リルケ最後の詩―火刑台上の死

【横丁茶話】

リルケ最後の詩―火刑台上の死

西村 徹


 リルケは1926年12月29日、白血病で死んだ。享年51歳。大正天皇が死んだ四日後だから昭和元年に死んだ勘定になる。死ぬ十日ほど前に書いた最後の詩、日本流では辞世、西洋流でいうなら白鳥の歌がある。私がめぐりあったのは新潮文庫の『リルケ詩集』富士川英郎訳「来るがいい 最後の苦痛よ」Komm du, du letzter, den ich anerkenne である。ここにその原詩と訳を掲げる。

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Komm du, du letzter, den ich anerkenne,
heilloser Schmerz im leiblichen Geweb:
wie ich im Geiste brannte, sieh, ich brenne
in dir; das Holz hat lange widerstrebt,
der Flamme, die du loderst, zuzustimmen,
nun aber nähr’ ich dich und brenn in dir.
Mein hiesig Mildsein wird in deinem Grimmen
ein Grimm der Hölle nicht von hier.
Ganz rein, ganz planlos frei von Zukunft stieg
ich auf des Leidens wirren Scheiterhaufen,
so sicher nirgend Künftiges zu kaufen
um dieses Herz, darin der Vorrat schwieg.
Bin ich es noch, der da unkenntlich brennt?
Erinnerungen reiß ich nicht herein.
O Leben, Leben: Draußensein.
Und ich in Lohe. Niemand der mich kennt.

 来るがいい 最後の苦痛よ 私はお前を肯っている
 肉体の組織の中の癒しがたい苦痛よ
 嘗て精神のなかで燃えたように ごらん 私はいま燃えているのだ
 お前のなかで。薪は久しく抗っていた
 お前を燃やす焔に同意することに。
 けれどもいま 私はお前を養い お前のなかで燃えている
 私のこの世での穏和は お前の憤怒のなかで
 この世のものならぬ冥府の怒りとなっている
 まったく純粋に 何の計画もなく 未来からも解放されながら
 私は苦悩の乱雑な薪のうえにのぼっていった
 なかに無言の貯えがしまってあるこの心を代償に
 このように確実に未来を購うことは 何処でもできはしない
 今人目にたたず燃えている これがまだ私なのだろうか?
 思い出を私はもってゆきはしない
 ああ 生 生とは外にいることだ
 だが焔のなかにいる私 その私を知っている者は誰もいない

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 一段文字を小さくして次のような手帳への書き込みが補記されている。

 (放棄。これは嘗ての幼年時代の病気とは違ったものだ。幼い時の病気は一種の猶予期間であり、さらに成長するための口実であった。そこではすべてが叫び、ささやいていた。幼い時にお前を驚かしたものを、今の病気のなかへ混合してはならない)

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 先ず死の苦痛を「肯う」とある。anerkennen という単語は、やむなく「許容する」「承認する」というよりは積極的に「評価する」、賞賛をすら含意することばであるらしい。ドイツ語は門外なので口幅ったいことは言えないが、辞書的にはそういうものであるらしい。これくらいの気持ちでなければ死の苦痛には立ち向かえないだろうとは理解できる。

 そして自分を火刑台上にある身として描いている。この訳では表出されていないが、10行目「苦悩の乱雑な薪のうえにのぼっていった」の「薪」は原詩ではSheiterhaufen、文字通り「火刑台」、乱雑に積みあげられた薪の山のことである。「火刑台」というタイトルでもよかったほどはっきりしている。その原像からこの詩は展開される。焔と自分との確執と和解。しかし和解は果たされたかどうか。

 火あぶりの刑は日本にもあったのかもしれないが、死の苦痛が喚起するイメージとしては大審問官トルケマダが猛威を振るったキリスト教国ならではのものだろう。もちろんロマン主義時代のリルケが仏教にあこがれを抱いたことは大いにありうる。それは「仏陀」という作品にもうかがわれるが、その詩の最後は「その彼の智慧は私たちには拒まれている」と嘆息している。

 ゆえに「心頭滅却火もまた涼し」とはまったく違う。ましてや般若心経のセロトニン効果はこの詩にはないだろう。しかし、また、殉教でもない。ひとり十字架を背負うような気負いからも遠いものに思われる。迷いの道の関越えかねている者にとっては、それら遠くそして高いものではなくて、この詩は極めて身近に、まさに身に即した道しるべとなるものに思う。

 末尾の「生とは外にいることだ」が切実である。「だが焔のなかにいる私 その私を知っている者は誰もいない」は哀切かぎりない。「お前を肯っている」はずだったのに。それにしてもこのようにも孤独な、「確実に未来を購う」病いの苦痛を、このようにも美しい結晶体にまで昇華させる詩人の魂とはいかなる魂なのであろうか。(2014/09/13)

 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)


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