【コラム】大原雄の『流儀』
★★ ノーベル平和賞!クッキリ。
「グローバル・コミュニティ(地球規模の共同体)では、「核兵器の脅威は私たち全員に及ぶ可能性がある」。
「新たな国々が核兵器の保有を準備しているように見える」。
ノルウェー・ノーベル委員会委員長の言葉が、私には新鮮に聞こえる。いま、ここで、という認識。若き卓見が、冴える。
非核化、どころか、国際社会のベクトルは「逆向き(国連という、中心から遠去かる)」で、分散化、多極化、多様化(逃散、とも言う。得て勝手。中心から遠去かる)しているように見える。
鬱陶しいニュースが日々溢れている国際社会。戦争や災害のニュースに埋もれて行く非戦闘員たちの遺体・命。非戦闘員=普通の人々。女性、高齢者、子ども、障害者など。
一方、今回のノーベル平和賞受賞は戦争・災害に埋もれることなく、平和運動、それも、非核の志がドッコイ生きていた!
と、言えるのか、喜んで良いのか。
いやいや、どうせ、いっときの、泡沫の夢か、
というか、そういう、いじけた心根が、いけないのだ。視界を歪ませる。
それが、いけないのか?
そう、いけないのだ!
★★ 日本被団協
朝日新聞(この新聞社も、内情を聞けば聞くほど、最近、鬱陶しさを増し始めたような気がする)10月12日付朝刊一面トップの記事。横見出しで「被団協に平和賞」の大文字が躍る。
大見出しと新聞社の題字(暖簾のようなもの)に挟まれた日付と曜日の下にある各地の天気予報も、たまたま開いたら、晴れ☀️☀️☀️のマークが続く。東京の昼過ぎの小さい傘マーク、宇都宮、甲府の午後から夜早くまでの小さい傘マーク以外は、昼間はどこも晴れマーク、夜は遅くまでは、どこも⭐️⭐️⭐️マークが輝いている。天気予報全図(略図)つまり、関東や山梨県地方の一部以外は、どこも晴れマークという予報らしい。日本の天気までノーベル平和賞受賞を喜んでいるような紙面づくり。
本日の「非核兵器」マークか。「核兵器に✖️✖️✖️マーク」。本日は各国の殆んどが、きょうは核兵器が飛び交いませんと主張している(あるいは、不用品買い取り)という夢を見ていたようだ。
10月12日付朝日新聞一面のノーベル賞関係記事のほかの見出しでは、「ノーベル委、被爆者たたえる」とか、「高まる核リスクに警鐘」という、現在の国際政治と核兵器への危惧解説記事を付している。これに、「天声人語」の連載コラムも、加える。
当然ながら平和賞絡みの内容である。ノーベル委員会の理由をコラムニストは、次のように引用している。
「現在進行中の戦争で核兵器を使用するとの脅迫がされている」と解説する「理由に納得した」とコラムニストは、書いている。
それを読み、これを書いたコラムニストは、「緊張に満ちた、いまの世界へ向けたメッセージだ」と分析している。本当にそうか?
日常化しているミサイル発射。いずれ、別の兵器も登場しかねないのではないか。
脅しのメッセージなのか、絶対権力(専制主義)を持つ狂人の正気(狂気)なのか。単なるメッセージでは、脅しにもならないし、狂人の正気なら、核兵器など持たせないようにしなければならないし、もう一歩踏み込んだ解説をして欲しかった。簡単な問題こそ、実は難しい。
★★ 簡単な問題こそ難しい
まさにその通りで、簡単な問題だと誰もがそうだ、その通りだと思うだろうが、模範解答は、なかなか書けないのが実状なのだから、困ったものだ。当事国の権力者の誰もが、模範解答という鈴(メッセージ)をつけに行こうとしないところに、この問題の特殊な、難しさがある、というわけだ。プーチンなどを見ていると、この子は、子どもの頃から、教室でも先生の話をきちんと聞かないうちに手を上げて、質問未消化のまま答えてしまうというタイプだったのかな、と思う。
だから、誰にも簡単には答えが見えなかった透明な線が、微動だにせずに、両者の行き来を妨害しているのが改めて見えて来る。問題は、かえって難しくなってきている。
ノーベル委員長の発表の瞬間は、被団協のメンバーにしてみれば、戦後の自分や仲間たちの人生を懸けた長年の苦労を思うと身体が震えて涙しか出てこなかっただろう。湧き出る涙に身体中のエネルギーが使われてしまい、言葉を発する部分は、ぽかんとしていたのでは無いか。
日本被団協:「日本原水爆被害者団体協議会」の写真も紙面に載っている。
日本被団協の広島県被団協の理事長が溢れ出てくる苦労の涙で顔をくしゃくしゃにしている写真。一面記事に添えられた記者会見の写真が良い。高齢者の理事長が笠智衆似の顔をして涙を流している。
同じ記者会見場に、高校生の平和大使の女学生がいる。落ち着いた仕草で理事長の隣の席に座って、理事長を気遣っているように見える。理事長の体験を次世代に私が引き継ぐ。
彼女たちに戦争体験も被爆体験も直接的な自分自身の体験としてはないであろうが、理事長世代が、いずれ誰もいなくなれば彼女たちが先人の体験を学び、さらに下の世代に教え、伝えて戦争の兵器として核兵器を使わせないようにしなければならない。
いや、核兵器も・核も、根絶しなければいけない。
可能ならば見えない物は見えないまま、封印・廃絶しなければならないのだ。
★★ 核はタブー
二面の見出しは、以下の通り。
「核はタブー 今こそ」(大文字、横見出し)、「ノーモア・ヒバクシャ 訴え続け」「核戦力増強 世界の潮流に」(段々、活字の大きさが小さくなる)。
「核保有国は核兵器禁止条約に背を向け、世界にはいまだ約1万2千以上の核兵器がある、という。一方で、被爆者の超高齢化が進む。今年3月末時点で平均年齢は85・58歳だ」という(前掲同紙参照、一部引用終わり)。「日本被団協」も運動は「先細りの宿命」にある、という。どうすれば良いか?
そこへ、ノーベル平和賞取材のメディアの裏を書いたように、事前に情報が漏れないまま、ノルウェー・ノーベル委員会の委員長は!ヒバクシャに朗報をもたらす。
★★ ノルウェイ・ノーベル委員長とは?
2021年、最年少でノーベル委員会入りした人物がいる。1984年生まれ。この人物は、2024年、つまり今年、僅か3年の経験を踏まえてノーベル委員会委員長になった。まだ39歳。名はヨルゲン・ワトネ・フリドネスという。
今年の平和賞の選考では、彼は二つの要素にこだわったという。
★★ 委員長のこだわり
①核兵器のない世界の実現に尽力してきたか。
②核兵器が二度と使われてはならないと証言してきたか。
その流れから思考を整理すると、被爆者は、フリドネス委員長の先にいることになる。新委員長は、広島、長崎を訪れたことがない、という。被爆者と直接話をしたこともないという。自分は日本とは地球の反対側にある国・ノルウェーで育った。それでも、被爆者の話を知っていた。記憶こそが歴史の過ちを教えてくれた、と彼は強調する。
被爆者とその証言が世界的な規範として確立し、核兵器を二度と使ってはならない兵器と決めたか、それこそがノーベル平和賞の本質なのだ、という。
核兵器の使用を二度と認めてはならない。
それは、「戦後80年近く被爆者が、証言に証言を重ね、その意義を固め、訴え、日本国内でコツコツと築き上げてきたものだ」(前掲同紙10月12日付記事参照、一部引用)という。
広島と長崎への原爆投下後、過去80年近く戦争で核兵器が使われなかったことも、被爆者一人ひとりの尽力があったからだ。「被爆者たちは間違いなく、過去にも現在にも、変化をもたらしてきた。そしていまでも、それを続けている」という(前掲同紙参照)。
「核兵器を使わない、使わせないという『強固な世界的規範』が揺らぎつつある今だからこそ、被爆者の声が重要だ」という(前掲同紙)。「今日まで、彼らが活動を続けてきたことに対する評価でもある」という。「核兵器に安全保障を依存する世界でも文明が生き残ることができると考える方が、よほど非現実的ですよ」(以上、前掲同紙)参照。平和賞授賞の若き責任者は、きちんと判っているようだ。
平和賞の記事の執筆は、同紙の、編集委員、海外駐在記者、記者ら多数で対応している。
ノルウェー・ノーベル委員会委員長に対する報道陣の一問一答は、11日に行われた。そこの質疑で私の印象に残ったのは、以下の通りである。
若い世代へのノーベル委員会からのメッセージについて。
私の疑問:ロゴスを権力者の頭に具体的に叩き込むためにどうすれば良いのか。会見場に私がいたら、聞きたい。権力者を国際舞台から引き摺り落とす、手立てはないのか?
「ノルウェー・ノーベル委員会は、日本の新しい世代が、1945年8月の出来事を語り継ぐ責任を担っていると認識している。新しい世代が証人たちとともに、世界中の人びとを鼓舞、教育していくことが、核のタブーを維持するために極めて重要なのだ」。
★★ ここで、跳べ!
そのためには、「ここが、ロドスだ。ここで、跳べ!」という、歴史的なチャンスだという認識だったのだろう、と私は思う。
このコーナーは、「見えない線」と、仮にタイトルを付けてみようか。
朝日新聞の10月11日付夕刊、12日付朝刊と同日付夕刊記事。これらを主に参照、一部引用。
★★ 気になる前日の記事
気になるのは、10・.11付夕刊の一面トップ記事。翌日のノーベル平和賞発表を前に、「受賞者なしの年も」という見出しで独自ネタを書いていることだ。記事には、今回のノーベル平和賞の有力候補一覧を掲載している。数だけ多いが、今年の有力候補というニュアンスでは、なさそうな、という印象ありあり。
パレスチナ人権センターなど中東で活動する5団体。国連児童基金、国連難民高等弁務官事務所、世界保健機関など国連機関3機関。欧州安全保障協力機構民主制度人権事務所、スーダン緊急対応室など2組織。合わせて10団体・機関・組織。私には、馴染みのない組織名も並ぶ。いずれも、縁の下の力持ち。地道に活動を続けておられるのだろう。
そのほか、記事中には、国連パレスチナ難民救済事業機関、国連事務総長、国際司法裁判所、国際刑事裁判所などの名前を挙げる歴史家などのメッセージ記事もあるが、日本被団協の名前は下馬評には全く出て来ない。
ノーベル平和賞の発表の場、報道陣との一問一答では、この記事を書いた朝日の記者と思われる記者(?)が、ノーベル委員会の委員長に、次のように質問している。
「(平和賞受賞の)ほとんどの推測を裏切る形になった。なぜ今年、こうした授賞なのでしょうか」。
推測は、メディア側が、いわば、自由に(勝手に)推測したのではないのか?
そもそも、「推測を裏切る」ということばは、この状況で使われる語法ではないのではないか。誰が受賞者決定に今回力を持っていたのかが事前の取材で掴めれば、前日の記事も違っていたのではないか。的外れにならなかったのではないか?
「世界で起きている動きや紛争を見ると、核兵器は二度と使われてはならないのだという規範を守るため、核兵器に対する『タブー』を維持することがいかに重要であるかがわかります。この点において、日本の被爆者、被爆地は欠かせない存在です」(ノーベル委員会委員長の発言。前掲同紙参照一部引用)。
★★ 当事者は、被爆者。当地は、被爆地。
私が、推測するに、フリドネス委員長は、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナなどの戦争が長期化する中でも、なかなか勢いを落とさない状況に危惧して、これ以上の戦勢拡大にならぬよう、原点を整理し、紛争解決策がそれぞれの両者にくっきりと見えるように土俵に箒の目を入れたのではないのか? さすが、行事役。
★★ 戦い、済んで日が暮れて。
ノーベル平和賞受賞に繋がる日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の歴史の中で忘れてはならない裁判がある。被爆者運動の初期に判決が出た、いわゆる「原爆裁判」である。
核兵器は「国際法違反」と初めて指摘した裁判。十分な救済策を取らない日本政府を批判したのだ。
この裁判は、1955年4月、広島と長崎の被爆者5人が日本政府に賠償を求めて起したおこしたのだ。なぜ、原爆を落としたアメリカ政府相手ではなく、日本政府なのか。
極東国際軍事裁判(通称・東京裁判)では、アメリカによる原爆投下の責任は問われることがないまま、サンフランシスコ講和条約が1952年に発効したからだ。敗戦国・日本の裁判所にアメリカ政府を裁く権限がなくなっていたのだ。原爆裁判の原告たちは、その代わりとして日本政府に賠償を求めた。原告側は、最大の争点として原爆投下は、国際法違反だと主張した。1963年の判決では、「不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している」と結論した、という。「政治の貧困を嘆かずにはおられない」と、k古関敏正裁判長は判決文をまとめ上げた。日本初の女性弁護士の一人で、後に裁判官となった三淵嘉子も右陪席裁判官を務めた。
原告側は控訴せず、判決は確定した。
しかし、日本政府は、2017年国連で採決された核兵器禁止条約に今でも署名・批准していない(前掲同紙10月24日付朝刊記事参照、一部引用)。日本政府は、未だに核兵器禁止に踏み切っていない。
★★ ここが、ロドスだ、ここで、跳べ
先に行われた総選挙の結果、日本の国政は、安部政治「一強多弱」という、幻の、力関係の縛りが緩む選挙結果が生み出された。
原点こそ、最優先。
当事者は、被爆者。当地は、被爆地。
了)
ジャーナリスト
(2024.11.20)
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