選挙という『劇場』(1)

【コラム】大原雄の『流儀』

選挙という『劇場』(1)

大原 雄


 2016年3月29日午前0時。日本国は非軍事国家から軍事国家に変わり、自衛隊は自衛以外に他衛(とりあえず、他国軍後方支援)も出来る軍隊になった。解釈改憲という「姑息な」手段で安部政権は、集団的自衛権行使を主軸とする戦争法、いわゆる安保法制を施行し、非軍事(専守防衛、自衛)国家の71年の歴史を強引に閉じた。普通の軍隊を持った日本国は新たな戦前へ向けて歩き出した、ということにならなければ良いが……。

 その足音は、猛々しく、早々と聞こえ出した。4月8日の新聞は伝える。朝日新聞にはTPP(環太平洋経済連携協定)の問題で野党議員が質問する7日の衆院特別委員会の写真が載っている。議員はほとんど全面黒塗りされた資料をかざしている。記事では、安倍首相が、「守秘義務」を口実に野党の質問をかわした、とあるが、写真は雄弁に質問を拒否したことを伝えてくれている。「ここまで真っ黒な情報を見たことがない」と、この野党議員は黒く塗りつぶされた政府の資料を示して、「何度も声を荒げた」とある。真っ黒な資料は、今後の日本社会が進む暗黒の世界を早々と暗示しているように思えた。

 消費税の増税が先送りに踏み切れば7月に実施が見込まれる参院選挙は、場合により衆院解散を踏まえて、同日選挙になる可能性があるかもしれない。4月24日投開票の北海道衆院5区補選の結果が出れば、より鮮明になるだろう。1980年6月、86年7月の同日選挙でいずれも自民党が大勝ちした「夢よ、もう一度」ということを与党の権力者たちは考えているようだ。
 当時は、衆院の選挙制度は、中選挙区制度であった。現在は、小選挙区比例代表並立制度である。与野党とも地域に根ざした組織力も衰えている。選挙結果は、全体の半数近い無党派層によって、左右される可能性が高い。無党派層は、棄権するか、「風」を読んで同調的に投票行動を決めるか。いずれにしても予測しにくい風任せの人たちだ。同日選挙になったら、どういう政治地図が出現することになるのだろうか。夏の参院選挙に向けて、「大原雄の『流儀』」では、暫く、選挙について書いておきたい。題して、「選挙という『劇場』」。

 そもそも同日選挙というのは、危機(リスク)管理上の問題を含むが、その点はどれだけ国民に伝えられているか。緊急事態が発生をし、国会決議が必要な有事の際にはどうなるのか。閣僚はともかくとして、議員の身分が極めて中途半端だ。選挙期間中、現職の国会議員は参院の半数だけになる。正規の現職は参院の非改選議員だけとなるのである。震災などがあっても、十全に対応ができない可能性があると思われる。衆参の任期の終わった議員たちも含めて事態に対応したとして、こういう決議を、その後の新しく選ばれた議員たちが引き継ぐということが現実的なことなのだろうか。数の論理が民主主義と思い込んでいる権力者たちは、そういう危機管理上の問題を真剣には考えていない。そういうことに対処するためにも、国会は本来、二院制度をとっているのではないか。同日選挙に違憲論を唱える専門家もいる。有権者が重要な登場人物になる選挙という『劇場』。まずは、政治家とマスメディア。

★役者としての政治家とジャーナリストの役割

 選挙という劇場に登場するのは、被選挙権を行使する政治家たち。政治にとって選挙が命。「政治生命」という、もうひとつの命を左右するのが、選挙だからだ。選挙の主役は、言わずもがなだが、有権者。有権者の投票がなければ、選挙は成り立たない。政治家と有権者を結ぶのが、マスメディアのジャーナリストたち。そのジャーナリストは言論表現の自由が命。だが、選挙や政治生命について、政治家は命懸けで対応しているが、ジャーナリストは、言論表現の自由に命を懸けているだろうか。言論表現の自由に命を懸けているという人は、歴史的に見ても限られたジャーナリストのみではないのか。
 マスメディア総体は、いつの時代も言論表現に命を懸けてこなかった。ジャーナリストとしてのプライドをなくして、劇場で大見得を切りながら、権力や体制に寄り添い、時代の走狗となってきたのではないか。選挙でパフォーマンスを演じる政治家。パフォーマンスにばかり目を奪われて、有権者に適切な情報を伝えることから逃げているマスメディア。ジャーナリズム精神を失ったマスメディア。ジャーナリストの役割とは、そういうものではないであろう。

 言論表現の自由とは、権力との緊張関係の維持、適切な距離感が必須。ジャーナリストに敵対するのは権力者。だから、マスメディアの大義は、権力の監視だといわれるのである。空気などを読まずに、「ちょっと、待って! これは、おかしいのではないか」と絶えず言い続ける精神的なタフさが、ジャーナリストには、なによりも大事なのである。

 夏の選挙実施までクロニクルとして、今後、暫く、私自身の備忘録として、政治生命をかけて命懸けになっている与野党の政治家たち、特に権力側の政治家たちの突出した言動で私の目にとまったものを記録しておきたい。まず、その前に少し時期を逆上ることになる。

★ある政治家の軌跡

 2011年3月11日の東日本大震災や津波の被害。それ続く、東京電力福島第一原子力発電所の事故から5年が経過した。事故当時は、民主党の政権下だったが、その後、政権交代で政権は自民党に復帰した。

 2016年1月28日、経済再生担当だった甘利・元大臣は、建設会社の関係者から大臣室などで現金を受け取っていたことを認めて大臣を辞任したことは、周知されているだろう。肝腎のTPP担当大臣として、2016年4月の国会にも出席できないようになったのは、その結果だった。TPPを巡る4月7日の衆院特別委員会。元担当大臣に対して「少しでも国会に出て、説明責任を果たすように説得を」という野党議員の質問に安倍首相は、次のように答えた、「いまや安倍内閣の一員ではない」「甘利氏がここに出てきて答弁する必要はない」という冷たい返答だった。その翌日、4月8日、甘利・元大臣を巡る現金授受問題で、東京地検特別捜部が関係先の捜索に入った。あっせん利得処罰法、政治資金規正法違反の容疑だという。

 ところで、少し古い話になるが、この辞任劇に通底する、と思われる事実がある。この甘利・元大臣が関係したマスメディア相手の訴訟のことは余り知られていないかもしれない(ジャーナリストの上田眞実氏が最近も記事にしている)。

 3年前、2013年1月29日、東京地方裁判所は、甘利・元大臣がテレビ東京を相手取り、番組報道の中で名誉毀損されたとする訴訟について、元大臣側の訴えの一部を認める判決を言い渡し、テレビ東京側に「恣意的な編集があった」として、330万円の支払いを命じた。マスメディア側が敗訴した。

 番組は、2011年6月18日に放送された「田勢康弘の週刊ニュース新書」で、11年3月11日に東日本を襲った地震、津波により東京電力の福島原子力発電所の事故を取り上げていた。番組で取り上げる切り口は、「東日本大震災による東電の原発事故が起こるまでに政治家は安全対策をとってきたか」ということを検証する、というものであった。11年6月、第一次安倍内閣当時の経済産業大臣(2006年9月から07年9月まで在任)だった甘利氏にテレビ東京はインタビューを試みた。その中で、番組側は、5年前の06年12月の国会質疑「原発運転中冷却不能になる場合の放射能汚染の規模」(甘利氏は、経済産業大臣だった。その後、11年3月、この質疑通りに直接的には地震と津波による原発の全電源喪失という事態が実際に起こった)という質問の中で、津波被害の想定に基づく対応策を総理大臣らに質した。安倍首相は、答弁で「原子炉の冷却ができなくなるような事態が生じないように安全の確保に万全を期している」と答えている。番組では、甘利氏は「津波に備えよ」という指摘は、当時はなかったと答えたが、この国会質疑の経緯を踏まえて、記者に改めてその誤りを指摘されると甘利氏は黙り込んだ後、席を立って戻らず、取材を中断してしまった、というのである。

 テレビ東京は大臣が去った後の「空席」の椅子をカメラで映し出し、「取材は中断となりました」というナレーションを番組で流したという。この「空席」報道をテレビ番組で観た甘利氏は、11年6月末、テレビ東京と番組の関係者らを相手取り、空席を映し出したのは名誉毀損だとして提訴したというわけだ。損害賠償額は、慰謝料として合計で1150万円。

 インタビュアーの質問に答えられず、逃げ出した後の空席となった椅子をカメラで映しとられたことと、一体なぜ、福島の原発で事故が起き、被害を大きくしたか、という問題とを秤にかけられるものなのか。事故から5年経ったにもかかわらず、原発事故の原因が安全性を軽視、または、無視をしていることから生じたことは明らかだろう。にもかかわらず、再稼動に象徴されるようにひたすら原発依存政策を突っ走り(再稼動して運転中の九州電力の川内原発や仮処分決定で再稼動を停止した関西原発周辺では、再稼動後も、原発周辺の放射線量計が住民の緊急避難を決める基準値を十全に計ることが出来ない、という。線量計の設置場所選定を待たずに、先に再稼動してしまった、という。典型的な「見切り発車」である)、原子力開発体制をそのまま維持してきた政権側や各電力会社側に責任があるだろう。権力側や電力会社側に立ち続け、事故の予防策を確立して来なかった関係者の一人として甘利氏にも大きな責任があるだろう。原発維持体制を解体し、地震列島という宿命の上に建国しなければならない日本の新しいエネルギー政策を確立することこそ、この国の政治家たるもの、党派を超えた使命であろう、と思う。それを脇に置いて、「空席を映し出したのは名誉毀損」という笑止な理屈は、裁判所によって、常識的に退けられるだろう、と思われた。しかし、判決は違った。

★ジャーナリズム無きマスメディア

 テレビ東京側の判決についての判断は以下の通り。テレビ東京側の言い分(概要)を引用する。

・被告(テレビ東京側)記者はVTR編集上の誤りを認めた。今回の判決において原告(大臣側)に対する一部名誉毀損が地裁によって認定された。VTR編集上の誤りについては、既に番組放送の一週間後に訂正放送を実施し、被告自ら認めている。

・しかし、被告側としては、
(1)原告に対する取材は適正なものであった。
(2)原告が不都合とするシーン(インタビューを中断した場面)は放送しない、という約束は存在しない。そもそも報道機関が放送内容や編集方針について取材対象者、ましてや国会議員と何がしかの合意をすることは、報道の自由の観点からありえない、と主張した。

・判決では、この点について、地裁が「不適切な質問方法があったとは認められない」「原告が主張する約束が成立したとは認められない」として、被告側の主張を認め、原告の主張を退けた。また、「報道機関と国会議員との間で、報道内容について債権債務関係が成立すると解すること自体に疑問がある」との認識も示した。

・その結果、原告が求めていた「原告は不適切な取材に疑問を感じてインタビューを中断した」「そのシーンは放送しないという約束を破った」旨を表明せよ、という謝罪放送の実施についても地裁は原告の訴えを退けた。

・テレビ東京側は、「判決内容を不服として控訴する積極的な理由はないとの結論に達し」たので、控訴しないこととした、という。このため、テレビ東京側は、引かれ者の小唄のような「控訴しない」ということのための理屈を唱えただけで、結局は330万円の慰謝料を払い、「敗訴」したことになる。

贅言;こういう訴訟を「スラップ訴訟」という。スラップ訴訟は、権力的な立場にある政治家や企業など強者が弱者を恫喝し発言を封じ込めることなどを目的にして提訴するものである。テレビ東京の判決分析の言い分を読んでいて感じるのは、マスメディアは、萎縮していないか、という懸念である。マスメディアを相手にスラップ訴訟など政治家にやらせてはいけない。まして、勝訴などもってのほか。テレビ東京だけでなく、こういう問題には、マスメディア総体で横並びになって対抗すべきだったのではないか。ジャーナリズム精神なきマスメディアは、脆弱だ。

 私が、今ころになって、甘利・元大臣の言動を取り上げたのは、甘利氏の言動よりも、マスメディアの側として、テレビ東京のこの萎縮を懸念するからであり、この3年間の間にマスメディアの萎縮の度合いが深まってきたのではないかという印象を持つからである。

 原発事故の原因究明と事故の予防策提言こそ、マスメディアの役割ではないのか。甘利氏の空席となった椅子の撮影など、私もするだろう。逃げれば空席となった椅子を撮影されても仕方がない状況だったのではないのか。

★ジャーナリスト精神

 かつて水俣病問題を取り上げたNHKの番組「埋もれた報告」を思い出す。水俣病が公的に認定された1956(昭和31)年から20年がたった1976(昭和51)年に放送された番組だ。水俣病問題に関係していた、政治、企業、医学などの関係者に一人の記者が取材し、埋もれていた事実を掘り返す、という調査報道の手法で制作されたドキュメンタリー番組だった。

 番組では、記者が早朝散歩に出て来た役人に突撃インタビューしたり、音声を断らずに録音(当時のテレビ報道は16ミリフィルムに映像を撮るカメラが主体で、フィルムに同時録音できるカメラは、高価でテレビ各社とも保有する台数が限られていた。通常は、映像だけを撮るカメラに「デンスケ」と呼ばれたオープンリールで6ミリテープの録音機を併用して音を取っていた)していたのが相手に気づかれたりすると、悪びれずに、インタビュアーが取材スタッフにマイクの引き抜きを指令した後、平然とインタビューを続ける場面がそのまま番組に出て来るが、それで訴訟になったりはしなかった。番組では、NHKの社会部記者が、1959年当時の熊本県知事、チッソの社長、さらには産業界の発展しか顧みなかった通産省軽工業局長などへの取材を粘り強く続ける様子が映し出される。「昔のことは覚えていない」と取材拒否する当事者に、必死に食らいつく記者の姿が目に焼き付いている。

 私がテレビ東京の記者だったら、インタビューに答えられなくなって、席を立って行く政治家の姿を撮るだろう。出来れば、部屋に籠って出て来ない所も撮りたいが、インタビュー撮影の機材を簡単に動かせないことや相手の同意などの点から、これは無理かも知れない。テレビ東京の取材スタッフは、席を立って逃げて行く政治家の姿を撮り損ねたから、空席になった椅子を撮ったのだろうか。しかし、カメラマンなどの取材スタッフを連れて、アポイントメントを取った上で、取材に来た記者に誤りを指摘されると政治家は黙り込んだ後、席を立って戻らず、取材を中断してしまった、というのも公人としてはフェアな話ではないだろう。席を立って戻らず、取材が中断したことは、放送しても良いのではないか。なぜなら、それは、それで事実そのものなのだから。

★足立正生映画「断食芸人・論」拾遺

 ただの男は、断食「芸人」に祭り上げられ、挙げ句には、銃殺されてしまう。男は、街という劇場で、踊らされた。選挙という劇場。政治家は芝居をするのか。マスメディアやジャーナリストは有権者である国民のために、政治家の芝居を見抜いて、等身大の情報を伝えなければならない。

 前回の「大原雄の『流儀』」で書き込まなかったこと。カフカの小説「断食芸人」とオーソン・ウェルズの映画「審判」、大島渚の映画「絞死刑」、そして、足立正生の映画「断食芸人」。断食芸人→審判→絞死刑→新・断食芸人、というサイクルの分析。カフカの「断食芸人」は、前回の当コラムで触れたように、史実にあるような断食芸人の半生の物語。カフカの幻視的文学『審判』は、不条理な裁判劇。背景からは、時代の不安感、あるいは個人が持つゆえなしの罪悪感が滲み出てくる。

 勤め人の男を突然権力が逮捕する。会社の同僚も同行している。男の逮捕が何の容疑か、司直にも誰にも判らない。男は突然法廷に呼び出されるが、人定尋問もデタラメ。男が法廷を飛び出すと、そこは自分の会社に通じる廊下だった。幻想と現実が混在する不思議な空間、というような作品。オーソン・ウェルズは、1961年にカフカ原作の「審判」を映画化した。日本での公開は、1962年。足立正生監督は、自分の映画作品「断食芸人」は、カフカの小説「断食芸人」とオーソン・ウェルズの映画「審判」に刺激を受けた、と言っている。
 大島渚の映画「絞死刑」の公開は、1968年。カフカの不安感、罪悪感→映画「審判」のデフォルメ→大島渚監督の映画「絞死刑」のデフォルメ→足立正生監督の映画「断食芸人」のデフォルメ→街が劇場になり、ただの男が断食芸人として劇場に登場する。大島渚監督の映画「絞死刑」は、「小松川事件」(1959年に東京・江戸川区の都立高校定時制の女子高校生が在日朝鮮人の男子高校生に殺された、という事件。1961年8月に最高裁で死刑が確定し、1962年11月、死刑執行となった)をモデルに、もし受刑者の処刑が失敗したら、というテーマで展開された映画。
 Rと呼ばれる受刑者の心臓は絞首されても止まらない。そのショックでRは記憶を喪失してしまう。心神喪失者を処刑することは刑事法上ゆるされないと判断した関係者は、Rの犯罪を思い出させるためそれらを演じてみせる、というブラックユーモアの映画だ。足立監督の2回の断食の試み。大島監督の2回の死刑執行(1回目は失敗。やり直しで死刑執行)。「絞死刑」では、Rの背後にスライドで投影された黒塗りの日の丸のイメージが浮かぶ。私は、2つの映画の、その相似性に注目する。

 選挙という劇場。政治家という役者たち。芝居をするのは、政治家だけか。ジャーナリストの役割は? 有権者という国民は、「芝居」に、どう参画すべきか。このコラムでは、夏の選挙まで、このコラムでは複数回、クロニクルを書き続けたい。

 (筆者は、ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事。元NHK社会部記者。オルタ編集委員)


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