ウクライナ紛争について、誰が正しいのだろうか?

ウクライナ紛争について、誰が正しいのだろうか?

石郷岡 建


 私が教えている大学の授業で、学生からクリミアをめぐる問題について、「ウクライナとロシアと、どちらが正しいのですか? 私はロシアが悪いと思いますが、先生は、どう思いますか」という質問が出された。複雑な背景を持つウクライナ危機問題を、ひとことで説明するのは難しい。どちらが正しいと言いきってしまうのも難しい。それよりも、私が思ったのは、複雑な問題を、どちらかが正しくて、どちらかが間違っていると、簡単に考えてしまう善悪二元論に非常に深い懸念を持った。

 そこで、「領土問題や国境紛争に関して、どちらかが100%正しく、どちらかが100%間違っているというケースは非常にまれだと思う。そもそも、国際紛争というのは、双方に理屈があるのが自然である。つまり、一方の主張が70〜80%正しいかもしれないが、残りの20〜30%は、もう一方の言い分がそれなりに正しいというケースもある。さらには50%ずつというどちらも正しいという引き分け論もあり得る」と説明した。

 そして、「竹島問題や尖閣問題、さらには、北方四島問題などの領土紛争は、100%日本が正しく、中国や韓国、ロシアは100%間違っているといえるのか? そんなことはあり得ないと思う。どちらにも、言い分はある。長引く国際紛争の背景には、必ず、それなりの理由があるもので、100%善悪が明白な場合は、紛争が長引かないのが普通だ」と付けくわえておいた。

 以前、「紛争研究」という科目を大学で担当し、世界各地の紛争を分析し、考えるという授業を行ったことがある。その時にも、一番問題になるのは、どちらかが正しく、どちらかが間違っているという二者選択の考え方で、簡単に解答を求める学生が多いことだ。紛争研究の対象となるような紛争は長期間、時には数世紀にわたって続いている場合が多い。逆に、当事者が一方的解釈をすることで、紛争が過熱し、多大な被害者を出すケースも多い。そしていったん死者が出ると、紛争はもっと長引く。

 国際社会では、国家の利害がぶつかるのは当然であり、双方の主張にはそれなりに理由があるケースが多い。双方の立場はぶつかりあうかもしれない。それでも、双方の主張が重なる部分を広げ、最後はお互いが譲歩することでしか平和解決はない。善悪二元論や勧善懲悪論に頼らず、双方の主張の一致点を探し、対立点については、理解を示しながらも、妥協を進めることが、平和的解決の道筋だと力説してきた。

 この私の説明は、日本では分かりやすいと思う。しかし、一神教の国々では、真実はひとつであり、どちらかが間違っていると主張されることが多い。概して、アジア・アフリカ地域は多神教的な教えから真実は沢山あるという「羅生門」的世界を受け入れる。一方、キリスト教欧米社会やイスラム教中東世界では「真実はひとつ」という原則がゆるぎなく立ちそびえており、それは信念にまでなっている。

 この欧米世界(特に、英米アングロサクソン型世界)の考え方が日本の若者たちの間にも、最近は深く浸透している。先日、マスコミ関係者の間で、集団防衛条約に関して議論をしていると、傍聴していたひとりの女子学生が手を挙げ、「もう我慢ならない」という雰囲気で、「皆さんたちは自分勝手な議論をしているが、真実は何ですか。真実はないのですか?」と怒ったような調子で、質問を突き付けてきた。国立大学のジャーナリズム研究会に入っている非常にまじめな学生だった。この質問に、どう答えるのか、一瞬、困ったが、結局、「実は、世界はあなたが思っているような真実ひとつの世界ではないのです。人によって違っており、色々な考え方、真実があり得るのです。国際関係が良い例で、明らかに真実はひとつでなく、国によっていくつもあります。それが普通です」と答えたが、女子学生は明らかに不満の表情だった。私はその表情を見ていて、真実を求める姿はある意味、美しいかもしれないが、非常に危険な要素も含んでいると思わざるを得なかった。

 本題のウクライナ危機に入ると、この問題でも、常に出てくるのが「どちらが正しいのか」という善悪二元論で、どちらかが圧倒的に悪いかと追い込んでいく議論である。私はロシア情勢を追っている立場なので、普通の人よりも、ロシア情報に強く、従って、ロシアの考え方が他の人よりも分かる。必然的に、ロシアの主張を理解する。もしくは理解しようとする。すると、親ロシアもしくはロシア支援者というようなレッテルをはられることになる。

 それでも、私が思うのは、日本を含む欧米社会が言うほど、ロシアは理不尽なことをしているわけではない。それなりに理屈が通る部分もあるということで、ロシアが100%間違っており、100%悪だという論調や主張には違和感を持つ。勿論、ロシアが100%正しいというわけでもない。第三者の中立的な立場から見ると、それなりに正しい部分もあるということだけである。

 最大の問題は、正しい、悪いという価値観の基準が双方で違っている場合だ。つまり、異なる価値観で、お互いが主張をぶつけ合い、対立すると、双方はお互いに理解できない。鋭い対立へと突き進まざるを得ない。同じ対象を吟味しても、異なる巻尺で測れば回答は違ってくる。現在のロシアと欧米社会の間には、まさしく異なる巻尺で物事を考え、議論しているという矛盾が横たわっている。

 「モスクワ・タイムス」という親欧米系の英字紙がある。モスクワのホテルなどで、無料配布されている新聞で、読者の多くはロシア語ができない外国人である。記事を書いている記者も英語のできる英米人が多い。だから、ロシア当局におもねることもなく、欧米の考え方をストレートに出してくる。ロシアの新聞がロシア社会の雰囲気を反映しているとすると、「モスクワ・タイムス」はかなり違った内容を伝えてくる。双方を読み比べると、なるほどと思わされたり、違いが分かったりする。私は愛読者の1人でもある。

 例えば、「モスクワ・タイムス」はウクライナ問題や自由・人権・民主主義などという欧米社会が喜ぶ題材を必要以上に取り上げる。その分かりやすい例が、同性愛だったりする。ロシアでは、同性愛問題はそれほど関心があるわけではなく、同性愛に厳しいロシア正教やイスラム教の考え方もある。少なくとも、同性愛を理由にソチ五輪の開会式をボイコットした西欧社会には違和感を持つ。ロシア社会はソチ五輪で国家的なプライドを大きく傷つけられ、それが反西欧感情を爆発させる理由にもなった。

 「モスクワ・タイムス」は、ウクライナ問題でも、基本的には、欧米社会の論調にあわせており、ロシア批判が強く、英米系新聞と同様にプーチン政権批判を展開することが多い。そこがロシアのマスコミより、一歩進んだ雰囲気を漂わせる。

 その「モスクワ・タイムス」が今年4月、ロシアのクリミア編入一周年にあたって、同紙のホブソン記者が現地取材を行い、ルポ記事を載せた。タイトルは「“ロシアはクリミアの母国”—クリミアの学校の生徒たちは何を考えているか」だった。

 記事によれば、筆者はクリミアの保養地ヤルタの学校(通常10年制)を訪問し、17歳の女子生徒であるマーシャ(マリヤの愛称)から「東ウクライナの戦争は、誰のせいだと思うか?」との質問を受けた。

 親欧米系新聞の記者である筆者は、当然のことながら、少し時間を置いて、「ロシアだ」と答えた。教室には一斉に慨嘆の声が湧きあがった。マーシャは筆者を「気が狂ったのか」という表情で見つめ、「(ロシアでは)あり得ない」と否定したという。

 マーシャは東ウクライナ出身で、戦火を避けてヤルタに逃げてきた数百人の子供たちの一人。そして、この多くの子供たちは自分たちがウクライナの侵略の犠牲者だと思っている(筆者は、わざわざ、「ロシアではなくて、ウクライナの侵略の犠牲者」と強調している)。

 そして、筆者は、ロシアによるクリミアの併合および東ウクライナへの干渉は国際法では非合法な行為であると、欧米では一般的な見方を説明する。しかし、マーシャら生徒たちは、そういう風には考えない。子供たちはウクライナ民族主義者たちがロシア語を話す住民の多い東ウクライナに戦争をもたらしたと信じ、恐れており、ロシアはこのウクライナ民族主義に対抗する守護者であると見ているという。

 筆者が「ウクライナやクリミアにはロシアの居場所はない」と主張すると、教室で見守っていた先生がこぶしを握り締め、歯ぎしりしながら、天井を仰いで、「ロシアはクリミアの母国なのです!」と叫んだ。すると、教室中に大拍手が鳴り響いたという。

 どの程度本当の話なのかは分からないが、良くできた記事である。クリミアの学校の教室の風景が目に浮かぶような話となっている。そして、私が思ったのは、これはモスクワに在住しているから書けた記事であり、欧米から直接現地に入った記者では書けなかっただろうなという感想だった。

 実は、同記者はもうひとつ記事を書いている。タイトルは「クリミアは ロシア統治の“恐怖の支配”に苦しんでいるわけではない。それは間違っている」だった。欧米政府を批判し、ロシアの立場に理解を示している。親欧米系新聞記事としては非常に珍しい内容で、私は「モスクワ・タイムス」の編集陣の中で、何が起きたのだろうといぶかったものである。

 話は米国務省の欧州・ユーラシア担当のヌーランド国務次官補につながる。今回の一連のウクライナ危機で、米国の政策を決め、推進した立役者だ。ウクライナ政変を「自由と民主主義のために、ウクライナ国民が立ちあがった」とほめたたえ、ウクライナのロシア離れ・欧州接近を支援した人物である。(ロシアから見ると、ウクライナ民族主義を支援し、鼓舞し、軍事クーデターへと導いた人物となる)。夫は米国内の過激な保守主義を主張したネオコン(新保守主義)の論客で、イラク戦争遂行をめぐって軍事力を重視する米国人と、軍事行使に消極的で盛んに平和を語る欧州人の関係を、火星人(軍神)と金星人(愛と美の神)の対立として皮肉ったことで有名だ。

 ヌーランド国務次官補は今年3月、クリミアのロシア編入一周年の情勢を米上院議員たちに説明し、「ウクライナは自分の領土の93%の地域に、平和的、民主的、独立した国家を打ち立てた。その一方、(ロシアの支配下に入った)クリミアと東ウクライナの一部ではテロ恐怖(政治)が吹き荒れている」と語ったという。

 ホブソン記者の記事は、このヌーランド発言にかみついた形となっている。同記者は、ヌーランド国務次官補が対露強硬策を推進したことから、ロシア政府のペルソン・ノン・グラータ(外交的に歓迎されざる人物)となっており、(ロシアへの自由な出入りはできず、従って)クリミアの人たちの話を交わしたことがない。だから、あのような発言を上院議員に行ったと主張し、発言は間違っていると書いた。

 同記者によれば、恐怖が渦巻いているのは内戦が深刻化している東ウクライナ(ドネツク、ルハンスク)であり、すでに5000人を越える死者が出ている。これに対し、クリミアでは、内戦もテロ恐怖政治も行われていない。そして「モスクワ・タイムス」の3人の記者が今年2月にクリミアを訪れ、現地取材を行っているが、クリミアでは、恐怖どころか、大多数の住民は東ウクライナで起きたような暴力が避けられたことに、ほっとしている。もはや、ウクライナ国内に住む必要もなくなったという。

 さらに、クリミアの住民たちが語る地元の生活の実態は平和であり、テロ恐怖政治ではない。住民たちが見る現実は、東ウクライナの分離主義者たちとウクライナ政府軍との間の紛争の展開であり、人々はロシアを侵略者ではなく、保護者と見ていると主張した。
 また、西側の制裁で物価上昇が起き、クリミアにとっての死活な産業である観光が大きな打撃を受けたが、それでも、ロシアから膨大な資金が投入され、年金は増額され、国家公務員の給料も上昇した。(ロシアに編入された)クリミアと比べると、ウクライナ本体の経済危機はもっと深刻であり、被害も大きいとしている。

 ヌーランド国務次官補の「テロ恐怖」という言葉はスターリン時代を思い起こされるものだが、クリミアの状況は、全く似ても似つかないもので、ロシア統治に住みたくない者は自由に離れることができるし、離れた者もいる。

 ヌーランド国務次官補は「クリミアは非合法の占領下にあり、人権侵害は日常的に起きており、タタール人、ウクライナ人、同性愛者、ジャーナリストなど多くの人が危機的状況にある」と語っているが、真実の部分もあるが、多くの人が恐怖に震えているというわけではない。大半のクリミアの住民は民族的にはロシア人もしくはロシア系で、キエフの中央政府統治下にあった時よりも抑圧は減り、テロの恐怖は逆に減ったと思っている。大多数のクリミア住民は、最近10年のウクライナ民族主義政権の登場で、ウクライナ人になることを強いられ、昨年の(政変に伴う)暴力的爆発に恐れおののいていた。

 ヌーランド国務次官補は、ロシアによるクリミア編入が実は大多数の住民の要望に応えていたことを無視している。クリミアの主権変更の(手続きの)形は非合法で、非難の対象であるべきかもしれない。しかし、編入の決定は純粋に民主主義的な正義だった。このことは西側世界では、ほとんど指摘されていない。ヌーランド型のデマゴーグ(扇動政治)はタカ派の世論を焚きつけ、核大国であるロシアに対する攻撃的政策を西側で煽るだけだ。

 そして、ヌーランド国務次官補はクリミアの住民と話し合うことなく、米露政策の中心に位置し、ウクライナへの武器供与への議論の推進役だ。政策決定に関与する立案関係者は彼女からの情報およびアドバイズに大きく依拠している。

 ホブソン記者の記事は、ここで終わっている。記事の対象は米国務省のヌーランド国務次官補批判で、米国の読者への訴えになっている。必ずしも、ロシアの読者は相手にはしていないかもしれない。米国の対露政策をどうするのかという米国内議論なのかもしれない。それにしても、通常の欧米論調からはかなりかけ離れた記事だという印象が強く、やはり、ホブソン記者に何があったのだろうかと思わざるを得ない内容だった。

 さて、この二つのホブソン記者の記事を読んで、われわれはどう考えるのかという問いになる。そして、本文の最初に紹介した「クリミアの編入に関して、ウクライナとロシアと、どちらが正しいのか」という学生の質問に戻りたい。果たして、ウクライナは100%正しいのか? もしくはロシアが100%間違っているのか? ということになる。

 私の答えは、どちらかが100%正しいということは、国際紛争、領土紛争では極めてまれなことで、ほとんどあり得ない。紛争当事者国は、それなりに正しく、それなりに間違っており、どちらかが善で、どちらかが悪というケースは稀だということを繰り返せざるを得ない。

 クリミアのケースの場合、欧米諸国はウクライナの「領土保全」という国際法が無視され、ロシア軍の侵略による武力行為による領土の強制併合が行われた。第二次大戦後の国際秩序を無視した暴挙であり、決して許されない、となる。

 ロシアの論理は、ウクライナでは欧米に支援されたウクライナ過激民族主義グループが軍事クーデターを起こし、強硬なウクライナ主義政策が実行に移された。クリミアの住民はこの過激な行為に恐怖を感じた。住民の要望に応え、ロシア政府はクリミア編入を行った。編入手続きは地元住民の自由意思表示による住民投票で決まり、何ら違反はない。「民族自決」という原則は国連でも認められている、となる。

 つまり、欧米とロシアの双方の対立の背景には、「領土保全」という主権国家の基本的な権利と、「民族自決」という人々の自由意思を尊重した国家性の決定の権利と、どちらかが重要なのかという設問が組み込まれている。

 さらに、第二次大戦以後に構築され、暗黙の合意がある世界的秩序体制を今後も維持すべきだと考える欧米の見方と、もはや戦後の世界秩序は土台から壊れかけており、世界的な大編成も止むを得ないと考えるロシアの見方と、米露の戦略・価値観の違いが露呈している。

 欧米から見ると、ロシアは専制国家として、隣国ウクライナの独立・自由を認めず、軍事圧力をかけながら、自らの勢力圏の維持・拡大を推進している。クリミアの併合は第二次大戦後の平和秩序を蹂躙した行為で、戦後最大の国際違反となる。一方、ロシアから見ると、軍事クーデターを支援し、ウクライナを強引にロシアから引き離し、欧州連合へと引っ張っていくことこそ、第二次大戦後の世界秩序の破壊行為だ。もはや、戦後に構築され、冷戦時代に強化された秩序の維持は不可能で、新しい秩序構築が歴史的な流れだとなる。

 この両者の違いの遠景には、第二次大戦以降続いた米国主導の秩序維持は、今後も続くのか、それとも、別のリーダー国家が現れるのか。または、別の形の秩序体制が台頭するのか、という歴史の流れを問う論争にもなっている。ウクライナ危機をきっかけに始まった欧米とロシアの対立は根が深く、長く続くかもしれない。たとえ、制裁解除になっても、根っこに存在する問題は潜在的にかなり大きい。将来の世界を見通さないと結論が出ない問題でもある。話はそう簡単ではないのである。

 さて、もう一度、繰り返したい。
 一体、欧米とロシアと、どちらが正しいのだろうか?

 (筆者は元毎日新聞編集委員)


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