはいわば今日の偏った犯罪制裁システム、つまり、裁判における「偏見」への先駆けだったといえよう。研究者によると、南部諸州が死刑を戦術として用いるようになってから、リンチは減った。その代わり、黒人は簡単な裁判のあと、白人より余計に死刑にされてきた。1950年代においてさえ、すでに禁じられていた公開死刑は、南部の一部では続けられたのである。
 南部社会の強力な要素であったリンチは、今日の一般の論説や論議からは姿を消したと、レポートは言う。“ほとんどの南部のリンチ犠牲者は、その後になんの印も残さず、認知もされない場所で殺された。南部の風景は飾り板とか、彫像とか、アメリカ白人の優位を記録し、歌い上げ、名所として見学もさせる、何世代もの南部人の記録であふれている。”
 スチーブンソン氏のグループは、歴史の実態は適切に記録されるべきであり、アメリカ国民は今日もなお解決できないでいるアメリカ社会の人種問題の原因をはっきりと理解すべきであると論じている。」(FEB.11.2015 NYタイムズ)

 2014年8月、ミズーリ州のファーガソンで、武器を持たない黒人青年マイケル・ブラウンが警官に射殺された事件は、今では広く知られている。その少し前、ニューヨーク州のステットン・アイランドでは、やはり武器を持たない黒人の若者エリック・ガーナーが、警官に首を抑えられ窒息死させられた。最高裁が、それに手を下した警官のいずれに対しても、起訴を拒み、懲罰を免れさせたことから、抵抗の波は全米に広がった。
 この二つの事件と、その後も明るみに出された幾つかの、黒人車にたいする警官の不適当かつ過剰な停車命令は、白人車に対するそれの何十倍にもなり、信号違反で罰金命令を出し、払えないと刑務所に入れる、しかもその罰金が市や街の運営予算の重要な財源であるというケースが全米にはいくつもあるとことも明らかにされた。問題の町ファーガソンでも、交通違反の罰金を命ぜられるのは黒人が一番多いが、それは決してファーガソンだけではない、その周囲の町々のいずれも同じ事情なのだという。ポリスたちは、街の財政に貢献するために、不当な停車命令をかけることを激励されているのである。

 こうした黒人の実情を知るにつけ、頭では理解していた現在のアメリカの分裂の根をはっきりとみせられて愕然とするのは、筆者だけではないだろう。リンカーンの奴隷解放から150年、市民権運動から半世紀も経た「民主主義のアメリカ」で、こんなことがあって良いものだろうか。政治の場での保守勢力の、庶民の利益に反するとしか思えない政策の原因の多くは、奴隷制当時から日常茶飯事とされてきた、南部人をはじめとする白人の黒人観にあることが、とりわけファーガソン以来のプロテストや取り締まりを通して、はっきりと見えてくる。財源に制限があるなら、まず白人を潤せ。最低時給7.25ドルを10ドルにあげようなぞ、耳を貸すな、黒人のために教育の質を上げ、居住地域の制限を緩めるなど、寝言のようなものだ、と表には出さなくとも、多くの保守主義者の内心の声が聞こえてくる。米国民の何十%かに初めて健康保険を持たせようというオバマケアも、多数票を握った議会の握りつぶし案の第1候補である。

 こうして2月20日には、「アメリカ人がメキシコ人をリンチしたとき」という寄稿論説がNYタイムズに登場した。黒人リンチのことはかなり知られてはいても、同じく少数民族であるアメリカインデアン、イタリア人、中国人へのリンチ、中でもメキシコ人にたいするリンチが黒人へのリンチについでもっともひんぱんに行われたことはあまり知られていないという。
 19世紀半ばから20世紀に入っても、メキシコ政府の記憶には強くとも、アメリカのジャーナリストが見過ごしてきた1事件は特筆に値する。テキサスのコーパス・クリステイで、1873年に起こった事件で、アメリカ人暴徒が7人のメキシコ人の羊飼いを脅かし、彼らの土地を売らせようとしたらしいが、結局はリンチで彼らを片ずけてしまった。

 1848年から1928年までに、暴徒は何千人というメキシコ人を殺したが、現存の記録では547件しか確認できないという。これらのリンチは米国南西部のアリゾナやカリフォルニア、ニューメキシコ、テキサスだけでなく、国境から程遠い、ネブラスカやワイオミングでさえも起こっていた。こうしたリンチが新聞種になることはたまにあったが、それは記者たちが南部の黒人リンチ事件を扱ったときのように、猛烈な公的暴力事件として紙上に提供したときに限られていた。
 例えば1851年7月5日には、カリフォルニア州ダウニーヴィルの2000の人の群衆が、JUANA LOAIZA というメキシコ女性が白人男性を殺害したという容疑で、法の手続きなしにリンチで絞殺されたのを見物していたことが記されている。また1910年11月には、アントニオ・ロドリゲスというメキシコ人労働者を刑務所から引きずり出し、彼がランチャーの妻を殺したという容疑で、メスキートの木に縛りつけ、ケロシンを着衣に振りまいて生きながら焼き殺している。EL PASO 紙は一人の逮捕者も見つからなかったと報じている。

 ISISの残虐は他人事だろうか?
 アメリカ南部では、こうした暴徒の行動に警察が共謀した例は歴史にいくつも見出せるが、1915年から1918年までの間には、俗にサンディエゴ・プランという革命的蜂起に加担したと、無名のメキシコ人何千人かを、自警団員や、地方警察官やテキサスの森林守がリンチしている。メキシコ人の革命的な暴力に対する白人の恐怖は、1915年の7月、8月に爆発した。これはリオグランデ下流の経済下部組織の白人支配にたいする、メキシコ人の抵抗に対して行われたのである。
 サンディエゴ・プランへの反動は驚くべきもので、リンチは1920年代まで5年間も続いたが、メキシコ政府の介入によって、ようやく下火になった。歴史家たちはしばしば、リンチが南部特有かの表現をしてきたために、米国南部は他と比べて特別の遅れた土地であるかの印象を与える。しかしメキシコ人に対するアメリカ人暴徒の暴力は、我々に再考を強いる。南部の黒人は確かに最も多くのリンチの標的にされてはきた。しかし、南部と西部の歴史を比較することで、我々は暴徒の暴力への理解を深められるだろう。今日の移民政策やラテン系人増加の現実を考えれば、対メキシコ人暴力は、我々に憎悪のコストとその結果を教えるのである。(FEB.20.2015 NYタイムズ)

 さてこの論考の結論である憎悪のコストについて、アメリカ人だけでなく、人間として我々はみな、考えてみる必要がある。今日の黒人の状態は、奴隷時代からみれば全体として、はっきりと躍進を遂げた。しかし彼らは本当に解放されたのだろうか? そして彼らの生活はどれほどの進歩を遂げたのだろう?

 バークレー大学の元教授であるマイケル・ライヒ氏に、「人種的不平等」という著作がある。政治的、経済的な社会分析の書であり、ほかの研究者たちによっても、同様の結果が報告されているという。1981年に出されたこの本は、大半の労働者は、どのような人種に属していようと、人種差別によって損害を受けるという。少し古いが、今日に通じる興味ふかい論考なので大筋をサマリーからご紹介する。
 「1960年代の初期には、多くの米国民が、アメリカ社会は根本的な大改造をしないまま、人種差別を消去しつつあると考えていた。市民権運動は高まりつつあり、何百、何千という黒人は差別の少ない北部へと大群で脱出していた。北へ移動することで、彼らの受ける教育の質がたかまり、1966年には、25−29歳の黒人男子、それと同年齢の白人男子の教育格差は、1960年当時の格差の1/4に縮小されていた。
 ところが、市民権運動にまつわる種々の黒人のための政策にも関わらず、1970年には、60年代の楽観主義が消え失せてしまった。ゲットーへの特別の人力注入とか、「貧苦との戦争」アピールとか、黒人採用のための特別措置などの努力にもかかわらず、人種差別と、黒人への一方的な差別的少額報酬は過去20年間少しも改善されなかった(60−80年代を指すらしい:武田・注)」。

 学校や近隣コミュニティでも、差別は着実に増加し、白人黒人間の不信感は増してきた。黒人収入は白人の55%とシステム化されたが、白人地主や資本家や労働者にとって、収入の配分は大きな意味を持つ。例えば、ゲットーに家を持つ家主は、白人より高額の、しかも市中で最高の賃貸料を黒人に要求する。さらに重要なのは、人種差別は資本主義の安定と不平等の合法化のためには必須のメカニズムだったことである。

 黒人の生活にとっては、子供の学校教育より目先の収入の方が重要である。1974年に25−34歳までの黒人の大学卒業生は、同年齢の白人大学卒業生が人口の21%いたのに対して、8.4%しかいなかった。
 黒人青年が労働市場に入ると、状態はますますひどくなった。白人と同じ年数の教育を受け、アチーブメントテストで同点をとった黒人でも、白人よりよほど少ない収入に満足しなくてはならなかった。おまけに良い仕事は彼らの住むゲットーからは遠く離れ、車なしでは通えない。あるいは人事係や雇い主が差別主義であったり、あるいは組合が入会を拒否したり、あるいは逮捕歴があったりで無理になる(交通違反関係の罰金や、罰金が払えないための逮捕や投獄は日常茶飯事で行われていた)。1966年には、黒人大学の卒業者は、白人高校のドロップアウト以下の収入しか得られなかった。また黒人失職者の数は白人失職者のほぼ2倍いた。「黒人は最後に職を得、最初に失職するのである。」
 家屋問題にしても、黒人は白人以上の高値を払わされるが、家の質は白人以下である。ゲットー内の店舗の買い物にも、彼らには高値がつけられる。家を買えば、例えば同等の仕事をする白人労働者と同じ価格を払わせられる。職業によって報酬の額が高くなるほどその職業から黒人は遠のけられる。

 では一体何故アメリカでは、これほどの人種偏見が今も続いているのだろう?
 経済学者の中で最も卓越した人種差別の分析は、ゲイリー・ベッカーが自著「差別の経済学」の中で論じている。彼によると、根本的にはそれは白人の「好みと態度」の問題に帰着するという。もしもある白人が、黒人と付き合うことで収入を減らされても、黒人との接触を厭わなければ、白人種の人種偏見への好み—態度—は消失する。しかし白人雇用者も黒人労働者も、黒人と付き合いたくはないので、それがやむを得ない場合は金銭的な賠償を要求するという。ベッカーは、このモデルでは白人労働者が金銭上の利益を得るが、雇い主にとっては損失になる。彼は「好みと態度」に応じて、人種偏見は道徳の問題として処理できるという。

 しかし、マイケル・ライヒ氏による論議は全くベッカーと意見を事にする。人種偏見は経済システムに根を持っている。外因性の要因によって決定される‘趣味や態度’の問題ではない。歴史的に、アメリカ人はアメリカ・インデアンを殲滅したではないか。また、アメリカを動かした金のほとんどは奴隷制から得られたものだった。そしてそれが一連の調停によって拡張された。その始まりは1840年のメキシコ戦争であり、その一部は少なくとも白人優越のイデオロギーによって正当化されていた。今日では、白人は憤懣を、資本主義に対してではなく、黒人に向けることによって、つまり人種差別を活用することによって、資本主義の必要を継続させ、その生存を支えているのであると、ライヒは論じる。

 個々の資本家が人種差別を拒否し、黒人を雇うことによって黒人の賃金をあげ、それによって彼自身の収入を上げたとしても、それは資本家階級全体の利益にはならない。人種差別がなくなり、労働力が皮膚の色によって効率よく配分されたとしても、それは資本家階級全体の利益にはならない。人種差別のもたらす労働グループの分裂は、労働者が資本家と交渉する力を弱める。人種偏見の経済的産物は、黒人賃金の低下であり、白人賃金の低下であり、それはそのまま雇い主の収入増加につながる。資本家は意識的に人種偏見を作り出したのではないし、さらに彼らがその永代継続者ではないとしても、人種偏見はなお、アメリカの資本主義制度の生存を支えているのである。
 労働者が値上げを要求するとき、雇い主は黒人労働力の安価で豊富なことを告げて、値上げを拒否する、労働者が労働条件や労働上の不満を訴えても、労働者間の分裂は雇い主に有利に働く。労働者間の人種分裂は、職場でも労働運動でも白黒の肌を超えて労働者組織を団結させないからである。1919年のスチールストライキで、労働者間の人種的、民族的な分裂が、団結した行動を取らせなかったのは歴史的な好例である。

 次に考慮すべきは教育問題である。貧しい白人と黒人の親たちが、より均等な良い学校教育を求めて一致すればできることも、人種間の不和のために実現しない。ゲットーは貧しい地域に近く存在するので、全米の裕福な学校地域のように、高額の税金納入地域としても評価されない。

 資本主義にかわる現実の経済システムを白人が確立できない限り、傷つきやすい黒人(その他)の少数グループは、格好のスケープゴートとして存在し続けるだろうと思われる。
 こうした現実に直面して、アメリカはこれから、どんな未来を選ぼうとしているのだろう? グローバルな世界で、アメリカの賢明な取捨選択は、巨万の人間の幸不幸につながるだろう。たとえ人種問題に解決はなくとも、どんなに小さくとも、一人一人の人間に何ができるかを含めて、この問題を考えて行きたいと思う。

 (筆者は米国・ニュージャージー州在住・翻訳家)


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