失敗した多文化主義と同化政策

【コラム】海外論潮短評(93)

失敗した多文化主義と同化政策

— 西欧における移民集団と社会の対立 —

初岡 昌一郎


 アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』3/4月号が、移民を受け入れた西欧諸国の昨今における社会的不協和を現行の多文化主義と同化政策の失敗という観点から考察した論文を掲載している。

 この論文の筆者、ケナン・マリクは『ニューヨーク・タイム』のコラムを定期的に担当している。彼はインド系イギリス人で、サセックス大学卒業後、1980年代は新左翼運動に参加。現在は、啓蒙主義の立場から幅広い評論活動を行っており、移民に対する不平等を批判する立場で論陣を張っている。以下は同論文の要旨。

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白人優位に立つ人種主義の崩壊過程
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 寛容で多様な文化を包含する多文化主義的社会がヨーロッパの社会問題に対する回答である、と多くのヨーロッパ人が30年前には信じていた。今日、ますます多くの人は多文化主義こそが問題の原因と見做すようになっている。イギリス首相デビッド・キャメロンや、ドイツ首相アンゲラ・メルケルなどの保守本流の政治家たちはこのような観点から多文化主義を公然と批判し、その危険を語っている。こうした批判が、ヨーロッパ全体を通じて極右政党の躍進に油を注いでいる。また極端なケースではあるが、移民にたいする暴力的な襲撃や、人種主義者による殺傷事件すら発生させている。

 このような変化はなぜ起きたのであろうか。多文化主義批判者によれば、十分な統合を図ることなしに、過剰な移民をヨーロッパが受け入れたからである。このミスマッチが社会的な結束力を乱し、国民的アイデンティティを害い、国家への信頼性を低下させた。他方、多文化主義擁護論者は問題が多様性の過剰にではなく、過剰な人種主義にあるとみる。

 多文化主義の真実は、このような両サイドの単純な議論よりもはるかに複雑なものである。多文化主義を批判の口実にしているが、移民増加、アイデンティティの危機、政治的失望、労働者階級の衰退など、他の問題こそがその根源にある。さらに、国によって状況が異なる。イギリスは、様々な人種的コミュニティに平等な政治参加の機会を与えようとしてきた。ドイツは市民権与える代わりに、移民が別個の生活様式を追求するのを奨励してきた。フランスは同化政策を採り、多文化主義を否定した。その具体的な結果も異なっている。イギリスでは人種社会間の暴力的衝突があった。ドイツではトルコ人社会が社会の主流からさらに分離していった。フランスでは北アフリカ人社会と治安当局の対立が深まった。ただ、主たる傾向はどの国でも同じで、社会の分極化、少数民族の疎外、市民の反感が表面化した。

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多様性と多文化主義
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 多文化主義という言葉は、移民増加の結果としての多様性と、このような社会を管理するのに必要な政策の両方を意味している。大量移民がヨーロッパ社会を多様化し、変容させたことは、多文化主義の擁護論者と批判者も共に前提として認識している。今日、アメリカに次いで、ドイツは最も人気のある移住先である。ドイツ人口の12%強に当たる1000万人が外国生まれだ。オーストリアでは16%、スウェーデンで15%、フランスとイギリスは約12%。歴史的観点から見れば、これらの諸国がかつてないほど多様になった、という主張はそれほど正確ではない。現代から見れば、19世紀のヨーロッパ社会は同質的に見えるが、当時は必ずしもそう考えられていなかった。

 例を挙げると、フランス革命時代、僅か半分の国民のみがフランス語を話すだけで、しかも、正確なフランス語を話したのは12%に過ぎなかった。革命後のフランスの近代化と統一は、文化的教育的政治的経済的な対内的植民地化とでもいうべき、長期にわたる痛みを伴うプロセスを通過してきた。この努力が近代フランス国家を創出し、フランス(とヨーロッパ)の非白人に対する優越性という観念を生み出した。

 ビクトリア時代、多くのイギリス人は都市の労働者階級と農村の貧困層を他者(よそ者)と見做していた。現実には、ビクトリア時代の工場所有者であるジェントルマンと農地小作人や機械工の間の文化的社会的格差は、今日の白人住民とバングラデシュ出身住民間の格差よりもっと大きかった。現代社会では両者とも似たような服装をし、同じ音楽を聴き、同じサッカークラブを応援している。ショッピングモール、スポーツグラウンド、インターネットが共通の絆となって、過去のどの時代よりも共通する経験と文化的慣習を生み出している。

 同様な記憶喪失が移民をめぐる論争にも付き纏っている。多文化主義批判者の多くは、今日のヨーロッパへの移民が過去の時代に見られたものとは異なるとみる。例えば、今日の移民は国家に対する忠誠心が欠けているという議論がある。だが、同じ疑問は戦前の移民に対しても出されていた。フランスが第二次大戦前にヨーロッパ諸国からの移民を「問題なくうけいれた」というのは、幻想的な回顧にすぎない。同じことはイギリスにも言える。

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階級的社会的対立より民族的文化的対立が前面に
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 現代のヨーロッパが19世紀よりも実際に多様かどうかについては議論の余地があるものの、ヨーロッパ人がそう見ていることには疑問の余地がない。これは社会的格差の定義に大きく関連している。一世紀半前には、階級が社会的格差を視る最も重要な枠組みであった。今日では考えにくいが、当時は人種的差別が皮膚の色によるものではなく、階級や社会的な地位によるものとみられていた。ほとんどの19世紀思想家は、国境を越えてきたよそ者に対してよりも、国内における社会的弱者に関心を寄せていた。

 しかしながら、過去数十年間に階級の重要性は、政治的なカテゴリーと社会的アイデンティティの両面で、ヨーロッパにおいては低下した。同時に、社会的格差の視点において文化がますます中心的尺度になってきた。このシフトはより広いトレンドを反映している。過去200年の政治を特徴づけていたイデオロギーが後退し、左派と右派の区別がそれほど意味のないものになった。労働者階級が経済的政治的な力を失うにつれ、労働団体と集団主義的イデオロギーが衰退した。他方、市場が社会生活のあらゆる面で拡大した。そして、恵まれない個人を伝統的に結集してきた団体、労働組合から教会に至るまでの結社が世の中において影響を失った。その結果、政治的な観点よりも人種、文化、宗教が社会的な結束のよりどころとなった。このような背景から、ヨーロッパ人はその母国が多様なものになったと見るようになり、それに対応する方法を考えるようになった。

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多文化政策における不平等 — イギリスのケース
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 過去30年間、ヨーロッパでは多くの政府が多文化主義的な政策を採ってきたが、その方向は非常に異なるものであった。多文化主義にかんする一般的な神話の一つは、少数民族がそれを望んでいるとみることである。イギリスとドイツという、もっとも顕著な例を取り上げ検討してみたい。

 1940−50年代の労働力不足を補うために、カリブ海諸国、インドおよびパキスタンからイギリスに多数の移民がやってきた。彼らは自らの文化に誇りを持っており、独自の伝統と慣習を持ち込んだ、そのことは、一般的には政治的問題とはみなされていなかった。彼らは特別扱いを望まなかったが、実際は特別扱いされていた。彼らの懸念は人種や宗教に関するというよりも、人種主義と不平等にあった。

 その後数十年経ち、黒人やアジア人の新世代活動家たちはこれらの不満を集団的行動で表現するようになり、職場での差別、強制送還、警察の暴力行為に対して抗議、挑戦するストライキ行動を組織してきた。1970年代末から80年代初頭にかけて、都市暴動はクライマックスを迎えた。この時点で、少数民族コミュニティに政治参加を認めない限り、緊張が都市の安定を脅かし続けることが認識されるようになった。全国的および地方的なレベルで、特定の団体とコミュニティ・リーダーをその利益代表として組み入れる新戦略が採用された。この文脈において、多文化主義が採られることになった。これ以後、人種主義の意味が平等の権利を否定することから、異なる社会・文化的存在であることを否定するものとなった。

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分離政策における不平等 — ドイツのケース
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 ドイツの多文化政策も出発点において同じであったが、イギリスとは異なる方向をとった。第二次大戦後の西欧諸国と同じく、ドイツも深刻な労働力不足に直面し、積極的に外国人労働者を募集した。イギリスのように旧植民地諸国からではなく、地中海沿岸諸国から新しい労働者が到来した。まず、ギリシャ、イタリア、スペインから、次にトルコから。彼らは潜在的な市民となりうる移民としてではなく、ドイツが必要としなくなれば帰国する「ゲスト・ワーカー」として迎えられた。他方、ドイツの移住政策は最近まで血統主義であり、東欧などから帰国するドイツ系住民は市民として受け入れられた。それは第一世代だけではなく、その子孫にも適用された。

 1999年の新国籍法により、移民が市民権を獲得することは容易になった。しかし、ほとんどのトルコ人はアウトサイダーに留まっている。今日、約300万人のトルコ人のうち、市民権を取得したのは80万人にすぎない。ドイツ政府は、いわゆるトルコ問題に多文化主義政策で対処した。1980年代以降、トルコ人移民はその文化、言語、ライフスタイルを守るように奨励された。その政策は多様性に対する尊重というよりも、如何に共通的包含的な文化を創出するかという難問を回避する手段であった。その結果、並存的なコミュニティが出現した。ドイツ流多文化政策により、ますますトルコ人はドイツ社会に無関心になり、ドイツ人はトルコ文化に敵意を抱くようになった。メルケル首相をはじめドイツの多くの政治家は反ムスレム運動にたいして強い否定の立場をとっているが、傷跡は既に深いものである。

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同化主義における不平等 — フランスのケース
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 フランスの同化主義政策は多文化主義の対極に立つものと一般的には見なされている。フランスはあらゆる個人を特定の人種的文化的集団の一員ではなく、市民として扱っている。しかし、ドイツやイギリスと同じように、フランスも社会的に著しく分断されている。

 フランスの社会政策と社会的分裂をめぐる諸問題は、今年1月の風刺雑誌編集部銃撃事件とユダヤ系スーパー襲撃事件によって鋭い注目を集めた。フランスには約500万人のムスレム教系住民がおり、ヨーロッパ最大の回教徒コミュニティを形成している。北アフリカ出身者がその大部分を占めているが、彼らは単一のコミュニティとして纏まってはいない。北アフリカ移民は世俗的傾向が強く、宗教に反感を持っているものも多い。北アフリカ出身者は移民と呼ばれているが、その大多数は二世のフランス市民である。彼らは、国民戦線投票者と同じようにフランス市民であるが、「ムスレム」とか「移民」と呼ばれているのは偶然ではない。フランス国民の真の一部としてではなく、国家が彼らを「他者」として扱ってきた過程に差別が根ざしている。

 フランスの政策は北アフリカ人を市民として扱う一方、彼らの直面する人種主義と差別を無視する傾向があった。多くのフランス人は北アフリカ出身者をフランス人ではなく、アラブ人もしくはムスレムと見做している。北アフリカ人の第二世代は、フランス社会全般から疎外されていると同じように、父母の文化や、さらにムスレムからも切り離されている。

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新しい道の模索
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 第一に、実際に存在している多様性を政治的プロセスとしての多文化主義から区別し、移住者によって多様となった社会に生きる経験を肯定すべきである。これまでとは異なるアプローチをとることによって、ますます不毛になっている論争から抜け出さなければならない。

 第二に、人種主義の否定と人種の否定を区別すべきである。特定の人種的歴史や文化の保有者として扱うよりも、すべての人を平等に扱うという決断は重要なものである。しかし、そのことにより、特定集団に対する人種差別の存在を国家が無視すべきではない。多文化政策あるいは人種主義を理由に、異なる集団に対する差別に目をつぶれば、市民権は無意味となる。

 第三に、人間と価値観を区別すべきである。共通の価値観の押し付けは社会の多様性を害う、と多文化主義者は論じている。同様に、共通の価値観は文化的人種的に同質な社会おいてのみ可能である、と同化論者は主張する。両者とも少数民族コミュニティを文化や価値観の面で全体として同質的なものとみなし、現代民主主義社会を構成する多様な要素の一部とみていない。

 真の論争点は多文化主義か、同化主義かの選択をめぐるものではなく、それぞれの内部における二つの対立的な道をめぐるものである。相違を制度化するのではなく、実際に存在する相違を包み込む多文化主義と、全住民を市民とする同化政策に結合することこそが、真に理想的な政策である。

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■ コメント ■
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 多文化主義を原理的に肯定するとしても、実践上は容易ではない諸問題がある。例えば、文化の核は言語なので、それぞれの民族言語で教育を行うのかという難問にまず逢着する。民族国家であればそれは当然とされるだろうが、世界には単一民族国家がすくない。多民族国家や移民を含む多民族社会の場合には、言語問題が複雑になる。

 少数民族言語で教育を受けた場合、多数民族言語が支配的な国では、就職の機会や社会的政治的存在の面で不利益を蒙ることがしばしばある。その半面、国内多数派の異民族言語で教育をうければ、固有の文化や伝統を継承することは困難になる。途上国の開発政策においても、この問題は深刻である。国際的に持ち込まれる多文化主義が、現地において反発を受けている例は多い。それは、それは多文化主義が国内統合を妨げる植民地主義と見做され、排撃されるからだ。

 ここで論じられているようは、移民社会における多文化主義と同化主義の双方が内包するジレンマは、日本にとっても対岸の火事とは決して見做せない問題である。特に歴史的に、韓国・朝鮮人定住者にたいする差別は深刻な問題である。さらに、少子化による労働力の潜在的不足を解消するために、外国人労働者を本格的に受け入れるべきという動きが強まる形勢にあるので、この論文で取り上げられている諸問題は真剣な検討に値する。

 評者の意見では、移民労働者政策の基本的な軸は、多文化主義か同化主義かの選択よりも、雇用と待遇における平等と内国民待遇にある。ILO移民労働条約の国際労働基準は、平等原則による内国民待遇を義務づけている。この条約はもとより、基本的人権条約であるILO「雇用と待遇における平等待遇」(111号)さえ批准していない日本が、このままで安易に移民労働者を受け入れに踏み切れば、西欧社会にもまして、深刻な差別による社会的な分裂と不安定化を生み出すことが火を見るよりも明らかである。

 (筆者はソシアルアジア研究会代表)


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