日本会議と改憲

【オルタの視点】

日本会議と改憲

岡田 一郎


 日本会議とは、宗教者を中心に結成された日本を守る会と、政治家・財界人・文化人などを中心に結成された日本を守る国民会議が合体して成立した保守的な団体である。安倍晋三首相をはじめ、現在の安倍内閣の閣僚や自民党の国会議員に大きな影響を与え、昨今の改憲運動の中心と目されている。

 日本会議はその影響力にもかかわらず、長い間、マスコミでもその実態が報道されず、多くの国民はその存在すら認識していなかった。しかし、今年に入って、著述家の菅野完が扶桑社から『日本会議の研究』を刊行したのを皮切りに、日本会議に関する著作が次々と刊行されている。その多くが刊行後短期間で増刷されており、出版界では一種の日本会議本ブームが起こっている。

 日本会議を論ずる者の中には、その影響力にとらわれる余り、まるで日本会議を秘密結社か何かのように描写しているものもあるが、菅野らが指摘するように、その実態は、戦後一貫して日本国憲法体制を呪詛してきた一定の勢力が結集した団体に過ぎない。そして、改憲を目標としてもその構成員の目的は雑多であり、一枚岩の団体というわけでもない。
 本来ならばまとまりに欠ける、その集団を束ねているのが、かつて生長の家で活動していた少数の人々である。彼らは生長の家が1983年に政治活動を停止し、さらに歴史観などを大きく転換(たとえば、それまで聖戦としてきた太平洋戦争を侵略戦争と定義するなど)したことを不服として、生長の家を離れ、「自分たちこそが生長の家の創設者・谷口雅春の思想を受け継ぐ者である」として谷口が主張した明治憲法復元などの主張を機関誌などで訴えてきた。

 以上、日本会議とはどのような団体か触れてきたが、ここでいくつか注意しなければならないことがある。

 まず、日本会議は圧力団体としてそれほど大きな勢力ではないということである。かつては経済的利益を求める、日本会議よりはるかに大きな勢力を誇る圧力団体が多数存在していたが、日本経済の低迷によってそのような団体が政府から経済的利益を引き出すことが困難になり、ロビー活動も停滞するようになった。一方、イデオロギーで動く日本会議は日本の経済情勢の変化にあまり影響を受けなかったため(むしろ、経済の低迷に対する不満からくるナショナリズムの高揚は彼らの活動を促した)、圧力団体における日本会議の比重が相対的に高まっただけである。

 また、今日の日本における世論の右傾化を主導したのも日本会議ではない。世論の右傾化は別の要素(たとえば、先に挙げた経済の低迷に対する不満からくるナショナリズムの高揚や小林よしのりの『戦争論』などわかりやすい右翼イデオロギー出版物の出現など)によって引き起こされたものである。世論の右傾化によって、日本会議の活動は周囲から奇異な目で見られることが少なくなったというメリットはあるが、日本会議は世論の右傾化を利用して若者の支持を拡大させることに失敗している。
 菅野の本にそのことを示す興味深い一例が挙げられている。京都に住むある青年研究者は、かつて大学浪人をしていたときに「小泉純一郎首相(当時)と共に靖国神社を参拝しよう」という広告を目にして上京し、広告を掲載した団体に接触した。

 その団体こそ、日本会議の中枢を担う、生長の家原理主義とも言うべき人々の団体であった。彼はもともと保守的な思想の持ち主で保守主義の勉強のためにその団体と交流を深めたが、期待はすぐに失望に変わる。その団体の人々は谷口雅春の思想を絶対視し、それを繰り返し学習するだけで他の保守主義思想を学ぼうとせず、第三者から矛盾を指摘されると思考停止に陥るありさまだった。
 やがて、彼は早稲田大学にもその団体の影響を受けたサークルが存在することを知るが、そのサークルのメンバーは件の青年研究者と意気投合し、自分たちのサークルの前身が生長の家原理主義に基づくものであることを知るや、たちまちサークルを解散させてしまったという。青年研究者も生長の家原理主義とは距離を置くようになった。
 なお、彼によれば、若い世代で生長の家原理主義に基づく活動を行っているのは、生長の家信者の子供や孫すなわち二世・三世ばかりで、中には親の信仰に反発する者もいたという。

 このような日本会議とその中枢を担う、生長の家原理主義の人々が安倍内閣に大きな影響を与えているのはなぜだろうか。それを解くカギは安倍首相のキャリアにある。第1次小泉内閣で官房副長官をつとめていた安倍は、北朝鮮による日本人拉致問題に尽力したことで脚光を浴び、その後、内閣官房長官・自民党幹事長に抜擢され、小泉首相の後継者として2006年には首相にまでのぼりつめる。しかし、それまでの首相と異なり、短期間で一気に首相にまで上り詰めた安倍は自民党内の基盤が弱く、日本会議人脈に頼らざるを得なかったのである。

 しかし、2007年の参議院議員選挙の大敗によって第1次安倍内閣は崩壊し、安倍は政治生命の危機を迎え、日本会議も打撃を受けた。この安倍と日本会議の危機を救ったのは、民主党政権の混乱と崩壊であった。民主党が政権交代を焦らず、福田康夫首相に協力して政権を担う準備を積み、しかるのちに政権交代を実現して民主党政権を安定的に運営していれば、日本会議がここまで影響力をふるうことはなかったであろう。今日の状況を作り出した責任の一端は旧民主党にある。

 それでは、日本会議は具体的にどのような改憲を狙うのであろうか。生長の家原理主義の人々は明治憲法復元を熱望しているが、それでは世論はおろか日本会議内の支持すら得られないと見て、手始めに緊急事態条項の創設と憲法24条の改定(個人としての尊厳・個人の尊重を削除し、家族保護条項をいれる)を目指しているという。

 楽観的と言われるかもしれないが、私はこのような目論見はうまくすすまないのではないかと思っている。なぜならば、日本会議、とりわけ、その中枢を担う生長の家原理主義者の存在が広く知られてしまったからである。日本会議本ブームによって、日本会議や生長の家原理主義の特異な思想内容が明らかとなった。このことによって日本会議のイメージは大きく損なわれたのではないか。現に今年の参院選直前に日本会議からの離脱をネット上で表明する民進党の政治家が何人か存在した。

 谷口の代表的な著書『生命の實相』に大きな影響を受けたことを公言し、安倍首相の後継者とも言われる稲田朋美(当時、自民党政調会長、現在は防衛相)もまたジャーナリストの青木理のインタビューに対して、日本会議や生長の家原理主義の思想とは距離を置く考えを述べている(青木理『日本会議の正体』)。稲田が青木に述べていることは彼女の本心かどうかはわからないが、本心でないとしても日本会議や生長の家原理主義の思想を全面肯定すれば、マイナスイメージになるということを彼女は考えているということである。一度マイナスイメージがついた日本会議は何らかの改変が迫られ、保守系の政財界人たちも生長の家原理主義者たちから距離を置き始めるのではないだろうか。菅野が『日本会議の研究』を刊行した際、日本会議の椛島有三事務総長は発行元の扶桑社に抗議文を送ったというが、椛島はそうなることを敏感に察していたのではないかと思われてならない。

 しかし、仮に日本会議が改変され、生長の家原理主義者たちが退場したとしても、改憲を求める勢力が消えることはないだろう。立憲主義(国権を制限し、基本的人権を拡大する)に基づく改憲ならば、私は賛成だが、やっかいなことに日本の改憲論者の多くは立憲主義を骨抜きにすることにすこぶる熱心な者が多い。自民党改憲草案が典型的だが、彼らはそうした自分の野心を隠そうともしないので、世論の警戒を招き、改憲の機運は盛り上がらずにいる。
 しかし、生長の家原理主義者が退場し、もっとソフトな勢力が、立憲主義が骨抜きにされていても一見、それがわからないような改憲草案を出してきたとき、国民は改憲に警戒心を持ち続けるだろうか。国民にその改憲草案が立憲主義に基づいているか否かを見極めさせることが出来るかどうかが立憲主義者の勝負どころとなるだろう。
 そのためには、立憲主義者は地方議員や国会議員に対してロビー活動などで立憲主義の要望を伝え、国民にもわかりやすい形で立憲主義を広めなければならない。日本会議は、左翼運動を真似して地方議員や国会議員に地道なロビー活動をおこない、さらに文化人を巻き込んで改憲の機運を高めようとしている。日本会議に反対する人々も日本会議のこのようなやり方に学ぶ必要がある。デモも重要だがデモばかりしていても地方議員や国会議員に支持は広がらない。
 また、菅野がよく twitter で嘆いているが、日本会議は次から次へと広告塔となる文化人を送り出してくるのに対して、護憲派が前面に出てくる文化人はいつも同じ人間なのか。日本会議に反対する人々は陰謀論に逃げ込むのではなく、日本会議がなぜ大きな影響力を持つに至ったのかを冷静に分析し、その対応策を練らなくてはならない。

 ただ、経済の低迷が今後も続けば、ナショナリズムや強い指導力に国民が吸引される状況は今後も変わらない。経済を成長させ、その果実を広く国民に分配する経済政策の構築が、長い目で見たときに、立憲主義に基づかない改憲の機運を抑えることにつながるのである。

 (小山高専・日本大学非常勤講師)


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