大義なき解散・総選挙でいいのか。

 

大義名分なき解散・総選挙でいいのか

羽原 清雅


 安倍晋三首相は12月14日投開票で、突然の衆院選を打ち出した。
 メディアの紙面も、野党の主張も、この解散・選挙を比較的すんなり受け止めて選挙戦突入の局面に切り替えた。選挙をする以上、準備もあるし、なによりも戦闘モードに進まなければならないことはわかる。しかし、この衆院解散・総選挙に「民意」を問うだけの大義名分はあるのだろうか。「大義名分のない選挙」の意味を、有権者にもっともっと考えてほしい、と思いつつ一筆している。
 
普通なら、選挙結果をもとに今後の展開を待つわけだが、今回は選挙そのものの疑義や意味合いが問われている。選挙は、つねに「民意」を表明する場として、有権者の権利の側にある。だから、選挙態勢に入ることにそれほど抵抗感は持たれないかもしれない。しかし、今回は特異である。

<大義名分はあるか> 
 ひとつは、任期4年のうちやっと2年経ったところでの解散で、しかもまったくの「突然」である。選挙で問うだけの焦点がない。つまり、一般的に「民意」を問うだけの事情や背景が極めて乏しい。
 
ふたつに、あえての事情といえば、7-9月期の国民総生産(GDP)の速報値で2期マイナスの結果が出されて、消費税10%引き上げを見送らざるを得ない状況になったことだろう。たしかに、国民生活に大きな影響をもたらす消費税引き上げへの決断だとしたら、「民意」を問うだけの必要はあるだろう。

しかし、いわゆる一般の国民・市民の生活でいえば、8%状態がそのまま継続するのだから、「民意」をあらためて問い直すこともない。 安倍首相は、消費税8%の据え置きはしても、GDPのマイナスが継続しても、アベノミクスによる成果は途上にあり、デフレからの脱却政策を続けなくてはならないという。しかし、それも「政策の継続」なら引き続き見守る状態にあるわけで、「民意」を問うほどのことにはならない。

 三つには、最高裁は前回衆院選について昨年11月、現行の選挙制度の「一票の格差」に対して「違憲状態」の判断を示している。09年の衆院選についても「違憲状態」としているし、「違憲」と断定した高裁も出てきている。こうした指摘を黙殺しての解散である。最高裁の判断を考慮すれば、解散を考える前に、まず格差是正をまとめておかなければならない。国民主権という大原則を踏まえない首相の裁断である。
 
これに関連して、各党ともこれまでに人口の減少などもあって、議員定数の削減と、選挙区の見直しなどを「公約」してきた。各党の利害がまったく一致せず、外形的には慎重審議と調整を進めてきたが、まとまっていない。公約違反のまま、選挙に入ることになる。

しかも、定数削減や選挙制度に絡む問題は、政党サイドのみにゆだねられ、第三者委員会のような客観的検討の場を設けていない。過去の選挙制度審議会でも、政党の対立で制度改革がまとまらず、第三者を中心に据えたことを後退させているのだ。このように、正すべき点を進展させないことで、各政党は現状維持のメリットを共有したのである。国民サイドからいえば、公約違反であり、不誠実な政治行為、ということになる。

 さらに大きな問題点は、内閣総理大臣に委ねられた「伝家の宝刀」をこうも軽々しく振りまわさせていいのか、という点である。過去には中曽根康弘首相による突然の「死んだふり解散」(1986年)もあったが、今回とは異なっており、はじめての「専断的解散」といえよう。

これまでに慣れ合い、話し合い、内閣不信任など政局がらみの衆院解散はあったし、黒い霧、沖縄、ロッキード、政治改革、郵政改革など主要テーマを抱えての解散もあった。
 しかし、今回は消費税据え置きやアベノミックス評価というテーマを掲げるにしても、大義名分としては弱い。いかに首相の専権事項とはいえ、このような軽い判断での衆院解散を認めること自体、民主主義のありようとして認めがたい。突然の事態に「なぜ」「意外だ」という疑問は与党内にあり、世論の多くもびっくりしているほどで、必然性が乏しい。現に、自民党内でさえ岐阜県連は大義名分の欠如を指摘し、解散反対の意見をまとめているではないか。

<安倍的狙いは> 
 とすれば、なにを狙っての解散なのか。 
 第一は、アベノミクス「失政」隠しだろう。安倍首相は、第一の矢の金融緩和、第二の矢の公共事業などの財政政策、第三の矢の成長戦略、という政策で、企業業績を伸ばし、賃金を引き上げ、景気を上向かせよう、との方針だった。金融緩和で円安が進めば輸出が拡大し、国内生産を刺激してGDPを押し上げ、企業は潤って賃金があがる、とアピールした。しかし、海外に生産拠点を移した製造業は輸出が振るわず、円安は株価だけを上昇させた。さらに、法人税減税の方針など大企業優遇策は実ったものの、賃金の上昇は一部の大手社員程度にとどまり、中小企業の労働者などには回らず、消費税引き上げは庶民を追い込み、非正規労働、シングルマザーらの困窮者を増した。要は、上層部効果を下部に及ぼそうとする政策は、一部の利益にとどまり、貧富の格差を拡大することになった。
 
首相やその周辺は「デフレからの脱却のチャンスをつかんだ」「マイナス成長になったとはいえ、安倍政権下で、株価は倍以上、賃金は伸び、雇用の数字もいい」という。しかし、世論調査を見ても生活実感として、アベノミクスが生活を良くした、との成果の表明は少ない。証券会社や自民党内にも「想定外のマイナス」「誤算」などの見方があり、株価も急落した。
 
読みすぎかもしれないが、安倍周辺は今後のアベノミクスの失敗が拡大することを恐れ、先手必勝とばかりに解散に出たのではないか。 また、政治的には「一強多弱」といわれるような野党の乱れ、民主党の候補者難や準備不足の弱みを狙った、ともみられる。いわば、野党はすっかりなめられた、といってもいい。現に、政策そっちのけでの合併話や選挙協力が取りざたされている。

むしろ、闘いに入る前に、民主主義の前提となる衆院選の「大義名分」の有無について、論議し、批判し、国民に訴えるべきなのだ。そのことが、目先の経済談義だけにとどまらない政治状況の判断、選択に結びついてくる。

さらに、衆参の多数を占める自民党は、現状ならしたいようにやれる、というおごりもあっただろう。党内は、異論を申し立てる風潮になく、上意下達に追従する傾向になっており、首相周辺も思い通りにやりやすい状況にある。しかも、自らの政治生命をかける選挙となれば、目先のことでいっぱいとなり、政治をトータルにみるようなゆとりはない。そこに、突然の、そして大義名分のない選挙が横行できる環境がある。

<選挙結果のもたらすもの>
この選挙の結果は予測しがたいが、自民党の多数議席の確保はまず変わるまい。
とすると、こんどの当選者は2018(平成30)年12月までが任期となる。来年4月には、統一地方選挙で自民党の足元を固めることができる。安倍首相の政権が安泰の議席となれば、いよいよ憲法改正という大命題に取り組めるだろう。野党の弱さも当分は続くとすれば、その点での変化はなく、自民党のやりやすさは継続するだろう。

そして、勝ちムードに自信をつけた安倍政権は、思いのままに「民意の支持を得た」として、強気の出方に終始してくるだろう。とくに18日の記者会見で「過半数を取れなければ辞職する」と明言したことは、勝てる自信の裏返しで、「勝てばどんどんやります」との意思表示と受け止めるべきだろう。

一方、選挙結果は経済政策の行き詰まり状態から、目先を変える機会にもなるだろう。
それは国民生活にプラスになるか、あるいは引き続き大手企業優遇策を加速させるのか。

そして、物価や賃金、景気の行方は。アベノミクスの継続で打開はできるのか。すでに失敗、ということなら、さらに続けることはもっと深刻な事態を招くだろう。年金などの社会保障制度はどうなるか。1000兆円という赤字依存の財政再建策は。原子力発電の扱いもどうなるのか。外交政策についても、形式はともあれ、引き続き近隣の中国、韓国などと実質的な関係改善はできないままなのか。これらの従来からの課題はまだ打開の方途を見いだせていない。

総選挙費用の700億円は少なくない。だが、これ以上に、政策の先行きを強引に進めて誤ることになれば、その被害はこれまで以上に生活全般に影響をもたらすだろう。

トータルとしての日本はどこへ行くのか。
大義名分のない選挙だけに、その向かうところは見定めがたい。これまで以上に強気に突進することのないよう期待したいが、どうなるだろうか。今回の選挙結果のもたらすものは、ゲーム感覚で見ているわけにはいくまい。10年20年後の将来から見ると、大きな歴史の結節点となることも覚悟せざるを得ないように思われてならない。

 この稿を書くうちに、安倍首相の「11月21日衆院解散」の記者会見を聞いた。
 いつもの自信あふれる、迷いない発言はもっともに聞こえた。彼がそのように思うことは構わない。アベノミクスの成果を実らせることができるとの確信がなければ、あのような自信は見せられないだろう。「もう少し、ゆっくりと待ってくださいよ」といいたいのだろう。しかし、そのまま信じることはできない。

筆者の狭い世界の中で、学生たちの就職事情を聴くとき、派遣会社の採用はあっても、その条件は将来、結婚、出産、育児などのできにくい給料にとどまる、という。共稼ぎはいいとしても、育児、結婚で家庭に入ったときの生計はどうするのか。貯蓄などの余裕はない。また、主婦によるパートには雇用のチャンスはあるだろう。しかし、生活収入のすべてを稼ぎ出さなければならないシングルマザー、昼に加えて深夜労働などで家計を支える家庭では、その子どもの就学事情などは容易ではない。安倍政策の「上層」「下層」の格差ある展開だが、これは中間階層が日本の繁栄を支えてきた事実を切り崩すようでもあり、この展開をそのまま受け入れることはできないのだ。

この2年ほどの安倍政治は簡単にいえば、諸政策は次第に「上層」から「下層」へと繁栄が及ぶ、という印象を与えようとするのだが、現実はその流れが途中で遮断されている。切り捨てている、とは思わないのだが、彼の言う改革の声に従うには、限度がある。それぞれに、生活のギリギリの維持がかかっているのだ。

もう一点、記者会見の最後に質問が出た原子力政策に答える気配もなく、黙殺に終わった。都合のいい点をアピールするその姿勢をそのまま受け入れていいのか。
最後に、後味の悪い安倍首相の姿が印象に残った。
            (筆者は元朝日新聞政治部長)


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