【コラム】大原雄の『流儀』

★ ウクライナ戦争の1年〜日本の「戦力」論の変化〜

大原 雄
 
★ ウクライナ戦争の1年〜日本の「戦力」論の変化〜
  
 (ウクライナ侵攻で)「もしプーチン(大統領)が勝利すれば、中国などに対し、軍事力を使って国際法に違反しても目的を達成できてしまうという間違ったメッセージが伝わることになる」。(NATOのストルテンベルグ事務総長。朝日新聞2月2日付朝刊記事より引用)。
 1年前、2022年2月24日、ロシア軍はウクライナに軍事侵攻(侵略戦争)した。ウクライナ軍事侵攻の総司令官はゲラシモフ。

 2023年、1︎月11︎日、ロシア軍参謀総長兼第1国防次官のゲラシモフは、ウクライナ軍事侵攻の総司令官に再び任命された。
 ゲラシモフ総司令官は、ウクライナ戦争について「『前例のないレベルの軍事行動を展開している』という認識を示しました」と、NHKニュースは伝えた。
 『前例のないレベルの軍事行動』というのは、曖昧な表現で判りにくい。宣戦布告なき開戦を得意とするゲラシモフ参謀総長の誤魔化しの心根が、透けて見えるようだ。
 
 (一方、)「ドイツのショルツ首相がドイツ製の主力戦車『レオパルト2』をウクライナに提供する方針を固めたと、ドイツメディアが24日、相次いで報じた。他国が保有するレオパルト2についても、再輸出を認める方針だという」(朝日新聞1月25日付夕刊記事より引用)。
 ドイツは、国家が統一された後も、国家構造は、東ドイツと西ドイツに分かれており、今も分断を引きずっているらしい。だから、「レオパルト2」の提供のような、政治力学にもろに影響しそうな問題では、国家構造に関わる事態となり、容易に「分断に架橋する」ことが難しいのだろう。冷戦は、ドイツに難しい後遺症を残したままである。
 
 手作り凶器:兵器も凶器も、既成の民生品あるいは、市販の材料・部品で作ることができる。射撃手もまた然り。普通のヒトでも狂気さえあれば、いや、なくても凶器を作り、犯罪者になれるということか。「旧・統一教会事件」あるいは「元・首相暗殺事件」は、マスメディアと違う光の当て方をすれば、そういうことが見えてくるのでは無いか。
 
 兵器も、手作り?:「ウクライナの戦場で見つかった27種類のロシア製兵器に、外国製電子部品が450種類も使用されていた。うち317種類がアメリカ企業の製品だったという。ロシアの独立系メディア『バージニエ・イストリイ(重要な話)』が伝えたという(前掲同紙、1月30日付朝刊記事より引用)。
 以前にイラン製のドローンに日本製部品が使われているという情報を見つけたが、現在の国際社会は、多極的な上に、いろいろ多様性が進んでいる。
 
 さて、それなら、岸田政権の政治は? 国民不在のまま、「戦力」の再構成をしているのではないのか。いろいろ「勝手に」(首相の専権事項? しかし、アメリカの言いなり、なのではないのか)決めて、国民ばかりか与野党も慌てさせているではないか。閣僚人事、側近で固めたはずの秘書官人事など、次から次から、いろいろなクセ球を投げてくる。
 
 中でもいちばん心配なのは、戦力の再構成のバランスの悪さではないか。アメリカべったりで戦力膨らましばかりやっていると、「アメリカこけたら、日本もこけた」となりかねない。これじゃあ、国際社会から軽く見られるのではないか。
 

 2023年1月13日。山上徹也容疑者起訴。
 起訴は、殺人、銃刀法違反(発射、加重所持)。裁判員裁判で審理される見通し。
 
 国際社会を敵に回す「狂気」:(プーチンには)「共産主義を飛び越えて、ピョートル1世、アレクサンドル3世など」ロシアの皇帝を賛美する史観がある。つまり、ロシアの歴史や伝統的な統治スタイルを重視する「先祖返り」(青山学院大学の袴田茂樹名誉教授)である。
 
 2017年11月。プーチンは、ロシアが「併合」した後のクリミア半島につくられた巨大なアレクサンドル3世像の除幕式に出席した。
 「世界全体で、ロシアには2つしか信頼できる同盟者はいない。それは我が国の陸軍と海軍だ」とアレクサンドル3世の言葉を刻んだ台座の前にプーチンは立った。
 「彼(アレクサンドル3世)はロシアの運命に個人的に責任を感じ、この大国の発展のために、また国内外の脅威から祖国を守るために、すべてのことを行った」と評価した上で、「現在および未来の世代は、彼の後継者として祖国の発展のために全力を尽くす」と強調したという。プーチンは、己をアレクサンドル3世になぞらえている。あの異様な目つきが、私には、物語っているようの見える。

 
 ★ 『印度放浪』の、野犬とニンゲン
 
 写真家は、1944年3月、福岡県門司市(現在の北九州市)で生まれたという。私より、3歳年上。生家は和式の旅館を営んでいたはずだ。旅館廃業後、一家は大分県別府市に移り住んだ。写真家は東京藝術大学(美術学部絵画科油画専攻)在学中に東京の大学生活に飽き足らなくなり、大学を飛び出し、海外放浪へ。アフリカ、中近東、インド、東南アジア、台湾、アメリカ、アイルランドなど各地を放浪する生活をするようになる。その生活の軌跡は、写真と文章を組み合わせるというスタイルで作品化された。処女作『印度放浪』は単行本になる前にアサヒグラフに連載され大きな反響呼び、当時、いわゆる「学生運動」と呼ばれた現象の終焉期、いろいろ壮絶な事件が引き起こされた時代だった。写真家も私たちもほぼ同世代で、いわば時代から精神的支柱を喪失させられたような不安な社会に放り出されてきた。写真家の文章は、「喪失世代」の学生や青年層のバイブル的な本として愛読された。私も1960年代後半から70年代初めまで大学生活、大学院修了、マスコミへの就職などと自分の生活環境が転変として行く中で、この写真家の刊行物を追いかけるようにして読んだものだ。写真家は、東京藝術大学在学中に旅したインドに魅せられ、その後もアジア各地を旅して回っては、写真を撮り、エッセイを書いた。『印度(インド)放浪』(1972年刊)、『西蔵(チベット)放浪』(1977年刊)、『七彩夢幻(しちさいむげん)』(写真集・1978年刊)、『逍遥游記(しょうようゆうき)』(1978年刊)などを発表した。写真集を除く、タイトルが漢字4文字のものは、いわばアジア3部作。このうち、台湾・韓国・香港を取り扱った『逍遥游記』では、写真界の芥川賞と呼ばれた木村伊兵衛(きむらいへい)写真賞を受賞した。
 
 贅言;木村伊兵衛写真賞は、朝日新聞社などが主催する写真の賞。日本を代表する写真家・木村伊兵衛(1901年—1974年)の、戦前・戦後を通じて日本の写真界の発展に対する貢献と業績を記念し、1975年に朝日新聞社によって創設された。

 写真家は、これまでに多数の本を出してきた。私も、ほぼ同時代でこれらの本を読んできた。写真家の本は、タイトルが途中で変化したりしている。例えば、処女作の『印度放浪』は、最初は、雑誌連載、ついで、単行本刊行。朝日選書版では、タイトルが「インド放浪」になったが、朝日文庫版では、「印度放浪」に戻されている。この人は、写真もテーマにとって、これしかないというような決定的な一枚にぶち当たるまで執念深くというか、執拗に撮るタイプ人なのであろう。タイトルも、一字一句にこだわっているように見受けられる。
 
 私は、1947年1月生まれだから、2月の時期なら写真家より2歳年下だ。写真家が誕生日を迎えたら、3歳違いになる。兄と弟の年齢差ほどの関係だが、ほぼ同世代で、同じ社会を生き、同じ空気を吸ってきた。写真家は、生と死の現実を写真家の目で深く見つめるとともに死に行く生のヒストリーをえぐるような文章で目の前の光景を活写し続けてきた。私は、写真家の著作を初期の頃はほぼ全て入手し、彼の足跡を追いかけるように彼の著作を読み続けてきた。
 
 写真家の活動の原点に輝く一枚の写真がある。写真家の世相を深く見つめる眼と世相の背後にある実相をえぐるように刻む文体を融合させている写真とは、人の遺体を貪り食う野犬の姿を写し撮った一枚である。インドのガンジス川の岸辺で当地の生活習慣では「水葬」というのだろうか、焼かれないままの遺体が川に流され、ガンジス川のどこか別の岸辺に漂着する。漂着先の岸辺では、野犬が遺体を餌として食べ喰らうのだ。その食べている様を写真家のような人間が一枚の写真に写し取るというわけだ。写真家も、いつかは、犬に喰われないまでも、どこかの土に帰る。魂が人間から離れ、体だけが大地に遺されたのだ。その遺体を支配するのは、いったい誰なのだろうか。
 
 そういうものが畢竟、人間という存在の実相なのだとこの写真家は、孤独の影をまといつかせながら、独り静かに主張している。茶色と黒の二匹の野犬が、うつ伏せに横たわっている裸の遺体に近づこうとしている。尻や脚をむき出しにした遺体に食らいつこうと近寄っているのだ。見開き2ページの大きな一枚の写真に添えられた文章。写真家が一枚の写真に書き残した文章というのは、こうだ。
 
 「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」。
 
 この世に一枚の写真と一行の文章を残した若き日の写真家の名前は、藤原新也。
 
 東京・世田谷美術館で開かれた藤原新也の「大規模回顧展」(「祈り・藤原新也」展。1・29まで)の記事が朝日新聞に掲載されていたので、記録として、ここに掲載した。記事の見出しは、「藤原新也 祈りとともに50年」。それにしても、「大規模回顧展」とは、すごいタイトルをつけたではないか。いや、これは朝日の記事の見出しだけか。
 
 私には、「大規模」と言う表現よりも、大きな字で書かれた藤原の書「生きろ 死ぬな」が、根底的なテーマとして受け取られて、強く印象に残った。ウクライナ戦争勃発から、1年になる23年2月24日。「生きろ 死ぬな」というキーワードこそ、「戦争をするな」という明確なメッセージを担っていると思う。
 

 ★ (記録)ウクライナ戦争
 
 戦争犯罪:無差別攻撃/「ロシアは(ウクライナ)侵攻開始以来、(略)「住宅地や民間施設への無差別攻撃が繰り返され、多くの市民を殺害している」(朝日新聞1月25日付朝刊記事より引用)。
  
 (2022年)
 3月、北部チェルニヒウ。住宅地への空爆。47人死亡。
 3月、南東部マリウポリ。劇場(避難所)への空爆。300人犠牲。産科病院も攻撃。
 4月、東部クラマトルスク。駅にミサイル着弾。50人以上死亡。
 6月、クレメンチュク。ショッピングモールにミサイル攻撃。20人以上死亡。
 年末、キーウ(旧キエフ)。ホテルにミサイル直撃。
 
 (2023年)
 1月、ドニプロ。集合住宅にミサイル直撃。46人。

 記事内に記載されていただけでも、以上の犠牲者。漏れもあるだろうから、実数はどのくらいになるのか。(ロシアは、)「ウクライナ国民の士気をくじくため、あえて民間施設を狙っている可能性がある」という。「本来は地上攻撃用でない対艦や地対空ミサイルを『目的外使用』しているとも指摘している」。目的外使用ゆえ、誤爆も多い。「ロシア側が誤爆も構わずに攻撃を続けていることは確かで、今後も被害が続く恐れがある」という(いずれも、前掲同紙より引用)。

 ウクライナ南部のヘルソン州当局は29日、へルソン市の住宅や学校、病院などに対するロシア軍の攻撃により3人が死亡したと発表した。北東部ハルキウ市では29日夜、集合住宅にミサイルが直撃し、高齢の女性1人が死亡した。
 まるで、住民が住む地域の道路を走る車が交通死亡事故を起こすように、ウクライナでは飛び交うミサイルが、住民が住む地域に飛び込み、交通事故のように、毎日、死者を出し続けている。
  「きのうのミサイルによる」死者〇〇人、負傷者〇〇人という看板が交番の横に、あちこちに建てられているような錯覚を誘発する。
 
 ★(連載)・専制主義の動静
 
 時代錯誤なプーチン:プーチンがロシア第二の都市・サンクトペテルブルクを訪れて退役軍人らとの会合に相次いで参加し(次期、大統領選挙へ向けての事前運動だろうか?)、「ウクライナの政権を『ネオナチ』と一方的に非難し、(略)強硬姿勢に揺らぎは見えなかった」という(朝日新聞1月20日朝刊記事参照し、引用)。「ネオナチ」とは、なんと時代錯誤な言葉だろう。
 無能の専制主義は、ある面では、滑稽である。
 
 プーチンの訪問は、「第2次世界大戦でナチス・ドイツ軍に約900日にわたり包囲されたレニングラード(現サンクトペテルブルク)の解放から80年の記念日に合わせたもの」という(前掲同紙、参照)。狂人・プーチンは、なぜ大統領のポストにとどまっていられるのか。法制度がそうなっているのか。退役軍人との世論づくり、というような「どぶ板日常活動」の実践。歴史に逆行するベクトルの持ち主であるプーチンは自分好みの古臭い世界へ戻り、専制主義者として地位にとどまっていられるのか。時代錯誤な強硬な姿勢を貫いていて、よく暗殺されないものだと思う。
 
 戦争観の変化:第2次世界大戦では、例えば、東京裁判やニュルンベルク裁判で法廷が設定されたのは、戦争が終結してからであった。旧ユーゴ紛争では、法廷の設定は戦争勃発から2年以上経っていた。今回のウクライナ戦争では、国際刑事裁判所(ICC)の主任検察官は、ロシアの軍事侵攻の4日後には早々と捜査の手続き開始を表明した。「こんな例は過去にない」と言ったのは、早稲田大学の古谷修一教授だ。古谷教授は、国際人道法の専門家。戦争犯罪についてかつては、どちらの国家が先に侵略をしたのかが、「戦争犯罪」を裁くポイントであった。ところが、今回は、例えば、ロシア軍がウクライナの市民(非戦闘員)を無差別に殺害したことから国際社会の目が行き届き、戦争の初期段階からこれが問題にされた。今回の戦争は、このような市民への無差別な殺害(人権侵害)が戦争責任のありようを規定したと古谷教授は言う。

 以下、朝日新聞1月20日付夕刊インタビュー記事「いま聞く」をベースに参照し引用した。
 
 さらに、古谷教授は言う。SNSではスマホ映像も同時に送ることができるので、現代の戦争は容易に可視化される。国際社会が侵略国家の戦争責任を裁くのに、国家リーダー間の「妥協は許されない」という。なぜ、政治の指導者たちの調整・妥協が許されないかというと、戦争の被害は、兵士など戦場(戦争)に行っている者たちだけが被るわけではなく、銃後の市民たちもいつ敵のミサイルに襲われ、自分や家族の命まで失われるか判らないという身近な「恐怖」にリアリティがあるからである、と古谷教授は説明をする。

 日本でも、マスメディアの世論調査などを見ると、岸田政権がアメリカの意向を踏まえて、防衛費の増額を唐突に提案しても、国民不在の提案という手続き問題は批判されても、あるいは、財源の「増税」提案は批判されても、「増額」という予算規模は、批判されないようである。このように、現在の日本で国民の多くが国民生活の防衛については、「理解」を示しているように見えるのは、この「身近な戦争への恐怖」を強く感じるからにほかならないだろうと私も思う。古谷教授は、さらに、「戦争の終わり方」も変わってきたと続ける。
 
 戦争責任:「戦争の終わり方」、「戦争責任の取り方」とは、俗な表現をすれば、「戦争の落としどころ」とでも言えば良いか。昔の戦争では、勝者と敗者の立場で「交渉」したものだが、いまはそれが通用しない。例えば、今回のウクライナ戦争では、ウクライナのゼレンスキー大統領であっても、プーチンとは、勝手に交渉できないだろう。なぜなら、プーチンは、戦争犯罪人であって、ウクライナの敵というだけでなく、国際社会の敵、あるいはデモクラシーの原理に対する敵であるからだ。戦争犯罪人は、裁かれる側にはあっても、「戦争の終わり方」や「戦争責任の取り方」などと言った「裁き方」「裁く側の論理」に注文をつけたりできる立場にはないからだ、と古谷教授は言う。
 ウクライナ戦争が始まった直後からしばらくの間、突然、日常生活に入り込んできた「戦場」から、非戦闘員である市民たちを戦場外に救出する方法として、「人道回廊」がつくられ、不安定で、脆弱ながらも戦場の隙間にできた「回廊」を使って、市民を救出する作戦が取られた。ロシアは、「回廊」設置をトップレベルで合意しても、戦場の現場には徹底されなかったことから、度々、市民が虐殺されたように、戦争では殺されたか、殺されなかったか、というような「戦争の個人化」が進み、戦争は「明確な人道問題として簡単には妥協できない」ものになって行った。国家観しかなく、個人観を持たない政治家は、新しい時代の政治家そのものになれないと私は思う。そういう意味では、プーチンは、もう古い政治家であり、新しい戦争の終わり方に介入できるような存在ではなくなっていると言えると思う。
 
 ゴルバチョフ対プーチン:ウラジーミル・ポリヤコフ(72)は、若いころ、国営タス通信の記者をしていた。ソビエト連邦崩壊後の92年からはゴルバチョフ財団の報道官を務めている。
 ミハイル・ゴルバチョフは、ソビエト連邦の最後の最高指導者、元ソビエト連邦大統領(2022年8月死去)。米ソ冷戦時代の1985年からソビエト連邦崩壊の1991年12月まで、ソビエト連邦共産党書記長であった。ゴルバチョフ大統領は、共産党独裁放棄や統制経済緩和を打ち出し実施してきたが、これに反発する保守派が1991年8月19日早朝「非常事態国家委員会」を立ち上げ全権掌握を主張して、クーデターを起こした。
 
 贅言;新連邦条約の締結を巡ってソビエト連邦を構成する15の共和国の権限を拡大しようとしたゴルバチョフ大統領に対し、条約に反対する保守派(副大統領)グループがクーデターを起こしたがロシア共和国のエリツィン大統領を中心とした改革派や市民などの抵抗により失敗し、後のソビエト連邦崩壊に繋がった。
 
 ゴルバチョフは、クリミアの別荘で静養(軟禁)中であった。ソ連軍は、クーデター側についたが、首謀者の一部がモスクワを離れるなどしたため、一気に収束に向かった。3日間で「決着」したという。
 
 ソビエト連邦は、中央集権的な国家でありながら、さまざまな民族の母国として機能する共和国群から構成されていた。1991年末、ソ連からいくつかの共和国が脱退し、中央集権体制が崩壊し始めた。12月、ゴルバチョフはソビエト連邦大統領を辞任し、ソビエト連邦最高会議も解散した。ソビエト連邦崩壊である。
 
 記事は、朝日新聞1月20日付朝刊のインタビュー記事「オピニオン&フォーラム」の「『新思考』を見つめ直す」(編集委員・副島英樹)を参照し、引用した。また、同紙1月23日付夕刊の「アナザーノート」(編集委員・藤田直央)も参照し、引用した。記事の参照にあたっては、いくぶん、勝手に補筆などしている。引用する場合は、表現も原文に沿うようにした。
 
 まず、「新思考」の説明。「新思考」は「対話と協調を模索し、軍事力に頼らない政治を提唱した。ゴルバチョフの外交方針。戦争の拒否、軍拡競争の停止、モラル優先の政治。
 
 同時代をゴルバチョフとともに生きた証言者・ウラジーミル・ポリヤコフは、昨今のロシアの現況をこう言う。「ロシアはゴルバチョフ以前の時代に戻ってしまった」。権力の垂直体系、お飾り憲法、帝国アイデンティティー(連邦の幻想)、政治犯(プーチン?)の出現。「軍拡競争が再燃し、再び核兵器が強く意識され(プーチンは、戦略的に、確信犯的に、意図的に「意識」しているようだ)、重要な条約が消されたという。例えば、「中距離核戦力」(INF)全廃条約の締結。核兵器禁止の始まり。→ 冷戦終結へ。ベルリンの壁崩壊。東欧の自由選挙。

 ゴルバチョフ:「武力というものは、外政であれ、内政であれ、核兵器を手にしている限り危険な手段である」。
 ポリヤコフ:「いま起きていることは総じてロシアが悪い。いわゆる特別軍事作戦が『作戦』というなら、一定期間で終えるべきです。(略)冷戦終結のチャンスを生かせなかったから、ウクライナ戦争に至った。『冷戦終結』は、『全ての人の勝利』だった。(略)国家リーダーには他人を中傷しないモラルが必要だ。対話が必要だ。(略)ミサイルでは何も解決しない。『交渉が必要』なのです」。「2022年2月26日、ゴルバチョフ財団は即時戦闘停止と停戦交渉開始を求める声明を出した」。声明は、「病院にいた彼と合意したものです」。「相互の尊重、対話と協調、政治の非軍事化。まさに新思考の考え方です」。
 
 こうして、ゴルバチョフを「ここ(今の状況)」に据えてみると、冒頭で触れたプーチンの専制主義の実相が、反面鏡にくっきりと見えてくることだろう。人類には、「増え続けた核兵器を減少に転じさせる転換点があった」(編集委員・副島英樹)。しかし、国際社会は、それを実現できず、今ではむしろ、逆のことをしている。
 核兵器の使用をちらつかせたり(ロシア)、実験と称してミサイルを連発射したり(北朝鮮)するヤクザな国家とその指導者たちを「放置」している。
 
 贅言;ゴルバチョフって、凄い人だったのだ、と改めて思う。「核兵器保有競争」をして、それが止まらなくなった時にコントロールするシステムを作り、実際に核兵器を減じさせた。政治に軍事を持ち込まない。誰にでもできるという「業(わざ)」ではないだろう。プーチンの愚行を止めるのは、ゴルバチョフのような政治家が出現しないと無理かもしれない。ゼレンスキーでは、大状況に負けて、制限なき軍事拡大へどこまでも引っ張って行きかねないのではないのか。大統領職を辞めた後も、ゴルバチョフ財団で彼は活動し続けた。
 
 ゴルバチョフ財団は、モスクワに本部を置く非営利団体で、1991 年12 月に旧ソビエト連邦の指導者ミハイル ゴルバチョフによって設立され、1992年 1月に活動を開始した。財団は、ペレストロイカ時代やロシア史の現在の問題の研究に積極的に取り組んでいるという。財団の日本支部は、大阪市福島区にある。財団の正式名称は、次の通り。「一般財団法人 日本ゴルバチョフ友好平和財団」
 
 例えば、財団の声明を見てみよう。ロシアのウクライナ侵攻直後(2日後!)、去年の2・26の声明である。財団のホームページより引用。
 
 「2月24日に始まったウクライナでのロシア軍事作戦に関連し、一刻も早い戦闘行為の停止と早急な平和交渉の開始が必要だと我々は表明する。世界には人間の命より大切なものはなく、あるはずもない。相互の尊重と、双方の利益の考慮に基いた交渉と対話のみが、最も深刻な対立や問題を解決できる唯一の方法だ。我々は、交渉プロセスの再開に向けたあらゆる努力を支持する」。
 以上
 
 ちなみに、財団の設立趣意は、以下の通り。ホームページより引用。
「当財団は、社会教育等の様々な分野において、平和に関する普及啓発及び調査研究等を行うとともに、国際理解に資する交流事業等を行い、もって世界平和に寄与することを目的とします」。
 
 ★ ウクライナの汚職疑惑・1
 
 ウクライナのゼレンスキー大統領周辺で、汚職疑惑が相次いで報道されている。大統領府(日本の「官邸」のような機能を持つ政府機関ではないか)のティモシェンコ副長官は、外国企業が戦闘地での人命救助のため政府に贈ったオフロード車を「自分の車として使う」など報じられた。「同氏に近いとされるスーミ、ドニプロペトロウスク、ザポリージャ、ヘルソン各州の知事も相次ぎ辞任表明した」という。「国防省も副大臣の辞任を発表した」。「相場よりはるかに高い価格で軍の食料を購入している疑惑が報じられた」という。
 「シモネンコ検事総長代理も辞任を表明」。「出国禁止」の戦時体制を無視して、「休暇をスペインで過ごした」と報じられた。
 以上、朝日新聞1月25日付朝刊記事より参照、引用。
 
 さらに、時は経過した。以下は、前掲同紙、2月7日付朝刊記事より引用。
(ウクライナ東部ドネツク州の戦況)「激戦が続くなか、ウクライナのレズニコウ国防相は5日の記者会見で『友好国から供与された武器でロシア領土を攻撃することはない』と述べた」という当の国防相が「国防省の汚職疑惑を受けて、近く引責辞任をする見通しである」とウクライナ国営通信などが報じた」という。
 
 ★「戦力」の保有=「敵基地攻撃能力」の実相
 
 2022年12月16日に日本政府が国策として閣議決定した安保3文書(「国家安全保障戦略(NSS)」ほか)は、その後、「衣」の下に隠していた「鎧」(その戦力ぶり)をあからさまに見せつけ出した。アメリカにより近づいた防衛力の強化・予算の増額、島嶼(つまり、南西諸島)の防衛の強化など、鎧の中には、いろいろ隠されている。日本国民は気づいているだろうか。いや、多くの人は、気づいていないかもしれない。国会の審議も、国民的な議論も置き去りではないのか。マスメディアも、軽視されている。
 
 鎧は、「スタンド・オフ防衛能力」と呼ばれた。「スタンド・オフ防衛能力」とは、敵の射程圏「外」から攻撃することができる能力のことだという。つまり、射程圏外から攻撃できるほどの長射程のミサイルのことだ。マスメディアに配布された資料の要旨を書き写してみよう。要旨原文は、例えば、「スタンド・オフ防衛能力」とは、「侵攻してくる艦艇や上陸部隊等に対して、脅威圏外から対処する能力を強化する」(防衛力整備計画)とある。「射程圏」という言葉は、「距離」(ディスタンス)を含んでいて、客観的だが、ここで使われている「脅威圏」という言葉の「脅威」とは、主観的ではないのか。安保3文書を正確に読み取るためには、NSS(国家安全保障戦略)よりも、記述が具体的な「防衛力整備計画」(以下、「計画」と略す)をきちんと読んだ方が良いと思う。
 
 「計画」の項。「計画の方針」では、こう書かれている。「5年後の2027年度までに、我が国への侵攻が生起する場合には、我が国が主たる責任をもって、同盟国等の支援を受けつつ、阻止・排除できるように防衛力を強化する。おおむね10年後までに、より早期かつ遠方で侵攻を阻止・排除できるように防衛力を強化する」とある。生々しい記述ではないか。ここで私は、「集団的自衛権」という言葉を思い出した。
 
 「集団的自衛権」とは、「国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利」として解釈されているらしい。要するに同盟国が脅威圏の国家から攻撃された場合、「実力を持って阻止することを正当化することができる」という意味らしい。「集団的自衛権」とNSSは、表裏一体化されていることに注意しなければならない。2015年の安保法制化問題では、国民も国会議事堂の周りを囲んだし、メディアも盛んに発信した。しかし、今回のNSS問題では、そういう光景はほとんど見かけられなかった。このままで良いのか。良いはずがない。
 
 射程を1000キロ超に延ばす「12式地対艦誘導弾」、ロケットモーターで加速後に弾頭が高速で滑空する「島嶼防衛用高速滑空弾」、音速の5倍(マッハ5)以上で飛ぶ「極超音速誘導弾」(以上、国産)、艦船から発射するアメリカ製の巡航ミサイル「トマホーク」など。島嶼用とは、ここでは南西諸島のことだろう。
 
 贅言;①トマホークとは、北アメリカのインディアンが使う斧のこと。棍棒(こんぼう)の先に球形の石塊や金属製の斧(おの)をつけたもの。②アメリカで開発された中距離巡航ミサイルのこと。巡航とは、一定の速度で安定して移動できること。
 
 朝日新聞1月24日付朝刊「オピニオン&フォーラム」で、憲法学者・蟻川恒正教授は、次のような趣旨の寄稿をしている。ほとんど、私も同感したので、ここにポイントを引用し記載する。一部、引用者注あり)。
 
 (岸田政権は)「昨年の臨時国会閉会後に、「反撃能力」(「敵基地攻撃能力」)の保有の必要性を文書化し、これを、あろうことか国会審議に先立ってアメリカへの手土産としたのは、その手法も含めて、(安倍)元首相の政治を継承するものであった。(略)国家安全保障戦略の閣議決定は、憲法9条への言及を欠く。(略)『武力の行使』の必要最小限度性を厳しく求める憲法9条1項に違反しないか、また、(略)際限なき軍拡競争を必然化する国家戦略が、『戦力不保持』を定めた憲法9条2項に違反しないかは、通常国会の不可欠の争点である」という。
 
 蟻川教授は、憲法、特に9条を軽視する岸田政権では、「立憲主義の逆説」が、起きていると警鐘を鳴らす。立憲主義とは、「政治(現実)は憲法(規範)に従って運営されなければならない」からである。
 
 通常国会は、1月23日、開会した。岸田首相の施政方針演説、与野党の代表質問に対する首相の説明には、国民の多くは欲求不満が残ったことだろう。
 マスメディアのうち朝日新聞は、次のように総括した。「野党は国民的議論がないまま矢継ぎ早に政策転換した首相の資質を問題視し、攻勢をかけた」(前掲同紙、1月26日付朝刊記事より引用)というが、「首相は、結構したたかで頑固。やるといったらやる。だから、次は憲法(改正)だ」(自民党の萩生田光一政調会長)との見方も出ている」(前掲同紙)というのでは、国民は困るのだ。
 

 ★ 日本が「戦力」を行使する時期は?
 
 では、「敵基地攻撃能力」となる兵器の配備の時期、つまり日本を含めてアジアで緊張感が高まるのは、いつなのか。NSSには、「5年後まで」と「10年後まで」の2段階に目標の想定は分けられている。
 
 配備・運用だけで済む時代なのか。一歩踏み込んで「『侵攻』の時代の幕開け」となるのか。中国と台湾、中国と香港、北朝鮮と韓国などとの間で戦争が始まるのか。アメリカは? 日本は? どこに位置付けられるのか。
 
 2段階の第1弾、5年後までに配備する長射程ミサイルは、「12式地対艦誘導弾」、「島嶼防衛用高速滑空弾」、「トマホーク」の主に3種類だという。いずれも2026年度のうちに部隊への配備と運用が開始されるという。そして2027年までに「周辺国を抑止できる状態にする」と朝日新聞1月11日付朝刊記事には、書いてある。数年(3年?)先という、近い将来に日本周辺は、このようにきな臭くなる戦争「前夜」の時期を迎えるというのか。国会では、岸田政権にきちんと質さなければならない。マスメディアは、スクープも含めて、国民の知る権利に応えるような報道の自由を勝ち取らなければならない。
 
 2段階の第2弾、10年後までに取り組むのは、ミサイルの射程延長と発射形態の多様化。「極超音速誘導弾」や、「島嶼防衛用高速滑空弾」の射程延長型は、2000から3000キロの射程を目指す、という。これらを運用するために「長射程誘導弾部隊」を2030年代の初めには設置するという。以上、前掲同紙を参照。これと同時に、防衛省は、小型衛星群「衛星コンステレーション(多数個の人工衛星の一群・システム)」の軍事的な構築やドローン(無人機)による情報収集も必要となるという。
 
 ドローンと言えば、すでにこのコラムでも触れたように、イラン製のドローンには、日本製の部品が事実上「盗用」されて使われていると伝えた。その際、今や戦争で使う武器や兵器が日本製の家電機器で使われている部品で「改造」されてしまっている方がおかしいという専門家の証言を記載したが、旧・統一協会問題関連の安倍元首相暗殺事件では、暗殺の武器になったのは、容疑者がゼロから手作りした手製の銃であり、材料も部品も手作りの手順も判るようなサイトからインターネットで容易に情報が得られるということを問題視する発言があったように、ドローンも銃も、もうとっくに市民社会に浸透してしまっているのでは無いのか。「手製の銃」を容易に作れないようにする「手立てが必要では無いか」という専門家の声があった(前掲同紙、1月14日付朝刊記事参照)。現行の銃刀法では、既成銃や模擬銃などが規制の対象で、手製銃は規制対象として想定されていないという。
 

 ★ もう!「専守防衛」の終焉?
 
 日米両政府は、先にアメリカ・ワシントンで開かれた外務・防衛担当閣僚による「日米安全保障協議委員会(2プラス2)」を開き、協議の結果を共同発表した。それによると、「敵基地攻撃能力」について、「アメリカとの緊密な連携の下での日本の反撃能力の効果的な運用に向けて、日米間の協力を深化させる」と表明したとある(以上、朝日新聞1月12日付夕刊記事より引用)。専守防衛とかアメリカと日本の盾・矛の使い分けとか、日本の役割分担とか、単なる表現の配慮などにばかり日本側の官僚たちは気を使っているようだが、岸田首相の言動はすでにそういう配慮はどこかへ吹っ飛んでしまったかのように、日本にはアメリカ同様の「対等な役割」を担っていることを当然のこととしているのだろう。「日米軍事同盟」の現代化。交渉(外交というより、片側通行のような流れ)現場の皮膚感覚が直に伝わってくるように思える。軍備、戦争、予算などの分野では、国会での審議を前に、国民的な意向・動向などとは無関係に(海のこちらに置いたままで)岸田政権の勝手でことは進められているのでは無いのか。どの新聞でもいいし、例えば、朝日新聞1月15日付朝刊記事より引用すると、一面トップ記事の「日米首脳会談」の見出しは、「防衛強化バイデン氏支持」とあるだけ。これはつまり、「米防衛強化バイデン氏支持」と一字加えて読むのが正解なのだろう。大統領がちょっと日本の首相の背を押したら、「予算は増えるは」、「アメリカ製の兵器は買ってくれるは」、という反応が日本政府から返ってきたので、びっくり。バイデンも一瞬耳を疑ったのではないか。これでは、「バイデン・ウハウハ」というところだろう。会談冒頭、バイデンは「日本による防衛費の『歴史的な増額』や新たな国家安保戦略に基づき、我々は軍事同盟を『現代化』している」と言ったという。アメリカが驚いている。「歴史的な増額」などと相手が受け取るような切り札は、交渉の冒頭から出すべきではない。まして、この問題は、生煮えの国会審議のまま、また、生煮えゴリゴリの自国民への説明不足のまま、後足で私たち国民に砂をかけるように、岸田首相は真夜中の政府専用機に乗り込み日本列島を飛び出してきたのではなかったのか。前掲同紙1月14日付夕刊記事によると、この部分の翻訳は、当初以下のようであった。「我々は軍事同盟を近代化している」。これについて、岸田首相は、「反撃能力を含む防衛力の抜本的な強化を定め、予算を拡充する新たな方針を示した」と、国民など眼中にない、ひたすらアメリカにすり寄っているだけの発言ではないのか。だから、バイデンは「全面的な支持を表明した」という。ここまで、持参金付きで嫁に来ると言われれば、昔気質の婿は全面的に受け入れるだろう。
 

 ★ 特に、「5年後」の意味
 
 朝日新聞は、ここまで書いているが、ここで描かれた「絵図」の通りに長射程ミサイルが年次的に着々と配備される間、いわゆる「敵」は、日本やアメリカの都合のいいように指をしゃぶって、黙って見ているはずがないのではないか。
 
 要するに、敵基地攻撃能力とは、日本国憲法で保有が禁じられている「戦力」のことであることを忘れてはならない。この事態については、中国もロシアも北朝鮮も、日本の再軍備の問題と捉えていることだろう。このままでは、日本は5年以内に「再軍備時代の幕開け」を迎えなければならなくなる。
 
 気になる記事が目に付き出した(前掲同紙、2月5日付朝刊記事より引用)。アメリカのCIAのバーンズ長官が2月2日ワシントンで講演し、アメリカ側の「インテリジェンス(機密情報)」として、以下のような発言をしたという。
 「(中国の習近平国家主席が)『2027年までに台湾侵攻を成功させる準備を整えるよう、人民解放軍に指示を出した』との見方を示した」というのである。
 同じ記事によれば、2021年3月には、当時のデービットソンアメリカインド太平洋軍司令官が「2027年までに中国が台湾に侵攻する恐れがあると言及した」として、近年、アメリカ軍などでは台湾侵攻をめぐる危機感が高まっているという。さらに、最近のこととしては、「1月27日には、米空軍のミニハン大将が『私の直感では、2025年に(中国との間で)戦争になるだろう』との内部向けメモを出し、波紋を呼んだ」と書き加えている。
 
 ここで言う2025年とか、2027年という数字は、すでに触れたように、日本のNSSでは、「5年後まで」と「10年後まで」の2段階に目標の想定が分けられていて、特に「5年後」は、2027年にあまりにもピッタリとハマりすぎるのではないか。つまり、NSSで想定している日本の軍備拡大の第1目標は、中国の台湾侵攻とパラレルとして想定されているのではないのか。だとすると、先に岸田政権が打ち出した日本の防衛予算の増額計画は、まさにアメリカの中国政策をそのまま背追い込む形になっていると言えるのではないかという疑念を抱かせる。5年後、2027年辺りには、今、ロシアがウクライナで強引にやっている戦争が、アジアでも引き起こされる可能性があるということになるのではないか。
 
 戦争の舞台では、ロシアに代わって中国が、ウクライナに代わって台湾が、NATOに代わって日米軍事同盟軍が登場するというようなことになりかねないという危惧である。この場合、北朝鮮の位置はどこか。中国と北朝鮮の中朝軍事同盟軍か。
 
 こういう微妙な数字の上に日米関係はあり、多額の防衛(軍事)予算は構築され、そのしわ寄せは、日本国民の生活を年々直撃するようになることだろう。5年後に日本を含めてアジアで「軍事侵攻」が起きていないようにマスメディアは監視を強めなければならないと念じる。
 

 ★ 岸田首相の欧米5ケ国訪問とは、なんだったのか?
 
 5月に広島で開かれる予定のG7サミット(主要7ケ国会議)を前に、岸田首相がこだわっていたはずの「核なき世界」への言及とか、長崎訪問というテーマも日米首脳会談の中では、やりとりはなかったというから、不思議だ。
 
 そもそも、真夜中に政府専用機で日本列島を飛び出した岸田首相は、欧米各国フランス、イタリア、イギリス、カナダ、アメリカを駆け足で歴訪した。国連の非常任理事国に選ばれ、理事会の議長国の役割を果たさなければならないから、主要国と議題整理をしなければならないだろう。議題は、まず、ウクライナ問題(ロシアによるウクライナ侵攻)の認識のレベル合わせが重要だろう。対ロ制裁、ウクライナへの協力支援の継続(兵器の提供。「兵器」の選択を巡っては、隙間風にならなければいいがと思えるような風が吹き出した)、法の支配に基づく国際秩序の回復、グローバルサウスとの連携など。G7広島サミットらしい主要議題となるのが、「核なき世界」のはずだが、日米首脳会議では、この議題について首脳間ではやりとりがなかったというから心配だ。アメリカを抜きにして各首脳とは、この議題については理解と支持を受けたと岸田首相は説明するが、そのような議題のまとめ方で、サミットが進行するものだろうか。
 
 ことし、2023年は広島・長崎に原爆が投下されてから78年になる。バイデン大統領の長崎訪問も「核なき世界」というテーマと連携する。NSSなど安保関連3文書の改定については、戦後日本という国家の基幹的な「形」を構成する最重要国是である「平和主義」政策の大転換となるにも関わらず、アメリカには説明したかもしれないが、日本では国民的な議論も中途半端にしか行われていない。マスメディアは、日米軍事同盟軍の実態を伝えるべきである。
 
 中国とも交渉せよ:(岸田訪欧米では)、「岸田首相は国内の合意形成よりも国際的アピールを優先した」(朝日新聞1月18日付朝刊連載(寄稿)・藤原帰一「時事小言」より引用。まさにその通りなので、以下、概要をまとめて引用する。文責は引用者。
 
 ・ (上記の岸田訪欧米は、)「NATO諸国と同様の軍事連携を模索している」。
 ・ 「新安保政策は日米同盟のNATO化とも呼ぶべき防衛政策への転換である」。
 ・ 「中国と北朝鮮の国名を明示してその脅威を日米共同で抑止する方針を示した」。
 ・ (しかし、これは、日米の首脳間で岸田首相が言い、バイデン政権が「歓迎」しただけで、日本国民の間で合意形成された見解では無いだろう。ー— 引用者注)。
 ・ 「だが、ロシアと中国の脅威を同列に考えることは適切ではない」と藤原教授は言う。その通りだろう。この問題についてロシア、中国、北朝鮮と日本とのソーシャル・ディスタンスを図った上で、日本の防衛政策の転換問題を熟議するような議論が少なすぎるように思う。それゆえに、国民的合意形成まで議論が深まって行かないのではないか。
 ・ 「プーチン政権」:「軍事力の行使によって支配地域の安定と拡大」を強行してきた。「明白な侵略戦争だ」。
 ・ 「習近平政権」:「武力行使をしているとは必ずしも言えない」。「独裁的な権力行使を強化している」。
 ・ 「必要なのは、中国をロシア側に追いやるのではなく、ロシアから引き離すことだ」。「抑止と並んで外交の機会も模索する」。
 ・ 日本は、経済の安定を基礎とした日中の信頼関係を構築し、紛争の予防に努めなければならない」。
 ・ 「岸田政権」:外交による日中関係の緊張の打開を模索した形跡がない」。その通り。岸田政権は、日本の進むべき道を示す羅針盤が狂っているのではないのか。
 
 贅言&付言;「幕開き」=本来は、芸能用語として使われた。「幕開け」の方が、一般的。
 

 ★ 2・24、ウクライナ侵攻から1年
 
 ウクライナの首都キーウ(旧キエフ)近郊に住むウラジスラワ・クリビツキ(53)さんの長男・ボフダンさんは、ロシアのウクライナ侵攻で東部ハルキウ州の激戦地に赴き、この戦場で戦死した。26歳だった。「母親は『(ロシアが)勝手にやってきて、私の子供の命を奪った』と思っている」という。
 
 ウクライナ戦争では、相変わらず、両国の攻防が続いている。以下、朝日新聞ほかメディア情報参照。ロシア軍は、ウクライナ東部のドネツク州ソレダルの制圧を宣言した。ウクライナのゼレンスキー大統領は(1月)13日夜、激しい戦闘が続いているとして、制圧宣言を否定したという。アメリカのシンクタンク「戦争研究所」は、12日の分析で、「ロシア軍が制圧した可能性が高い」と指摘しているという。どちらがフェイクニュースを流しているのか。
 
 「ウクライナの軍、国防省高官は昨年末、遅くとも今年3月にはロシア軍が大規模攻勢に出るとの見方を」しているという(以上、朝日新聞1月23日付朝刊記事より引用)。
 
 ★ 戦争は、一旦始めたら、なかなか終わらない
 
 一方、ロシア側も「内部分裂」か? (政治を食い物にしているー—引用者注)民間の軍事会社「ワグネル」のトップ「富豪プリゴジン」氏は、「11日、(ロシア)軍や国防相の発表を待たずに早々と勝利を宣言」。富豪氏は、「『ワグネル戦闘員以外は、誰もソレダル攻撃に加わっていない』と豪語した」という。これに対して、「ロシア国防省は13日、『制圧に自軍が重要な役割を果たした』と強調」したという。
 
 影のロシア軍:ワグネル傭兵部隊については、この連載でも何回か紹介しているが、戦闘員の多くは「富豪プリゴジン」氏が、「自ら各地の刑務所に出かけ、志願と引き換えに恩赦を約束して集めた受刑者だとされる」という。「『影のロシア軍』として法の制約を受けない形で軍を補完する役割を果たしてきた」という。「プーチン政権周辺で『日陰者』の役割を担ってきた」と言われる(前掲同紙、1月15日付朝刊記事より引用)。朝日の記者が書くように単なる「日陰者」というだけでなく、プーチン政権の後始末専門の「始末人」として、プーチンから見れば多大な「貢献」をしてきたという自負があるから、富豪氏のでしゃばった態度に滲み出てくるものがあるのだろう。
 
 「アメリカ財務省は26日、ロシアの民間軍事会社ワグネルを『重要国際犯罪組織』に指定し、活動を支える関係先に経済制裁を科した発表した。(略)アメリカ政府は、ワグネルが雇い兵1万人と受刑者4万人の計約5万人をウクライナに投入していると分析」しているという(同紙、1月28日付朝刊記事より引用)。
 アメリカのシンクタンク「戦争研究所」(ISW)は28日の戦況分析で、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」が疲弊しているとの見方を示した。(略)ISWはワグネルの戦闘員について、去年11月下旬〜12月上旬にソレダルに近い同州バフムート近郊で1000人が亡くなるなど、計4000人以上が死亡し、1万人以上が負傷したとするアメリカ政府関係者の話に言及した」という(前掲同紙、1月30日付夕刊記事より引用)。
 
 それにしても、富豪氏のこの感情的な対応ぶりには驚かされる。プーチンとワグネルの富豪氏の間で、何か新たな事態が起こっているのだろうか。合法的な「ワグネル政党」(仮)でもつくって、プーチン政権の汚れ仕事も含めて権力を受け継ぐことでも夢見ているのかもしれない。
 
 以下、朝日新聞1月19日付朝刊記事より引用。
 「ウクライナ侵攻に参加しているロシアの民間軍事会社「ワグネル」の元戦闘員の男性が、ノルウエーで亡命を求めている。アメリカのCNNやイギリスのBBCなどが16日報じた」。
 
 この男性はロシアというより、ワグネルに捕まったら、殺されてしまうという恐怖感に慄いて脱走・亡命を求めたのかもしれない。
 
 続報あり。以下、前掲同紙、1月25日付朝刊記事より引用。「ノルウエー警察は、(略)亡命を求めていた男性を逮捕し、勾留を検討していると明らかにした。(略)男性の弁護士は(略)安全対策上の問題があり、ロシアへ送還されることはないとの見解」だという。ワグネルからの刺客を警戒し、身柄を安全な場所に確保したのではないか。
 
 以下、朝日新聞1月21日付朝刊記事より引用。
 「ロシアの『体制内野党』である公正ロシアのミロノフ党首は17日、下院での演説で、ワグネルがウクライナ東部ドネツク州の激戦地ソレダルを掌握したと評価し、ワグネルを合法化すべきだと訴えた。(略)(ワグネルの創設者)プリゴジン氏は19日にも同州の要所バフムート郊外の集落を掌握したと主張し」た。(略)(ワグネルのSNSによると)、プーチンは「12月31日、ロシア軍の兵士とともに、刑務所で採用された元囚人のワグネル戦闘員に勲章を授けた。(略)ワグネルはシリアなどでロシア軍ができない任務を実行し、存在は公然の秘密だった。(略)。(プリゴジン氏は)自ら刑務所を訪れ、任務後の恩赦と引き換えに囚人から戦闘員を募る『超法規的』な手法もとり、2万人以上が希望したとされる」という。(略)。(プリゴジン氏の発言は)ウクライナ侵攻での態勢立て直しを急ぎたい」プーチンの「意向が働いている可能性が高い」というが、プーチンは、信頼しきれないロシア軍よりも、悪(わる)同士、まさに二人三脚で劣勢を挽回したいと思って、焦っているのだろう。「高まる存在感を背景にプリゴジン氏が自らの政党を設立するという見方もロシアでは出ており、今後、政権内の構図を大きく変える可能性もある」(この記事末には、朝日新聞執筆記者名が明示されていないので、不明。こういう記事こそ署名入りで載せるべきだ)。
 
 贅言;前掲の記事を読んで、執筆記者は署名をすべきだと書いたが、後日、朝日の編集委員の一人から、機会があって、「朝日は、今、モスクワ発の記事には、記者の執筆の自由を担保するために、ほかの記事と違って記事文末の署名を抜きにしている」と聞いたので、この記事もそうだったのではないかと思い、確認してみたら、やはりその通りの内容の記事だったと判った。読者の皆さんにその旨お知らせしておく。
 
 さて、当該記事には、元囚人という兵士に紙袋に入った勲章(まるで、お土産?)を授与するプーチンの写真と侵攻で死亡した戦闘員の葬儀に出席するプリゴジン氏の写真がそれぞれ掲載されている。
 
 ロシア軍とワグネル傭兵/もう一つの対立:ロシア軍の主流派は「身だしなみだ」と言い、「無駄なルール」を持ち出すなと反発するのがワグネル傭兵部隊などの強硬派だという(前掲同紙、1月31日付朝刊記事より以下も引用)。
 
 その対立がここへきて目立っているという。対立? なあに!顎鬚のことさ。
 
 確かにワグネル傭兵部隊の兵士たちは、顎髭を生やした戦闘員が多い。ロシアの兵士は、髭を生やしていない。朝日の記者は、「両派の主導権争いが、ひげ論争に飛び火している格好だ」と斜めから見て書いている。
 
 ところで、この記事の文末にも記者の署名がない。先に触れたように、朝日の編集委員から聞いたところでは、「モスクワ発の記事」には、署名を明記しない方針をとっているという。記事の執筆記者の明記は、ロシアでは、取材がしにくくなる事情があるようだ。そう言われて、紙面を注意してみると確かに署名がない。髭論争は、ロシアのSNS上で広がった噂だという。ワグネルの創設者のプリゴジン氏はSNSで「さらに言う。前線の兵士はボトルの水で手や顔を洗う。ひげ剃りはぜいたくだと反発。(略)こんな古臭い要求が、戦闘の質(人殺しの効率化という意味かー—引用者注)を落とす大きな要因だ。(略)前線のひげはシンボルであり伝統だ」などと反論する。ワグネル側は、「占領地を失うなどの失態が続いたロシア軍を批判して存在感を高めている」という。要するに、ロシア側では、ロシア軍とワグネル傭兵部隊の間で、不協和音が続いているということなのだろう。それを伝える本音記事というわけだ。
 
 ワグネル情報が、ここへきてなぜか、あちらこちらから「噴出」してきたという感じがする。ロシア側の組織にヒビや亀裂が目立ってきたか? 
 これは、いったい何を意味するのか。じっくり考えてみよう。
 
 勘でしかないがワグネルが発火点になったりして、ワグネルがらみの何かが起こって、プーチンをも凌駕し、政治に闇の軍事を持ち込もうとしているプリゴジン氏は、胡散臭い存在感が芬芬としている。ウクライナ戦争は、戦車提供問題だけでなく、ワグネル問題でも今年、情勢が変わるかもしれない。
 
 ウクライナ戦争1年の果て:戦果に「報奨金」!! アメリカがウクライナ軍に提供する戦車「エイブラムス」を1両撃破したら、ロシア企業が、報奨金を支払うと言い出したらしい。報奨金は、1両あたり、1000万ルーブル(約1900万円)。「ほかにも同様の発表をした企業や地方政府があり、ウクライナ侵攻について『挙国一致』を演出する狙いがあると見られる(前掲同紙、1月31日付夕刊記事より引用)」。こういう馬鹿げた話は、「大政翼賛会的」というようなタイトルの方が良いのではないか。ということで、この話は、次号にて書きたいので、今回は前触れだけの掲載にとどめておきたい。
 

 ★コロナ対策、迷走
 
 ウクライナ戦争に私の視線が向けられていて、新型コロナウイルスについて記録する手間を休んでしまったので、これも書き留めておきたい。今春から、日本のコロナ禍政策が変えられようとしている。
 現在、コロナ第8波として猛威を振るっているのは、XBB.1.5である。別々の系統のウイルスが組み合わさった「組み換え体」というウイルスだという。
 元になったふたつの系統は、オミクロン株のひとつBA.2から別々に派生したものだという(朝日新聞1月13日付朝刊記事より引用)。
 
 要するに、世界的に見れば、日本のコロナ対策は、これまでのところ、「失敗した」という認識なのではないか。私の目にも後手後手に回っているように見受けられるが、コロナ側では、変異株が次々と連鎖しながら新たに発生しているということなのだろう。
 
 日本の新型コロナウイルス禍では、国内の新たな死者が、1日だけでも500人を超える日もあった。東京都の新たな感染者は日によっては、2万人近いこともある。それでいて、巷では、「3年ぶりの」規制緩和を喜んでいる人たちの声が、マスメディアを通じて流されてくる。経済効果優先で効果を上げているのか。私の身の回りでは、このところ日常的に顔見知りの人たちの感染の報が漏れ伝わってくる。数よりも、こうした個人的な情報の方が身辺へ近づいてくるコロナの、ひたひたとした、いわば「足音」を聞くようで怖い感じがするが、皆さんはどう思っているのだろうか。
 
 「迷走」とは、日本だけではない。中国の対応策「ゼロコロナ」の撤回宣言もそうだろう。中国では、(1月)14日、衛生当局の発表によると、去年の12月8日から1月12日に医療機関で亡くなった新型コロナウイルスの患者は、6万人近い(59938人)という。中国が発表する患者数などは、専制主義的な政治権力によって情報統制されている嫌いがある。中国のデータは科学的ではなく、信頼できない恨みがある。中国が「怖い」と私が思うのは、こういう非科学的なことを権力に任せて訂正しようとしないことだ(これもフェイクニュースか)。
 
 中国の対応に疑心を向けているのは、北朝鮮もそうだろう。「北朝鮮が新型コロナウイルス の再流行に神経をとがらせている。『ゼロコロナ』政策が終わって感染者が激増した中国からの流入を恐れ、国境地帯で警戒態勢を強化した」という(前掲同紙、1月28日付朝刊記事より引用)。
 
 その後、続報があった。「北朝鮮では寒波の影響もあって各地で風邪が流行し、平壌では「なるべく家にいるように」との指示が出たが都市封鎖(ロックダウン)ほどの厳しい移動制限ではな」かったという」。「在北朝鮮ロシア大使館が(北朝鮮外務省から受け取ったとする)通知文をSNS上に公表した。通知文は1月30日付。「25日午前0時から定めていた集中防疫期間が30日午前0時に終了した」とされている。5日間で解除か。「状況が好転したのかなど実態は不明だ」という(以上、前掲同紙、2月2日付朝刊記事より概要参照し、一部を引用した)。
 
 日本の対策だって、規制緩和後の、急激な感染拡大や死亡する患者の増加など、結果を見ればかなりチグハグだ。規制を緩和すれば、感染者が増えるのに、経済効果云々という理由で、非合理的に緩和され、感染者が再び急増しては、医療現場切迫とオタオタしている。それなのに、コロナウイルスの水際予防作戦を巡って、中国と日本の責任者たちはことを「政治問題化」させるばかりで、さらにうろうろ、迷走を深めているように見える。
 
 こうした中で、日本のコロナ対策も大きく変わることになった。感染症法では、感染症を「1類から5類まで」と「新型インフルエンザ等」に分類している。新型コロナウイルスは、現在「新型インフルエンザ等」に分類され、結核などの2類以上に相当するとしていろいろな「対応策」がとられている。それが今春以降、コロナは5類に引き下げられ、措置(行政の対応)がいろいろと変わる。政府の説明が不十分で、国民の共通認識にまで熟成していないのではないか。このままでは、混乱する。
 
 コロナウイルスは、季節に関係なく流行・感染する。変異株の動向も、人類の対応の裏を描くように想定外の方向に出てくるだろう。行政の対応が緩和されると、感染予防に対する個々人の意識が想定以上に下がることはないのか。その結果、感染が再拡大するようなことは無いのか。国民の命・健康の維持は、何よりも大事だろう。
 
 コロナは、インフルエンザ同様に、毎年襲ってくる。そういう意味では、毎年毎年、ウイズ・コロナでコントロールしていかなければならない。国は、そういう立体的な仕組みが構築できるのか。ウイルスの実態は変わらないという客観的な対応と医療、行政上の対応の変化に齟齬をきたさないような判りやすい手立ての説明を専門家はして欲しいものである。
 大阪大学の忽那賢志教授(感染制御学)の説明に耳を傾けよう。「5類への移行は、公費負担など国が守ってくれたセーフティネットがなくなることを意味する。(略)町中で感染するリスクが高まるので、今まで以上に個人での感染対策が求められる」という(前掲同紙、1月28日付朝刊記事より引用)。
 

 ★ 岸田政権についての世論調査
 
 朝日新聞を含め、新聞各社などの世論調査を見ると、岸田内閣支持率は、30%前後である。支持率が30%を下回ると、マスメディアでは、「危険水域」と称して、その内閣は倒れるメルクマールを超えたと判断する。朝日新聞は、(1月)21、22の両日、全国世論調査(電話)を実施したという。
 ポイントを絞って引用してみよう。
 
 内閣支持率:支持するは、35%(前月は31%)。朝日のコメントでは、「前月は、岸田内閣発足以来最低を記録したが、『やや持ち直した』」と分析しているが、ほとんど誤差の範囲でしかないのではないか。なぜなら、前々月が、37%だったので、支持が漸次減少しているという傾向はあまり変わらないのではないか。この種の世論調査は、大局観を持って、分析する必要がある。防衛費増額は、「賛成」が44%、「反対」が49%だった。ほぼ同数。
 
 日本を取り巻く防衛環境の変化が、大きく影響していると思う。ウクライナ「侵略」戦争、中国・台湾「侵攻危機」問題、北朝鮮のミサイル発射「実験(威嚇)活動」などなど、日本人の平和主義(憲法の「戦争放棄」)を揺るがす政治意識は、メディア任せにせずに、国民的観点で注意深く見守る必要があると思う。
 

 ★ 国会での岸田発言(政策転換)
 
 年末の臨時国会では、重要な政策転換について、野党の質問に対して「検討中」を繰り返しながら、政府・与党内では議論を進めた。それも、時間が少なすぎると与党からも批判された。それでいて、臨時国会が終わると次々と「決断」した。そういうフェイクな対応ぶりに「首相の資質」を問う声も出てきた。
 例えば、「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有問題は、技術的に簡単に可能だとは思えない。国際法違反の先制攻撃になりかねないと私も危惧する。原発政策の転換も、根拠が脆弱ではないのか。ウクライナ戦争後の、作られたエネルギー危機意識に乗っかっているのではないか。「しっかり」、「丁寧に」、「スピード感を持って」というほとんど意味のない修飾語の花盛り。言葉や表現だけ修飾されても困るのだ。与党の中からは、首相は「自分の言葉で国民に説明できない」(資質の問題あり)という声も聞こえてくるという。国民の目にも、十分に議論を尽くしたと映るような納得感のある熟議の過程と結果を国民は待っているのだ。首相とその周辺だけが「高揚感」を持っているというなら、その分、国民の内閣支持率は逆に下がることだろう。以上、朝日新聞1月26日付朝刊記事より参照、概要を引用した。
 
 中国の人口が減り始めた。前にも、この連載で書いたが、この後、中国の人口減少は長期間にわたって続いて行くという見込みだ。代わりに中国が占めていたポストの空位に乗(の)して来るのが、インドだという。いまや、世界は転換期に入り始めたのである。諸々の国際社会の現象は、いまは、まだ混沌としている部分があるが、やがて、共通の普遍的な視点でスッキリと私たちの目にも見えてくることになるかもしれない。
 
 ジャーナリスト(元NHK社会部記者)

(2023.2.20)
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