「日本会議」は怖い存在ではないか

羽原 清雅


 「日本会議」に関する著作物、新聞記事も増えて、やっと一般的な関心が高まってきた。当初、新聞の取り上げ方が鈍く、その実態はまとまった報道対象にされないまま過ぎて来たので、その点、遅ればせでも望ましいことだ。
 戦後70余年、ある意味で<明治、あるいは戦前への回帰>を一途に求め続けてきた集団として、またその長らえてきた戦術にも隠忍自重の身構えがあり、そうしたしぶとさが安倍政権になって一応の実りを見せ、注目される状況になってきた、と考えられる。
 「ナメルナヨ」というこの勢力の信号が、いろいろな形で国民有権者に発せられているようにも思われる。「戦後」とヒロシマ・ナガサキを8月だけで呼び起こし、靖国を閣僚参拝時のみに問題視し・・・といった周期的な取り上げ方とは異なる、保守勢力の粘り気のある組織活動をこの際、改めて考えてみたい。
 「過大評価だ」との見方があろうが、その潜在的な大きな影響力からすれば、拡大鏡をかざしてみる必要がある、との立場である。

◆◆ 「日本会議」の生成

 まず、その歴史について簡単に触れておきたい。
 1997年発足の日本会議自体は、まだ20年の歴史だが、その前身はふたつの集団が合流したもので、両者には比較的長い活動の歴史があった。両団体とも共通の主張を持ち、その信条が日本会議に引き継がれているので、戦後を通じて長寿の運動だったことがわかる。

 その前身のひとつは「日本を守る会」(1974年発足)で、元号法制化運動を機に、宗教右派(生長の家、神社本庁、明治神宮、仏所護念会、モラロジー研究所など)を中心に結成、天皇在位50年(76年)の奉祝行事などで関心を高めた。生長の家グループにはその取り組みに出入りはあるが、創始者の谷口雅春、参院議員になった村上正邦と小山孝雄、今も活動する高橋史朗、安東巌、鈴木邦夫ら、また三島由紀夫事件で防衛庁に乱入した小賀正義、介錯もした古賀浩靖も生長の家関係といわれる。
 さらに、左翼の全学連に対抗して結成された民族主義的な日本青年協議会(70年結成)にも関わった生長の家関係では、安倍内閣補佐官衛藤晟一(衆院議員)、日本会議事務総長椛島有三、日本政策研究センター代表伊藤哲夫らがいる。
 確認はしていないが、幸福の科学の大川隆法、法の華の福永法源らももとは生長の家がらみだったとされる。ともあれ生長の家グループの貢献大、ということになる。

 もうひとつは「日本を守る国民会議」(1981年)で、こちらは政官界、財界、司法界、学界などの面々が軸になって結成されている。生故取りまぜれば、議長の加瀬俊一(元国連大使)、黛敏郎(音楽家)、宇野精一、清水幾太郎、小堀桂一郎、中川八洋、百地章、大原康男ら、江藤淳、香山健一、村松剛、加瀬俊一、村尾次郎ら、細川隆元、升田幸三、そして桜田武、瀬島龍三、井深大、塚本幸一、小田村四郎、武見太郎らの名があり、脈々とした歴史を感じさせる。
 1970、80年代は、保守陣営を支えた遺族会、軍恩連、靖国グループなど戦前世代が高齢化して組織の若返りの必要に迫られ、それが日本会議への再結集になった。
 つまり、源流としては明治憲法重視・皇室尊崇・英霊顕彰と靖国神社復権・日本民族重視・国家中心思考・家族制度復活・道徳再構築などの基調にのっとっており、いきおい戦後憲法改定・歴史修正・国家や家族、道徳見直しなどの教育、教科書とその制度の改革・国旗国歌復活などを目標に国民への定着活動を進めることになる。両団体の思いはこの日本会議にしっかりと引き継がれているといえよう。

 肝心の日本会議だが、初代議長はワコール創業の塚本幸一、2代は日本商工会議所会頭の稲葉興作、3代は元最高裁長官の三好達、そして今は時事通信記者から大学教授になった田久保忠衛となっている。中軸になるのは、生長の家、日本青年協議会出身の椛島事務総長、政策面での伊藤哲夫、高橋史朗、安倍首相と政界の連絡役・衛藤晟一らがいる。

 ほかに、日本会議周辺で活動し、あるいは活動してきた同調的な著名人をあげると、櫻井よしこ、八木秀次、西尾幹二、林道義、長尾一紘、大石泰彦、NHK経営委員で話題となった百田尚樹、長谷川三千子、そして石原慎太郎、佐伯彰一、三浦朱門、西沢潤一、中西輝政、渡部昇一、加瀬英明、さらに拉致問題の西岡力、裏千家の千玄室、女性では安西愛子、着物の市田ひろみ、ブライダルの桂由美、作家の工藤美代子、小野田寛郎夫人の町枝、村松英子ら。筆者はその実質的な関わりについてはまだ十分に確認はしていない。

◆◆ 日本会議の活動

 このタテの組織は、①ブレーン的、人寄せ的な知名人中心の上部構造、②一線の国民運動を担う下部構造、それにヨコの組織として③憲法、皇室、教科書、教育、道徳、女性、慰霊、夫婦別姓など折々のテーマによる団体、がある。もうひとつは、④政治活動のための結集組織で、国会議員と都道府県や市区町村の議員によるもの、に分類して考えていきたい。
 事務総長らも認めているように、1970年代に右派的学生運動に参加経験を持つ椛島、安東、衛藤、井脇ノブ子らは、長くこの世界に身を置くなかで、対立関係にあった左翼全学連の組織活動に学び、取り入れたところもあったようだ。左翼学生運動が年齢に伴う幹部の入れ替わりなどで廃れたり、沈滞したりしたのに対して、日本会議と前段階の組織に参入した人たちは高齢に至るまで一途に活動を続けていることの意味は大きい。

①上部「ブレーン」構造: 先に触れた顔ぶれでわかるように、信頼あるはずのポストの人物を多数揃えていること。たとえば、元最高裁長官では三好達のみならず、かつては同職にあった元号法制化推進運動の石田和外がいた。また宗教界幹部、学者、作家、評論家などがいる。これらは、多くの一般人が疑問を持つことなく、組織への「信頼」を取り付けやすくするような顔ぞろいだ。いわばプロパガンダ要員、信用醸成メンバーである。
 その指向性は、戦前回帰型の発想、55年体制的自民政治への不満、アンチ・リベラル志向、国家より個人重視の戦後の風潮反発、防衛整備の弱体ぶり批判、といった右派的なポジションに立つもので、そうした傾向の人物の参加が目立つ。
 しかも、上部に知名人を揃えるものの、格別の意思決定や統一的な言動を求めるわけではないので、柔軟な組織運営が可能であり、また各人に日本会議への責任や拘束などのないような組織形態になっているので、言動に責任を問われがちな文化人たちも居心地が悪くならない仕掛けになっている。
 これは、確信的でない人物も名前を貸しやすく、有効な組織運営の手腕といえるだろう。
 また、日本会議設定の活動は、詳細な内容はわからなくても、明快に2択の賛否を求める。そして一般の人は、内容の可否を考えるよりも「信頼できそうな知名人がいうなら」、あるいは「身近にいる比較的社会的なポジションにある者の意向なら」と情的に同調する傾向が強い。その付和雷同のムードが、この活動の怖いところだ。

②下部「運動」構造: これは、地域的なすそ野を長期にわたって広げられる、強力なシステムといえよう。47都道府県に本部を持ち、組織力のある地方都市などには支部を250近く設け、すそ野拡大の基地の役割を担う。その活動が「草の根運動」といわれるゆえんだ。
 まず重要なのは、全国的に展開する署名運動、中央に呼応した各地での集会、知名人を擁する地方キャラバン隊の派遣、各種のシンポジウム、天皇にあやかるかの奉祝運動、あるいは要求、抗議や反対、阻止の行進など。そして、プロパガンダのたぐいも手慣れているし、動員力も備えてきている。
 地方の組織力には格差があり、長崎、熊本、福岡、山口、愛媛、広島などは強く、東北でも山形、宮城などは強いが青森などは弱いようだ。しかし、各組織の潜在能力からすると、取り組み方次第ではさらに将来性がある、といえよう。

 その組織を見ていこう。
 全国8万とも言われる各地の神社は、一般の人たちが信頼を寄せていることも多く、この組織が日本会議の活動を担う影響力は大きい。簡単にいえば、神社や宗教関係者などが中央の知名人による主張を紹介、賛同を求めると、その内容などをあまり考えずに賛同するだけの素地がある。
 また、霊友会、解脱会、崇教真光、黒住教、モラロジー研究所などの各種の宗教団体は、教団等の本部からの指示、要請には一般的に忠実に動く体質がある。さらに若者層に食い込む日本青年協議会、若手の経営者たちの日本青年会議所(JC)、あるいは高齢者や遺族らによる英霊にこたえる会など、地域ではそれなりに影響力のある組織が運動に取り組むところもあり、その影響力は決して弱いものではない。
 一部の勢力に過ぎない、といえなくもないが、しかし、この「信頼の甘さからくる同調」「積極性ある行動力」「派手な動きではなく、路地裏の回覧板的・口コミ的な動きの強さ」は侮ることはできない。地方のエネルギーを支え、啓発し、ときに選挙運動にも寄与して、議員や候補者らを取り込むことになっている。

③各種「課題別団体」構造: 日本会議は、時々の動きに極めて敏感で、社会的焦点になった諸課題について、それぞれに知名人を結集して連携・友好の委員会、懇談会などを組織、そうした機関などで問題点の整理や論理建てを進め、運動の方針などを構築してきた。そのアピールの方法は、全国的な署名獲得、中央や各地での集会やパレード開催などで、それが支持層を拡大する役割を果している。
 これらは1997年の日本会議結成以前、あるいは「守る会」「国民会議」以前から続けられていた。たとえば、靖国法案制定、元号制定運動(村上正邦ら・60、70年代)、自主憲法制定(69年)、天皇在位50年(76年)、歴史教科書修正(村尾次郎ら・80年代)、戦没者追悼(87年)、大嘗祭復活(斎藤英四郎ら・89年)、天皇訪中反対(92年)、新憲法大綱策定、首相の「侵略」発言撤回要求(93年)、戦争謝罪決議反対(終戦50周年国民委員会長加瀬俊一ら・94年)、新憲法研究会(小田村四郎会長)、夫婦別姓反対(95年以降)、などで、それぞれに活動を重ねてきた。

 日本会議以降で見ると、以下に上げるような個別テーマの会を連携的、友好的に設立、またそれぞれのテーマで国民運動や集会を開催している。
 具体的に挙げると、「新しい歴史教科書をつくる会」(西尾幹二初代会長)、道徳教育、国旗国歌法制化運動(97年)、「新しい教育基本法を求める会」(西沢潤一代表・2000年)、「日本女性の会」(安西愛子会長)、「民間憲法臨調」(三浦朱門代表・01年)、国立追悼施設建設反対集会(02年以降)、「教育民間臨調」(西沢潤一会長)、人権擁護法案反対決議(03年)、靖国20万参拝運動(05年)、皇室の伝統を守る1万人集会(06年)、天皇即位20年奉祝運動(08年)、領土領海を守る運動(11年)、女性宮家創設に反対する皇室の伝統を守る国民運動(12年)、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(櫻井よしこ、田久保忠衛、三好達共同代表・14年)、改憲1万人集会(15年)など。
 ほかに、人権擁護法反対、外国人参政権立法化反対、領土領海を守る運動などの展開がある。その時期に必要とするテーマで、組織つくり、集会や署名運動などを的確に企画している。最近では、明治維新150年の節目に、11月3日の「文化の日」を、戦前の「明治節」にちなんで「明治の日」に替える動きが台頭してきている。この背後には、サンケイ系の提唱や、日本会議系国会議員らの動きがある。
 こうした動きを見ていくと、日本会議の組織的行動力と、その向かわんとする方向がよくわかるだろう。

 伝えられる署名運動や集会参加者の数をそのまま信じられるかはわからないが、この20年間について挙げてみると、戦争謝罪決議反対署名(95年)は506万、夫婦別姓反対署名(02年)は170万、教育基本法改定署名(06年)362万、改憲の国民投票賛同(14年)、1,000万などだという。
 集会への動員ぶりを見ると、これらは目標数だろうが、靖国20万参拝運動(05年)、皇室の伝統を守る1万人集会(06年)、改憲1万人集会(15年)などという。
 これらは一過性ではなく、数年継続の署名運動であり、集会も上記の中央以外に各地でも開かれていることからすると、相当の活動能力と見たほうが正しいだろう。

④「国会議員」「地方議員」取り込み構造: これまでの日本会議の活動実態は、いわば大衆への浸透作戦としてとらえられよう。
 だが、ここで触れるのは、政策や社会動向に決定権を握り、あるいは潮流を作りうる集団としての国会議員、地方議員の集団の存在についてである。
 これは、安倍政権を支える自民党中心の「もの言わぬ多数議席」の組織体といえるし、日本会議の意向に添わない政策、法案などを事前に食い止めたり、特定の施策の実現を推進したりできる組織体でもあり、あるいは改憲をはじめとする日本の将来の方向付けに関わりうる潜在能力を有している集団、といっても過言ではない。
 その力量のひとつを挙げると、第1次政権を失敗して辞任した安倍首相を再起すべく庇護して、異例の第2次、3次政権を樹立させている。その原動力が、この日本会議国会議員懇談会に結集する安倍を取り巻く菅義偉、下村博文、新藤義孝、衛藤晟一、加藤勝信、荻生田光一、磯崎陽輔ら、いわゆる「お仲間」グループで、彼らがあの手この手で各議員を個別に撃破して多数派工作を成功させたのだ。
 先の参院選では、日本会議は比例区で直系的な衛藤、山谷、有村、安達雅志(佐藤信二女婿)を推薦、また各地の選挙区にも支援者を派遣するなど、具体的な選挙参加に乗り出している。

 「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連・1997年)がその集団で、これは日本会議そのものの発足する前日に生まれている。当初の発起人は小渕恵三、安倍晋太郎、当時新進党の小沢辰男で、いまも「超党派」の団体としている。2014年ころの名簿には、特別顧問の麻生太郎、安倍晋三を筆頭に、主要幹部に谷垣禎一、石破茂、額賀福志郎、平沼赳夫、中曽根弘文、古屋圭司、下村、菅、新藤、衛藤、加藤、荻生田、磯崎ら、主要な自民党幹部や安倍首相の「お仲間」の名が並び、また女性陣の役職者に小池百合子をはじめ、高市早苗、稲田朋美、有村治子、山谷えり子といった顔ぶれが並ぶ。
 当初190人ほどのメンバーが、今は衆参で280人超に増えている。自民党籍の衆参議員は412で、議連のほとんどは自民党なので、7割近い結集ぶりである。閣僚は第2次安倍内閣で15人、第3次で12人を数える。
 野党議員もいる。民進党では、保守系の他党から来た松野頼久、水野賢一、柿沢未途らばかりではなく、古い入党組の長島昭久、松原仁、渡辺周、原口一博ら10数人がいる。ほかに、日本維新の会の馬場伸幸、下地幹郎ら、日本のこころの中山恭子ら10余人も会員だ。

 自民党内には、個別の問題ごとの組織がある。これらの多くは日本会議議連の顔ぶれが多く参入しており、いきおい双方同じような結論、方針に至る。
 歴史検討委員会、日本の前途と歴史教育を考える議員の会、神道議懇、靖国議連、正しい日本を創る会、教育基本法改正促進委などがそれで、ほかに超党派の改憲議連といった機関やグループもある。
 野党の議連メンバーもやはり保守的な発言で目立つが、自民党内では閣僚をはじめ主要幹部、派閥幹部らが、重層的に日本会議や個別課題の団体などの要職にあるので、とくに若手は逆らいにくい。また、「義理」や「付き合い」による入会であっても、流れに乗らないわけにはいかない。地元での日本会議、つまり神社や宗教団体などの選挙支援を考えると、つい沈黙せざるを得ない、という。「信条」はともあれ、「浮世の義理」「選挙支援」のカセ、である。

 そして、国会議員懇談会発足の10年後(2007年)、「日本会議地方議員連盟」が結成される。改憲の国民投票法が成立した年である。宗教関係などの活動とは別に、地域の政治に発言権を持つ地方議員なので、公然の活動が可能になる。メンバーは1,700人はいる、といわれる。教育基本法の改定を一例にとると、362万の署名を集め、全国37の地方議会で決議をしている。
 改憲の促進、男女別姓反対などについて地方議会としての決議を、賛成多数で決める。国政に対して「世論」を示すには、格好の材料である。これらの推進を図る自民党・政府にとっては、また安倍政権と歩調を合わせる日本会議としては推進上の大きな論拠になるわけだ。
 先にも触れたが、地方での神社や宗教団体などに加えて、地方議会で多数派を占めるところが多い保守勢力は、自治体等に対する有効な関わりや圧力を握るので、日本会議の方針は極めて広がりやすくなる。そして、異論を持つ地域選出の国会議員に対しても、見えないプレッシャーをかけることにもなる。

 さらに日本会議の連携先として、「日本会議経済人同志会」が2004年に結成される。これは、地域の企業や経済関係に食い込む足掛かりとして重要だ。地域の青年会議所など、政治に関心のある若い層の獲得に役立ってくる。

 このように、日本会議の勢力は浸透度や地域に差はあっても、各界のネットをタテヨコにジワリと広げ、時間をかけながらもその影響力を拡張拡散し、かねての方針、つまり日本の再構築に向けての施策等を着実に具体化する。

◆◆ 狙うものはなにか

 日本会議の狙うところは、その活動内容を見れば、きわめて歴然としている。ひと言でいえば、安倍首相の言い続ける「日本再生」であり、「戦後レジームからの脱却」であり、戦前への回帰の路線である。戦後に築かれた道筋やルールを保守勢力による革命で切り替える。つまり、日本会議の立場と、安倍首相の方向性は極めて一致度が高いことを雄弁に物語っている。
 そのベースになるのは、最大の課題である憲法改正である。この問題はここでは触れず、日本会議の取り組む具体的なターゲットと、その長い取り組みなどに限って取り上げていこう。日本会議以前に達成された紀元節復活(2月11日の建国記念日として制定・1966年)、元号法制化(79年)、自衛隊法改正、歴史教科書「新編日本史」の検定合格(86年)、大嘗祭の国家化(即位の礼・90年)などについてはとくに触れないが、こうした実績をヒタヒタと果すだけの実力を備えていたことは認識しておきたい。日本会議発足後でも、念願としていた国家国旗法が成立している(98年)。

①憲法改定: 現行憲法自体は、戦前の天皇絶対の軍事主義的国家から、欧米型の民主主義、つまり国民主権・基本的人権・平和主義といった理念を踏まえる国づくりに切り替えようとするものだったが、これを「押し付け」ととらえるところに基本的な姿勢が見える。9条をはじめ国家体制、個人、家庭などに至るまで、「現状に合う憲法を」と主張しつつ、戦前回帰的な思考をもとに改定しようとする。
 自民党結党以来の目標と一致し、同党の憲法草案に近い立場である「民間憲法臨調」などを組織するとともに、署名運動、集会などを展開する。自民党とともに、改憲運動の中軸になっている。

②教育改革<教育基本法・教科書の改定>: 教育は国の土台、という立場から、幼児のころから国家意識が必要だとして、教育の制度や構造を変えることを重視。また、民主主義の理念をもとに作られた、とくに歴史、社会、道徳といった教科書を偏向などと問題視して、書き換えなどを策する。国家優先の立場から反日的な姿勢に抗い、またこれまでの歴史教育を自虐的だとして愛国心、皇国史観の立場を重視する。
 「愛国心」などを取り入れた懸案の改正教基法は、安倍第1次政権で成立している。また、最初に仕上げた高校用教科書「新編日本史」に代えて、渡部昇一、櫻井よしこ、中西輝政らによる「最新日本史」を発行(12年検定合格)。さらに、フジサンケイ系の育鵬社による歴史、公民の教科書が検定を通り、都立中学校や支援学校、横浜、大阪両市など、一部で採択された。これらの自治体の首長と教育委員会については、人選などを含めて採択方法などに問題があることは、すでに指摘されているところだ。
 安倍首相は第1次政権で「教育再生会議」、第2次で「教育再生実行会議」を設け、これらは日本会議に近いフジサンケイ系、育鵬社系とされる日本教育再生機構(八木秀次、渡部昇一、三浦朱門ら)からのサポートも受けている。安倍氏の教育行政に取り組む姿勢と、極めて合致していることからも、その背景はわかるだろう。

③靖国護持の基盤<国立追悼施設建設反対>: 福田康夫官房長官時代や、天皇のサイパン島慰霊訪問時などに話題になったのが、靖国神社での戦没者慰霊を国立の施設に切り替え、天皇はじめ各国首脳も訪問できるようにしよう、という動きだった。日本会議はこの動きに強く反発、集会を開き、また各地で議会決議を推進した。
 日本会議の有力団体に靖国神社や神社本庁があり、かつて靖国護持の法律を提唱してきた経緯、あるいは安倍首相の祖父岸信介自身がA級戦犯容疑者になり、その戦争責任を問われて処刑されたA級戦犯も祭祀されている靖国を軽視するかの動きは容認できなかっただろう。靖国問題は、国内ではもちろん、外交的にも触れられたくない立場なのだ。

④歴史認識<歴史観・史的事実の修正>: 「美しい国ニッポン」をうたう安倍首相のみならず、領土拡大を狙った植民地獲得、日中戦争、第2次世界大戦などの傷跡には触れられたくない気持ちは日本会議やその周辺にとくに強い。南京の虐殺事件は「まぼろし」にしたいし、従軍慰安婦から旧日本軍関与の部分は削除したいし、戦争の動機をアジア解放のためだとか、他国に原因があったかのように後世に伝えたいし、東京裁判すら誤った裁断だとしようとするし、とにかく歴史を書き換えたい気分が根強い。
 事実を事実として認め、歴史から学び、反省し、新しい道を進もうとする戦後の風潮は、偏向教育の結果であり、自虐史観によるものだ、と言いたいのだ。教科書問題もそこから始まっている。
 たとえば、長崎や広島をはじめ各地の公民館や博物館などの公的施設で、各種の展示や講演、イベントなどが計画されると、気弱な管理者たちが偏向、政治色、非中立的などを口実として拒否してくる事例がある。東京都の平和祈念館建設についても中止になったが、これも日本会議の主張が都議らの反対につながり、つぶされている(99年)。
 こうした背後には、日本会議や関係する日本青年協議会などに関わる顔ぶれが存在することが多い。個々人の判断の場を妨げ、言論の自由を拘束しようとして、関係自治体や機関の幹部らに圧力をかけてくるのだ。日本会議の存在を侮れないひとつには、そうした細やかな動きと、公的機関などの「長いものに巻かれる」体質にあるといえるだろう。
 これらの動きは今後も長く続き、憲法を改正して、幼児教育のころから愛国心、古い道徳観、美化した歴史イメージ、良き明治への回帰、などを埋め込む努力が続くだろう。

⑤伝統的家族制度の復活<家族結束、夫婦別姓阻止>: 戦後70余年、憲法下でさまざまな変化が続いた。「国家」による束ねから「個人」としての判断へと、大きな変化があった。その一方で、個人意識の高まりが対社会のかかわりを弱めて、利己、わがまま、迷惑行為などを広げるというデメリットも生じている。そこに、日本会議等の狙う民主主義の「弱み」があり、突いてくる。
 「個人」の台頭は、家族のあり方にも大きな変化をもたらした。かつては戸主がいて家族を束ねる機能を果し、妻に財産管理や相続の権利はなく、結婚も男女平等ではなかった。だが、社会の基礎単位を個人ではなく、家族としていいのか。自民党の改憲草案は、その24条で、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とうたい、日本会議もその方向にあるのだが、「助け合い」を法律で決める狙いはなにか。本来、社会の基礎単位は個人であり、むしろその個人をいかに社会的な存在に育てるか、の問題だろう。
 そこに、かつての「家族」を、社会を束ねやすくする単位とし、戦前型社会に戻そうとする意図を感じる。政府は17年1月から「3世代同居住宅」の建設に補助金を出すことにしているが、こうした政策の裏には、「伝統的家族制度」の主張に便乗ないし悪乗りする意図を感じる。このような政策の具体化にまで、日本会議の家族重視の意向が影響しているのだ。

 長く続けられている夫婦別姓反対の運動だが、これも上記に関わる一環である。「夫婦別姓は家族の絆を崩壊する」が最大の理由であり、「この制度で日本の文化が破壊される」「家族、結婚制度の否定だ」「墓はどうなる」などの理由を挙げる。
 2010年に反対の気勢を挙げた集会参加者は5,000人といわれ、これは安西愛子の「日本女性の会」の呼びかけで生まれた「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」が主催した。呼びかけたのは日本会議に同調する市田ひろみ、小野田町枝、桂由美、工藤美代子、櫻井よしこ、長谷川三千子らで、東京の石原慎太郎、埼玉の上田清司、千葉の森田健作といった知事も賛同、亀井静香、下村博文、平沼赳夫、衛藤晟一、高市早苗、山谷えり子、有村治子らの国会議員、親学推進協会長の木村治美らが出席したという。
 ただ、最高裁は「夫婦同姓」が合憲だとの判決を出したことで、これら関係者は一応の成果が出たとして、動きも収まっている。

⑥皇室制度<天皇中心主義、天皇の生前退位、女系天皇反対>: 日本会議以前から、このグループの基本には皇室重視の姿勢がある。先に天皇自身が生前退位の希望に触れたことで、退位を認めるにしても暫定の特別措置法で行くか、皇室典範事態を直すか、をめぐって論議が続く。その舞台である有識者会議には日本会議の大原康男、渡部昇一、櫻井よしこ氏らが入っていること自体、おかしいのだが、首相周辺の「有識者」とはつねに思考、論理に同調的な人物で、そうした顔ぶれが多数起用される。結論のための会議ではなく、結論を正当化するための会議になっている。安倍内閣の特徴でもある。
 また、秋篠宮家に男児誕生によって鎮火した問題だが、小泉政権下の有識者会議が女系天皇容認の方向を出したり、男系維持の検討が不十分だったりしたのは問題だ、と批判的に述べたのは安倍官房長官だった。これも、日本会議と同じ見解だ。
 したがって、生前退位を認めるにしても特別立法など暫定措置で逃げる可能性が高いように思われる。
 象徴としての天皇制を容認し、その持続を求める現天皇に対して、日本会議は改憲により天皇の権力的役割を強めたいところだろう。もともと、今の天皇夫妻の言動には不満があり、長期的天皇制と現天皇一代とを切り離して考えようとしているのではないか。
 日本会議は、何度かの天皇在位奉祝の行事を行ってきたが、内々には現天皇夫妻に不満を蓄積してきているように思われる。

⑦その他の動向: いくつかの日本会議のありように触れたが、そのほかにも活動の履歴がある。たとえば、外国人に参政権を付与する動きに反対(10年)、戦後70年の首相談話への圧力的要求(15年)、例年の国会議員による靖国参拝など、他の団体の背後に日本会議の影があることは否定できない。

◆◆ ソフト化した「翼賛体制」か

 軍国主義化に国民を束ねた大政翼賛会は、極めてハードに強制力を発揮した。国際的、社会的な状況について国民を情報過疎に追い込み、判断不能の状態に置き、また各種団体ごとに戦争協力と参戦美化の活動を強制した。
 いま、社会は貧困問題などを抱えているとはいえ、まずは豊かであり、教育水準は上がり、個人の自由もそれなりに謳歌できて、戦前とは異なる状況に置かれている。
 だが、その逆の面から見ると、生活の豊かさは現状維持と安定を望み、選挙での投票率が50%前後に落ち込んでいることでわかるように、政治への関心が薄らいできている。流れに逆らわなくても、日本の前途は平坦だとの思い込みもある。戦前や戦時の権力の動向や生活の厳しさへの実感や関心も薄れ、歴史の踏まえ方も弱まった。情報源として依存度の高いインターネット、スマホなどのソーシャルメディアは可視化、広範な伝達機能を持つ一方で、社会の情報が「見出し」程度に簡略化され、事柄の奥行き、つまり建前と本音、表と裏、秘められた内情や思惑、歴史的経緯と各方面の計算、といった内情や背景に触れることなく、自分としての判断を簡単に下し、賛否や支持不支持の態度を固める。ウソも含んだ情報過多に対する選別能力の問題もある。このように総体で言えば、物事の判断について、強制されることは減ったものの、判断力が高まったとは言い切れない実態がある。

 日本会議の長期戦略、国民運動、政治構造取り込みなどの手法には、このように自由ではあるが深みを持たない民意へのアプローチのうまさがある。国民の保守回帰の風潮に逆らわない現実をよくつかみ、一応の論理建てとわかりやすさ、反発の起らない説明に、長期的、広範、かつ丹念に取り組んでいる。戦術に巻き込まれるうちに、大きな戦略にも乗せられている印象がある。
 時代的に似て非なるようだが、日本会議的な流れがこのまま「順調」に進むなら、また政党の弱まりや腐敗が進むなら、かつての翼賛体制がソフト化したかのように浸透していく印象を受ける。
 もちろん、これに反撃するような一部の政党や各地の9条の会、反原発や旧SEALDsの行動などもないわけでもない。しかし、かつての総評的なナショナルセンターといった全国的な機能はなく、反撃も「ムード」「風」待ちの状況しかない。戦争体験のある世代は減る一方で、日本会議に異を唱える行動母体がないのも現実だ。

◆◆ 日本会議台頭の風土

 このような日本会議が成長を続けてきた構造について触れたい。

①小選挙区制: 衆院選は過去7回、小選挙区比例代表並立制で行われてきた。かつての中選挙区では同じ党から複数の候補者が立ったが、今は各政党が1選挙区1候補者で争う。そのため、候補者はまず政党の公認を取り付けることが必要なため、執行部に接近し、同調しがちになる。また、選挙区では1人だけの当選のため、対抗馬に勝つには広範な支持層をつかむ必要がある。そして、支持団体確保のためには、その団体の要求や方針に沿わざるを得ないことにもなる。反すれば、支持は得られない。
 神社や宗教団体という地域で発言力を持つ日本会議は、あれこれ具体的な要求はしないまでも、当選すれば運動の署名集め、集会の出席、あるいは中央での行動などへの同調や参加、名義貸しなどのノルマがついて回る。日本会議が弱いなら拒否も可能だが、その力量は強く、党幹部からの公認確保や地域での集票活動上、一般的には従わざるをえない。そこに、国会議員、地方議員の多くは参加、同調せざるを得なくなる。
 小選挙区制の構造は日本会議に対して、大きな成果をもたらしている。

②メディア状況: メディアの状況も怖い。フジサンケイグループのように、思想的に同調するものがあり、プロパガンダの一端を担うところもある。出版物も、相当いい加減な論者まで登場するのだが、なぜかそれなりの広告費を使い、各種の雑誌等も持続している。筋目の立つ論調だけではなく、トランプ、ドゥテルテ顔負けのような品のない内容、表現も飛び出すが、それでも売れているようだ。それはそれで、いつの時代にも軽薄、上滑りはあるもので、やむをえまい。
 ただ、テレビなどは一般的に日本会議についての報道を避けがちだ。やはり、世論形成上きちんとした立場からの報道が必要だ。
 さらに、朝・毎・東京 VS 読・産経といった新聞界の2極化も問題である。これはどうしようもないとも思うのだが、懸念は消えない。政権のあり方に影響し、日本会議と安倍首相や自民党との関わりを追及しにくい状況を生んでいるからだ。つまり、政府、政界は一方からの批判に対して、一方の支持のあることを奇貨として、批判や指摘に取り合わない状況になりつつある。それは結果的に、報道機能の弱まりを感じさせる。

 テレビの動向はさらに弱く、政治状況に対して本来担うべき権力監視の機能を失いつつある。迎合、とまでは云わないが、権力傾斜型や強者同調型、あるいはお笑い芸人型のコメンテイターや論者などが目立ち、まっとうな判断材料を提供しきれていない。テレビ局の許認可問題によって、政権に厳しくなれないものなのか、権力に対して及び腰に見える。
 このような報道の環境では、知らず知らずのうちに、おかしな世論形成に巻き込まれていくことにもなりかねない。日本会議に対する冷静な判断を遠ざける結果になってはならない。メディア存立のベースには、権力や強者監視の任務があり、報道の責任は大きい。

③世論形成: 民主主義が「個人」尊重に向かうのは当然だ。ただ、自分にとっての「個人」ばかりではなく、社会にとっての「個人」の役割もある。自分という「個人」の利害ばかりにこだわり、社会を構成する一員としての「個人」という立場を忘れていいものか。自己中心に構え、社会を忘れると、結果的に長いものに巻かれ、「お上」の進める方向をそのまま受け入れることにもなる。
 また、アメリカの思わぬ大統領の登場、イギリスの意外な民意としてのEU離脱、韓国大統領のまさかの背後関係など、それらの変動が日本に及ぼすであろう不安定な国際情勢を考えるとき、日本会議が意図する日本の方向で対処できるのか、といったことも考えたい。

 民意の形成はやはり、自覚ある個人の思考の集積であってほしい。借り物の判断、誘導される道筋、権威への甘えた追随・・・そうした体質からの脱却は、日本的な思考信条の形成過程から見ると、難しさもあるだろう。
 しかし、そうした訓練こそが「個人」を主体とした本来の民主主義の社会には必要だと思う。
 「日本会議」という大きさの見えにくい有力な組織を前に、あらためて「民主主義とは何か」と考えざるを得ない。

 (元朝日新聞政治部長)


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