【自由へのひろば】
「カタール断交」夏の章
― ガス、マネー、栄華と嫉妬 ―
◆ アラビア半島の光と闇
<暴力と平和の世界>
「アラブの春」から6年、アラビア半島には2つの世界がある。イスラム国(IS)に象徴される暴力と悲劇に満ちた世界と華やかでグローバル化された世界である。
シリア、イラク、エジプトの一部とイエメンは戦火に包まれ、イスラム過激派が跋扈している。しかしISの拠点の一つモスルは陥落し、急速に勢力と領土を失った。
一方で、カタールやアラブ首長国連邦(UAE)を構成するアブダビやドバイは世界の空のハブになり摩天楼はビジネス・金融発展と繁栄の象徴になった。好景気に沸く安全なペルシャ湾岸と暴力が吹き荒れる他地域を並べてみるとそのコントラストは著しい。
<「カタール断交」の衝撃>
しかし、いまアラビア半島を2分した壁が今、急速に崩れつつあるように見える。6月5日にサウジアラビア、バーレーン、エジプト、UAEなどがカタールに対し、一方的に国交断絶を通告した。
その理由は、カタールが中東全域、特にシリアとリビアのジハード(聖戦)運動を支援しているからなどとされる。この断交の結果、裕福な湾岸諸国は中東に広がる紛争の影響を受けずにいられるという幻想は、もろくも崩れ去ろうとしている。豊富な資源エネルギーを原動力に、驚異的なスピードで急成長を遂げた湾岸諸国が今回の事態を境に、やはり猛スピードで衰退するのではないかという不吉な予測である。
本号は「カタール断交」の与える影響について、エネルギー専門家の眼で多元的・包括的に略述してみたい。
◆ 分裂する湾岸諸国
<カタールはアラビア半島の「盲腸」>
カタールは、唯一国境が陸続きのサウジアラビアからペルシャ湾に向かって「盲腸のように」突起したちっぽけな半島国家である(地図・写真=外務省など)。
前掲の通り、6月に一方的なカタール断交を通告したのは、他ならぬサウジの主導による。
<巨額の身代金支払い事件が露呈>
英紙フィナンシャル・タイムズは6月6日付で、次のように報じた。
15年12月、鷹狩りのためイラクを訪れたカタール王族ら26人がイラクのシーア派民兵に誘拐される事件が発生した。結局カタールは、イランや民兵側に7億ドルを、またシリアのアルカイダ系などに2億~3億ドルを支払い解放された。
中東テロ組織に対する身代金支払いは禁止であるが、カタールは水面下で取引した。カタール断交の理由の一つである。
<カタールの「しっぺ返し」>
カタールは、地政学的・歴史的な条件から、大国サウジからの服従あるいは同調圧力を受け、歴代首長は抵抗し、あるいは関係改善・断絶を繰り返した。
その過程で、ペルシャ(イラン)接近や衛星テレビ局「アルジャジーラ」のメディア戦略を選択導入した。カタールによる弱者のしたたかな「しっぺ返し」(報復)と指摘する意見ある。
<ひび割れる湾岸諸国の結束>
カタール断交によって湾岸諸国のひび割れた関係が明確になった。
これは湾岸戦争以来の分裂である(イスラエル・ハーレツ紙、6月5日)。
まず、英国の保護領から独立(1971年)したとき、カタールは当時の7つの土侯首長とそりが合わず連邦から外れた経緯がある。
アラブ首長国連邦(UAE)はサウジに同調しつつ独自性を模索している。
バーレーンは真珠交易や漁業の競争相手だったが、サウジに事実上従属している。
一方、オマーンとクエイトはカタール断交決定に加わらず、GCC6カ国は3対3に分裂状態になった。
カタールはクエイトとは歴代首長が良好な関係を維持し、サバーハ現国王(クエイト)はカタール断交問題の仲介を務めている。
オマーンはサウジ建国よりはるかに古い歴史を歩み、宗派的にもイバード派であるため、スンニ・シーアの対立から距離を取る立場にある。イエメン内戦はサウジらのスンニー派とイランの代理戦争の様相を強めて、オマーンは中立・仲介者的立場をとっている。
――GCC(湾岸協力会議)――
サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、カタール、オマーンの6カ国が1981年に結成した地域協力機構。構成メンバーはすべて君主制の国で、イバディー派のオマーン以外はスンニー派。
<グローバル・ショッピング・リスト>
カタールは、液化天然ガス(LNG)では世界一の輸出量を誇る。世界第2位の規模をもつ政府系のカタール投資庁は、天然ガス事業から上がる巨額の利益を、ロンドンの最も高い高層ビル「ザ・シャード」や英高級百貨店「ハロッズ」など、世界中の有名資産に投資してきた。独自動車大手フォルクスワーゲンや英金融大手バークレイズなど欧米主要企業の大株主でもある。
カタールの政府系ファンドは16年、ロシア国有石油会社ロスネフチへの27億ドルの出資で合意した。
22年には中東で初めてのサッカーのワールドカップの開催が決まった。
<栄華のツケ 嫉妬が原因>
カタールの莫大な富の蓄積と独自外交の成功はねたみを買い、「カタールはアラブの嫉妬の犠牲者になった」(インターナショナル・マスメディア誌、7月6日)。
1990年8月、当時のイラクのサダムフセイン大統領(後に処刑)はクエイトの栄華と繁栄に嫉妬し、突如侵攻して湾岸戦争が勃発した事件が思い出される。
◆ 「カタール断交」と13項目要求
<「陸路、海路、空路を遮断する」と発表>
6月5日、5カ国(サウジ、UAE、イエメン、バーレンとエジプト)などアラブ諸国は、「テロと過激主義の危険から国の安全を守るため、カタールとの陸路、海路、空路を遮断する」と制裁措置を発表した。
この結果、中東の空路と海路は一時混乱した。
これに対して、カタールは「事実に基づかない主張で正当化できない」と反発した。
<サウジ、エジプトなどの要求項目>
6月23日、サウジなど4カ国はカタールに対し断交解除のため10日期限の次の要求を突き付けた。
――対カタール要求リスト(⑩-⑬は略)――
①イランとの外交関係の縮小、革命防衛軍関連者の追放、通商関係の制限
②在カタールのトルコ軍基地閉鎖
③テロ組織指定のムスリム同胞団、IS(イスラム国)、アルカイダ、シャーム解放機構(前ヌスラ戦線)とヒズボッラーなどとの関係断絶
④国際テロリストへの資金提供の禁止
⑤テロリストの引渡し、資産凍結、保護の禁止、情報提供
⑥アルジャジーラの閉鎖
⑦他国への内政干渉の停止
⑧過去4か国がカタールの外交政策によって受けた被害の賠償金支払い
⑨リヤド合意(13年と14年追加)履行
<真意はタミーム首長の退陣>
13項目要求の回答期限は過ぎたが、カタールはまだ公式表明を行っていない。要求の実現や解決までには相当の期間を要すると思われる、サウジの真意は一言で言えば、タミーム首長退陣の要求に他ならない(米CIA専門家・エミール・ナクレ氏)。
<カタール固有の事情>
カタールの衛星放送局アルジャジーラは、サウジやエジプトで非合法の「ムスリム同胞団」の主張を放送している。
また、カタールには19世紀から政治的な被抑圧者などを保護してきた特異な歴史がある。イラクの独裁者サダム・フセイン(刑死)の家族や、国際テロ組織アルカイダの指導者だったビンラディンの息子の1人、パレスチナの原理主義組織ハマスの指導者を保護し、アフガニスタンの過激派タリバンのメンバー、家族ら100人を滞在させているという。
一方、サウジもイスラム厳格派のサラフィー主義を国外に広めようと積極的に動いた。9・11事件の首謀者オサマ・ビンラディンらのテロリストに対して巨額の資金援助を行った経緯がある。いまもシリア反政府軍に対する強力な支援を続けている。
<「イラン断交」を迫るサウジ>
6月就任したサウジの新皇太子ムハマド・サルマンは外交分野では、イラン断交とカタール断交を主導し、「イスラム世界を支配しようとしている」とイランを異例の激しい口調で批判するなどイラン対決を強め、同時にその矛先をカタールに向けている。
<「イラン断交」と比べ低いインパクト>
16年1月3日、サウジはイランとの外交関係を断絶すると発表した。シーア派指導者のニムル師の処刑を怒った暴徒が在イランのサウジ大使館を襲撃したためだ。これに対してイランも断交を発表した。
この事件のグローバル・インパクトは大きく、NY原油(先物)価格は一時3%以上値上がりした。今回は1%と小幅アップに止まった。
<カタール・イランのガス開発活動>
カタールとイランの領海には世界最大のガス田があり、同一地下構造の北側はイランの「サウスパース」、南側はカタールの「ノース・フィールド」と呼ばれて、それぞれ独自に活動している。双方は大規模開発計画を実質共有しているように見受けられる(地図=JOGMEC)。
例えば、国際社会による対イラン核制裁措置の実施期間中、カタールは開発計画のモラトリアムを宣言(05年)し、イランとの暗黙のランデブーを演技した。
◆ エネルギー関連活動への影響
<エネルギー輸送面の影響は限定的>
サウジなど4カ国の対カタール断交(制裁)に当たって、カタールのエネルギー関連活動への影響が懸念されるが、1ヵ月半たった現在、人道理由もあり相当緩和されている模様。カタール断交情報を受け、NY原油の先物価格は1%超、瞬間的に上昇したにとどまった。
4カ国によるLNG、パイプラインやタンカー航行への影響はつぎのとおり。①エクソンモービルはLNG液化・輸出活動は通常どおりと発表。
②アブダビ(UAE)向けの天然ガスパイプラインはふだんどおり継続している。
③カタール船舶の入港・寄港の禁止措置が実施された。ただし、エジプトのスエズ運河航行に関しカタール船は認められる。
④フジャイラなど錨泊地での船舶給油や清水・食糧供給サービスを許可。
<LNG増産体制を発表>
「カタール断交」騒ぎのさなか、世界最大のLNG生産会社のカタール・ペトロリアム(イラスト参照)は、「ノースフィールド・ガス田」の開発凍結を12年ぶりに解除して、LNG生産能力を5~7年後に1億トンに押し上げると発表した。
これは、LNG供給国ナンバーワンの存在を強く世界にアピールするとともに、懸念されるカタールへの投資リスクを緩和する効果をねらった発表と理解される。
◆ 米国と中国は中立的立場か
<トランプはサウジ支持?>
5月、トランプ米大統領はサウジを訪問した。この機会を利用(事前の承認を得た)してサウジがカタール断交の方針にゴーサインを出したと外電は報じた。 一方、ティラーソン米国務長官は、6月サウジ外相、UAE外相、カタール政府高官と立て続けに会談し、米国による仲介交渉の可能性を探っている模様。
6月、マティス米国防長官は、F-15戦闘機36機を120億ドルでカタールに売却する契約に署名した。同時に、米海軍の艦船2隻がカタールに到着し、米・カタール両軍による合同軍事演習も行われた。
カタールの断交、仲介と兵器取引をめぐる米政府の明確な意思決定と整合性が求められる。
<中東最大の米空軍基地>
カタールは中東最大のアルウデイド米空軍基地を受け入れ、ISなどイスラム過激派組織への空爆作戦の出撃拠点の一つになり、カタールのプレゼンスは高まった。一方、サウジや反米のイランを刺激しないようバランス確保に苦心している。
<トルコ軍はクーデター対策の傭兵?>
トルコとカタール双方は非合法の「ムスリム同胞団」を支援し、安全保障上のパートナーシップを深めている。
エジプトやサウジなどは在カタールのトルコ基地の閉鎖を要求している(前掲要求項目②)が、トルコ外相は、「二国間の主権」問題であると退けた。
6月、トルコ議会は新たなトルコ兵のカタールへの増派(現在80名-100名の兵士が常駐)を決めた。
在留トルコ軍は、万が一カタールに宮廷クーデターがあれば、タミーム首長を支援するという密約説があり、特にサウジの軍事介入に対する防護のための傭兵である(英ロイズレポート)。
95年にカタールでは宮廷クーデターのため、サウジ寄りだった首長が更迭され、その後両国関係は冷却した。
2011年、バーレーンで大規模反政府運動が勃発し、バーレーン政府の要請を受けて湾岸協力会議はサウジアラビア軍を主力とする合同軍「半島の盾」を派遣した。サウジアラビア軍約1000人とUAEの警官隊約500人が派遣され鎮圧された。この事件を契機に、カタール首長はトルコに急接近したという。
<「いずれ中国は調整役を」>
人民網日本語版(6月6日)は、上海外国語大学中東研究所の孫徳剛副所長のコメントを次のとおり掲載している。
「中国は中東外交でイラン、サウジ、カタール相手に政治的な同盟を結ぶことはない。この点において中国への影響は大きいとはいえないが、各方面との関係は悪くない。これは中国独自の優位性だ。よって今後、必要な場合には、一定の調整の役目を担う役割を演じることになろう」。
カタールは「一帯一路」構想を最も早く支持を示した国の一つで、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に早期加入した。
◆ 我が国への影響
6月28日、安倍総理とタミーム首長の間で電話会談が行われた。
〇 安倍総理は、カタール情勢につき友好的な対話を通じて問題が解決され、対テロ・過激主義の観点からも、湾岸協力会議(GCC)の結束が維持されることを期待する、我が国はクウェートの仲介努力を支持する旨述べた。
〇 これに対し、タミーム首長から、日本との関係は重要であり、このような状況下においてもエネルギーを日本に安定的に供給する方針は変わらない旨の発言があった。
<「カタール」というリスク>
世界1の1人当たり年間所得13万ドル(約1,430万円)の構造を支えるところの、不均整な人口構成比(自国人割合10%程度)、中産階級の欠落と中間管理職の不在などの制約条件から、カタールのカントリーリスク(脆弱度)は、サウジやUAEに比べてワンランク高い(JBIC評価表)。
天然ガス収入による豊富なドルを原動力に、多元外交を展開するしたたかさとあやうさが同居する。リスクと機会の真価がこれから問われるだろう。
◆ カタール回想
<オイルアタッシェの時代>
筆者は、中途外務省入りした1975年からほぼ3年間、在クエイト日本大使館に勤務し、初代のオイルアタッシェとしてカタール、バーレーンとアラブ首長国連邦(UAE)を兼轄した。
当時30代の筆者は担当4カ国の名刺をそれぞれ用意してポケットに入れ、クエイトを拠点に湾岸各国や欧州に飛んだ。
OPEC主導権確保を競うサウジとイランの対立やペルシャ湾情勢を探る情報官だった。三和銀行(当時)から出向した福西惟次一等書記官らが一緒だった。当時我が国は第一次石油危機の真った
だ中であった。
<天然ガスブームのさきがけ>
ちょうど40年前、当時の日記を読み返すと、1977年7月21日(木)、来館した在カタール書記官らとランチを共にし、カタール情勢をヒアリングしたとある。その聞き取りの模様は次のとおり。
〇 ロイヤルダッチ・シェルによって発見されたドーム・天然ガス田(現在「ノースフィールド・ガス田」)は、300兆立方フィート超の当時世界最大級の資源ポテンシャルが推定されエクソン(当時)やBP、シェルなど6社が水面下で鉱区獲得にしのぎを削っている。
〇 在カタール米国大使はエクソンの鉱区権取得のため、専用の航空機と大型ヨットを用意し、王族関係者の間を奔走している。大本命であるシェルなど6社相手にメガ工作活動を展開している。
〇 湾岸の米国大使館のなかではでは館員数はわずか9名と最も小さいが、鉱区取得の予備交渉に成功をおさめつつある。
(筆者=その後の交渉で、80年代に入って、エクソン1社が外国パートナーとして正式採用された)
世界の天然ガスブームの幕開けからわずか40年でカタールは、液化天然ガス(LNG)では世界一の輸出国となった。
<「世界でもっとも退屈な首都」>
「カタール・ドーハは世界でもっとも退屈な首都」と当時の日記にある。日干し煉瓦の家並は埃にまみれ、街路は狭くどこか陰気で空気は重い。しかし、いまドーハのウェスト・ベイと呼ばれるエリアには奇抜な形をしたきらびやかな高層ビルが立ち並び栄華をきわめ夢物語の世界である。 (Copyright EGLJ 2017)
(早稲田大学資源戦略研究所事務局長・主任研究員・メルマガ「新・ジオポリ」編集発行者)
※この記事は渋谷祐氏が編集・発行するメールマガジン『新・ジオポリ』(有限会社エナジー・ジオポリティクス 2003年8月創刊)2017年7月号(第168号)から著者の許諾を得て転載したものですが文責はオルタ編集部にあります。
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