国家のあり方

≪連載≫海外論調短評(84)

国家のあり方
—最良の統治形態としての民主主義に未来はあるか—

                               初岡 昌一郎


 アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』7/8月号に、「ザ・ステイト・オブ・ザ・ステイト」と題した論文が掲載されている。当代きっての国際的ジャーナリスト二人が西欧民主主義の危機を歴史的視点から明解に剔抉しているので、やや詳しくその骨子を紹介したい。

 共著者は、ロンドン『エコノミスト』編集長ジョン・マイクルスウエイトと同誌の編集総務アドリアン・ウールドリッジである。この論文は、今年、ペンギンプレスから発行される『第四次革命 — 国家再生のためのグローバル競争』から抜粋されたものである。

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「国家は人類の最も貴重な所有物」
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 近代経済学の創始者の一人で、ケインズの師であったマーシャルは「国家は人類の最も貴重な所有物」であり、国家機能改善の可能性は無限と指摘している。豊かさの中の貧困など、資本主義の主要な難問を解決するには、国家の質を向上させることが最上の方法であると彼は考えていた。

 ところが今日、社会を汚染・腐敗させる諸問題の根源が国家にあるとして、多くの人が国家を軽視している。選挙は改革を求めるよりも、反政府を表明する機会となっている。この冷笑的な態度は広く見られるが、実は全く筋違いだ。

 民間部門を激動させた技術革新とグローバリゼーションの影響を公共部門が受けることなく、安住しているとの批判がある。これは歴史の事実と教訓を無視している。特に西欧の諸国家はこの2、3世紀の間に大きく変貌している。

 統治機能が変革可能なことを忘却しているのは、民主主義世界の市民というよりも、政治的エリートたちたである。皮肉なことに、国家の発達可能性に関するマーシャルの洞察をより理解しているのは、欧米の指導者よりも、権威主義的な中国の支配者たちのようだ。中国の指導層は西欧の主要政治理論をよく勉強しており、なかでもトックビルが好まれている。

 これまで欧米が成功を収めてきた理由が、良き統治にあることを、中国人は認識しているように見える。16世紀までは、中国が世界の最先進国であった。その後、西欧が3度の統治革命を通じ技術と新思想の力を取り込んで先頭に躍り出た。

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中央集権国家の歴史的先駆 — 中国
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 16世紀と17世紀の自由主義革命が、世襲制度を能力主義に置き換える競争社会を生み出した。次に、20世紀初めのフェビアン革命が福祉国家を実現した。同世紀の後半には、サッチャー英首相とレーガン米大統領の推進した市場中心型統治が(半)革命的な変化をもたらした。これら三つの革命は、「国家とは何か」という基本的な問題に答えようとしたものであった。

 それぞれの革命を理解する最上の方法は、トーマス・ホッブス、ジョン・スチュアート・ミル、ベアトリス・ウエッブ、ミルトン・フリードマンの4人の思想家が提出した回答を検討することである。

 近代政治理論の開祖であるホッブスは、1588年にイギリスで生まれた。当時のヨーロッパは血なまぐさい後進地域で、最も先進的な強国はアジアに存在した。当時の中華帝国は全ヨーロッパと同面積だが、人口密集地域と主要な河川を結ぶ運河の巨大なシステムで統一されていた。政府は中央集権的であり、地理的に多様な国土が皇帝によって一元的に支配されていた。

 ヨーロッパではロンドン、パリ、ナポリの3都市のみが人口30万人を超えていた当時、巨大な帝国を統治する北京には、皇帝を補佐する宮殿の使用人と国家官僚だけでもその数を凌いでいた。官僚は公開された試験によって定期的に選抜され、優秀な人材の集まりであった。

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理性的個人の自己実現に必要な国家 — ホッブス
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 ホッブスの時代、ヨーロッパ人にとって生活は秩序のないものだった。ホッブスは早産未熟児だったが、それは激しい嵐とスペイン艦隊の英海岸上陸の噂に母親が怯えたからであった。「恐怖と私は双生児であった」と彼は自叙伝に書いている。彼の育ったのは、宗教対立、叛乱、政治的策謀の時代であった。

 1651年に公表した『リバイアサン』で、ホッブスは機械工が自動車を解体するように社会を分解し、その仕組みを見つけようとした。彼は社会生活を「無秩序な自然状態」とみた。彼の答えはあまり楽観的なものではなく、「万人の万人に対する闘い」であった。

 ホッブス理論が確固たる国家による統制権の必要性を認識したことは、ヨーロッパの民族国家がなぜ先駆的に隆盛となったかを説明している。欧州大陸を通じ、16世紀初頭以後、王制は国境内での権力独占を確保、貴族や教会等他の競合権力を次第に従属させ、強力な統治機構を拡大した。

 古代に栄えたインド国家は弱体で、次第に小公国に分解し、ついには外国勢力に呑みこまれた。インド文明を無気力にしてしまった無政府状態のワナから、ヨーロッパは逃れることができた。さらに西欧は、中国的な過度の中央集権制というワナをも回避した。最も強権的な王制でさえも、中国皇帝に比べれば権力が弱かった。中国の巨大な官僚制は土地所有貴族や都市有産階級の反対によってではなく、自からの腐敗・退廃によって衰微した。

 ヨーロッパにおける近代国家の誕生は、技術的経済的進展によって強化された。産業革命による大都市への人口集中、コミュニケーションの加速化と鉄道の出現が統治を変貌させた。

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夜警国家の成立とその変貌
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 アメリカ革命とフランス革命が近代国家成立の口火を切り、影響はヨーロッパ全土に広がった。現代につながる政治的なシフトが、19世紀イギリスにおいて平和的に開始された。イギリスのリベラル派は腐朽した古いシステムを廃止し、情実・縁故によらないプロフェッショナルの官僚制を確立した。

 イギリスは慎重に選抜された比較的少数の有能な官吏による「夜警国家」(ドイツの社会主義者ラサールの言葉)を創出した。この変化をもっともよく理解したミルは、安全保障よりも自由を統治の核心とみた。彼は、ホッブスの時代とは異なるイギリスに属し、無秩序と恐怖ではなく、改革と楽観的展望を信頼する思想に立脚していた。

 19世紀のヨーロッパとアメリカでは、軽量型政府を主張するリベラリズムが広がった。しかし、その時代は長く続かなかった。ミル自身年をとるにつれて、「豊かさの中の貧困」を問題視した。富裕家庭の子弟は最上の教育を受けるが、貧困家庭の子どもは天賦の才に恵まれていても煙突掃除に追いやられる。スタート時に公平な機会がなければ、個人は可能性を開花できない。

 20世紀最初の20年間、西欧の都市と工場が拡大するにつれて新しい社会を求める集団主義の動きが強まった。効率と競争を保障する新しい国家を求める技術主義的思考も強まった。これらの期待は共産主義とファシズムの全体主義の悪夢という形で非常に劇的に実現したが、それらの制度とイデオロギーは20世紀に生き残れなかった。

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ウエッブの時代 — 福祉国家の展開
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 近代的統治に第三の大変化をもたらしたのが福祉国家の思想である。国家は市民の友として、教育を提供し、失業者を助け、病人に医療の手を差し伸べ、高齢者に年金を給付すべきという考え方だ。この思想が今日の西欧型国家形成の基礎となっている。

 富裕な家庭の出身であるベアトリス・ポッターは、早くから貧困問題などの社会的問題に関心を持ち、学校を卒業するとすぐにロンドンの貧民街、イーストエンドで救貧活動を始めた。彼女は抽象的な理論活動よりも、実践的な社会改革により大きなエネルギーを傾注した。彼女は社会主義者のシドニー・ウエッブと結婚することによって政治とかかわりを深め、福祉国家の骨格となる諸制度の構築をリードした。

 ウエッブ夫妻は、イギリスを漸進的社会主義に向ける福祉国家の拡大と社会政策を推進した「フェビアン・ソサエティ」の中心であった。彼らはまた、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを設立、『ニュー・ステイツマン』誌を創刊、労働党憲章を起草した。彼らの唱道した諸原則はイギリス国家に導入され、両次大戦間に福祉国家が保守党によっても受容された。

 第二次大戦後、社会民主主義は欧州大陸でも熱狂的に迎えられた。1950年から73年の間に、対GDP比政府支出はフランスで28%から39%に、西ドイツで30%から39%に、オランダで27%から45%に上昇した。西欧政府は公共住宅を建設、教育制度を拡充、社会福祉給付を拡大した。

 アメリカでは福祉国家の進展は遅々としていたが、それでも20世紀中葉には社会保障(メディケア、メディケイド)の基礎が作られた。だが1970年代になると、アメリカ政府は関与する全てのものを台無しにした。ベトナム戦争、スタグフレーション、麻薬と犯罪で荒廃した都市等々が国家不信を招いた。

 世界的に労働争議とエネルギー危機が頻発した。ネオコンの保守的理論家クリステルは政治的左翼が「現実によってカモにされた」と揶揄した。ソ連共産主義には些かも高貴な側面のないことが白日に曝され、左翼は打撃を蒙った。

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フリードマンの半革命 — 全壊を免れた福祉国家
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 1912年にニューヨークの貧民街でハンガリア移民ユダヤ人の息子として生まれたミルトン・フリードマンは、ウエッブ女史とは全く逆の人生・理論遍歴を辿った。1932年のシカゴ大学学生当時は社会主義者で、社会党大統領候補ノーマン・トマスの支持者であった。

 修士取得後、アメリカ政府にエコノミストとして就職。彼の主な仕事は政府の主要な財源として所得税給与控除制度を考案したこと。大恐慌と第二次世界大戦中に、彼はドラマティックに転向した。1946年にシカゴ大学に戻って教鞭をとった時、それまでとは非常に異なる路線をとり始めた。

 国家は民間部門のように効率的なサービスを提供するのを一貫して怠ってきた、と彼はいう。ハイエークなどオーストリア学派の市場重視に小さな政府論というアメリカ型保守リベラリズムを混入させた点が、フリードマン理論の新味であった。

 1960−70年代に彼は論壇の寵児となり、アメリカの左派と中道派を攻撃するために全米を回って講演した。彼の批判の矢は、公共住宅、公的ヘルスケア、奨学金、外国援助などの政府支出に向けられた。これらは浪費にすぎず、無能な政府による権力乱用であるとし、「サハラ砂漠を政府の手に任せれば、5年後には砂が無くなっているだろう」とまで言った。

 1980年代にレーガンとサッチャーが彼の哲学を実践に移した。アメリカでは大幅減税と規制解除が行なわれ、イギリスでは国有企業の3分の2が民営化された。この前の時期に社会民主主義が広がったのと同じように、レーガン・サッチャー・モデルは間もなく世界中に伝播した。ソ連・東欧の共産主義崩壊と資本主義国の国有部門解体のプロセスがこの時期に重なった。

 1990年代に政権が右派から左派・中道派に移った後も、クリントン大統領は「大きな政府の終焉」を宣言し、ブレア首相は「経済活動を民間部門に任せるのを前提とすべきだ」と断言した。

 しかし、フリードマン革命は結局のところ半革命に終わった。先進国におけるモデルは、依然として基本的にウエッブ型福祉国家である。グローバルな統治が今日問われているのは、福祉国家を超える真の第4次革命が起きうるのだろうか、そしてそれが西欧発なのかということである。

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イノベーションが東方にシフト — 陰りの見える西欧民主主義
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 統治の将来をめぐる論議の焦点は中国にある。自由市場と民主主義に対する西洋人の確信に挑戦する、新しい統治モデルを中国人が生み出した。中国政府は一種の「国家資本主義」のパイオニアであり、依然として100以上の巨大企業の支配権を保持している。中国共産党は一流大学から党員を募り、エリート集団を形成、貧困削減や経済成長促進など多様な目標達成の成績によって幹部を昇進させ、古典的な能力主義原則を復活させた。

 中国はまた、統治改革で注目すべき成果を上げている。この10年間に世界的水準の高等教育システムを構築した。過去5年間に公的年金制度を2.5億人の農村住民に拡大した。この数は、アメリカの社会保障にカバーされている国民総数を上回る。

 これよりもさらに先進的なのが、世界で最も効率的な行政マシーンを構築したシンガポールだ。政府は最優秀人材を公務に集め、トップ公務員には年間2億円もの総額給与を惜しみなく与え、退職後は民間部門での職を保障している。

 シンガポールの労働者給与の20%が公的貯蓄基金に控除され、使用者は15.5%相当分を拠出している。この強制的預金制度がシンガポール市民に退職年金を支給し、住宅購入、ヘルスケア、高等教育の費用を賄うのを可能にしている。

 西欧型福祉国家と異なり、労働と拠出のインセンティブが組み込まれ、90%の給付は本人の拠出額にリンクされている。シンガポール型社会保障は、普遍的な保健福祉制度を勤勉とリンクさせた。現代シンガポールの創始者リー・カンユーは、西欧型福祉国家を「食べ放題のバイキング」だという。

 アジア諸国が統治改革のために賢いアイデアを生み出しているのに対し、西欧の最大の強みであった代議制民主主義が輝きを失いつつある。民主主義政府は実行不能な公約を掲げ、政治は特殊利益集団に左右され、指導者は短期的視点で物事を進める方向にますます傾いている。

 政治的エリートの怠慢と無能が先進民主主義国の選挙民を無気力と諦めに陥らせた。EU加盟国内では投票率が低下し、政党加盟人員は減少している。イギリスでは1950年代には選挙権保有者の20%が政党に所属していたが、今日では1%以下に落ちこんでいる。

 このような政治に対する無関心は、国民が国家に何も求めないのであれば当然視できる。ところが、現実には国民が国家にますます多くのことを求めている。一方で国家への依存を深め、他方で統治を侮蔑する。依存が国家財政の拡大的破綻を生み、侮蔑が統治の正当性を奪い、危機のたびに信任を低下させてきた。民主主義の機能不全は、このような政治的筋無力症状からまれている。

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第四次革命はありうるか
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 西欧民主主義の危機はこの数十年に深化した。次の3つの理由からこの数年、危機はさらに切迫したものになっている。第一に、西欧諸国の債務負担がますます耐え切れないものになっている。グローバルな公的債務は、2003年には220億ドルであったが、2012年には506億ドルになった。西欧における成長の大部分が、経済的不況対策の巨額な借金によって支えられてきた。

 ヨーロッパの労働人口が2012年にピークに達し、3憶800万人となったが、2060年までに2億6500万人へと減少が見込まれている。その間に、20−64歳の労働人口に対する65歳以上の高齢層の比率が、現在の28%より58%に急増する。この数字は、毎年100万人以上の若い労働者が移民として流入することが前提。アメリカでもベイビー・ブ—ム世代が高齢期に達し、政府の医療支出は今後10年間に60%増加、その後さらに加速化する。

 第二のファクターは、西欧政府が出遅れ、十分に活用していない情報技術。この競争に勝てなければ、統治を向上させる第4次革命をグローバルに先導することはできない。西欧とアメリカの政府がアジアの権威主義的政府に優越するためには、情報技術を駆使した質の高い統治を実現するほかに道はない。

 第三には、西欧型民主主義が、中国やシンガポールなど他の統治モデルによって挑戦を受けている。20世紀に比べ両モデルの差は小さくなっているものの、差の意味は大きなものである。このグローバル・コンテストに勝つためには、統治の小型化と効率化が不可欠である。

 第4次革命のためには、補助金や規制など市場の歪みを是正し、民間部門の勝者を激励するだけでは済まない。統治は豊かなものではなく、貧しいものを優先的に助けなければならない。貧困が残る限り統治は安定せず、統治の安定が無ければ国の経済的社会的前途は暗い。

 今後、最上の成果を刈り入れる統治改革めぐり、今までにない激しい国家間競争が繰り広げられる。今までのところ、西欧型民主主義が富と安定の点でリードを保持してきたが、過去4世紀のように西欧が先頭に立つだけの知的政治的エネルギーを発揮できるかは不確実だ。

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■ コメント ■
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 各時代の代表的政治理論をそのイデオローグの個人的生い立ちと時代背景から考察している部分が、本論文の白眉である。しかし、その大部分を割愛せざるを得なかった。本書全体の邦訳・出版が待たれる。

 中国や特にシンガポールに対する著者たちの評価には、評者は必ずしも同意できない。しかし、西欧型民主主義による統治の危機を浮き彫りにする鏡とみて、厳しい警鐘の乱打に本論が主眼を置いているので、敢えてここでは論じない。

 政治エリートが「自己実現」「自己利益」を政治的主張や大義に優先するとき、いかなる政治システムといえども綻びを生む。統治の質はシステムにもよるが、担い手によって決まる。

 統治が効率を上げるには、最適システムや有能な指導者は必要条件だが、それは十分条件ではない。やはり、言論と結社の自由をはじめとする基本的な市民的自由と、決定・実行のプロセスを開示する透明性こそが、持続的に安定した、質の高い統治に不可欠。この視点が残念ながら本論に欠けている。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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