【コラム】大原雄の『流儀』

★★ 国際社会は、歳末も、不安定/シリアのアサド政権崩壊、亡命

大原 雄

★★ 国際社会は、歳末も、不安定/シリアのアサド政権崩壊、亡命

★ 10年以上にわたる内戦が続いていたシリアで、反体制派が8日、首都ダマスカスを制圧し、「アサド政権を打倒した」と発表した、という(朝日新聞12月10日付朝刊一面トップ記事など参照、一部引用。以下同様)。一方、ロシア国営タス通信は、同日夜、大統領を辞任したアサド氏と家族がモスクワに到着し、亡命したと報じた。
 「親子2代で半世紀以上に及んだ強権統治は、(略)反体制派の侵攻開始からわずか11日で崩壊」したという。

 今後は「大国巻き込み混乱の恐れ」と、メディアは、大見出しの看板を立てて、警戒を強める。私も、引き続き、ウオッチングを続ける。

 さて、東京国際映画祭の特集となった高倉健である。
 月刊メールマガジン「オルタ広場」は、ベテランの書き手が多く、読者も高齢者が多いと思われるので、ときどきは、幅広い読者が増える工夫もしなければならないだろうと、私は、思っている。そこで、今回は、高倉健特集を追ってみたい。

★ 東映ヤクザ映画と高倉健と文化勲章

このテーマが告げる表現については、実は、私には違和感がある。

 晩年熟成された高倉健と文化功労者は一直線で繋がる可能性があるというイメージが、私にもないわけではないが、高倉健と関係のある東映ヤクザ映画作品群と文化勲章、それの前提となった文化功労者とは、どこかで断線していてもおかしくないはずなのに、なぜ、この時、高倉健は日本文化と繋がっていたのだろうか。それだけに、テーマは、反面、おもしろいのではないか?とも、思う。まさに、複雑な違和感である。

 世界を巻き込んだ長い戦争は、私が生まれる1年半前にやっと終わった。戦後は、すでに始まっていたのだが、あっという間に、戦後色に染められていった。戦後色は、あっという間に日本社会を染め上げた。何色に染めたかって? それは、このコラム「大原雄の『流儀』」の底流を行くテーマなのだから、追々、検証してみよう。

 子どもの頃、私はチャンバラ時代劇の東映映画が好きな少年だった。あのころの子供は、遊びを工夫した。他人の家の塀の上を走り回って、鬼ごっこをしたり、路地奥の車など少ない時代だから、自由に石蹴りをしたりして遊んだものだ。石蹴りには、女の子も仲間に入れてあげた。地面に丸く円を描けば、そこはもう、相撲の土俵が出来上がる。ちゃんばらごっこになれば、黒っぽい風呂敷を母親から見つからないように、そっと持ち出し、仲良しの友達に付き合わせて、風呂敷で顔を包み込む。京の街で悪人を懲らしめる鞍馬天狗気取りで、馬に乗って善人を助けにきたりしていた。
 ことさら、東映が製作に力を入れていた江戸時代を舞台にしたチャンバラ劇映画のことである。当代の映画製作者も資金を注ぎ込んだ見応えのある立派な歴史劇映画とは違う時代劇映画として、取り敢えずここでは分類しておきたい。

 思い出してみれば、もう半世紀以上も昔のことだ。

 当時、私が暮らしていた東京には、そういう身近な時代劇映画を上映する「身近な映画館」が街中の各地に多数あった、と思う。昭和30年代には、映画は、まだテレビの時代劇ドラマの製作数では負けていなかったのではないか。実際に私が通った映画館は、東京・巣鴨の、とげぬき地蔵で知られる高岩寺の参道が商店街になったような場所にあった。、懐かしい街の横丁に映画館、名前はなんていったかなあ。「巣鴨シネマ」だったかなあ。小中学生でも仲間と一緒なら親も許し、時々なら映画を観る観劇料を親に出してもらえるような、そう、歩いてでも行けるような「身近な映画館」あるいは、「近間の映画館」のことである。

 子どもの頃、放課後、商店街を走り回って一緒に遊んだ仲間たち。もう、すっかりおじいさん、おばあさんになってしまっただろう。受験勉強をして高校、大学など上級学校に通うようになり、街でも姿を見かけなくなった同級生たち。たまに、見慣れぬ制服を着た仲間にその後もときどき、出会うことがあっても、恥ずかしそうに互いに消えていった、あの友だちである。そういう少年たちを映画とともにこのコラムで書いてみたい、と思ったのだ。

 私がここで言っているチャンバラ時代劇映画とは、次のようなものをイメージしていることをお知らせしておきたい。チャンバラ時代劇は、「股旅もの」と呼ばれていたと思うが、そういう言葉に馴染みのない若い人も読者の中には居られると思われるので、今回は初歩的なことを書き留めておきたい、と思う。

 股旅ものとは、芝居や演劇(いわゆる「舞台」)、落語、浪曲、小説や映画などで、博打などをしながら各地を流れ歩く孤独な浪人者や博徒(いわゆる「博打ウチ」)などを主人公にして、街道や宿場などで出会う人々同士の交流、あるいは対決を義理と人情を交えて描いたフィクションものを言うと定義しておきたいが、如何であろうか。

★ ★ マタタビと「股旅もの」?

 マタタビは、漢方薬の材料となる植物。猫にマタタビ、という。猫が夢中になる、というか、神経が麻痺したような奇妙な動作、つまり、おかしくなる、という。白くなって落葉するツル性の葉を利用。山地に自生した「実」や葉を酒に漬けて飲むと疲れが取れる、というので、「また旅」に出かけたくなる。動き出したくないのに動き出したくなるほど元気が出るという。アイヌ語に原義があるとも言うが、私もちゃんと調べたわけではないので、簡単に納得しないでほしい。

 一方、股旅ものという言葉は、昭和初期から使われるようになった言葉であると言う。今で言うエンターテイメントものを得意とする意味合いの「大衆小説家」・長谷川伸原作の「股旅草鞋」(ニ幕ものの芝居)などが、股旅ものというジャンルを独立させたものと思われる。股旅ものの独自の存在感を多くの人の心に確固なものとしたのは、「瞼の母」や「一本刀土俵入」ではないのか。大衆演劇の頂点に立つ、この演目は、今でも歌舞伎で演じられることもある。私も何度も観たことがある。いわば、昭和生まれの「世話もの古典劇」とでもいうところか。浪曲の演者によって脚色口演された。◯◯節と言って、独自演出が喜ばれていたと聞く。携帯舞台を持ち歩く、一人芝居とでもいうべき演出方法とでも言えば良いのか?

 「瞼の母」は、長い間、生き別れになっていた母親を探し求めて流離(さすらい)の旅をしている博徒・番場忠太郎(ばんばのちゅうたろう)が、やがて、探し当てた母親と再会する。しかし、忠太郎のアウトロウぶり、カッパ絡げて、三度笠、というヤクザ姿であることを母親に知られてしまい、息子であることを否定されることになる。

 息子と知りつつ、息子を否定する母親は、息子が真っ当な人間に戻ることを念じる。母親に親子関係を否定された忠太郎は、陰ながら実母への別れを告げて、また、さすらいの旅に出るのであった。

 実は長谷川伸は、4歳の頃に実母と生き別れをしているという。母ものの作品は、フィクションであっても、長谷川伸にとっては、実話同然の地位を占めていたのではないか。欠如した家族愛を埋めるものを求める姿を私が感じる役者。つまり、高倉健。その役者が実は、東映という映画会社で反社会的なヤクザの世界の存在を知らせるべく市民の多数にヤクザ映画の主人公を演じて見せた高倉健なのである。

★ 日本映画の古典「ヤクザ映画」と東京国際映画祭

 では、なぜ第37回東京国際映画祭(10・28ー11・6開催)と高倉健が関係があるのか。それの解き明かしの試みが、今回のこのコラムの私の関心の的(ターゲット)なのである。

 まず、東京国際映画祭では、多数の作品群を「コンペティション」、「アジアの未来」、ガラ・セレクション」、「ワールド・フォーカス」「ニッポン シネマ ナウ」、「アニメーション」、「日本映画クラシックス」、「ユース」、「TlFF シリーズ」、「ウィメンズ・エンパワーメント」「その他」など、きめ細かくグループ化して映画祭参加作品を審査・検討が行われた。

 さらに、私の場合、大雑把に言うと、今回は、このうち、「日本映画クラシックス」に注目したかったのだ。

 「生誕100周年 増村保造特集」(「陸軍中野学校」、「赤い天使」、「清作の妻」)、
「没後10年 高倉健特集」(「狼と豚と人間」、「日本侠客伝」、「網走番外地」)、
の2つの特集の内、以下の理由で、私は高倉健に注目した。
 高倉健には、実と虚のイメージがあると思うからだ。
 高倉の役者人生の前半は、ヤクザ映画の主演で、国民的なスター俳優になりながら、もう自ら十分だと思いなして役者生活の後半は、ヤクザ映画主演と手を切ることで中年期以降の役者人生の「華」を咲かせることができたのは、何が原因であったのか、ということである。

 高倉健が出演した映画は、生涯で205作品あると言われる。青年期ものは、当初イメージが定まっていなかったが、ヤクザの鉄砲玉役(例えば、「助っ人殺し屋」役)というポジションの役ではなかったか。何度も何度も、同じ役、あるいは同じような役を演じさせられた。
 まるで、今貧窮に苦しむ中で、携帯電話に振り回され「闇バイト」に追われれている日本の青年たちの姿を見るようではないか。高倉健を押し上げた中年期ものは、良く言えば、社会を支える、地味だけれど、真面目な中間管理職というイメージか? 高倉健には、この寡黙が良く似合う。

 特に、印象に残るのは、1999年公開の「鉄道員(ぽっぽや)」の演技で、モントリオール世界映画祭の最優秀男優賞を受賞した。雪深い冬の北海道のローカル線を黙々として守る鉄道員は、確かに高倉健の溢れるような人間味を出し切っていて滋味を感じさせた。従って、この演技を始め、これに連なる演技で、高倉が、2013年、映画俳優として初めての文化勲章受章したことには誰も異を唱えなかったのは、当然かもしれない。
 高倉健は、2014年11月10日没。享年83。

 亡くなる前に、やりたい役がやれて本当に良かった。結構、高倉健は拘りの人柄だったみたい。

★ ヤクザ映画小史

 追っ手から逃げる国定忠治が、日本のヤクザ者の原風景か。
 流離(さまよ)う難民、漂流民(ワンダラーズ)。状況や形は違っても、国際社会で問題が深刻化する一方の難民問題も本質は同じなのではないのか?
 難民問題は、人類の宿痾であっても、現在も地球上のあちこちで起こっている。

 ヤクザな江戸期:史実の人物たち。国定忠治、清水次郎長、黒駒勝蔵などなど。
農民社会の二男三男たち。家と農地は、長男に相続させ、自分たちは体一つで流離(さすらっ)て生きて行く。

 明治・大正期のヤクザ:自由民権派・国権派など。東映は、この時期のヤクザ者をフィクションで「日本侠客伝」というシリーズ映画で描いた。

 昭和前期:舞台:芝居、講談、落語、高座落ちの浪曲なども含めた「股旅もの」の流行。
 高倉健は、「昭和初期の顔」(詩人・高橋睦郎)と言われたという。「昭和残俠伝」(主役・花田秀次郎など)シリーズ映画。こうして記録をチェックしてみると、高倉健の「助っ人、殺し屋」役は、東映という会社にとっても、助っ人「ドル箱」だったことは、間違い無いだろう。だからと言って、これで文化功労者というのは、余りにも分析が甘すぎるように思われる。何か、隠し味がありそうだ。

★★ マタタビとは?(植物篇)

 これぞ、マタタビ。
 どんぐり型の実、開花時の虫害で、虫瘤。漢方では、薬剤として、冷え性、神経痛、腰痛の予防に使うという。

★★ 東京国際映画祭と高倉健「特集」

 特集は、続く。

★ 子どもの頃、見た「時代劇ミュージカル」という映画

 高倉健が、国民的な男優ならば、国民的な女優は、誰だろうか?
 美空ひばりという女優・歌手である役者は、高倉健に似ていたのではないか、と思う。すでに私が語ってきた高倉健の国民的な存在感は、美空ひばりなら共通するのではないかと思うからである。

 美空ひばりが出演する媒体は映画、特に時代劇、歌と踊りなどで、男装役や姫君役で演じるひばりと一緒にロードムービングする姫役の江利チエミの道中記という演出スタイルが時々あり、二人が出演可能な時は「最強コンビ」と売り込んでいた。普通は、美空ひばりに同伴する美剣士、邪魔立てをする悪役には、山形勲、大河内傳次郎、近衛十四郎などが多かったように思う。共演者は、チエミを始め相手役の主演は、立役では中村錦之助が別格扱い。そのほかでは、東千代之介、里見浩太朗(当時は、浩太郎)、大川橋蔵などの名前が美剣士役の配役らしい。あちこちで散見された。皆、若かったから美剣士ばかりが揃うことになる。私の記憶とも合致する。

 今、本格的に腑に落ちたのだが、ひばり映画は、主筋とあまり関係なさそうなところで、突然、ほぼ全員で一斉に歌ったり、踊ったりする場面が登場する。ああ、これが「時代劇ミュージカル」とか、「ミュージカル時代劇」と資料に書いてあった演出方法のことなんだなあ」。子どもの頃は、関心の薄いところは、関心の矛先すら向いていなかったのだ。

 一度だけだが高倉健の名前もあった。高倉健が時代劇ミュージカルに「初出演」というところだけ強調されていた。東映のキャッチフレーズ。「高倉健、時代劇初出演を果たした注目作」。東映としては、高倉健が時代劇映画でブームになれば、中村錦之助の後継者、つまり、時代劇映画の柱に据えたかったのかもしれない。だが、高倉健は、鬘姿が似合わなかったのか、ひばりの時代劇ミュージカル路線からは外れて、近代時代劇とでも名付けて良いのか。明治・大正・昭和前期までの新しいチャンバラ
 チエミと絡む芝居があったのか。調べてみたら、なさそうだが、この時の共演が、二人の結婚にむすびついたのかな? 読者の勝手な推測は、自由奔放。

 当時、商店街では、毎週のように街の映画館からは、ひばりの歌声が聞こえてきたという。
 誇張もある表現だと思われるが、美空ひばり映画は、総数で162本といわれる。この内、東映製作映画は、主演、共演あわせて、91本という。
 1949(昭和24)年から1966(昭和41)年。→ 特に、昭和30年代は、量産されたようだ。ひばりは、超多忙だったようだ。高倉健と同様に。

★ 文化勲章授章のころ

 最近、当時の文化勲章授章式の関係者の記念写真を見た。一番左に並んで椅子に座っているのが高倉健。他の授章者からは離れている。
 きっと、腹の中では、苦虫を潰していたのだろう。
 健さん!笑って!!などと言われても、笑えない苦しさ。照れくささ。

 さて、東京国際映画祭と「没後10年 高倉健特集」。高倉健を語ってきた筆者も、そろそろ監督・深作欣二について語らなければならないだろう。

 深作欣二とは、東映のヤクザ映画路線を支えた監督である。

★★ 問題の所在:深作欣二監督作品「狼と豚と人間」というタイトルは、何を意味しているか?

 時は、戦後直後。連合国軍が、日本を占領していた時代。占領国の中でも、アメリカが日本への支配を強めていく時代。進駐軍、駐留軍、占領軍、在日米軍などとしてアメリカ軍が、存在感を強めて行く、そんな時代であった。

 新興ヤクザの組織が、街を支配し、「品」ナンバーをつけたアメリカ製の大型「ガイシャ」を乗り回している。ヤクザの組員になりたい黒木3兄弟。母子家庭で母親に育てられ、ヤクザ志向の兄弟として育った。街のチンピラだった兄弟は、長男市郎は、豚人間は、:次男次郎は、狼:三男三郎は、人間。映画公開当時から誰が、豚で、誰が、狼、誰が人間かと話題になっていたようである。「オレは、母親思いの三郎(サブ)が、人間で、一匹狼の次郎が、オオカミ、他人(ヒト)、母親のヘソクリの金を奪って、組への持参金とした長男は、ブタ野郎」だと、話題にしたという。三郎は、北大路欣也。次郎は、高倉健、長男市郎は、芸達者の三国連太郎。憎まれ役として安定感があった。

 映画祭の画像は、デジタル化で画像も綺麗になっていた。音声も明瞭である。高倉健は、すでに、国民的俳優・高倉健として輝きの評判に包まれたまま亡くなっている。没後だって、あれから、早くも10年も経った、と言って、話題になる。東京国際映画祭でも、プログラムの一つに数えられ挙げて特集が組まれるほどだ。

 作品タイトルの英語表記は、すべて複数。
 豚たち・狼たち・人間たちの、三者で世界は、構成という意味だろうか?

 確認の意味で繰り返すが、東京国際映画祭が選んだ高倉健3部作は、次のようなものであった。今、触れた「狼と豚と人間」のほかは「日本侠客伝」、「網走番外地」というシリーズもの。抽象性と具体性の表現がタイトルの中に隠されている落差。確定的な結論は出ないだろうが、ほぼ間違いがないのは、長男次男と違って三男は、人間として描かれていたな、ということだろう。

★★ 箱の中の劇場

 運河沿いのゴミの街。貧民窟。運河の堤防を歩いている3人の青年たち。河川敷はゴミ捨て場のようだ。廃材など大型ゴミも捨てられている。廃材を再利用したようなバラックが建てられている。箱で作られた住宅。ヤクザの事務所。歓楽の飲食店。四角い、大きな弁当箱のような「アメ車」(中古ガイシャ)が、箱で作られた街の路地の中を掻き分けるようにして入り込んで来る。ヤクザの組長や幹部が乗っているのではないか。連中はバラックの小屋に入って行く。

 兄弟たちの間で、何かを投げ合いはじめた。四角い箱に収められたものは、母親の遺骨だという。遺骨は、男から男へ投げ返された後、それを受け取った男は、そのまま、運河に投げ入れてしまった。遺骨は、幅の広い運河の水面をゆっくり沖へ向かって流されて行く。母の遺骨が入った白い箱は、やがて、徐々に水面下へ沈んで行き、それも、消えてしまう。冒頭ながら、象徴的なシーンだと思う。というのは、何かを捨てた、という明確なメッセージがこのシーンにはあるからだ。壮絶な街から何かが排除されたように思えるからだ。

 箱の街。箱のようなガイシャ。箱のような家の中。
 箱の中の口論。箱の中の銃撃戦。箱の中の殺し合い。
 箱の中の死。

 何か争い事が始まりそうな予感がする。

 最近読んだ「仁義なきヤクザ映画史」では、以下の通り。原文概要を引用しよう。

 「高倉健は『母の影を追う男』を演じ続け、(略)『昭和残俠伝』、『日本侠客伝』、『網走番外地』を残し、東映任侠映画は終焉を迎える」。「終」。

 東映の映画は、客席に打ち寄せるように見せる力強い波頭を映し出す。その映像の上に、「終」の文字を浮き上がらせる。

 ヤクザ映画は、高倉健作品の基盤を作ったと私も思う。

 伊藤彰彦「仁義なきヤクザ映画史」は、力作である。
 しかしながら、高倉健をヤクザ映画の役者だと思ってしまうと、高倉健の魅力を半減させてしまう。

 続編では、国民的男優としての高倉健に迫ってみたいと思う。
 文化勲章という、ヤクザ映画出演だけの役者なら、高倉健が文化勲章に向かうようなことは、なかったであろう。

 高倉健論は、時々、メールマガジン「オルタ広場」で、取り上げてみたいと思っている。今回は、いわば序論である。

了)

ジャーナリスト。元NHK社会部記者・元日本ペンクラブ理事

(2024.12.20)
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